ブルックの懸念


ブルックはの横顔を見ていた。
ヴェルゴの言葉に驚いたように目を見開いたは、やがて固く目を瞑る。

「・・・私はあなたを許さない」

ヴェルゴは黙っての言葉を聞いていた。

「それで良いわね?」

ヴェルゴは是とも否とも答えなかったが、の答えに満足したようだった。
どこか、肩の荷が下りた様子で、頷いていた。

は何か考えている様子だ。
その仕草に妙な不安を覚え、ブルックはに声をかける。

「お嬢さん。さん、これで、あなたの記憶は、戻りましたか?」
「――ええ、ブルック。私は全てを思い出したわ」

はくるりと振り返る。
ブルックが心配するよりも、よほど元気そうではあるものの、
実際のところはわからなかった。

「私はヴェルゴとの会話をきっかけに、記憶を全て失った。
 乗せられた船はレッドラインを超え、あの霧深いフロリアントライアングルで遭難し、
 あとはご存知の通り。私はブルックに出会うまで11年、あの海を彷徨い歩いたのだわ」

はロシナンテに向き直る。

「ロシー兄さん。忌憚のない意見が聞きたいわ。
 もし・・・私がドフラミンゴにこの顛末を伝えたとして、
 ドフラミンゴは、どう動くと思う?」

「・・・それは、」

ロシナンテは言い辛そうに俯いた。
だから、先にローの方が口を開いたのだろう。

「王権を捨てることも、海賊を辞めることもないはずだ。
 最高幹部の連中は殺されるだろうが、」

は、今度はローに視線を移した。
ローはに目を合わせ、目を眇める。

「お前は、・・・おそらく再び軟禁される。
 今度は、窓のない部屋で」

「おいおい、実の妹なんだろう!? いくら何でも・・・」

ローの言葉に思わずと言ったそぶりで、ウソップが割って入った。
しかし、他ならぬがそれを肯定したのである。

「いえ、兄はそう言う人なの。実際、10年近く閉じ込められていたわけだし。
 私が能力者だと知ったなら、海楼石の錠をかけることも辞さないでしょう」
「嘘だろ、そんな、」

ウソップは絶句する。に冗談を言っている様子はない。
しばらく黙っていたロシナンテが口を開いた。

「・・・、今はもう13年前とは状況が違う。
 ドフラミンゴは王下七武海になり、ドレスローザを乗っ取って、国王になった」
「!」

は息を飲み、その表情を険しくさせた。

「ロシー兄さん、ロー先生。
 この状況で、ドフラミンゴがどんな人間になったのかは大体想像はついているの。
 ロシー兄さんなら、それを止めようとするだろうってことも。
 ・・・この施設に居た目的、教えてもらっていいかしら」

「それを聞いて、どうする」
「私のとるべき行動が変わるわ」

の決意が固いのは、よくわかった。
ローは深くため息を吐くと、ロシナンテに目を配らせた。

「コラさん、一味とおれ達を防音壁の中に入れてくれ。
 海軍とヴェルゴ達には背を向けて話す」
「・・・おう。読唇対策だな。わかった」

ロシナンテはパチンと指を鳴らすと、防音壁を作り上げた。

ローはできる限り簡潔に、
ドフラミンゴは王下七武海、ドレスローザ国王、そして
新世界で行われる大物達の闇取引の仲介人”ジョーカー”として
巨大な犯罪シンジケートの上に君臨していること。
パンクハザードには人造悪魔の実「SMILE」の原料となる薬品「SAD」の製造工場があること。
四皇”百獣のカイドウ”が主な取引相手であること。
ロシナンテとローは「SAD」を破壊し、
カイドウとドフラミンゴの同士討ちを狙っていたことを話した。

「四皇が絡んでくるのかよ?!」
「・・・お嬢さん、大丈夫ですか?」

ローの話を聞くうちに、顔の強張っていったを、ブルックが心配そうに見やる。
は軽く首を横に振る。

「・・・少し、時間をくれるかしら、ちょっと物事を整理したいわ。
 10分だけでいい。一人にさせて」

そう言って、は研究室の隣の部屋へと、すり抜けて行ったのだった。



その部屋はシーザーの個人的な研究室のようだった。
散らかったデスクの上に、実験のレポートがいくつも重なっている。
は、それを手慰むようにパラパラとめくった。

目は紙の上を見ていても、頭では別のことを思っていた。

誰かの言葉が反響する。
かつて、鮮烈な痛みに意識を奪われる前に、は色々なことを考えた。

 兄は私を殺すのだろうか。深く考えてしまえば結論が出てしまう。
 彼は私を詰るだろうか。思い当たる節を見つけてしまう前に、別の何かを考えなくては。

 生きていたかった。希望があった。誰かを愛していた。

 だが、どうやら私が生きていたならば、あの手は再び血縁の血に染まりかねないらしい。
 それだけはダメだ。
 私が裏切り者と誹りを受けるのは構わない。殺されるのも、別に良い。

 だが、私を殺してしまったら、あの人はまた、あの地獄を味わうだろう。
 悪夢に苛まれ、酒で誤魔化し疲労に溺れ、自暴自棄になってしまう。
 罪を重ね、幸福から遠ざかり、やがて完璧な悪人に成り果てるのだ。
 演じるうちに、嘘は肌にこびり付く。己の疲弊に気づかぬままに。

 結局、何を選んでもダメだった。
 と言うよりも、私はあまりに無力で何も選べやしなかった。

 ”弱い人間は、死に方すらも選べない”。

 生きていたい。死んでしまいたい。
 もう一度会いたい。会うべきではない。
 生きて償うべきだ。このまま死ぬべきだ。

 相反する言葉と願いが反響し、内側から心を砕いた。
 完膚なきまでに、砕け散ってしまった。

 そして目覚めた時、私は本当の意味で”幽霊”になったのだ。

 自分の名前もわからずに、愛する人間の顔も、大切だったものも、何もかも全て忘れ、
 何もかもが靄がかった霧の海に溶けて消えたようだった。

 でも、たった一つ、私の中に残っていた、諦めの悪さが叫び出した。

 思い出せ、と。
 何もかも忘れたままではいけないのだ、と。

 朦朧としているうちに、乗っていた船に居た人間は霧の中で皆死んでいた。
 水も食料も、とうに尽きていたからだ。
 彼らに挨拶して、宙に浮かび、あてもなく彷徨う。
 霧の海は時間の感覚すら私から奪い去り、虚しく年月ばかりが過ぎていく。

 だが、一隻の船が見えた時に、私の時間は進み始めた。

 仲間ができた。旅をした。楽しい道行だった。
 好ましいものも、醜いものも、色々な景色と物事を見た。
 強さを手に入れることができた。
 出会いと別れを繰り返し、また出会った。

 旅路の果てに今こうして、無責任に放り出した記憶を全て取り戻すこともできたわけだ。

 全ての手段は揃っている。
 逃げ道も作ろうと思えば作れる。
 立ち向かおうと思えば立ち向かうこともできる。

 今度こそ、私は選べる立場にいる。
 この先は全て、私次第だ。

はトランクを開き、一番下にしまい込んでいたナイトドレスを取り出した。
髪をまとめていたリボンをほどき、袖を通す。
鏡を見ると、2年前と何も変わらない顔が映っていた。
いや、それよりもずっと前、13年前から変わっていない。

”幽霊”がそこにいた。

 まだ私は、何も変わってはいない。



の奴、大丈夫かな」

チョッパーががすり抜けて行った壁を見て心配そうに呟く。

「何かと混乱してるんだろうよ。何しろ一気に全部思い出したんだ。そうだろ?」
「そうね・・・にとっては、色々と思うところがあるんでしょう」

だが、フランキーとロビンも複雑な表情を浮かべていた。
ゾロやサンジは、かつて覚えた懸念が的中したことで、沈黙していた。

の置かれていた状況は、幸福ではなかったのだ。そして現状はより悪化していた。
一度は海賊を辞めようとしたはずのドフラミンゴはを失ったことで、
暴走を続け、ドレスローザの王にまでなっている。
それも、ロシナンテやローの話からすると、非情なやり方で。

これからはどう動くのだろうか。
そして、仲間である麦わらの一味は、どうするべきだろうか。
それぞれが考えていた時に、ナミの声が部屋に響いた。

「ちょっともう! ルフィ! いい加減起きなさいよ!!!」
「あいつまだ寝てたのか・・・」

サンジが呆れた様子で鼻ちょうちんを膨らませていたルフィを見やる。
ルフィはナミに叩き起こされていた。
肩を揺さぶられ、あたりを見回すと、がいないことに気づいたのか、目を瞬く。

「んあ? あれ、はどうした?」
「今隣の部屋だよ! お前なァ、寝るのはいいけど、ちょっとは気ィ使ってやれよな!?」

ウソップの言葉に、ルフィは首を傾げる。

「気ィ使う? なんで?」
「なんでってそりゃあ・・・兄貴との色々とか、
 自分が死んだ時のこととか思い出してキツいんだろうし、」

「ウソップ、お前何言ってんだ? は幽霊だぞ」

ウソップは瞬いた。ルフィは淡々と告げる。

「幽霊は死なねェ」

妙に力のこもった言葉だった。
その言葉に、ブルックが笑い出した。

「ヨホホホホ! 素敵なゴーストジョークですね。ルフィさん」
「ん? これ冗談になってるのか?」

頭に疑問符を浮かべるルフィに、ブルックは続ける。

「ええ。きっとさんは隣の部屋で、今考えていらっしゃいます。
 悪だくみを!」

バーン、とギターを鳴らして告げるブルックに、ウソップはため息を漏らした。

「なんだそれ。・・・だが、」
「有り得るな」

ゾロが顎を撫でて肯定する。それを見たナミも腕を組んで頷いた。

「うん。そうね。それで私たちが振り回されるのも、いつものことだわ」
「そうですとも!」

「ウチの妹は、随分迷惑かけてたみたいだな・・・」

一味のやり取りを聞いていたロシナンテは頰をかいている。
ルフィが首を横に振った。

「いや? 別に? あいつ歌って踊って面白ェし。仲間だからな!」

「・・・そっか。いや、気づいたら妹が海賊になっちまってて、
 おれはまで海のクズ野郎になっちまったのかと落ち込んでたんだが、
 君らの側で、楽しくやってたみたいなら良かったよ」

安堵した様子のロシナンテの言葉に、ルフィはむっと口を尖らせた。
自分を棚に上げて海賊を”海のクズ”と罵ったのが気に入らなかったのだ。

「ドジ男もトラ男も海賊じゃん」

ルフィのツッコミに、ロシナンテは言葉を詰まらせた。

「ぐっ、そうだけどよ・・・なんつーか、こう、
 一般的な海賊って奴はもっと荒くれって感じだし、悪い奴だろ!?
 あと麦わら君、ドジ男はやめてくれ!」

「そういや、トラ男はどうした?」

ロシナンテの嘆願を無視して、ルフィはキョロキョロと辺りを見渡した。
先ほどまでロシナンテの側にいた、ローの姿が見当たらない。

「え!?・・・あ、」

ロシナンテはローのいた場所に積み上げられた本を見て、小さくため息を吐いた。

「多分、のとこだ」
「へー」

ルフィはロシナンテの言葉に頷いた。
ロシナンテは不思議そうに首を傾げる。

「気にならないのか?」
「トラ男はいい奴だろ?」

ロシナンテはパチパチと目を瞬くと、やがて満足げにルフィに頷いた。

「――ああ、そうだよ」

ルフィはしかし、「あ」と何かに気づいたように声を上げる。

「でもはおれの仲間だからよ。やらねェぞ」

「は?」
「ん?」

ロシナンテとルフィは顔を見合わせてお互い不思議そうな顔をする。
その会話を聞いていたナミは腕を組んで呟いた。

「ねぇ、あれ、なんかややこしい流れになるんじゃない?」
「・・・ほっとけ、どうせがなんとかする」

ゾロがため息を吐いた。
案の定ロシナンテとルフィの間で何か言い合いになっている。

「おいおいおいおい! おれはの兄貴だぞ!」
「知るか! はおれの仲間だ!」
「そこんとこ感謝はしてなくもないが! 13年ぶりに再会したばっかりなんだ!
 積もる話とか、色々あるんだよ!!! 返せ!!!」

「嫌だ!!! だったらお前がおれの仲間になりゃ良いじゃねェか!!!」
「はァ!?」

ルフィの言葉にロシナンテは目を丸くして驚いている。
ルフィは自分の思いつきが名案だと思い至ったらしく、手を叩いてロシナンテの勧誘を始めた。

「お前ドジだし面白いし、の兄ちゃんだし、仲間になれよ! ドジ男!」
「ドジ男はヤメろって言ってんだろクソガキ!!!
 ふざけてんのか!? 大体、おれはロー以外と海賊やる理由はねェんだ!」

「じゃ、トラ男も仲間にすれば良いのか? あいつんとこクマいるだろ。喋るクマ」
「自由すぎるだろ!!!」

ロシナンテは転びながら突っ込んでいた。ルフィはその様子を見て腹を抱えて笑っている。
ロシナンテはルフィの破天荒な性格についていけてないようだ。
息を荒げつつこめかみに手を当てて、緊張感のないルフィを睨む。

「だ、誰かを思い出す・・・この感じ」
「なー、ドジ男ー、良いじゃねェか減るもんじゃねェし。仲間になれよー」
「あー!!! そういやお前ガープさんの孫だろ!? 新聞で見た!」

ロシナンテとルフィがなおも言い合っているのを見て、
ブルックはヨホホ、とギターを小さくつま弾いた。

少しの懸念を、胸に秘めながら。