フィナンシェをどうぞ


「新しい商品が完成したの?」

お茶会の最中、テーブルの端に置かれた煌びやかな小箱に気づき、
モネがに尋ねた。

黄色い小鳥と青空がテーマのデザインだ。
金箔があしらわれ、エレガントな飾り罫で縁取られた中心には”Dress Rose”の銘がある。
ため息が出るほど繊細で豪奢な小箱だった。それ自体が芸術品のようだ。

「ええ、こちらがそうです。高級素材、高級志向の代物です。
 価格設定にドフラミンゴが口を出してきてとんでもない値段になりました。
 が、そこそこ売れています。・・・はァ」

「良いことじゃない」

が残念そうにため息をつくので、モネは首をかしげた。

「長期的に見るとそうでもないのです。
 少なくとも私の商売が良心的だという評価は今後得られないでしょう。
 ・・・王侯貴族のみに販売をするという時点で、そんな評価はもう貰えないのでしょうけど」

レモンの浮かんだ紅茶を手慰むようにかき混ぜると、何を思い出したのか、
は僅かに眉を顰めた。

「ああ、そう言えば、やはりあの男ろくでもないですよ。
 プールの庭で美女たちを侍らせてニヤニヤしてました。
 あの伊達男風の、セニョールだかと一緒に」
「え?」

は女性しか愛せないのだとモネは知っているが、
それでも近頃ドフラミンゴとはそれなりにうまくやりだしている。

不機嫌そうなそぶりを見せたを見て、モネは半信半疑の表情を浮かべる。
がドフラミンゴに、嫉妬するようなことがあるのだろうかと。

しかし案の定、の口からはモネの想定とは全く違う言葉が飛び出した。

「値段を決めるのに呼びつけられたと思ったらそんな情景が広がってたんですよ。
 うらやま、けしからぬことです」
。あなた”羨ましい”って言いかけたの? もしかして」

聞き返したモネには紅茶をかき混ぜるのを止め、深いため息を吐いた。

「・・・私だって許されるなら水着美女に囲まれて
 至れり尽くせりで昼間からお酒飲みたいですよ。
 大体あの男泳げもしないくせに、なんなのでしょうか」

「なんであなた、そういうところだけ俗なのよ・・・」

モネが呆れ果てた眼差しをに向けるが、に気にするそぶりはなく、
それどころか先ほど口にした俗な欲望が嘘のように、
恐ろしく気品ある所作で焼き菓子をつまんでいる。

モネはこっちがため息をつきたい、と腕を組み、の話を促した。

「若様は、あなたに何て?」
「仕事の話をして終わりましたが、」

は「それが何か?」と言わんばかりに首を捻っていた。
モネはドフラミンゴがをプールの庭に呼びつけた意図を
なんとなくは察していたため、に尋ね続ける。

「変わったことはなかったの?」
「やけに食い下がりますね、私は何か変なことを言いましたか・・・?
 そう言えば、後半はどうも面白くなさそうだったような、」

が顎に手を這わせ、考えるそぶりを見せる。
モネはこの様子だとドフラミンゴの意図は永遠に理解されることがないだろうと悟り、
思わず答えを口にしていた。

「それは多分、若様はあなたが嫉妬するのを見たかったからよ」
「・・・え?・・・・・・はぁ?」

の口からは信じられないと言わんばかりの声が漏れた。

「普通は、夫が他の女性と親しげなら思うところがあるでしょう」

モネが補足すると、はしばしの沈黙の後、
唸るように低く呟く。

「どれだけ自惚れてるんだ、あの男」

心底苛立った様子に、モネは慌てて声をかける。

、抑えて」

「いや、だって、そういう行動をすれば私が嫉妬するだろうって思ったんでしょう?
 ・・・自分のしたことを棚に上げすぎじゃないですかねぇ?
 それに庭園での朝食の時に誰と何しようがどうでも良いって言ったのは、丸ごと無視ですか?」

「ちゃんちゃらおかしいです」と鼻で笑うに、モネは眉を上げた。

「あなた、そんなことを言ったの?」
「えぇ、だって事実ですし」

としてはおそらく、できる限りドフラミンゴとは接したくないというのが本音だろうが、
それはもしかすると逆効果だったかもしれない、とモネは思った。

まず、ドフラミンゴはを嫌いではない。
それどころかに対しては一際興味と関心を持って接しているように見える。
そのがドフラミンゴのやることなすことを「どうでもいい」と切り捨てたのであれば、
ドフラミンゴは面白くないに違いない。

それに、の反応がドフラミンゴにとって新鮮に映るのも無理はないとモネは思っていた。

「・・・あのね、。若様はモテるのよ。
 多分、女の人に邪険にされたこと、殆ど無いと思うわ」

モネがを諭すように言うと、は小さく眉を上げた。

「へぇ、ということは、なんです?
 私の反応は、・・・一般的ではないと?」

「有り体に言うなら、そうでしょうね」

はモネの肯定に、珍しく一目でそれとわかるほどハッキリとした笑みを浮かべた。
これはまずい兆候だとモネが思うより早く、の口からは罵倒が雨のように降り出した。

「なるほど、なるほど道理で! あぁ! すごく思い当たる節が出てきましたよ!
 あの『おれの妻でいられて嬉しいよな?』とでも言わんばかりのふざけた態度!!!」

の持っていたカップがやや乱暴にテーブルに置かれ、水面がさざ波だった。

「その壮絶なまでの思い上がりの理由が、
 女にモテたからですって!? 邪険にされたことがない!?
 はぁ?! なんですかそれ! 滅びればいいのに!!!」

何が琴線に触れたのかは知らないが恐ろしく苛々している。
モネはのカップに紅茶を注ぎ足し、お茶請けをさらに追加した。

。落ち着いて。紅茶を飲むといいわ。フィナンシェ食べる?」

「食べます」

スッ、とはいつも通りの無表情に戻った。
紅茶で喉を湿らせ、上品な所作で焼き菓子を口にしている。

「失礼、取り乱しました。普通にムカついてしまい・・・私としたことが」
「・・・ふふ」
「モネ?」

取り繕うように紡がれた言葉に、モネは肩を震わせ、笑い出した。
は瞬いてモネを見つめる。

「うふふふふっ、ごめんなさい。あなた、だって、ふふふっ!
 そんなムキになるようなこと?」
「・・・そうですね」

は微かに目を伏せ、口角を上げる。
どこか困っているようにも見えた。

「私は、・・・こういう言い方をすると語弊があるかもしれませんが、
 結構私のことが好きですよ、気に入っています。
 化粧はもちろんのこと、華やかなおしゃれも好きです。
 政治の勉強も武芸を学ぶのも必要だからと始めましたが、楽しくて夢中になりました。
 男に生まれたかったわけでも、庶民に生まれたかったわけでもないです。でも、」

呟いた言葉は弱弱しく響いた。

「私が男であったなら許されたことが、あまりに多くて」

モネは息を飲む。
は目を伏せたまま、紅茶のカップを見つめていた。

「ふふ、私が男だったならあの男は躊躇なく私を殺しただろうし、
 どちらにせよ、私はお姉様に思いを打ち明けることはしなかったでしょうが、
 でも、・・・なんて小ざっぱりとした最期なのでしょうね」

国を守るべく王子としてドンキホーテ・ファミリーと相対し、
戦いの果てに命を落とす。
あるいは古い王族の血を引くものとして処刑される。

が男であったならあり得た未来だ。
は、それを羨んでいるようだった。

モネは死に想いを馳せるに目を眇める。

「・・・じゃあお酒を飲みましょう。今から」
「モネ?」

首を傾げたに見向きもせず、モネはソファから立ち上がる。

「水着は・・・持ってないから、買ってくるわ。あなたも着ればいい」

は大きな目を丸くして瞬いていた。
モネはキョトンとした様子のを睨め付ける。

「それとも何? 私じゃ不満だって言うの?
 散々私に可愛いとか綺麗とか言ったのは嘘だった?」

「嘘なわけないでしょう。何言ってるんですか」

食い気味に否定され、モネは口を噤んだ。
は訝しむようにモネを見つめている。

「・・・というか何を言ってるんです? 本当に」

モネは我に返り、勢いに任せて何をしようとしたのかに気づいて
頰がやけに熱を持つのを感じていた。

それを見て、はしばし唖然とした後、俯いた。
今度はが肩を震わせて笑う番だった。

「ふ、ふ、ふ。 モネ、あなた、恥ずかしがるなら言わなきゃいいのに」
「・・・」
「にしても、大胆な提案ですね、ふふっ、女二人で水着になってお酒を飲むのですか? 室内で?
 面白いですけど、返って変ですよ。ふ、ふ、ふ!」

顔を赤らめながら黙り込んだモネは、が愉快そうに笑うのをジト目で見ていた。

久方ぶりの笑顔だった。
そういえば、会社にいた頃は冗談を言ってこんな風に笑っていた。

はひとしきり笑い終えると壁掛け時計に目を移す。

「ああ、そろそろお茶会も終わりにしましょうか。
 会計の仕事は退屈ですが、仕方ありません」
「え?」
 
意外そうに声を上げたモネに、は口角を上げてみせる。

「何か期待させましたか? 残念ながらそう言う気分ではありませんのでね」

意地悪く笑う声とは裏腹に、表情にはどこか柔らかさが滲む。
が誰にも打ち明けたことのなかった秘密を知る共犯者に向ける顔は、
不思議なことに優しく見える。

お互いを、憎んでいるはずだったと言うのに。

「では、また今度」

モネはが扉を閉め、立ち去るのを呆然と見送り、ソファに音を立てて座り込んだ。
前髪を掴み、一人呟く。

「本当に、何をやってるのよ、私は・・・」