鷹の目と幽霊剣士の物語


「・・・あなたには、私が生きている人間に見えるの?」

は静かにミホークを見返した。
自分の手足を掲げながら、淡々と、事実を述べる。

「体は透けているし、足も無いわ」

「そう、まさしくお前は”幽霊”だな。
 では、お前はどのように死んだ?」

ミホークの問いかけに、は目を伏せ、頷いた。

「ええ・・・残念ながら、それだけは思い出しているのよ」

の声は硬い。

「窓から誰かに突き落とされた記憶があるわ。
 鉛色の空、遠ざかる岸壁・・・私はこうして、手を伸ばした」

空中へ手を伸ばしたに、ミホークは腕を組んで、
さらに追求した。

「それは本当に死んだ時の記憶か?」

「え?」

は目を瞬く。

「地面に叩きつけられた瞬間を覚えているのか」

その時、の顔色が変わったように見えた。

「下は海だったわ・・・覚えているのは、鉛色の空、遠ざかる岸壁、
 私を見たあとすぐに部屋に戻ったらしい、人の影、
 逆光で表情は見えなかったけど、サングラスが光ってた。
 ・・・思い出せるのに、こんなにも、はっきりと。でも、」

顔を上げて、首を横に振った。
前髪を掴み、しばらく考えて、半ば呆然と呟いたのだ。

「海に、叩きつけられた時の、衝撃は、何も覚えていない・・・?」

「グランドラインにおいて、伝承の怪物や妖怪の正体は
 ”悪魔の実を食べた人間”であることが多い」

ミホークは淡々と断じる。
しかし、その推測に待ったをかけたのはペローナだ。

「待て、この世に同じ悪魔の実は存在しないはずだ!」

「そう、そうだわ!
 ウソップとか、フランキーも言っていたけど、ペローナちゃんが居るなら、
 私が幽霊であることは間違いないんじゃ・・・」

ウソップやフランキーは最初、が悪魔の実の能力者であることを疑っていた。
しかし、スリラーバークで戦ったペローナが”幽体人間”だったと知り、
その可能性は無いと、は本物の幽霊であると認めたのだ。

「ああ、そういやスリラーバークの後でそんなような事を言ってたな」

ゾロも思い出したのか、頷いている。
ミホークはペローナへと視線を移した。

「ゴースト娘、お前が食べたのは、なんと言う実だ?」
「ホ、ホロホロの実だ」

「なら、おれの心当たりとは少し違う」

ミホークは不思議と何かを懐かしむように目を細め、を見た。
そこに浮かぶのは郷愁と、それから、微かな後悔にも似ていた。

「おれは昔、幽霊を斬ったことがある」

はびく、と肩を震わせ、サッとゾロの背後に隠れた。

「おい、お前・・・」

これにはゾロもミホークも呆れた様子を見せたが、当のは大真面目だ。
ミホークは眉を上げてため息をつく。

「安心しろ、お前のような箸より重い物を持ったことのないような女を斬る程、
 おれも退屈してはいない」

「・・・退屈なら切るの!?」

ゾロの肩から顔を覗かせるに、困惑するミホークとゾロをみて、
ペローナは頬杖をついた。

「どうでもいいが脱線してるぞ・・・」

ペローナの言葉に軽く咳払いをしてミホークは話を続けた。

「あれは、ロロノア、確かお前と同じ年の頃だったか。
 おれが斬った幽霊は剣士だ。強く、戦略に長けた男だった。
 彼奴との切り合いは随分と楽しかった覚えがある」

満足げに言うミホークにゾロが眉を上げた。
ミホークにしては珍しい物言いのように思えたのだ。

しかしミホークはやがて目を眇めた。

「だが、何の間違いを犯したか、彼奴は悪魔の実を口にした。
 ・・・その結果として、彼奴は剣士としての腕を落とすことになったのだ。
 彼奴が剣を振るうためには”海水”を被らねばならなかった。
 そのせいでかなりの脱力感に駆られたとしても、
 そうしなくては剣を握る事さえ出来なくなっていた」

ミホークは思い出す。
かつては好敵手だった、一人の剣士のことを。



海を旅しながら、用心棒のようなことをしている男だった。

最初は海賊船で鉢合わせ、斬り合いになった。
三日三晩殺し合って結果は引き分けだった。
その試合にミホークが満足し名前を聞くと、相手は”カルデ”と名乗った。
同い年くらいの剣士と引き分けたのは、それが初めてのことだった。

ミホークは航海の最中、何度かカルデと出くわした。
斬り合いをすることもあれば酒を酌み交わすこともあった。
互いの剣術から学び取ることも多かったものだ。

カルデはいくつもの剣術を組み合わせ、我流を成している男だった。
旅先で道場破りのようなことを行い、武者修行にも励んでいるらしい。
カルデの剣先は柔らかく、また金剛石をも切り裂いた。
絡め手もうまく、用心棒でも賞金稼ぎでも身を立てていける男だった。

『おれの国は、今は平和だが、このご時世だ。
 いつ戦争が起きるか定かじゃないだろう?
 そうなったら帰ろうとは思っている。
 そうなって、欲しくは無いが』

幾度目の斬り合いの後、酒を酌み交わした席でカルデは言った。
ミホークはなるほど、と頷く。

『では、その剣技は故郷のために磨いていると言うわけだな』

カルデは米で作られた酒を煽り、楽しそうに笑った。
ワノ国から落ち延びたと言う店主が開いた酒場の酒は美味いもので、
ミホークも気に入っていた。

だからだろうか、先ほどまで本気で斬り合って居たのに、
穏やかに言葉を交わすことができたのは。

『フフ、そうだな、それもある。
 だがいつの間に、目的と手段が逆転していた。
 おれは”剣の道の果て”が見たい』

ミホークは首を傾げる。

『・・・”果て”などと言うものが、あると思うか』

『無いのならば、”無かった”と言うことを知りたい。
 自分を試したいのさ、おれがどこまでできるのか、何ができるのかを!』

その夢と希望に満ち溢れた目を、ミホークはまだ覚えている。
それから、それが砕かれた日のことも。

カルデは悪魔の実を口にしたのだ。



自らが口にした悪魔の実の能力を示し、
ミホークがそれに驚くのを見て、カルデは肩を震わせた。

『・・・無念だ、ミホーク』

カルデは頭から海水を被り、びしょ濡れのまま皮肉に笑った。

『おれは剣の道を踏み外したのだろう。
 悪魔の実に人生を狂わされた人間は数多居るが、おれもその一人となった。
 能力者の弱点、”海水”を被らねば剣を握れない。
 だが、水を被ると全力を発揮出来ない』

『なぜ、悪魔の実を食べた!? お前ともあろう男が!
 悪魔の実など食わずとも、お前は・・・!』

ミホークの問いかけに、カルデは軽く微笑んだ。

『さァ、魔が差したのだろうか。剣の道を歩むのに、心が弱ったのかもしれない。
 ・・・あるいは悪魔がおれに、食えと囁いたのかもしれないな。
 あの黒く渦巻く悍ましい果実を見たとき、おれはこれを食わねばならないと直感した。
 それで、このザマだ」

カルデは天を仰いだ。
 
『ハハハ! この実に巣喰う悪魔はまさしく”悪魔”だ!
 他にこれを望む者は幾らでもいるだろうに、
 よりによってこのおれを選んだ。この力を望まぬ者を!』 

皮肉に笑い、ミホークへ剣先を向けるカルデは、
口の端こそ笑みの形に上がっているが、その目は絶望に淀んでいた。

『無論、そんじょそこらの有象無象に負けてやる気は無いが、
 力半分でお前を相手にして勝てると言える程、おれは厚顔ではない』

ミホークは目を眇め、カルデを睨んだ。

『・・・ならば何故、このおれに挑む』

『フフ、決まっているとも。
 おれは剣の道に疲れ、悪魔に唆され、その果てに道を踏み外したが、
 ・・・それでも剣士だ』

カルデは笑う。
絶望の淵に居ても、希望を砕かれ夢に敗れても、笑ったのだ。

『剣に生きて、剣に死ぬのが剣士だろうが』

そう言ったカルデは、ミホークに勝負を挑み、負けて死んだ。

剣士としての矜持故なのだと理解はしていたが、ミホークに取っても苦い戦いだった。

あれほど心躍った剣のぶつかり合う音が、戦術の読み合いが、
カルデが弱くなった事をひしひしと伝えてきたのだ。

剣を交わし合う内海水が乾いて、カルデの持った剣も色を失くしたが、
ミホークが裂帛の覇気をもって”夜”を振るうと、カルデの目は瞬いた。

何者も触れることができなかったはずの体に、刃が通った。

カルデの目が柔らかく細められたように思えた。
そこに写った感情を、ミホークは読み取ることができなかった。

その首を切り落とした時、その瞼を閉じさせた時、
ミホークは好敵手を失ったことを残念に思った。

悪魔の実の効力はもうそこには残っていない。
残されたのは首を断たれた死体だけだ。

浮かばれないだろうと思った。

 本来ならば、全力をぶつけ合う戦いにこそ、敗れて散る意味があっただろうに。

それから年月が経ち、クライガナ島、シッケアール王国が戦争によって滅んだのを知って
ミホークが足を運んだのには、いくつかの理由がある。
その中の一つが、かつての好敵手の故郷だったことだった。

昔、透明な酒を煽りながら、愛おしむようにカルデは語った。

『おれの国には森の賢者と言われるヒューマンドリルってヒヒが居る、
 人間の真似をして農作業を覚えるから収穫時には重宝していた。
 無論、作物を報酬に与えないとストライキを起こすんだがな』

『多湿の国で水には恵まれた。恵まれ過ぎたとも言える。
 万年天気は悪いが、それを打ち消す程、住む人間の心は明るい』

『できるなら、おれが帰る日など来なければいい、
 平和であればいいと願っているよ』

シッケアール王国にミホークが足を踏み入れた時、
カルデの話していた国はどこにも無かった。

国中から血の匂いがした。川は血と泥で汚れ、
生きた人間の姿は無く、森の賢者は殺しあう人間を見て凶暴な戦士となった。

運命は弱い人間の望みなど聞き届けはしない。
打ち砕かれた命の嘆願など、尚更。



ミホークは記憶喪失の幽霊を見て、一目でカルデと同じ実を食べたのだと分かった。
浮かぶ体。炎のように燃え、透ける足元。色をなくした佇まい。

ミホークは一度目を閉じ、まだゾロの背に隠れるに目を向ける。

「彼奴の食った悪魔の実は、人によってはロギアと呼ばれる実よりも価値があり、
 そしてまさしく”悪魔の実”と呼ぶに相応しい呪われた力を授ける実だ」

何しろ、かつて一人の男の人生を打ち砕いた悪魔の実だった。
才能ある若者を殺した悪魔の実だった。

「”動物系・幻獣種。ヒトヒトの実、モデル・ゴースト”
 これを食べた人間は、”幽霊人間”となり、実を食べた時点でその肉体は成長を止め、 
 いかなる物理攻撃も受けないかわりに、自ら物に触れることが出来なくなる」

ミホークは眉をひそめ、皮肉に笑う。

衰えることはないが、成長もない。
どれほどの研鑽を重ねても、肉体はそれに応えてはくれない。
そもそも研鑽を重ねようにも、まるで一人、時間の狭間に凍りついたように、
何者と触れ合うこともできなくなる。刀など振れるはずがなかった。

「考えようによっては”不老不死”の力を授かったと言えなくもないだろう」

『肉体の成長が止まる』と言うことはそう言うことだ、とミホークが続けると、
は色を失ったその顔をますます青ざめさせたように見えた。

「何にも触れることも出来ず、永遠に死なない・・・そんなのって」

不老不死の力を得る代わり、人間に与えられた楽しみをほとんど奪われることになる。
食事も出来ず、物にも人にも触れる事が出来ず、
凍りついた時を永遠に生きるのだ。

「・・・その人生にどれほどの意味があるって言うの?」

ミホークは目を伏せた。
かつての好敵手も、同じように思ったはずだったからだ。

「・・・幽霊を殺す方法なら簡単だ」

は息を飲む。

「”覇気”を纏った攻撃は幽霊人間にも通る。
 また、海水を被っている間は生身の人間に戻れる。
 その間はごく普通の攻撃によって死ねるだろう」

「”覇気”・・・!」
がレイリーの覇気で吹っ飛んだのも、そう言う理屈か・・・!」

ゾロがシャボンディ諸島での一件に合点がいったと頷いた。
ミホークはに問いかける。

「お前が本物の幽霊か、それとも悪魔の実の能力者、”幽霊人間”なのかは
 海水を被ればすぐに知れる。試してみるか? 記憶喪失の幽霊よ」

「私、私は・・・」

は考えるようなそぶりを見せると、やがて顔を上げた。

「海水、被ってみるわ」



、ゾロ、ペローナ、ミホークの4人は海岸までやって来た。
今日はシッケアールでは珍しく晴れていて、水面は眩しいほど光っている。
ゾロは海水をバケツ一杯汲んで、に向き直った。

美しい海辺。白い砂浜。
バケツを構えるゾロと、指を組んで、海水に備える

ペローナは思わず呟いた。

「・・・絵面が酷ェ」
「うるせェよ! がやれって言うんだからしょうがねェだろ・・・」

ゾロはげんなりとしていた。
たっての希望でなければ、
ゾロだって無抵抗の女に水を被せるようなことはしたくない。

「私の事なら気にしないでゾロ! どんと来い! だわ!」

そして、当のの底抜けに明るいガッツポーズにゾロは脱力した。
そもそも幽霊の癖に、やたらポジティブで前向きなのはどうなのだ。

ゾロは腕を組んで成り行きを見守ってるらしいミホークを横目で伺った。
先ほどの話を聞くに、ミホークはゾロの年頃にはすでに覇気を身につけていたようである。
せめてその頃のミホークには追いつきたいと、決意も新たにしていたところだった。

だが、現実には稽古に励む前に傷を治し、
そしてに海水を浴びせなければならない。

ゾロは深いため息をついた。
は不思議そうに首を傾げた。

「ゾロ?」
「・・・さっさと済ますぞ」

そう、嫌なことは先に済ませるに限る。
ゾロは目がけて、バケツの海水を思い切り浴びせかけた。

瞬間、ドサッ、と鈍い音がする。
砂浜に、が座り込んだ音だ。

透けていたはずのは今、その色を取り戻していた。

金色の髪は頰に張り付き、赤色の目は驚きに瞬いている、薄桃色のドレスが砂にまみれていた。
は呆然と自分の手の平を見つめる。

血の通った手の平だった。

「・・・あつい」

そして、その一言を呟いて後、は砂浜に倒れ込んだ。

「おい、!」

ゾロが慌てて駆け寄ると、その体は驚く程熱かった。
これはアラバスタに行く前に病にかかったナミと同じ位の熱の高さでは無いだろうか。

「酷い熱だ。おい、返事しろ!」
「お、おい鷹の目、あれは幽霊人間だからどうとかって問題じゃねェだろ!?」

ペローナの問いかけに、ミホークは頷いた。

「元々病弱だったのではないか?」
「なんでそんな冷静なんだよ! とりあえず城戻るぞ!」

ゾロはを負ぶって城に戻った。
ペローナが四苦八苦しながらの濡れた服を着替えさせ、
看病を始める。

ベッドに横たえたところで、ゾロとミホークも合流した。
そして、の髪も乾いた頃、それは突然起こったのだ。

「な、なんだ!?」

の足元から、黒い靄のような、炎のような渦がの体を覆った。
まるで魔法のように、呪いのように、その炎がすり抜けた箇所が、
色を失っていく。

足のつま先から、頭のてっぺんまで、渦が通り抜けると、
がゆっくりと目を開いた。

「・・・大丈夫か?」
「・・・ええ」

ペローナに頷いて、は自分の手のひらを見つめていた。
うっすらと床が透けて見える。
元の通りの幽霊に戻っていた。

「どうやら、悪魔の実の能力者だったようだな」

ミホークが静かに言うと、は頷いた。

「そうね、それから私・・・また一つ思い出した」

は緩やかに空中に浮かぶ。
窓から溢れる日に透けるはガラス細工のようだった。

「私、突き落とされたんじゃなかったわ」

目を固く瞑り、絞り出すように呟く。

「私は、あの日、自分で窓から・・・飛び降りたのよ」