幽霊と"さまよえる幽霊船"
海の森では王が処刑される前にホーディを倒すべく、
一味をヒーローに仕立て上げる作戦をジンベエが立てたところだった。
一味の大半は合流できそうだったのだが、チョッパーが心配そうにルフィを伺う。
「と連絡が取れねェけど、大丈夫かな」
「平気だろ」
だが、ルフィは心配は無用とばかりに笑っている。
ジンベエは腕を組み、まだ出会ったことのない麦わらの一味、について思いを馳せる。
魚人海賊団の成り立ちと魚人島の過去をかいつまんで一味の半分に明かしたジンベエだったが、
かなり長い話になったものの、その間、しらほしに武器の類は全く飛んでこなかった。
ルフィの話が確かなら、がデッケンを長時間足止めしているという事になる。
「むう・・・大丈夫なのか、その、というクルーは。
デッケンはそれなりに腕の立つ男だが・・・」
「ああ、あいつはゴーストだからな。生半可な野郎じゃ触れもしねェよ」
フランキーの言葉に、ジンベエは首を傾げた。
「・・・ゴースト?」
「フフ、見ればわかると思うわ」
ロビンが面白そうにクスクス笑うのを見て、ジンベエはますます不思議そうだ。
サンジはタバコをふかしながら言った。
「お嬢さんのことだ。
騒ぎに気づけば合流するだろうよ。とりあえず、他のメンバーで対処しよう」
王宮にいるらしいメンバーも救出しなくてはいけないのだ。
「救出するのが野郎ども3人じゃやる気がでねェ」とサンジは嘯いている。
兎にも角にも一味一行はそれぞれ動き始めたのである。
※
ギョンコルド広場ではホーディ率いる新魚人海賊団による、
ネプチューン王家の処刑が始まろうとしていた。
かつて国中に愛され、人間と手を取り合い、地上に生きることを夢見たオトヒメ王妃。
10年前人間によって殺されたと信じられていたが、真相は違っていた。
ホーディ・ジョーンズこそが、王妃殺害の犯人だったのだ。
国民達に真実を明かしたホーディが、
拘束し、磔にした王族の処刑をしようとその拳を振り上げた瞬間、
しらほしは叫んだ。
「ルフィ様ぁ!!! お父様をお守りください!!!」
その瞬間、しらほしと共に囚われていたメガロの口の中から
ルフィが飛び出し、ホーディの顔を思い切りぶん殴って見せたのである。
ざわつく周囲の中で、次々に麦わらの一味の面々が現れる。
ホーディが破棄するつもりだった”天竜人の書状”をナミが取り返し、
王族を捕らえていた手錠の鍵を盗んで、ロビンが手錠を外して見せた。
ネプチューンの愛鯨ホエが捕らえられていた王族たちを奪い、
シャボンに揺られ、サウザンド・サニー号が上陸する。
ジンベエの立てた作戦の通りに物事は進んだ。
突如として現れた麦わらの一味に魚人島の島民たちは口々に問いかける。
「答えてくれ! お前たちは魚人島の敵なのか!? 味方なのか!?」
ルフィは腕を組み、答えた。
「・・・そんな事はお前らが、勝手に決めろ!!!」
ジンベエの頼みで”ヒーロー”の役割を担うことになったが、
ルフィ本人としてはそんな役割はごめんである。
しかしルフィの本意とは裏腹に、魚人島はルフィの答えに満足して、
歓声をあげていた。
「使えねェ男だったぜ、バンダー・デッケン・・・!
しらほしだけは何としても始末する必要があるってのによォ」
殴り飛ばされたホーディが麦わらの一味と共にいるジンベエを睨み据えた。
「人間たちと仲が良いんだなァ!
お前みてェな奴がおれは一番嫌いなんだよ!!!」
ホーディはジンベエを見下し演説を始める。
ホーディが王になったら、とるべき行動の話だ。
世界の王族を招いて開かれるレヴェリーでは人間たちを血祭りにあげ、
世界中の人間と海底に引き摺り下ろし奴隷にするのだと言う。
そして自ら捕らえた人間の奴隷たちを指し示し、
その哀れな姿こそが麦わらの一味の将来の末路なのだと挑発する。
「この海を統べる者を王と呼ぶのなら!
おれこそが真の”海賊王”にふさわしいだろう?!」
それを聞いてルフィの顔色が変わった。
だがホーディは自分の言葉に酔いしれるように腕を広げ、演説を続ける。
「ジャハハハハ! 吹けば飛ぶようなたった10人の海賊に何ができる!?
こっちは10万人だぞ! やっちまえ! ”新魚人海賊団”!!!」
その声に鼓舞されるように、新魚人海賊団は各々武器を取り、
サニー号へと押しかける。
だがルフィは怯まずに一人前へと出た。
覇王色の覇気。
それがさざ波のように伝わり、半数の敵がその場に倒れ伏していた。
ルフィはホーディを指差した。
「ホーディっつったな。
お前がどんなとこで、どういう”王”になろうと勝手だけどな。
”海賊”の王者は、一人で充分だ!!!」
啖呵を切ったルフィに、ジンベエが満足げに笑みを浮かべる。
その時だった。
濃く黒い霧が周囲に漂う。
ゾロが眉を上げた。
「これは・・・の、」
視界を奪われて困惑する周囲の耳に、音楽が聞こえてくる。
しかしそれは麦わらの一味の幽霊のものではない。
錆びついた、荒くれ者の声が奏でる合唱だった。
「『大海原で お前たち 出会ったことがおありかな?
黒いマストに 血のような 赤い帆架けた彼の船に
船橋に 眠りも忘れ 見張るは船主 面青き男
風が咆えるぞ! ヨホホホホ! 綱も唸るぞ! ヨホホホホ!
矢のごとく 海原翔けるは 彼の男
行く先も 休みも知らず 眠りも忘れ!』」
「なんだ、この音楽?」
「いったいどこから・・・?!」
荒くれ共の合唱は止み、違う曲調のソロへと移る。
ソプラノが空気を震わせた。
ささやくような響きがあるのに、その声はその場にいた誰の耳にも残った。
「『お前は彼を 知ってはいない 想像すらもしていない
世界の海で聞いてみろ! 海原を渡る全ての者 船乗り 海兵 海賊どもに!
信心深い人々の 恐怖の的たるこの船を 彼らは誰より知っている』」
黒い霧が晴れ、シャボンに覆われた船と海坊主ワダツミがその姿を見せる。
伝説に違わない古い船体、所々破れた帆。
「『人はこの船を”さまよえる幽霊船”と呼ぶ』」
「嘘だろ・・・フライング・ダッチマン!?」
船首ではバンダー・デッケン9世が腕を組んで立っていた。
その横に浮かぶのは、麦わらの一味の幽霊、だ。
「さん・・・?!」
ブルックが思わずと言ったように呟いた。
デッケンの部下とが歌ったのはそれぞれオペラ”さまよえる幽霊船”の一節だった。
ホーディが鋭い歯を見せて笑う。
「来たか、バンダー・デッケン9世! 我が盟友よ!」
「ここに来て、ホーディ側への援軍か!?」
「でも、そばにがいるわよ」
フランキーが眉を顰めるが、ロビンは首を横に振る。
は一味に気づくとにこやかに笑いかけ、そしてデッケンに囁いて見せた。
「良いこと? ここから先はあなたの見せ場。存分にやっちゃって!」
「バホホホホ! 無論だ!」
デッケンはに頷いて、船を降り、ホーディへと歩み寄る。
ホーディはデッケンの横に居るに気がつくと不愉快そうに眉を顰めた。
「おい、デッケン。その横の幽霊はなんだ? 幽霊だろうが”人間”だ。
まさか伝説の海賊の子孫が、人間と友好を結ぼうだなんて言わねェだろうな?」
「まァ、細かいことは良いじゃねェか。
ところで兄弟? さっき10万の仲間が居ると言ったな。
おれも全貌までは把握してはいなかった。いやはや大した人望だぜ。
・・・今じゃあ、半分は伸びちまってるが」
デッケンは倒れ伏した新魚人海賊団の面々と、見守る周囲を見渡したかと思うと、
その”両手”でホーディの肩を叩いた。
「だが、我がフライング海賊団はその数に入れないでくれ」
「何・・・?」
ホーディは眉を顰めた。
しかし、デッケンの言葉の意味を噛み砕くより先に、デッケンが次の行動に移る方が早かった。
デッケンはポケットからナイフを取り出すと両手に構え、空中に軽やかに放ったのである。
「”フライング・ナイフ”!」
デッケンが一見見当違いの方向に放った2本のナイフがホーディの元に飛んでいく。
魚人空手”撃水”でナイフを粉々に砕いたホーディは怒りに牙を剥いた。
「なんのつもりだ、バンダー・デッケン!」
「ウフフフフ! 彼はもう、あなた達の味方では無いということよ」
は目を細め、揶揄うようにホーディの顔を覗き込む。
大きく腕を振ってを遠ざけたホーディは勿論、
麦わらの一味も含め、その場にいた全員が未だに状況を飲み込めずにいたのだ。
デッケンは呆然と成り行きを見守っていたしらほしに向けてひざまずき、声をあげた。
「しらほし姫!」
しらほしは恐怖に肩を震わせる。
デッケンにはつい数時間前には命を狙われた。
その上長年”結婚か死か”を迫って来た相手である。
求婚してくるのなら毅然と受け答えをしなくては、と目に涙を浮かべながらも
デッケンの言葉を待っていたしらほしは、次の瞬間耳を疑った。
「お友達から! はじめてくださいっ!」
一瞬の沈黙の後、爆発するように島民達の疑問の声が島中に轟いた。
「えええええええ!?」
どういう心境の変化か、幾分段階を踏んだ求愛の言葉に格別驚いたのは
しらほし本人と、しらほしを護衛していた右大臣。そしてその部下の護衛兵達だ。
デッケンの陰険で執拗な、しらほしに対する執着を肌で感じ取っていた面々である。
「貴様ァ! どういう風の吹き回しだ!!!
散々”マリッジ オア ダイ”とか言うふざけたポリシーを掲げていた癖に!」
「もうおれはしらほしの命を狙わねェ!
マトマトの呪いは両手ともホーディに移した!
・・・今じゃしらほしの元には手紙も花束も届きやしねェよ!」
「・・・!」
確かに、投げたナイフはどちらもホーディの元へと飛んで行った。
思いがけないデッケンの告白に周囲が面食らって居るうちに、
デッケンはさらに言葉を連ねる。
「当然、ホーディとの同盟も破棄する!」
はっきりと言い放ったデッケンにホーディは拳を震わせ、
恐ろしい形相でデッケンを睨みつけていた。
「なんだと!? どう言うことだ、バンダー・デッケン!」
告白を邪魔されたデッケンは振り返るとホーディを冷めた目で見たかと思えば、
おおげさに肩を竦めてみせる。
「・・・おいおい、海賊の同盟にゃ、裏切りが付き物だぜ。
知らねェ訳でもないだろう、なァ・・・ホーディ・ジョーンズ」
しかしその声色には確かに怒りが篭っていた。
「大体このおれを”使えねェ男”と呼んでおいて仲間扱いするのは、
・・・そりゃあ、虫が良すぎるんじゃねぇのか?」
ホーディは口を噤んだ。
それを見て邪魔者はいなくなったとばかりにホーディとの話を切り上げ、
デッケンは腕を広げ、声を張り上げた。
「お前はこの島を愛しているだろう、しらほし!」
「え・・・?」
デッケンは片膝をつき、芝居かかった仕草で宣言する。
「一度はこの愛が叶わぬなら全てを壊そうと願ったが、
今は違う! お前の愛するこの島を守ろう!」
「デッケン様・・・!?」
困惑するしらほしをよそに、順調に計画が進んで居ると見て
はデッケンの背中からエールを送る。
「ウフフフフッ! その調子よ! 掴みは上々だと思うわ!」
それにつられるように、フライングダッチマン号から
船員達が次々に力強い応援の言葉をかけている。
「船長、イケてます!」
「もう陰険とか誰も言いません!」
デッケンはその応援に後押しされるように、
”告白”を続ける。次に告げられたのは懺悔の言葉だった。
「・・・おれは、お前から10年を奪った。
出来るはずだった友人も、見るはずだった景色も、何もかもを奪った。
その償いとしておれは罰を受けよう。海賊の立場を捨て、この島の為に働こう。
この呪われた力を、お前のために振るおう、しらほし姫!」
顔を上げ、許しを乞い願うようにしらほしを見つめるデッケンに、
しらほしは息を飲んでいた。
つい先ほどまで命を狙って来た男とはまるで別人のようである。
驚嘆していたのはホーディも同じだ。
しかしデッケンの後ろで満足げに頷きながら見守るを見て、
こめかみに青筋を浮かべながらデッケンに怒鳴り散らした。
「人間の、それも幽霊に何を吹き込まれた!? バンダー・デッケン!」
「さっきからうるせェ!!! 邪魔をするんじゃねェ、若造が!!!
今おれは一世一代の告白をしてるんだよ、すっ込んでろ!!!」
しかし倍以上の剣幕で怒鳴り返され、ホーディはたじろいだ。
ホーディが当然のごとく裏切りを問いただしたというのに
裏切った本人は告白を邪魔されて怒り心頭なのだ。
ふざけているのか、正気なのか。こいつはただの馬鹿なのか。
ホーディの頭を疑問が駆け巡る。
デッケンは立ち上がると胸を張り、高らかに言い放った。
「おれは恋と夢に生きる男!
今までのおれは傲慢で卑屈で陰険で最低最悪のストーカー野郎だった・・・。
だがもう今は違う! おれは変わったんだ!
『タイプなんか超越した良い男におれがなれば良い』・・・!
が教えてくれた・・・」
デッケンはを指し示した。
「そう、彼女はおれの・・・恋愛の師匠だ!!!」
「・・・あら、ウフフフフッ!」
周囲からの注目を浴びて、は照れ笑いを浮かべる。
唖然として静まり返る周囲からいち早く立ち直ったのは他でもない、
麦わらの一味の狙撃手、ウソップだった。
そして、一味の誰もが心に浮かべただろう疑念を叫ばずにはいられなかった。
島中に轟かんばかりの声が、その場に響く。
「あいつ一体、何やってたんだーーー!?」
「の奴また突拍子もねェことを・・・」
「さん、やりますねェ、ヨホホホホ!」
ゾロはため息交じりに呆れ、
ブルックは「彼女らしい」とギターをかき鳴らして笑っていた。
※
オトヒメ王妃暗殺の真犯人にして、突如明るみに出た魚人族の”闇”
海賊ホーディ・ジョーンズの魚人島侵略計画は、
麦わらの一味とフライング海賊団の手によって激闘の末、阻止された。
新魚人海賊団幹部と船長ホーディは倒され投獄されたのである。
デッケン率いるフライング海賊団は解散し、デッケンは護衛兵として姫を守ることを志願した。
しかし、いくら今回、麦わらの一味とともにホーディと戦ったとはいえ、
しらほし姫の命を狙い続けた10年間の罪状は重い。
ネプチューンはひとまずデッケンとその一味を拘束し、時間を置いてから沙汰を決めると告げると、
デッケンは帽子を胸にひざまずいてそれを受け入れた。
「おれの今のモットーは”小さなことからコツコツと”
しらほしが安心して暮らせるのなら、それでいい・・・!」
「キャプテーン!イカすー!」
「師匠のおかげだな、ありゃあ」
「師匠に乾杯!」「師匠ー!」
なぜかデッケンを差し置いて元フライング海賊団の間で”師匠”コールが巻き起こり、
ネプチューンらが困惑する一幕もあったが、とにかく、魚人島は救われたのである。
そして、シャボンで船体を浮かべ、逃げるようにギョンコルド広場を出た一味一行は、
ジンベエを仲間に誘っていたが、現状の立場では難しいと断られ、
身軽な立場になってからの再会を約束したところだった。
「にしても、まさかバンダー・デッケンが味方になるとは・・・何者なんじゃ、あの幽霊は?」
ジンベエが腕を組んでルフィに尋ねると、ルフィではない声がその疑問に返事をよこした。
「実はそれ、私が知りたいところなのよね。あいにく記憶喪失で」
「うおっ!?」
空中に突然現れた逆さまに浮かぶ顔に、ジンベエはぎょっとして後ずさった。
はいたずらに成功したことを喜んでふわりと空中で一回転した。
「さんー! 良かった! 合流できて!」
ブルックが慌てて持っていた紅茶を置いての手を取って笑う。
は申し訳なさそうに眉を下げた。
「ご心配をおかけしたかしら、遅くなっちゃってごめんなさい、
フライング海賊団にちょっと引きとめられてしまって・・・、
それにしても皆、大暴れだったわね!」
今回一番のイレギュラーをしでかしたに、ナミが指をさして言った。
「ほどじゃないわよ!」
「そう? 私ほとんど自分では何もしてないんだけど」
「逆にそれはそれでおかしいだろ」
フランキーが呆れた様子を隠しもしないが、は笑うばかりである。
ぽかんとその様子を見つめていたジンベエに向き直り、
は自己紹介を兼ねて挨拶した。
「ウフフフフ! お噂はかねがね、海峡のジンベエさん!
ルフィがお世話になったみたいで、船員としてとっても感謝しているの!
私の名前は。どうぞよろしくお願いするわ!」
「おう、丁寧にすまん。・・・しかしよくもまァデッケンを説得できたもんだ」
感心するように顎髭を撫でたジンベエに、は頷く。
「ウフフ、手を尽くしたらわかってくれたわ!」
「例えば?」
ロビンが尋ねる。
「え? 大したことはしてないけど、諭したり脅したり騙したり、
ちょっと優しくしてみたり・・・」
「詐欺かよ」
「物騒なお嬢さんも素敵だー!」
ウソップが切れ味よく突っ込み、サンジが冗談めかして目をハートに変えている。
船に付き従っていたしらほしが、モジモジと視線を彷徨わせた後、に尋ねた。
「・・・あの、様はなぜ、デッケン様を説得されたのですか?」
「しらほし姫様・・・ごめんなさい。私、余計なことをしたかもとは思っていたのだけど・・・」
眉を下げてしらほしに向き直るに、
しらほしは首を横に振る。
「いいえ、でも、様はデッケン様がわたくしの命を狙っていると知って
とても、驚いていましたし、・・・悲しそうでした。
何か、理由のようなものがおありなのではと」
「・・・昔聞いた物語が、とても素晴らしいものだったのよ」
しらほしは目を瞬いた。
は目を細め、胸に手を当てる。
「『さまよえる幽霊船』私の大好きなお話なの。
海賊船の船長は、恋に落ちた少女を呪いを解くための、血をつなぐための道具でもなく、
財産と引き換えの商品としてでもなく、対等な、一個の人格として扱った。
内心はどうあれ、ね。・・・私はそれをとても素晴らしいことだと感じたの」
”さまよえる幽霊船”は美しいばかりの物語ではない。
海賊船の船長が美しい少女に愛を注ぐきっかけは、
呪いを解くための条件に、少女が当てはまっていたからだ。
その恋は打算から始まった。
だが、はその物語に感銘を受けたのだ。
「どんな打算に塗れた愛であっても、彼は少女にそんな側面を感じさせなかった。
気を配り、言葉を尽くした。言い方は悪いけれど、”騙し通して見せた”。
それは純粋な愛や恋にも勝る振る舞いだと、それこそが真実の愛だと・・・私は思ったのよ」
はしらほしと目を合わせた。
「だから、『あなたに対して”自己中心的に振舞う最低最悪のストーカー”が、
私の憧れた海賊の子孫だなんて嫌だった』
そういう、自分勝手な理由で彼を唆したわ」
しらほしは返事に窮した。
は自嘲を浮かべながらも、しらほしに続けて告げる。
「ウフフ、傲慢でしょう?
でも彼は意外と単純というか、辛抱強く話せばわかってくれたから、
これからは無理にあなたに結婚を迫ることはないし、もう武器は飛んでこない。
それに、・・・あなたには頼りになるお兄様たちがいるもの」
護衛兵に志願しているデッケン。もしもデッケンの希望通りになるにしても、
フカボシ、マンボシ、リュウボシの王子らが目を光らせる事になるだろう。
「はい。そこは安心しているのです。
ただ、デッケン様は様のことを、恋愛の師匠だとおっしゃっていましたが、
わたくしは、その・・・」
はしらほしの懸念に気づき、なんでもないように答えた。
「あら、気にしないでちょうだい! 別に振ってしまっても問題ないわよ、
人の気持ちを操ることなんて、神様にだってできやしないわ!」
そして、戸惑うしらほしを通して、知らない誰かを重ね見るように、目を細める。
「愛する人に愛してもらえることは、とても難しく、稀有で美しいこと。
それを無理強いしたり、されたりする方がおかしいのよ。
あなたは自分の気持ちに正直でいれば良いのだわ」
しらほしは少々驚いたものの、やがて微笑んで見せた。
「・・・ふふ、なんだか、わたくしまで師匠と呼びたい気分です」
「・・・実のところ、私そんなに恋愛経験が豊富だとは思えないから、
よしてちょうだい・・・」
自分が撒いた種だとはいえ、師匠と囃し立てられるように呼ばれるのは、
恥ずかしかったのだと、肩を落とし、ため息をついたであった。