カナリアの憐憫
「モネを貸して欲しい?」
ドフラミンゴは執務室で会計の仕事をこなすからの提案に首を傾げていた。
は休憩に入ったのか、レモンの浮かんだ紅茶を傾けながらドフラミンゴに目を向ける。
「ええ、試作品を試したいのです。ジョーラやベビー5にはよく協力していただいていますけど、
私と同年代の方のサンプルが欲しくて」
ドレスローズ本社に残った社員とは試作品を作るのに苦労していた。
何しろ予算は以前よりも少なく、人手もない中
天竜人や王侯貴族を満足させる出来栄えのものを編み出さねばならないのだ。
しかし、それでもなんとか形にしようと模索しているらしい。
ジョーラやベビー5を新商品の実験台にしているようだが、当のジョーラとベビー5は
に化粧を施されるのが満更でもないようで、
のかつての自室に訪れ、めかし込んでいる様はドフラミンゴもよく目にしていた。
おそらくその実験台に、モネも加えたいのだろう。
「構わねェが、自分で言えばいいだろうに」
ドフラミンゴが答えると、は僅かに目を伏せた。
「・・・モネにはどうも避けられているようなので、
あなたからお声がけいただければと。陛下」
の言う通り、確かにモネはのことを避けている。
に好感を持っていたモネはを騙したことに罪悪感を覚えているようだった。
しかし、はいたって平然とした様子で、
このようにドフラミンゴに申し出ている。
に思うところがないわけではないだろうが、
モネはロギアの能力者だ。
いかにが護衛いらずの姫君とその剣技を賞賛されていたとしても、
そうそう遅れをとるようなことはないだろう。
「フフフッ、ああ、わかった。話は通してやろう。
ただし、武器の類は持ち込むなよ」
ドフラミンゴが釘を刺すと、は怪訝そうに首を傾げていた。
「・・・どういう意味です?
化粧を施すのに、武器がいりますか?」
「フッフッフッフ! しらばっくれるのはよせよ。
だが、まぁ、モネもあれで悪魔の実の能力者だ。
修羅場も潜ってきている。妙な気を起こしても無駄なことだ」
ドフラミンゴが念を押すと、は「はぁ」と気の抜けた声で応じた後、
ドフラミンゴの意図するところを悟ったのか、少々困ったように眉を下げていた。
「なるほど。別に他意はなかったのですけど、」
顎に手を這わせ、何か考えるそぶりを見せたかと思うと、
は会計の仕事に戻っていった。
※
「お久しぶりですね、モネ」
モネはかつてのの自室へと足を運んだ。
正直に言うのなら、モネはと面と向かって顔を合わせるのは気が進まなかった。
しかしドフラミンゴに促されたとあっては、そうしないわけにも行かなかったのだ。
は表情は乏しくともどこか朗らかにモネを迎える。
仮にも自らを裏切り、情報を流したモネに対して、
は何の悪意も持っていないように見えた。
「、様」
モネがどこか戸惑ったように呼ぶと、は少し困ったように眉を下げた。
「ああ、いいんですよ。敬称なんてつけなくても。
私はもうあなたにお給料は払ってないですし。
そういえば、今の私たちは”お友達のようなもの”になってもいい立場なのではないですか?」
かつて交易港の謁見室でモネとはそんな会話をした。
だが、その時と今とでは状況が違う。
「でも、あなたは若様の奥方です」
モネの言葉には目を閉じ、小さく唇を歪めた。
苦笑したようだった。
それからドレッサーの前に立つと、小鳥の細工がしてあるガラスの容器を指差してみせる。
「試してみたいのはこの化粧水と、白粉と、口紅、眉墨、アイシャドウです」
はいつかのようにモネを椅子に座らせると、テキパキと化粧を施し始める。
以前と違うのは、二人の間に最低限以上の会話がないことだけ。
化粧水を含ませ、数種類のクリームをの肌の上で伸ばした後、
白粉をはたき、眉墨を乗せる。
数ヶ月前まで何度も同じことをした。
「モネ、目を瞑ってください」
だからモネは、なんの疑問も覚えずに目を瞑ったのだ。
しかし、すぐに訪れるはずの柔らかなブラシの感覚は降って来なかった。
代わりにバラの香りがほのかに香った。
の声が、甘く耳元で囁く。
「ねえモネ? ”あの日”、あなたが父の部屋の窓を開けたんでしょう?」
ハッと目を開けた瞬間、手首に金属の冷たい感触を覚える。
そして間も無くおそるべき怠さに襲われた。
見れば、手首には海楼石の錠が嵌っていた。
「な!? 何をするの!?」
「うるさい、黙れ」
鋭く無情な声色だった。
素早くタオルを口に押し込まれ、モネはを恐怖の滲む表情で見上げた。
は自室に鍵をかけ、カーテンを閉める。
薄暗くなった室内にの目が光っていた。
「ああ、まだ口紅が残っていたのに。先に塗っておくべきでした。
でも、こうして布を噛ませるなら、どうせ取れてしまいますよね」
の指が甘やかな仕草でモネの頰を撫でた。
その手つきに、モネは、信じられないものを見るようにを見ていた。
明確に、意図を持って触れられている。
心臓の拍動が、徐々に大きくなっていく。
「お前、これから何をされるのか、本当にわからないのですか?」
はモネの疑念を肯定するように口角を上げて見せた。
笑っている。
だが、その目はどこまでも暗く、冷たい光を反射している。
「お前は思いもしなかったでしょうね。
私は女しか愛せない。王女としては全くの不具なのですよ」
きっとタオルを噛んでなければ声をあげて驚いていただろう。
モネは愕然と自分を暗澹とした眼差しで見つめるを見上げた。
「ふふ。一生夫など持つ気は無かったのです。
モネ、お前、本当になんてことをしてくれたのですか?」
「・・・ぅぐ!?」
クスクス笑いながら、はモネを椅子から突き飛ばした。
床に倒れたモネにまたがり、はモネの胸ぐらを掴む。
「わかりますか?
そんな私が、夜毎お前の崇拝するおぞましい男に抱かれるのがどれほど苦痛か」
モネは怯えと驚愕で肩を震わせる。
は目を細めて、モネの恐怖を楽しむように微笑みかけると、
モネのブラウスのボタンを一つづつ、確かめるように外していった。
「代わってあげたいです。モネ。
きっとお前なら”あのやりとり”に悦びを覚えることができるのでしょう?」
は露わになったモネの腹から胸をたどり、
首筋を撫で、頰をその手のひらで包み込み、
嘲るように言った。
「あの男が私をどんな風に触るのか教えてあげましょうか、ねえ?」
※
それは小一時間ほどの暴虐だった。
はモネに甘やかな声で囁き続ける。
「身体中を撫でられるのです。愛玩動物のように。
手のひらが首から、鎖骨を通って、・・・そう、最初は私もお前と同じように震えていました。
今はもう慣れましたけど」
「あの舌で散々舐め回されます。こんな風に。時々肩とか乳房に歯型をつけられるのですよ。
鏡を見るたび情けない気分になります」
「私の指では多分比になりませんけど、こうやって股座を弄られるのです。
ああ、そうですね、今と同じように腐りかけの果物を混ぜるような音がして・・・
あら、飛沫が飛び散りそうですね」
「泣いているのですか? 奇遇ですね、私も閨事の際はよく泣きますよ。
それで止めてもらえたことは一度もないですが」
「まあ、この張り型は既製品なのであれを再現できているかというとそうでもないですけど。
咥えなさい。・・・ああ、布があるから無理ですね、じゃあ仕方ない、先に進みましょうか」
「痛いですか? そうでしょうね。私も痛かったですよ。
全くあの男、私とどれだけ体格が違っているのかわかっているのかしら。
突き上げられるたび内臓が持ち上がるようで、気持ちが悪くて、」
「痛いと言っても、『イイ』と言えと詰られ、犬を躾けるように尻を打たれました。こんな風に」
「・・・あら、床が汚れましたね。ふふ」
打ち揚げられた魚のようにのたうち苦痛と強制的な快楽に息を切らせ、
上り詰めたモネを見て、ようやくは手を止めた。
ぼんやりと自らを見上げるモネの傍らに跪き、口枷の布の上からキスをする。
はモネの口から布を外すと、何事もなかったかのように海楼石の錠を外した。
モネはその瞬間、屈辱と怒りに任せを組み伏せていた。
指先がつららのように尖り、その先端をの首に向けている。
「こんなことをして、・・・ただで済むと思っているの?!」
「ふ、ふ、ふ! ドフラミンゴの妻を殺すのですか? 私とあの男を娶せた、お前が?」
は殺意を向けられてもなお平然としていた。
それどころか愉快そうに喉を鳴らし笑っている。
モネは奥歯を噛み、の首から指を引いた。
から距離をとり、藤色の瞳を睨め付ける。
「ここで私があなたを殺さなくても、”何があったか”を報告すれば、
若様が動くわ。あなた、どんな目に遭うか・・・」
「さァ、どうなるんでしょうね?」
は立ち上がり、モネへと近づいた。
の手には武器もない。戦闘になればモネが必ず勝つはずの状況だと言うのに、
気づけば、モネは壁際へと追い詰められている。
「忠実なる部下を陵辱した私を、あの男はどのように扱うのでしょうか。
私は殺されるでしょうか、拷問でも受けるのでしょうか?
それとも人質であった父と姪が死ぬ? 妹も?
あるいは国民を恐怖で支配し始めるのかもしれません・・・」
あらゆる可能性を並べ立て、最後には吐き捨てた。
「”だからなんだというのですか?”」
モネは耳を疑った。
少なくとも、モネの知るは王国の人間として誇り高く、民の幸せを願い、
その苦難を憂い、豊かな国を作ろうと邁進していた姫君だったはずだ。
だが、モネの知るはもはやそこにはいなかった。
そこにいるのは、怒りに狂う女である。
「私が身を捨てるほどのものが、人が、国がどこにあると言うのですか?」
その声は柔らかかったが、憎悪と絶望に満ちた言葉だった。
は子供に読み聞かせるような口調で語り始める。
「『海賊ドフラミンゴと禁断の恋に落ちた姫。
姫と結婚するべくドフラミンゴは王下七武海となり、
娘の幸せを祝福できぬ頭の固い父王を倒し、彼らは結婚しました。
そしてドフラミンゴは国王に。姫は王妃となったのです。めでたし、めでたし』」
モネの顎を掴み、は冷たく言い捨てる。
「・・・そんな話があってたまるか、頭の中までお花畑なのかこの国の民は」
息を飲んだモネに、は目を眇めた。
モネを通して、はドレスローザの国民の全てを呪うようだった。
「私が海賊風情と恋に狂うような、道理をわきまえぬ馬鹿だとでも思ったか」
の怒りは徐々にエスカレートしていく。
「寸暇も惜しみ、多くの子女が遊び呆けている間勉学に励み、
女だてらに武芸を磨き、会社を起こし多くの民を雇用し・・・。
国を磐石なものにしようと奔走した報いがこれだ。
怒りとか悲しいを通り過ぎて、なんと言うか、少し面白くなってきているのです。
だって・・・滑稽にもほどがあるとは思わない? ねえ? おかしいでしょう?」
モネを掴む手とは反対側、の握られた拳からは血が滴っていた。
怒りのあまり痛みすら忘れたは肉親でさえも罵った。
「忠告を聞きもせず事もあろうに私を幽閉した偉大なる我が父王。
私の内心も知らず、愚かな国民と居もしない神の前であの男と口付けた私に軽蔑の目を向けた妹。
ああ・・・でも何も知らない姪にだけは私を罵る権利がある。
・・・私への見せしめのために、お姉様は死んだのだから」
の眉が苦痛に歪む。
「・・・いつまで続くのですか、この地獄は」
うっすらと、目尻には涙が滲んでいた。
「毎日! 毎日!! 毎日!!!
心が粉々に砕け散り、砂のようになっていくのをいつまで耐えろと言うの?!」
顎を掴まれる手に力が篭っていくのにモネは眉を顰める。
「お前に分りますか?! 夜毎思いつまされるのですよ・・・!
実の姉に懸想した時から、私は自分が女であることを恨み続けたと言うのに、
ここにきて、拍車がかかるだなんて思わなかったですよ、全く、・・・ふふ、ふふふふふっ!!!」
モネは息を飲んだ。
「私は何もかもが恨めしい! 憎らしい!
国民全員骸を晒して死ねばいい! こんな国など滅んでしまえ!!!」
それは心底からの呪詛だった。
これがあの、王国を憂い、
花園で優しくモネに微笑んだ賢姫の成れの果てだと思いたくはなかったが、
現実は覆らなかった。
なぜなら、ドンキホーテ・ファミリーが、ドレスローザ王国の全てが、寄って集って
この美しく聡い姫君の心を踏みにじり続けたのだ。が摩耗し、壊れ果てるまで。
はモネから手を離した。
「・・・それが無理なら、私は死んでしまいたい」
か細い声で、は呟く。
顔を上げたモネは、が顔を覆う前、
その目から大粒の涙が零れ落ちるのを、確かに見た。
「スカーレットお姉様に会いたい」
モネはその時、初めての本心というものを垣間見た気がした。
床へと崩れ落ち、恥も外聞もなく嗚咽して泣き出したを見て、
モネは自分でも何に突き動かされたのかわからぬまま、
跪いての肩に手を伸ばし、その体を抱き寄せた。
は一度大きく震えたかと思うと、そのままモネに縋り付いて泣きじゃくる。
まるで幼い子供のように。