幽霊の楽しい修行の日々


古城のほとり、テラス。

ペローナはココアを前に、ニコニコと笑うをジトリと睨んだ。

「・・・おい、これは何だ?」
「ココアよ!私が淹れたの。器は濡れてるけど、問題なく飲めるはずよ!」

暖かいココアだが、コップは少々濡れている。
それもそのはずだ。が生身の人間になるのには海水を浴びなければならないのだから。
ボサボサ頭のを見て、ペローナはため息をついた。

「・・・わざわざびしょ濡れになって作ることないだろ、
 で? 話って何だよ?」

「ペローナちゃんは、いつ、悪魔の実を食べたの?
 最初から能力を使いこなせた?」

ハンカチでコップの水滴を拭き取り、ココアを口にしたペローナに、は尋ねる。
ペローナは腕を組んだ。

「何でわざわざ私が教えてやんなきゃならねェんだ・・・、なんのメリットがあるんだよ」
「ウフフ! ココア、飲んだでしょ?」

はペローナのコップを指差してみせる。
ペローナは苦虫を噛み潰したような顔をした。
駄賃がわりと言うわけである。

「しょうがねェ奴だな、・・・って言っても、
 悪魔の実を食べたのは大分前のことだし、思い出せることは多くねェぞ」
「いいの。どんな些細なことでも!」

目を輝かせるに、ペローナは呆れ混じりではあったが、
徐々に思い返し出したようだった。

「悪魔の実を食べたのは子供の頃だ。
 最初は自分からいきなりゴーストが出てきてびっくりしたっけ・・・」

ペローナとて最初からホロホロの実の能力を使いこなせていたわけではない。
それに何より。
 
「本格的な悪魔の実の扱い方はモリア様に教わった」
「モリアに?」

ペローナは物心がつく前にモリアに拾われ、娘のように育てられた。
モリアは育ての親であり、悪魔の実の能力者としての師のようなものだった。

ペローナは懐かしむように目を伏せる。

「本をたくさん買って貰った。
 時々は船に楽団を招いて音楽を聴いたり、舞台を観に行ったな。
 どれも”幽霊”や”幻影”がテーマになったものだった。
 自分の持っている、”幽霊”や”幻影”のイメージを膨らませるためだって言われた」

そのせいか否か、ペローナは今でも呪いの歌が好きだ。

はなるほど、と腕を組んで頷いていた。

「イメージを、膨らませる・・・」

ペローナは続けた。

「例えば・・・、お前らの船長、あいつは”ゴム人間”だろ?
 あいつも最初はただ伸びるだけで、
 打撃に生かすとか、そういう使い方はできなかったはずだ。
 ”技術”が要るからな」

ペローナが幽体離脱をするのにもちょっとしたコツがあったりする。
どの能力者も、能力を使いこなすようになる”技術”は独学で編み出すか、そうでなければ
悪魔の実の図鑑でも引っ張り出して記述を参考にするくらいしかない。

「その技術を本人がどこから編み出すかは本人次第だ。
 私は本や知識でイメージを膨らませた後、”技術”を作り上げたが、
 多分お前らの船長は、反復練習とかだろ。頭脳派には見えないし」

「ペローナちゃん、割と失礼だわ」

ペローナがルフィを思い出しながら頬杖をつくと、
は苦笑していた。
しかしは気を取り直したように笑みを浮かべる。

「”イメージを膨らませて、技術を編み出す”
 そんな流れなのね!」

「不思議と自分にできることと、できないことは何となくわかるから、そんな感じだな」

ペローナは人差し指を立てて、にアドバイスを送る。

「あとは・・・、今、何ができるのかの確認くらいはしとけば良いんじゃないか」

「そうね、壁抜けとか、床抜けとか・・・。
 生き物の体を通るとゾッとさせることができるのと、
 そうすることで通り抜けたものの大体の性質はわかるわね。
 金属でできてるとか、生身かどうかとか・・・」 

独り言のように呟くをペローナはじっと眺めた。
とっくにココアの入っていたカップは空だ。

「これで良いな。ココアの分は喋ってやったぞ!」
「ええ! 参考になったわ。ありがとうペローナちゃん!」

眩いまでの笑みを浮かべるに鼻を鳴らし、ペローナはカップを持って立ち去った。



シッケアールの古城には、図書室がある。
ペローナに触発され、張り切って図書室に足を運んだのはいいものの、
は途方に暮れていた。

「困ったわ。本に触れないんじゃ、読めもしないわね」

普通の人間なら問題なく読める本の数々も、
幽霊であるには触れることさえ難しい。

海水を被ればその限りではないが、本を痛めてしまうだろう。
仮住まいでもあるのであまりぞんざいに本を扱うのは避けたかった。

「それにしても、素晴らしい図書室だわ。
 あまり使われてないらしいのが、もったいないくらい」

本棚が壁一面に並び、梯子がいくつもかかっている。
天井を見上げれば美しいランプと、天井画の天使がに微笑みかける。
椅子とテーブルがずらりと並んではいるが、
ミホークが使っていないと思われる部分にはうっすらと埃が被っていた。

「・・・私が生身ならぜひ掃除させて欲しいわ」

はぼうっと、並ぶ背表紙を眺めた。

「あら?」

が目を留めたのはウィリアムの本だった。
懐かしくなり、思わず本に近寄った。

「読んだことがあるわ、覚えている・・・もしかして、
 昔読んだ本から、幽霊について考えて見るのも良いかしら」

かつては山のように本を読んでいた。
幽霊を題材にした本や絵画、音楽だって聞いたことはある。

ひとまず自分が本の虫だったことに感謝しながら、は背表紙を眺める作業を始めた。
タイトルや作家の名前をトリガーに、物語の一字一句を思い出すのだ。

どれくらいの時間が経った頃だろうか。
夢中になって背表紙を眺めて居るに、誰かが声をかけた。

「何をしている?」

ミホークだった。
は驚いて居住まいを正した。
ミホークは特に何も気にするそぶりはなく、の返事を待って居る。

「ええと、ペローナちゃんから、悪魔の実の能力者は、
 能力のイメージを膨らませて、能力を扱う”技術”を編み出すのが一般的だと言われたの。
 だからこうして、図書室で幽霊にまつわる本を探していたのだけど」

ミホークは少々呆れたように腕を組んだ。

「幽霊のままでは本に触れもしないだろう。
 ・・・しかし、海水で本を濡らした様子もないな」

「ウフフ、背表紙のタイトルから昔読んだ本を思い出して、
 幽霊について考えてたところなんです」

の返答になるほど、とミホークは頷く。
難儀な作業だ、と本棚を見上げた。
山ほどの本の中には、おそらくにインスピレーションを与える物もあるだろうが。

「内容の全てを思い出せるわけでもないだろう。
 ぼんやりとした印象だけでも参考にならんわけでもないが、途方も無い」

「あら?思い出せるわよ」
「何?」

ミホークは怪訝そうに眉を顰めた。
は首を傾げている。

「・・・お前の知っている本はどれだ?」

「え? そうね。これとかはちょうど、同じものを持っていたわ」

が指差した短編集をミホークは手に取った。
埃を払い、パラパラとページを捲る。
ミホークはあるページで目を止めて、を見た。

「189ページ、3行目を覚えているか?」

は目を丸くした後、考えるようなそぶりを見せた。

「確か・・・『クラリモンド』だったわね。セリフの途中だわ」

は微笑んだ。

「『私は遠いところから来たのよ、それはずうっと遠いところなの』」

演じるように、朗読するように、は語り始めた。
ミホークの目が驚嘆に瞬く。

「『そこへ行った者は誰でも帰って来た事の無い国なの。
 そうかと言ってお日様でもお月様でもないのよ。
 ただ、空間と影ばかりあるところなの、大きな道も小さな道もないところでね。
 踏むにも地面のない、飛ぶにも空気のないところなの』」

一言一句、は間違わず、そらんじている。
いつ読んだのかも定かではない、本の一節を。

「『それでよくここへ帰って来られたでしょう。何故と言えば、恋が”死”より強いからだわ。
 恋が終いには”死”を負かさなければならないからだわ』」

「『まあ、ここへ来る途中で、何と言う悲しい顔や、恐しい物を見たのでしょう。
 ただ意志の力だけで、またこの大地の上へ帰って来て、体を見つけてその中に入るまでに、
 私の霊魂は何と言う苦しい目に遭ったでしょう。
 私を覆って置いた重い石の板をもたげるまでに、何と言う苦労をしなければならなかったでしょう』」

その声はミホークを物語の中に引きずりこむようだった。
選んだセリフが蘇った死者のものだったからか、それとも。

「『ごらんなさい、私の手のひらは傷だらけじゃありませんか。
 手を接吻してちょうだい。そうすればきっと治るわ』」

「あの、・・・まだ、続ける?」

ミホークはスラスラとセリフを読み上げたが、
首を傾げるのを見て、ようやく我に返った。

「・・・ああ、わかった。
 ・・・本当に、覚えているんだな」

「ええ。何か、まずかったかしら?」

不思議そうなに、ミホークは軽く目を細めるとゆるく首を横に降った。

「いや、・・・明日はロロノアに覇気の稽古をつける。
 それに付き合え」



翌日の朝、シッケアールの古城。
ゾロとを前に、ミホークは覇気についての説明を始めた。

「”覇気”とは全世界、全ての人間に潜在する力だ。
 ”気配”だの、”威圧”だの、そう言う感覚とさして違いはない
 最も、大半の人間はその力に気づかず、あるいは、引き出そうにも引き出せず、一生を終える」

レイリーをはじめとして、グランドライン後半の海には使い手も多い技術だが、
その存在を知るものはそう多くはない。

ミホークはとゾロを見て、腕を組んだ。

「覇気は大きく2種類ある。見聞色と武装色の覇気だ」

「”見聞色”は相手の気配をより強く感じる力。これを高めれば視界に入らない敵の位置、
 その数、さらには、次の瞬間、相手が何をしようとしているかを読み取れる」

ゾロは空島での出来事を思い出していた。強敵”エネル”も
今思えば見聞色の使い手だったのかもしれないと思い至ったのだ。

「”武装色”は見えない鎧を纏うようなイメージだな。
 これは武器や身にまとう装飾品にも纏わせることができる。
 そうすることでより高い攻撃力、防御力を得られる」

ミホークはに目を向ける。

「そして、のような通常触れることができない、
 悪魔の実の能力者たちにも対抗することができるだろう」

はごくりと唾を飲み込んだ。
”後半の海には使い手も多い”
つまり、に触れることのできる人物もそれだけ多いのだ。

「それから、最後に”覇王色”の覇気。
 これは2色とは異なる、特殊なものだ」

ミホークは戦争での白ひげやエース、そして目の前にいる二人の船長、ルフィらが示した
その片鱗を思い返していた。

「簡単に言えば相手を威圧する力。この世で大きく名を上げるような人物は、
 およそこの力を秘めていることが多いが、これは個人の資質によるもので、
 鍛えることができない上、そもそも発現することが稀だ。
 お前たちの場合も、発現する可能性はないことはないが、今は2色を覚えればいいだろう」

「わかった」
「頑張るわ!」

ゾロとははっきりと頷いた。

「2年であっても、基礎程度なら身につくだろう。
 大体の人間は”見聞色”と”武装色”、どちらかに力が偏る。
 それを見極めて、後々得意な色を伸ばせばいい。
 それぞれ強化すれば、できる事の幅が広がる」

ミホークは再びに目を向けた。

「それから、これは推測なのだが、
 、お前はそもそも”見聞色”の覇気が使えるのではないか?」

「え!?」

心当たりのなさそうなを、ゾロが意外そうに見つめる。
はミホークを戸惑うように伺った。

「と言うよりも、生まれつきその才があったと言うべきか。
 ”見聞色”の覇気を鍛え上げると、稀に”未来視”とも呼べる能力に目覚めることがある」

「み、未来視って、」

「文字通り、少し先の未来が見えると言う能力だ。
 現に、四皇の部下にそう言う能力者が居る」

はぽかんと口を開けた。

「そんなの、超能力の世界だわ・・・。SFなの・・・?」
「”幽霊”に言われても説得力はねェけどな」

ゾロが腕を組み茶化すとは頰を膨らませた。
ミホークは咳払いをして話を続ける。

「お前は”超人的な記憶力”の持ち主だろう」

「え、と、少し人より物覚えが良いだけかと」

頰をかいたに、ミホークは呆れたように息を吐いた。

「・・・言っておくが、過去に読んだ本のページ数と行数から
 その内容を暗唱できる人間は滅多に居ない」

ゾロもそれに頷いている。
は「そういうものかしら」と怪訝そうだが、納得したようだ。

「”見聞色”は相手の気配をより強く感じる力だ」

「つまり、私は見聞色の覇気の扱いに生まれつき長けていて、
 そのせいで記憶力が良いって、こと?」

ミホークの本意を、は汲み取ったらしい。
頷くミホークに、は「自覚はないんだけど・・・」と戸惑うそぶりを見せている。

「そう言う人間は大抵、先祖や血縁に”覇気”の使い手が居る。
 お前の近くに、そう言う人間がいたのかもしれないな」

「・・・!それは、手がかりになるかもしれないわね!」

ゾロは横目でを伺った。
の育ってきた環境については、色々と不穏な要素も多い。

シャボンディでは天竜人を相手に脅しつけて見せたほどである。
一瞬奴隷だったのでは? との考えがゾロの脳裏をよぎったが、
本人にそういう扱いを受けてきたような雰囲気は見受けられない。
その上思い出した記憶が定かなら、
病人であったにも関わらず自殺を強要され、運よく助かったらしいということになる。

果たして記憶を思い出すことがにとって、
良いことなのかどうかはゾロには分かりかねるのだが、
本人は懲りる事もなく記憶を思い出したいと息巻いている。

嬉しそうなは胸の前で手を叩いた。

「と、言うことは、もしかして私、ある程度は覇気を習得しやすいのかしら!?」

「好都合だわ!」とはしゃぐだったが、ミホークは軽く目を逸らす。

「・・・だが、物に触れること、
 いわゆる”実体化”を目指すのなら覚えるべきは”武装色”の方だろう」

「・・・あ」

の笑顔がぴしりと固まった。
確かに、『見えない鎧』を纏うイメージなら幽霊の実体化や、
物に触れることができる可能性がある。

しかし、ミホーク曰く『大体の人間は”見聞色”と”武装色”、どちらかに力が偏る』のだ。

「うまい話って、無いものよね・・・」

がっくりと肩を落としたに、ゾロは肩を叩いてやりたい気分だった。
幽霊の肩に触れることなどできないけれど。

「なんだ・・・頑張れ」