幽霊と魚人島


は誰かの声に促されるように、目を覚ました。

「あ!目を覚ました!麦わらの一味の幽霊ちん、だよね?」

は緩やかに身を起こし、
横たわる一味の面々を見て、目を見張る。

「・・・ルフィ、サンジ、ウソップ、チョッパー!
 みんなを助けてくれたの? ありがとうケイミーちゃん!」

ケイミーはを見て、ホッとしたように胸をなでおろした。

「良かった! いきなり人間の人が流されてきたからびっくりしちゃった。
 ・・・あと、起きたばかりでごめんね、着替えた方がいいと思うんだけど、
 ルフィちんが手を離してくれなくて・・・」

は意識を失いながらも手首を掴んだままのルフィを見てパチパチと目を瞬く。

ウソップとチョッパー、サンジはすでに着替えさせられているようだったが、
ルフィとだけは元の格好のままである。

は小さく微笑んだ。

「ありがとう、私の船長さん」

「え? 何か言った?」

ケイミーがを振り返るが、は緩やかに首を振って見せた。

「いいえ、タオルを貸していただけるかしら」

はタオルで手を拭くと、そこだけを霊体に変えてルフィから離れた。

ケイミーは驚いているが、が悪魔の実の能力者なのだと
簡単に自己紹介すると、納得した様子だ。
ルフィを着替えさせようとメダカの5つ子に手伝ってもらっていた。

「そういえば、あのトランクってちんの?」

ケイミーが指差したトランクをみて、は頷き、
安堵のため息を漏らした。

「そうそう、そうなのよ!
 良かった、一緒に流されてくれてて!
 着替えてしまうわね!」

がトランクを開いた。
洋服と靴がこれでもかと詰め込まれている。水が入っていないか心配だったのだが、
そこはペローナ推薦の重量系トランク、一滴の水も入っていなかった。

はドレスよりも動きやすい、
青いストライプのシャツワンピースとベルト、
パンプスをテキパキと選ぶと、手早く着替えてみせた。

ちん、着替えるの早いね!?
 それに、お洋服カワイイ!」
「ウフフ、ありがとう!早着替えは特技なの。
 幽霊に戻ると、色がなくなっちゃうんだけど」

そう言うや否や、まるで魔法のように、足元から黒い霧がを覆い、
霧が晴れたかと思うと、は色を失くした幽霊に変わっていた。



の次に目を覚ましたのはサンジだった。
ウソップ、チョッパーも程なくして意識を取り戻す。
起きてこないのはルフィだけだった。
さすがに心配になって、チョッパーが様子を伺っている。

「どお? チョッパー」
「うん、海水を飲んでるだけみたいだ。多分すぐに起きると思うぞ」

チョッパーの診察結果を聞いて、皆安堵したようだった。
チョッパーはそういえば、とを見上げる。

、今の内に採血するか?」
「そうね。お願いするわ」

は海水に腕をつける。
すると白い腕だけが生身の肉体に戻っていた。
それを見ていたウソップやサンジも目を丸くしている。

「うわっ、すごいな!」

「ウフフ。乾いたら幽霊に戻っちゃうの。
 お願いするわ、チョッパー先生!」
「お、おう!」

チョッパーはすぐに準備を整えるとの腕をとって注射針を刺した。

リュックから何かの器具を取り出すと、採血した血を振って、
しばらく待った。すぐにアルファベットの表示が出る。

は、XF型だな。ゾロとフランキーと一緒だ、・・・!?」

血液型の検査キットを眺めていたチョッパーの顔色がさっと青ざめた。

!すぐに幽霊になれ!」

その尋常でない様子には息を飲み、
すぐに腕をタオルで拭いて幽霊に戻る。

「おい、どうしたんだよ、チョッパー」

サンジも戸惑ったように、チョッパーに声をかける。
チョッパーは言葉を選んでいる様子だったが、ついに顔を上げると、
に目を合わせた。

「・・・落ち着いて聞いて欲しいんだ。
 ほんの少しだけど、・・・毒物の反応が出た」
「!?」

は自分の腕を呆然と見やった。
ウソップがそれを聞いて身を乗り出す。

「おいおいおいおい!? 大丈夫なのかよ!?」
「大丈夫だ! ごく少量だし、解毒薬を飲めば平気なんだ! この毒は!」

チョッパーが慌てて言うと、サンジは胸を撫でおろした。

「なんだよ、ヒヤヒヤさせやがって・・・」

だが、チョッパーの顔つきはまだ真剣なままだった。

「でもな、
 お前、この2年で膠原病だったのを思い出したって言ってただろ?
 多分、普通の人間よりもずっと毒の影響を受けるはずだ。
 それに・・・検出されたのは確かに少量だったけど、毒は、毒だ」

チョッパーはためらいながらも、はっきりとに宣告した。

「誰かが悪意を持って、毒を飲ませようとしない限り、こんな反応は出ない」

は目を眇める。
かつて、黒ずんだスプーンを取り落とした記憶があった。
床に反響する金属音と、強張る体。

「また、一つ、思い出したわ」

はこめかみを押さえ、目を伏せる。

「その時、私はとても弱っていて、・・・でもおかしいと思っていたのよ。
 あんなに具合が悪いのが続くなんてことなかったの。
 だから銀のスプーンで、スープを混ぜたわ。
 まさかとは思った。そんなはずないけど、物は試しにって。
 ・・・少しだけど、黒ずんでいったの。
 多分、少量の毒を長期的に食事に混ぜて、誰かが私を殺そうとしたのね」

は淡々と思い出したことを述べた。

「気づいてからは、沢山の果物とか、点滴とか、そう言うものから栄養をとっていたわ」

「・・・お前、それ、」

ウソップはなんと言葉をかけていいのかわからないと言った様子だ。
サンジがチョッパーに声をかける。

「チョッパー、」
「うん! 、おれが必ず治すからな!心配すんな!」

は安心したように微笑んだ。

「・・・ありがとう。
 治療と食事と入浴の時以外は、本体に戻ることを避けるわね」
「そうだな。それで、いいと思う」

は一度破顔すると、扉の方に目を向ける。

「そんなことよりも、サニー号や他の皆は無事かしら」
「それが、逸れちゃったみたいで・・・」

サンジは気遣わしげに、を見ていた。
もう、いつもと変わりない笑顔でチョッパーやウソップに話しかけているが
その内心までは読み取れない。

そもそも、はなぜ、命を狙われていたのだろう。

失った記憶の中にその理由があるなら、
はそれを、本当に思い出すべきなのだろうか。

「サンジ?」
「あ、いや、・・・多分皆無事だろう。
 ルフィが起きたら探しに行こうか」

サンジはに笑顔を作って見せた。
きっと、どんなに止めても、は全てを思い出そうとするのだろうと、
どこかで分かっていたのだ。

そんな時だった。

「ゲホッ、」
「ルフィ!」

気絶していたルフィが海水を吐き出して、飛び起きた。
メダカの五つ子が驚いて悲鳴をあげる。

が急いで側によると、その顔を見てルフィはニッと明るく笑った。

、今度は掴めたぞ!」

ぐ、と拳を突き出し、どこか得意げなルフィに、は目を細める。

「ええ、そうね。・・・頼もしいわ、ありがとう!」

は手のひらを実体化させて、ルフィの拳に自分の拳を合わせた。
笑い合う2人に、サンジもチョッパーもウソップも、どこかで安堵するような気分だった。



ルフィが目を覚ましたところで
ケイミーは人魚の友達に一味を紹介したいと言って、
部屋の外へと皆を連れ出した。

玄関を出ると、そこにはシャボンを背負ったウミガメが待ち構えている。

「ウミガメのエレベーター!? 本当にここは海中なのね・・・!」

皆がシャボンの中に乗り込み、ウミガメがホイッスルを吹くと徐々にウミガメは上昇を始める。
ケイミーの住むサンゴで作られた建物はミルフィーユのように幾つもの層を作っているようだった。

ルフィやチョッパーは海の中を見ようとシャボンに手をついてあたりを見回している。

「ここは海中のサンゴマンション。
 私の住むマーメイドカフェの寮は家賃も安いから最下層。
 光の入る最上階は一番値段が高いの」

「ふーん、お前ビンボーなのか。そういやパッパグとハチは?」

ルフィの言葉に、は気の良いタコの魚人を思い出して眉を下げる。

「ハチさん、怪我をしたって聞いたけど、具合はどう?」

「もうほとんど良いって聞いてるよ。
 はっちんは”魚人街”の出身だから、そこで療養してる。
 ・・・ちょっと治安が悪いから、ルフィちんたちが一緒なら案内しても良いよ」

「後で行こう! 顔見て礼を言いたいからな!」

ケイミーは一度頷くと、ヒトデのパッパグの居場所について話し出した。
どうやら彼は人気のデザイナーらしい。

「彼は魚人島の一等地、”ギョバリーヒルズ”に大きな屋敷を持ってるの。
 今日もハマグリ届けに行くから一緒に行こっ!」

ルフィは不思議そうに首を傾げている。

「飼い主だろ? 一緒に住まねェのか?」
「えへへ、私にはちょっとあの街は身分違いで。
 ハマグリもこの辺のが美味しいしね」

はケイミーから海中のマンションへと視線を移した。

どうやら、魚人島は割合身分制度がはっきりとした国のようだ。
言われてみれば、サンゴに覆われたマンションは上の階層に行くにつれて
施される装飾が華やかなものになっている。

「おい、あのストローみてェなのはなんだ?」

ウソップがあちこちに張り巡らされたチューブを見て尋ねた。

「島のシャボン職人が加工した”ウォーターロード”だよ。
 魚たちも私たちも自由にあれに乗って・・・、
 ちょっと見ててね!」

ケイミーがエレベーターの外に出て、チューブの中に入った。
ウミガメエレベーターが海上に着き、ルフィらが入江に降り立つと、
ケイミーが空に浮かんだチューブの中から手を振った。

「こんな風に、空だって泳げるの!」
「楽しそう!」

とルフィは目を輝かせる。
しかしは自身が能力者であったことを思い出して少し残念に思った。
泳げた方が魚人島は楽しそうだ。

「おーい、ケイミー!」

かけられた女性の声に一行が振り返ると、色鮮やかなサンゴの上で、
美しい人魚たちがタツノオトシゴや魚たちと戯れていた。

愛想よく微笑んで挨拶をしてくる人魚たちに、とウソップは息を飲む。

「まるで童話の世界だな、サンゴの大陸、人魚の入江!」
「ええ、本当に!」

しかし、この光景に一番に感激しているのは他ならぬサンジだ。
なんと嗚咽して号泣している。

「見つけたぞー!!! ここがオールブルーだー!!!」

感涙して叫ぶサンジに、皆呆れていた。

人魚たちは一行を人懐っこく遊泳に誘う。
サンジは感激しながら人魚たちに混じって泳ぎ、踊っている。

「まぁ、締まりのない顔・・・でも本当に幸せそうだわ。
 サンジったら、あそこまで女性に弱かったかしら?」
「2年で何があったんだかな・・・」
「なんにせよ、血液のストックがなくなってたから、鼻血を吹かなくなってよかったよ」

能力者3人とウソップは波打ち際でサンジの満喫ぶりをよそに話していた。
ルフィは浅瀬で波を蹴って唇を尖らせている。

「良いなー、お前ら泳げてよー」
「・・・そうね、私も同意見だわ」

肩を落とすとルフィにケイミーは笑って波を尾びれで打った。

「アハハ、ルフィちんもちんも、
 シャボンつけたら泳げるよ」

はケイミーの提案になるほど、と腕を組んだ。
思えばルフィも海中をシャボンの潜水服で歩いていた。

「そうなのね、ルフィ、海中散歩ができるわよ。やってみる?」
「それも楽しそうだな!でもおれ、先に会いたい奴がいるんだよ」

ルフィはジンベエに会いたいのだと話しだした。
戦争で兄を失ったルフィを励ましてくれた恩人。
戦争が終わってから2年後、魚人島で会おうと約束したのだと。

しかし、それを聞いてケイミーは困った顔をした。

「親分さんは、今この島には居ないの・・・」

戦争の後、ジンベエは王下七武海を辞める事になった。
その結果、魚人海賊団だった者たちは魚人島に居られなくなったのだ。
七武海の特権である恩赦を受けられなくなったからである。

「魚人島は・・・元々は白ひげのナワバリだったと聞くわ。
 状況が色々と変わってそうね・・・」

が呟いた時だった。
不法入国者を探して王国の船が来たのだと、
メダカの五つ子たちがケイミーに教えに来たのである。



巨大なリュウグウノツカイのゴンドラを率いて、
魚人島リュウグウ王国の王子たちが人魚の入り江に姿を見せた。

は体を透明にし、彼らの話を伺ってみたが
やはり不法入国者、麦わらの一味を探しているようである。
人魚たちが庇ってくれたおかげで、なんとかやり過ごせたように思えたが、
隠れていたサンジが大量の鼻血を吹き上げた事で自体は急変した。

もう輸血のストックがない。捕まえる前に献血してほしいと願う一味一行だったが、
警備隊はもちろんのこと、あれほど愛想よく振舞ってくれた人魚たちも、一向に名乗り出ない。
ケイミーが説明しようとチョッパーのそばに寄った。

「チョッパーちん、人魚も魚人も人間と同じ血液だよ! 輸血もできる。だけど・・・」

そこに、あざ笑うような声が響く。
魚人島入国時に絡んで来た、ハモの魚人一行だった。

「クソみてェな”下等種族”のてめェら人間にィ!
 血をくれてやろうなんて物好きはこの魚人島にゃあ居ねェよォ!!!」

「!」

ハモンドと言うらしいその魚人は高らかに語る。

魚人島には「人間に血液を分かつことを禁ず」と言う法律があるらしい。
古くに定められたものらしいが、その経緯は人間の魚人差別に基づいているようだ。

最近では天竜人から大勢の奴隷を解放したフィッシャー・タイガーが、
人間に供血を拒まれて死んだのだと言う。

はぞわぞわと首の後ろのあたりが総毛立つのを感じていた。

『下らない差別主義者の、
 喚き散らす様を延々と、私は覚えている』

はスカートを握り締める。

サンジを助けるためには”人間”のいる場所まで向かってから、
献血者を探さねばいけないと顔を上げた。

深く根付いた価値観はそう簡単に覆せるものではないのだ。

透明化を解いて周囲を見回すと、ケイミーと目が合った。
ケイミーはゴンドラを指差してみせる。
は頷いて、リュウグウノツカイのそばに寄った。

兵士も王子たちも、今はルフィらとハモンドの騒動に気をとられていて、
こちらを気にしてはいない。

リュウグウノツカイはつぶらな瞳をパチパチと瞬いて、を眺めていた。

「『お願い、私たちに協力して』」

の覇気のこもった声に
リュウグウノツカイは再び目を瞬くと、一度こくりと頷いて見せた。
はリュウグウノツカイの頭を撫で、少々遅れてやって来たケイミーに、
リュウグウノツカイに乗るよう声をかける。

「ケイミーちゃん! 行きましょう!」
「え!? 説得しようと思ってたのに、どうやったの、ちん!
 魚語、喋れたの!? そ、それとも人魚だったの!?」

いつの間にかリュウグウノツカイを説得していたを見て
驚きを隠せないケイミーに、は首を横に振った。

「ウフフフっ、修行したのよ!」