海兵たちの話
パンクハザードのタンカーは子供達と海軍を乗せ、新世界の海を行く。
向かうはベガパンクが待つ海軍本部の科学施設だ。
ローに応急処置を受け、薬を抜いてもらった子供たちを本格的に治療し、
彼らの家まで送り届けることが、たしぎにとっては優先する正義だった。
海賊を追いかけることはいつでもできるが、子供達の命は今しか救えない。
そう思ってのことだったが。
「これで、本当に良かったんでしょうか」
『ウフフフフッ』
脳裏に蘇るのは、笑う幽霊の顔である。
はたしぎに鮮烈な印象を残したのだ。
パンクハザードでの出来事を振り返ると、海賊を拿捕することもできず、
手を組まざるを得なかった自身の無力さを痛感するとともに、
たしぎにはある懸念を覚えていた。
子供達の面倒を見てから今後の方針を決めるために、
スモーカーをタンカーの操舵室で待っている間も、たしぎはため息を隠せなかった。
でんでん虫と書類とを手に抱え操舵室に入ってきたスモーカーは、
たしぎの憂鬱な表情を見咎め、眉を上げた。
「何を辛気臭ェ顔してやがる」
デスクに書類とでんでん虫を置きながら尋ねるスモーカーに
たしぎは一度口を噤んだが、素直に自身の心境を打ち明けた。
「いえ、いくら悪人とは言え自分の兄を、
・・・殺さなくてはいけないと決意するのは、どう言う心境なんだろう、と思いまして」
幽霊。ドンキホーテ・は海賊らしからぬ物腰で、
悪人らしい言動をとって見せた。
ドフラミンゴに物怖じせず脅しにかかったり、ためらいなくSADを爆破したりと、
その行動には驚かされたものである。
だが、剣の扱いが不慣れに見えるのにヴェルゴに切っ先を向けたり
子供達を案じ、ローに応急処置を頼み込んだりする様子も見た。
不幸な生い立ちだが、それを語る口調は気丈で、
悪人であった兄、ドフラミンゴのドレスローザ支配に責任を感じ、
涙を堪えながらもルフィにドフラミンゴに立ち向かうのだと言い切ったに、
思わず海兵らしからぬ感情を寄せてしまいたくなったのである。
「おかしいですよね。私、海賊に同情を・・・」
「・・・」
スモーカーはソファに腰掛けると呆れた様子で腕を組んだ。
叱られるだろうか、と視線を彷徨わせたたしぎだったが、
耳にしたのは意外な言葉だった。
「おそらく、幽霊の目的はドフラミンゴ殺害じゃねェぞ」
「え?」
たしぎは目を瞬いた。
スモーカーは唖然とするたしぎの顔を見て鼻を鳴らすと、
積み上げた書類に目を通し始める。
「あの幽霊、大した役者だったな、お前がまんまと騙されたほどだ」
「待ってください!
た、確かに彼女のドフラミンゴへの殺意は大げさなくらいでしたけど!
嘘を言っているようには見えませんでしたよ!?」
思わず詰め寄るたしぎに、スモーカーは肯定して見せた。
「・・・ああ、そうさ。あの幽霊は嘘を吐いているわけじゃない」
「だったら、」
「あれは演じてやがるんだ」
ロシナンテが呆れ混じりにに尋ねた言葉が、
たしぎの脳裏をよぎった。
『、お前、どこまで演技だ?』
「・・・あ、」
顔色が変わったたしぎに、スモーカーはパンクハザードとドレスローザ、
海軍本部の地図をテーブルに並べ、睨んだ。
「おれたちは幽霊の作り出した場の空気に飲まれた。
海賊の拿捕よりもガキどもの救出を優先させるのは結果的に悪くはない判断だったと思うが、
誘導に乗せられた感は否めない。今ですら8割方幽霊の思惑に嵌ってるんだろうよ。
・・・おれたちが気付くことも、もしかしたら計算尽くかもな」
「まさか、」
そんな、何もかもを手のひらで転がすような真似を、は行なったと言うのだろうか。
たしぎは、スモーカーの冗談であってほしいと思ったが、
長年の付き合いである上官がその手の冗談を言わない人物であることはよく分かっていた。
その上、浮かべる表情は真剣そのものだったのだ。
「海軍がドレスローザ、・・・グリーンビットへ赴くだろうってことも承知の上、
ドフラミンゴと共倒れになっても良いような言動も全部演技だろう。
自分の死を冗談に笑ってやがるが、あの女、テメェの命を諦めるようなタマじゃねェ。
”幽霊人間”になった能力者だ。生き意地が汚いに決まってる」
スモーカーの物言いに、たしぎは口を噤む。
スモーカーは腕を組み、白い息を吐いた。
「大方、兄殺しの先にもっと性質の悪ィ絵を描いてやがるんだろう」
「・・・一体どんな目的だって言うんですか?」
固唾を飲み込み、スモーカーに尋ねる。
「さァな」
スモーカーのにべも無い答えに、たしぎは肩透かしを食らった気分だった。
思わずメガネがズレたのを直す。
「さァなって・・・スモーカーさん、結局カンですか」
「こればっかりは最後まで成り行きを見てみねェとわからないだろう。
何しろ演じている時は、”それ”を真実だと幽霊自身も信じ切ってやがる。
真意は表には出てきやしねェんだ、読みようがない」
お手上げだ、と言う割には書類を見る目つきに惑いはない。
「・・・でも、スモーカーさんは、
彼女の脚本を指を咥えて見ている気はないんですね」
「当然だ・・・手はいくつかあるだろうしな。
さて、どうするか・・・」
思索を巡らせようとしたスモーカーを邪魔するように、
見張りを命じていたはずの海兵が操舵室まで駆け込んできた。
息を切らせ、随分焦っている様子である。
「スモやん!!! 大変だ!!!」
「なんだ騒々しい」
「進路前方に・・・”青キジ”が!!!」
「なんですって?!」
※
「よォ、久しぶり」
超ペンギンに乗って現れた”青キジ”ことクザンがひらひらと手を振る。
敵対する意思はなさそうだが、海軍を辞めてしばらく経ち、
聞こえてくる噂は決して良いものではない。
スモーカーは警戒を露わにクザンに尋ねた。
「・・・何の用だ」
しかし、クザンはごく普通の態度でスモーカーに返答する。
「お前ら見たとこパンクハザード帰りだろ?
ちょっと話聞かせてくれよ」
「何しにパンクハザードへ?
最近じゃお前のいい噂は聞いてねェぞ」
疑念と敵意を隠そうともしないスモーカーに、クザンはふ、と軽く含み笑いを浮かべた。
「噂は噂だ、スモーカー。
海軍に所属しなくてもできることはある。
所属しねェからこそ見えてくることもな」
暫く沈黙がその場をよぎった。
その緊張感に誰もが息を飲む。
だが、スモーカーとクザンの睨み合いは、そう長くは続かなかった。
「たしぎ、しばらく席を外す。その間指揮はお前が取れ」
「はっ!」
敬礼したたしぎを背に、スモーカーとクザンは場所を変えた。
応接に使えそうな部屋へと向かい、
テーブルを挟んで向かい合う。
先に口火を切ったのはクザンの方だった。
「・・・あるツテで、今日パンクハザードで兵器の実験が行われるっていう情報が入ったんだ。
だが実験開始時刻になってもでんでん虫はうんともすんとも鳴きやしねェ。
こりゃおかしいと思ってよ。様子を伺いに出てきたってわけだ」
「張ってたのか」
「ま、そんなとこ」
スモーカーには思い当たる節があった。
パンクハザードでシーザーが『スマイリーの扉が開いていない』と、
助手であるモネに怒鳴り散らしながら入ってきたことがあった。
そのあとすぐに幽霊にトランクで殴られていたので聞き流していたが、
クザンの言葉からして、何かの実験のことだったのだろう。
そして、それを止められた人物と言えば。
「それはおそらくロシナンテの仕業だ。潜伏して諸々動いてやがったからな」
スモーカーの口から出た人物の名前に、クザンは意外そうに眉を上げた。
「・・・へぇ? また懐かしい奴の名前が出てきたもんだな」
13年前、当時元帥だった”仏のセンゴク”に目をかけられていた
諜報部の元エースが海賊に堕ちたと言う噂は
ロシナンテの存在を知る海兵の間では衝撃的なニュースとして知れ渡っていた。
「あれほど海兵らしい海兵がなぜ、」とかつては惜しまれたものである。
「海賊になった」とだけ伝わり、どこの海賊団に所属しているのか、
あるいは自ら旗をあげたのかは不明のままだった。
今日スモーカーが、ローと行動を共にするロシナンテを確認するまでは。
「で? お前なんで海賊のヤツを見逃してんの?」
「こっちにも事情ってもんがあるんだよ」
訝しむ様子のクザンに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらも、
スモーカーはざっとパンクハザードでの出来事を話して聞かせた。
ドフラミンゴとカイドウの暗躍。麦わらの一味とローの同盟。
ヴェルゴの裏切り。そしてドンキホーテ兄妹の因縁。
だが、パンクハザードで起こった事件は”前触れ”に過ぎない。
これからドレスローザで本幕が上がるのだとスモーカーと同様に、
クザンも感じ取ったらしい。
クザンは労わるような目つきでスモーカーに頷いた。
「・・・お前、なんつーか・・・お疲れ」
「・・・うるせェよ」
寄せられる同情と哀れみに、スモーカーはこめかみに手を当てて息を吐いた。
「しかしその・・・お化け? ドフラミンゴの妹? は曲者だな。
ん?・・・”幽霊”?」
クザンは顎に手を当てて考え込んだ後、スモーカーに尋ねる。
「その幽霊ってのは、長い髪の・・・こう、割と笑顔のねーちゃんか?
なんか育ちが良さそうな雰囲気で美人の・・・」
「後半主観だろ。・・・まあ、当てはまってないこともない」
スモーカーの反応に、クザンは瞬いて答える。
「おれ会ったことあるわ。名前は・・・?」
「・・・どこで知り合った」
「あー、やっぱり。
・・・あいつらの妹ってんなら、そりゃ少しは似てるとこもあるわな」
一人で自答し始めたクザンに、スモーカーは首をかしげる。
「なんの話だ?」
「こっちの話」
しかし自己完結したらしいクザンはそれ以上はについて触れず、
難しい顔をしてテーブルに投げ出されたドレスローザの海図に目を落とす。
「・・・だったら尚更荒れるだろうな。
承知だろうがドフラミンゴは七武海にしてドレスローザの現国王。
九蛇の蛇姫とはまた違った極めて異例づくしの海賊だ」
クザンは一度言葉を切った。暫く考えるそぶりを見せた後、提案する。
「サカズキに伝えて”大将”達を動かせ。
お前のあげたメンツ、どいつもこいつも一筋縄じゃいかねェ奴らだ。
最悪の場合、歯車はみるみる食い違い・・・サカズキの新海軍本部始まって以来の、
ドデケェ山になる」
「・・・」
眉間に皺を寄せ、海図を睨むスモーカーに、クザンはソファから立ち上がり、
手を振って部屋を後にした。
「とりあえず忠告はしたぞ、どう動くかはお前に任せる」
振り返りもせず閉まった扉に、スモーカーは一人呟く。
「言われなくても好きにするさ」
海賊に出し抜かれたままでは終わるまいと、
スモーカーはでんでん虫の受話器をとった。