幽霊は三度死ぬ
は自身が幽霊になった顛末は一味が揃ってから話すと言い、
まず、子供達の安全確保に動いた。
と同様に子供達の安全確保を急務としたたしぎが、
海賊と手を組むことに難色を示したスモーカーを説得し、
G-5に麦わらの一味と一時的に協力するように指示を出す。
サンジとゾロ、ブルックの手助けで体を完成させた錦えもんは
海軍と共にモモの助を探しに向かった。
そして、シーザーの部下の面々はシーザー・クラウンを人質にされ、
一味と海軍に手も足も出ない状況だった。
次々と拿捕される部下を見てシーザーは半べそをかいている。
「あああ・・・! おれの、労働力がァ・・・!」
なすすべもないシーザーをは笑った。
「慕われてるわね、科学者さん! 良かったじゃないの、ウフフフフッ」
「良くねェよ!!! 貴様ァ、最悪だ! 性格が最悪だッ!」
それを聞いてロシナンテがシーザーに声を荒げた。
「おい人の妹に何言ってんだ! 大体お前に言われたくねェよ陰険科学者!!!」
「ウフフッ、性格が悪いのは兄譲りだと思うから文句はドフラミンゴに言ってね?」
「ふざけんな!!! 殺されるわ!!!」
ローとヴェルゴがなんとも言い難い顔で、シーザーに軽口を叩くを見ていた。
は記憶を思い出してから、ドフラミンゴを愛称で呼んでいない。
子供達を鎮静させていたナミとチョッパーが作業に一段落ついたのか研究室まで戻ってきた。
「ねぇ、ちょっと、これ、どう言う状況なの?」
「気づいたらなんか海軍が協力してくれるって・・・!
子供達が暴れ出したから、なし崩しに手伝ってもらったけど、」
頭に疑問符を浮かべている2人に、は腕を組んだ。
「ええと、成り行き、かしら」
今回は魚人島での一件のように、が画策したことは何もない。
しかし、ゾロはに疑わしげな眼差しを向けていた。
「いや、絶対お前が何か突拍子もねェことしたんだろ・・・」
「まあ!? ゾロったら信用ないわね! 今回は本当なのに!」
「ヨホホホホ! 日頃の行いですねェ」
「ブルックまで!」
ギターをかき鳴らしおどけるブルックに、は頬を膨らませ怒っている。
いつもの掛け合いにナミはため息をつくと、
腕を組んで事態を静観していたローに気がついて声をかけた。
まだサンジと精神と体が入れ替わったままだったのだ。
「あっ、トラ男!!! あんた早く体戻しなさいよ!!! サンジくんいるじゃないそこに!!!」
「戻すな! 戻さなくていいから!・・・ああああああ!?」
ローはサンジの嘆願を無視して速やかに精神を入れ替えて見せた。
「夢の時が終わった!!!」
「アホか、お前は」
膝をついて悔しがるサンジに、ゾロが呆れている。
ウソップは随分と賑やかになった周囲を見渡して、
見覚えのない人物に気がついた。
「・・・そういや、なんかデケェのが増えてないか?」
ウソップの視線に気がついたのか、
シーザーに拳骨を落とし、タバコに火をつけていたロシナンテが
立ち上がり、ウソップに手を差し出した。
「あ、どーも、がいつも世話になって・・・、
あいつの兄貴のロシナンテだ、よろしくな!」
その言葉にも驚いたウソップだったが、
何よりロシナンテの咥えたタバコの火が襟に引火し燃えていることに仰天している。
「はぁあ!? ていうかアンタ襟! 襟燃えてるぞ!!!」
「うわ!? ドジッた!!!」
「水ー! 水ー!」
近くにいたフランキーが慌てて水を浴びせ、ロシナンテの襟の火が消えた。
ロシナンテは額を拭うそぶりを見せると、照れ笑いを浮かべた。
「・・・アハハ、割といつもこんな感じなんだけど、気にするな!
おれはドジっ子なんだ」
「気にするなっつー方が無理だろ!!!・・・ていうか!
なんでお前の兄貴がこの島にいるんだよ!?」
「これも、成り行きってやつなのよ。ウソップ」
は腕を組んで頷いた。
その様子を見ていたサンジがさっとロシナンテの前に進み出る。
「あ、お兄様でしたか・・・こりゃ丁寧にどうも」
「・・・お前にお兄様と呼ばれる筋合いはねェぞ、若造」
ウソップへの朗らかな態度と打って変わって凄んで見せるロシナンテの様子に
サンジは目を瞬いていた。近くにいたロビンがへぇ?と面白そうに眉を上げる。
「あら、わかりやすいくらい過保護ね」
「ああ、スーパーだな」
頷いたフランキーとロビンを見て、がロシナンテのそばに寄った。
「ロシー兄さん! 恥ずかしいからやめてよ! サンジは挨拶したいだけだってば!」
「そうは言っても・・・わかってくれ、お兄ちゃんはお前が心配なんだ!」
「とにかく! 一味の皆にそういうこと言うのは止して!」
くるくると表情の変わる兄妹に、ルフィは愉快そうに笑っている。
「アッハッハ! 、お前の兄ちゃんおもしれェなー、燃えるし、コケるし」
「・・・ドジっ子なのよ昔から。治らないの」
はぁ、とため息をついたにルフィは頷いた。
「そうか。ならドジ男だな」
ロシナンテはルフィに不名誉なあだ名をつけられたことに気づき、
ショックを受けた様子だった。
「ド、ドジ男・・・!?」
「・・・諦めろコラさん、あいつは人の話を聞かねェんだ」
ローがロシナンテに慰めにもならない言葉をかける。
このままでは収拾がつかなくなる、と悟ったは周囲を見渡した。
先ほど子供達の鎮静を終えたチョッパーとナミで、一味は全員揃ったようだ。
「さて、・・・少しお時間頂戴するわ」
「なんだよ、改まって」
今研究室に居るのは麦わらの一味と、ローとロシナンテ、
たしぎとスモーカー、そしてシーザーとモネとヴェルゴだ。
はバラバラになって拘束されているヴェルゴを指差した。
「私を自殺に追い込んだ犯人の1人が、
そこでバラバラになってるヴェルゴなんだけど」
あっさりと告げられた言葉に、一味の面々は各々驚いた様子だ。
「・・・・えええええ!?」
「おい、どういうことだよ!」
「そ、そうですよォ! お嬢さん! 何が何だかさっぱりです!」
事態が飲み込めないと言うゾロやブルックに、は話を続けた。
「ヴェルゴと、あと、兄の1人のロシナンテと話したことで、私の記憶、大部分が戻ったの。
かいつまんで説明するわ。この施設の持ち主・・・ドフラミンゴにも関係することだから」
※
は淡々と自身が”王下七武海”ドフラミンゴの妹であること、
長年兄であるドフラミンゴに軟禁されていたこと、
ドンキホーテ海賊団に入ったローから治療を受けていたこと、
ドンキホーテ海賊団の最高幹部らに命を狙われた末に、脅されて死を選んだことを話した。
「――と言うのが、私が幽霊になった顛末よ。何か質問は?」
話が長かったせいか、鼻ちょうちんを膨らませ、眠るルフィの他は静まり返っていた。
皆にかける言葉を失っているようである。
は深くため息をついた。
「ええ・・・我ながらなんと言うか、
上を行かれたと言うか、つけ込まれたと言うか、・・・そんな感じね」
「――最高幹部の野郎共、全員ブッ殺してやる」
黙って話を聞いていたロシナンテは白くなった拳を震わせ、低い声で言った。
「ヴェルゴ、言い残すことはあるか」
ローがヴェルゴに形だけ問いかける。
その場の空気が一気に緊張感を孕んだものに変わった。
ヴェルゴは黙ったまま、喉元に向けられた鬼哭の切っ先と
ロシナンテの銃口に視線を移した。
「待て! ロシナンテ、トラファルガー、こいつは海軍の面汚し。
・・・ドフラミンゴが不正をしていた重要な証人だ!」
スモーカーが2人を止めようと声を荒げる。
だが、ロシナンテは聞く耳を持たなかった。
「関係ねェよ。もうおれは海兵じゃねェんだ」
目の下に青筋が浮かぶ。
「・・・おれが海兵だったとしても何の罪もない妹を殺した連中を
生かしておくのが”正義”だとは、到底思えねェんだがな? 文句あるかよ、中将殿」
ロシナンテの怒りに、スモーカーが反論しようと口を開くその前に、
が先にロシナンテとローを止めた。
「待って!」
「・・・なんで止める?!」
「まだ、ヴェルゴには聞かなくてはいけないことがあるの!」
眉を顰めたロシナンテに、は目を眇める。
「私は窓から身を投げて、幽霊になった。
・・・その時はまだ、記憶を失っていなかったのよ」
「!」
ロシナンテとローの目から苛立ちが薄れた。
はヴェルゴに歩み寄る。
「私は自分が幽霊になったことに気づいて・・・、
幽霊になったばかりの体に四苦八苦しながら、なんとか部屋に戻ったの。
そこに、あなたが居たわ、ヴェルゴ。・・・私の記憶はそこで途絶えている」
は片膝を着き、ヴェルゴと目を合わせた。
「教えなさい、あのとき、あなたは、あるいは私は、何をしたの?」
ヴェルゴは暫く黙り込んだ後、静かに語り始めた。
※
13年前、スパイダーマイルズ、宝物庫。
ヴェルゴは主を失ったその部屋を見回した。
芸術品で埋め尽くされ煌びやかなはずの部屋は、どこか物足りなかった。
が居ないせいだと分かっている。
はこの部屋の全てを引き立てていた。この部屋がそのものだった。
ヴェルゴはと言葉を交わす度に感じていた。
住む世界の違う人間と言うのは存在するのだと。
耳触りのいい言葉遣い、上品な立ち居振る舞い、穏やかな眼差しは、
どれもヴェルゴの世界の外にあったものだった。
そして、それはヴェルゴに緊張感を与えた。
一言一言を選ぶ為に、と話す時はよりいっそう寡黙になり、
それをヴェルゴは自己嫌悪したものだ。
しかし、その自己嫌悪をもう覚えはしないのだろう。
奇妙な感慨に暫くその部屋で立ち尽くしていたヴェルゴは
ピアノの横のデスクに置かれていたスケッチブックをぱらぱらと捲った。
ドフラミンゴ、ロシナンテ、・・・白い帽子をかぶった少年が、紙の中で笑っている。
最後のページに辿り着いた時、ヴェルゴは気配を感じ、顔を上げた。
瞬間、肝を潰した。
そこには、が立っている。
凪いだ表情のまま、は腕を組んでいた。
「勝手に人のスケッチブックを見るのは感心しないわ、ヴェルゴ」
全くいつも通りに話しかけてくるに、
ヴェルゴは眉を顰める。
「・・・! 君は、・・・死んだはずだろう!?」
「――そう、死んだわ。おかげで、ほら」
はヴェルゴの肩にそっと触れ、”貫いた”。
身体の芯が冷えていくような感覚に、ヴェルゴは息を飲む。
「私、どうやら幽霊になったようだわ。壁も、窓もすり抜けられた。
空も飛べる。あれほど私を蝕んでいた”だるさ”も、熱も、今は何も感じない」
「・・・悪魔の実の能力か!」
ヴェルゴが驚愕と共に警戒の視線をに向ける。
「もう少し、トレーボルは私に与える実を吟味すべきだったわね。
ヴェルゴ、ドフィ兄さんの部屋を教えて」
「なんだって?」
耳を疑った。はこの後に及んで、ドフラミンゴに会うつもりなのだ。
「私はこの屋敷の作りを把握していないの。トレーボルには顔を合わせたく無いし」
「その願いをおれが聞くとでも? 彼に会って、何を言うつもりだ」
は軽く目を伏せる。
「せめて、兄妹喧嘩の決着を、つけたいだけよ」
「できないな、。おれはその願いを聞き入れられない」
「・・・幽霊になった私に、何ができると思うの?
私はもう、兄と同じ時間を生きることができないと言うのに」
自身の手のひらを見つめ、嘆くように言うに、
ヴェルゴは首を横に振った。
ドフラミンゴの側に、を置くことがドンキホーテ海賊団の夢の邪魔になるのだ。
少なくとも、トレーボルはそう結論を出した。
「――君の存在は、彼のためにならない」
「何ですって?」
の肉体は確かに、滅んだのかもしれない。
だが、まだは”生きている”。
だからヴェルゴは、に告げた。
「今更彼に会って、傷を抉るような真似をするのなら、
おれは君を止めなくてはならないだろう」
とどめを刺さなくてはいけなかった。
を確実に、殺さなくてはいけなかった。
ヴェルゴが決意を固めていくのを知らず、は苛立ったように声を荒げる。
「傷を抉る? 私を殺したのはあなた達でしょう!?」
「君は彼の足枷だ」
の目が大きく見開かれた。
「トレーボルとおれとの、概ねの意見は一致しているんだ。
君が居る事で、彼は王になれない」
覇気を纏いの手を引いて、
ヴェルゴは驚愕するを言い含めるように詰め寄った。
「君はここから離れるべきだ。ちょうど良い。
貿易船が停泊している。そこに君を乗せよう」
「なぜあなた、私に触れるの・・・!?」
幽霊であるはずのは自身の手を掴むヴェルゴに慄いている。
だが、悠長に覇気の説明をしてやる時間はなかった。
「君はおれたちの夢の邪魔になる。・・・愚かだったな、。
せっかくドフラミンゴを裏切って自由になれたのに、自分から檻の中に戻ろうだなんて」
「”裏切り”? 私が?」
は眉を顰めた。
「君は自ら死を選んだ。彼が望まないのを分かっていながら・・・。
それが裏切り以外のなんだって言うんだ?
君は、自分の命ごと、彼を捨てたんだ!」
ヴェルゴの言葉に、は愕然としていた。
自分が裏切った自覚さえなかったのか、と、ヴェルゴはサングラスの下、目を眇める。
「彼は裏切りを許さない、例えそれが君でも。
君がこのままドフィに会えば、結局ドフィは”家族”を手にかける羽目になる」
は言葉を失っていた。
だが、首を横に振り、何か言おうとするよりも、
ヴェルゴがを怒鳴りつける方が早かった。
「分かっていなかったはずが、知らなかったはずがない、君が!
、見ないふりをするのは止めろ!」
その時、ヴェルゴは確かな手応えを覚えていた。
ナイフを体に刺した時のような、竹竿で相手の頭を割った時のような、
相手がもう自分の脅威にはなり得ず、降伏したのだと言うことを悟ったのだ。
「もう二度と、おれたちの前に、いや、ドフラミンゴの前に、現れてくれるな」
その時のの怯えた顔が、ヴェルゴの見た最後の表情になった。
ヴェルゴは手刀での意識を奪い、――そして、恐らくここで記憶が砕けた。
※
「おれはその後、君を停泊していた貿易船に運んだ。
その船が航海を経て、フロリアントライアングルで行方不明になったと聞いた時に、
もう二度と君はおれたちの前に現れることはないと思っていた」
黙ってヴェルゴの話を聞いていたは、小さく笑った。
「フフ・・・私はどこまでも、選ぶ選択肢を間違えたのね。
私はあなたに声をかけるべきではなかった・・・”外傷、強いストレス”。
それが、私が記憶を失った、原因」
こめかみを押さえ、静かに息を吐くを、ヴェルゴは黙って見ていた。
ロシナンテやローを始め、麦わらの一味から注がれる殺意や敵意のこもった視線など、
これっぽっちも気にならなかった。
ヴェルゴは回想する。
13年前、燃え尽きたはずの不毛な感傷が、また胸の内で燻り出したがために。
※
夢のような人だった。
初めて会った時、彼女はまるで等身大の人形のようで、その目がパチパチと瞬いても、
ヴェルゴはまだ、自分が見ているものは現実でないように思えた。
炊き出しをしていた寂れた教会で見た、
壁に描かれた天使が、ちょうどこんなような顔をしていた。
ドフラミンゴは彼女を妹だと言った。
よく見れば、髪の色合いや、眼差しに似通っているところがあった。
彼女はドフラミンゴやロシナンテと同様に薄汚れた格好をしていたが、
どう見ても、良いところのお嬢様にしか見えなかった。
置かれる環境に順応することが出来なかったのだろうと、後になって思い知った。
ここいらのゴロツキに見つかれば確実に哀れな目に遭うような容姿に、
ドフラミンゴは戦々恐々としていた。
口を酸っぱくして彼女に「外には出るな」と言い含めて居るのをよく見かけたものだ。
しかし、ヴェルゴは彼女はそこまで愚かではないと思っている。
ドフラミンゴの前でよく笑う彼女は、ヴェルゴの前ではあまり笑わなかった。
それでもヴェルゴが「妹の話し相手になってくれ」と頼むドフラミンゴに、
断りを入れなかったのは、それがドフラミンゴなりの信頼であったからだ。
彼女は雨風をしのげるだけのあばら屋でボロボロになった絵本をめくり、
ヴェルゴは黙って自分の竿竹を磨くか、ナイフを研ぐか。
時々数える程の言葉を交わした。いつだって流れる空気は静かだった。
その日は珍しく、彼女がヴェルゴに声をかけた日だった。
「血が付いているわ」
「・・・転んだんだ」
「あなたにじゃないわ。その竹の棒によ」
赤い瞳は非難するようにヴェルゴを射抜く。
嘘は得意じゃなかった。特に、彼女をごまかせるだけの力量はヴェルゴにはなかった。
だから口を吐いて出たのは言い訳じみた言葉だった。
「他にお前の薬をどうやって賄えって言うんだよ、ドフィだって・・・」
ぎゅう、と彼女の眉間にシワが寄った。ヴェルゴは黙る。
ドフラミンゴが『何をしているのか』は彼女に言わない約束だ。
「・・・靴を磨くとか、髪を売るとか、方法は色々あるはずよ」
「”お前が”それで売られそうになっただろ。
それに、ドフィが誰かの靴を磨くような奴に見えるのか?」
彼女は口を噤む。
「大体お前の薬に、いくらかかると思ってる。
奪った方が効率が良い。死ぬよりマシだ。お前の神様も許してくれる」
ヴェルゴの言葉に、彼女は赤い瞳を冴え冴えと凍らせた。
怒っている。
「理解はできるけど、平気でそんなことを言える神経がわからないわ」
「本当のことだ。現実を見ろよ」
彼女はため息をついた。子供のくせに、ずっと大人びた仕草だった。
そうして彼女はヴェルゴを視界からいとも簡単に外すのだ。
また絵本のページが捲られる。
一枚、二枚、・・・その音をヴェルゴは聞きながら、血のついた得物の手入れをする。
その繰り返しだった。
大人になって貧乏から脱し、多くの部下がドフラミンゴを慕うようになると、
彼女の置かれる環境はまた変わった。
彼女の部屋には美術品と書物と、女性らしい贅沢品が山のように溢れていた。
しかし彼女の纏う、恐ろしく清廉な空気がそれらを決して成金趣味には見せなかった。
どんなに贅沢な代物も、そこにあって当然のオブジェに彼女は変える。
その場の空気を居心地良く変え、支配する天才だった。
「お元気そうでなによりだわ、ヴェルゴ」
「君は、余り元気そうには見えない」
「病気だもの」
そっけなく彼女は返し、側にいたドフラミンゴはヴェルゴに
「妹に外のことを聞かせてやってくれ」と言った。退屈凌ぎの相手だ。
ヴェルゴが「海兵になった」と言うと、珍しく彼女は驚いたようだった。
「本当に?」
「嘘は苦手だ」
だから周到に準備をしなければならなかった。 真実に少しだけ嘘を交えること。
皮肉にも彼女のおかげで、ヴェルゴは嘘が上手くなった。
彼女はヴェルゴが覚えたモールス信号や暗号の話を面白そうに聞き、
海軍での捕物話を聞かせると愉快そうに笑ったりもした。
これは、驚くべきことだった。
ヴェルゴは笑う彼女の顔が、明るく輝くのを知ったのだ。
いつも彼女は静謐に笑う人だと思っていた。まるで全てを諦めているかのように。
だから、彼女は諦めたままずっとドフラミンゴの側にいるのだと思っていたのに、
現実にはそうはいかなかった。
彼女は抗おうとした。踏み出そうとした。幸せになるために。
そのせいで彼女は死んだ。 トレーボルに脅され死を選んだ。
しかし、悪魔の実は彼女を守ったのだ。運命は彼女を生かしてみせた。
ヴェルゴにとって、それが良いことなのか、悪いことなのかは分からなかった。
今も分からないままでいる。
兄に会いたいと言う彼女の心を折り、覇気を込めた手刀で彼女の意識を奪った。
ヴェルゴは気を失った彼女を抱え、船へと運んだ。
身体を横たえ、手のひらをそっと握った。初めて触れた彼女は、恐ろしく冷たかった。
死体の温度だった。
小さく、別れの挨拶を口にした。
さようなら、2度と会うことの無いのを願っている。
できるなら、海賊に関わることなく、物語に出てくる姫君のように、
何不自由をさせることもない、彼女を大事にしてくれる誰かに出会って欲しい。
病を差し引いても、幽霊の姿であっても彼女はまだ美しかった。
きっとこの世のものでは無いのだ。
彼女は夢のような人だった。
夢のように、美しく残酷な人だった。
殺すことでしか手に入れられなかった人だった。
※
そこまで思い返して、ヴェルゴは滑稽だと、自身の置かれる状況を笑う。
結局、自分は彼女を手に入れたつもりになっていただけだ。
今までずっと、本当の意味では彼女を理解できていなかったのだから。
君がおれの望みなど、聞いてくれるはずがなかった。
ヴェルゴの感傷など知らず、は立ち上がって腕を組んだ。
取り戻した記憶を整理するように、その場を漂う。
「私はあなた達に、トレーボル達に殺された。
トレーボルに悪魔の実を食べさせられ、海で溺死するはずだった。
私の肉体はここで死んだ」
「私は、ヴェルゴ、あなたに殺された。
あなたは私の心を粉々に打ち砕いて、私から記憶を奪った。
私の精神はここで死んだ」
そして漂うのをやめて、ヴェルゴに向き直る。
「でもその死を最終的に選んだのは私。抗うこともできたはずだし、
あなたと相対した時もやりようはいくらでもあったでしょう。
・・・結局13年前、私が私を殺したんだわ」
その結論に、誰かが息を飲んだ。
はヴェルゴに笑みを浮かべる。
「・・・今ここにきて初めて、私は私の意志なく死んだ。
私はもう”記憶喪失の幽霊”じゃない。
そして、”病弱なドンキホーテの末妹”でもない。
あなたが最後のトリガーになったのよ、ヴェルゴ。
――同じ人間を3度殺した、気分はいかが?」
ヴェルゴは皮肉に口角を上げた。
「光栄だね、・・・ドンキホーテ・」
彼女は記憶を失い、そして、最初に”ヴェルゴ”を思い出したのだ。
あれほど愛していた兄たちではなく、
スケッチブックの最後に描かれた笑顔の少年でもなく、
海に落ちるのを思わず追いかけた、非情になりきれなかった、下らない男を。
「忘れられるより、幾らかマシだ」