薔薇の嵐
鍛錬場でが剣を振っているところに出くわし、
ディアマンテはなんとなくの太刀筋を眺めていた。
相変わらず姫にしてはやたらと無駄のない動きである。
時折鍛錬と称してを地面に転がすこともあるが、今日はそういう気分ではなかった。
大体、はひどく打ちのめされてもずっと無表情のままであるから面白みというものがない。
その上一度やり過ぎての肋骨を折った時は他ならぬドフラミンゴに咎められてしまった。
その後は一応の手加減をするようになったのでトラブルを起こすことはない。
小人の姫が痣だらけのをピーピー泣きながら治療する様は愉快ではあったが。
ドフラミンゴがの見てくれだけを気に入ってるのであれば、
ディアマンテをさほど叱らなかっただろうが、
どうもドフラミンゴはの中身の方も気になるらしい。
20代半ばにも届かない小娘の中身などさして代わり映えしないだろうに、とディアマンテは
ドフラミンゴの気まぐれを訝しみながら、に声をかける。
「お前、剣を握るより、ドフィに少しは媚びを売るなりすりゃあどうだ?」
「いきなり何を言い出すのですか、ディアマンテ様?」
汗を拭い首を傾げるに、ディアマンテはニヤついた笑みを浮かべた。
「そんなんだから旦那が他所に行くんだぜ」
「・・・側室を持つ王も珍しくはないですし、束縛するのはよろしくないかと。
ご自由になさればいいと思うのですが」
近頃は朝食を共にしたりと、親しげな様子を見せるようになっただけに
ドフラミンゴがを籠絡したのかと思っていたのだが、
この様子だとそういうわけでもないらしい。
そう考えたディアマンテだが、の微動だにしない表情を見て思い直した。
の内心は表に出にくい。内心は屈辱に震えているのかもしれない。
あるいは健気に耐えているのか。
はたまた本当に情の薄い女で、夫が他の女と寝ていようとも何とも思っていないのか。
だが、流石のもこれを聞けばその鉄面皮も動くはずだと、
ディアマンテはを見下ろした。
「へぇ? 相手がお前の妹でもか?」
ディアマンテの目論見通り、藤色の瞳が大きく見開かれた。
※
モネは恐ろしく空気の重いお茶会に臨んでいた。
は疲れたように目元を抑えながら紅茶や菓子に手をつける様子もない。
しばらくたって、はようやく口を開いた。
「モネ・・・お前の慕う男は品性下劣のクズです。
最低最悪の下衆です。認めたらどうですか」
「・・・」
いつもならドフラミンゴを悪く言われればを宥めたり、
あるいは反論するモネも、今度ばかりは沈黙している。
「別に火遊びくらい好きにすればいいと思ってますよ。
ええ、私も好きにしてますし?」
は眇めた目でモネを一瞥した後、吐き捨てるように言った。
「でも、よりによって、よりによって妻の妹に手を出しますか? 普通? ねえ?」
「・・・」
モネには返す言葉がなかった。
がディアマンテに聞いたところによると、
が王族に呼びつけられ化粧品を売りに行った間に、
どうもヴィオラの方からドフラミンゴを誘ったらしい。
「いや、断れよ」
「、気持ちはわかるけど、落ち着いて・・・」
モネがを宥めようと努めるが、
今回は口直しの紅茶に手をつける様子もない。
「しかもそれを幹部に話すってどういうこと?
ねえ? どう思います? 私は不愉快極まりないんですけど」
「・・・」
その上翌日にはを除き、成人した幹部全員がその事実を知っていた。
どうりで朝食の際に好奇の目で見られたはずだと、
思い当たる節があったらしいは目を眇めている。
モネはの静かな怒りに再び沈黙した。
何を言っても無駄だと思ったし、そして今回に限ってはの怒りももっともなことだと、
モネ自身がに同情してしまっている。
は深く息を吐いてようやく紅茶に手をつけた。
それでも眼差しからは険が取れない。
「・・・ヴィオラもヴィオラです。
どうせ能力を使ってあの男の弱みを握ってやろうと体を張ったのでしょうが、
相手はドフラミンゴですよ、出し抜けるわけがありません。浅はかにもほどがある、」
はやがて目を伏せた。
怒りが悲しみに変わったように憂いを含んだ表情は美しい。
「・・・何が悲しくて実の妹と竿姉妹にならねばならないのか」
「」
上品な表情で恐ろしく下品な言い回しをするので、モネはを咎めるように呼ぶ。
しかしなんのスイッチが入ったのか、はつらつらと喋り出す。
「どうせあの男、口さがない最高幹部連中と姉妹丼だ何だと囃し立てていたのでしょう。
・・・なんであの方々は生きてるんでしょうか」
ついには夫とその家族の生存価値を問い始めた。
「突っ込むものがなくなればいいのですかね。
切り落としてやればいいのか、いえ、見たくも触りたくも無いです。
汚らしい。勝手に根腐れすればいいのに」
「!」
流石に強めに咎められて、もバツが悪そうに唇を尖らせた。
「・・・私は我慢しています。これより恐ろしく汚い言葉が頭を巡っている。
少しくらい大目にみてください」
「・・・言葉遣いは頂けないけど、あなたが怒るのも無理もないと思うわよ、私は」
同情するモネに、は力なく口角を上げて見せた。
微笑んだようだった。
「あの男、3人でやろうとか言いだしかねないですが
その場合そろそろ面と向かって怒ってもいいですよね」
モネは、から見たドフラミンゴの評価が地に落ちていることを再確認した。
あまりに下劣な想像であるが、はそれをやりかねないと思っているのだ。
モネは流石にドフラミンゴはそこまでのことをしないと思ってはいるものの、
生憎否定しきれるだけの材料が手元にない。
「・・・ええ、まぁ、というか今怒るのが普通だと思うわ。
ねぇ、、一回ちゃんと怒って見たら?」
ドフラミンゴがにちょっかいを出すのは、の感情的になった姿を見たいからだ。
庭園で朝食を共にするようになってからはもドフラミンゴの前でたまに笑うようになったし、
それをドフラミンゴが満更でもなく思っているのは側から見てもわかっている。
多分、が一度怒りさえすれば、
二度とドフラミンゴがの地雷を踏むことはないはずなのだ。
はモネの提案に目を瞬かせた。
どうやら盲点だったらしい。
「ああ、浮気だろうが何しようが目くじらは立てないといった手前
スルーしようかと思ったのですが、そうですね、一言言うことにします」
の表情に仄暗い喜びが滲んだ。
「面と向かってお前の品性は最低最悪のゲス野郎だと、
多少オブラートに包むにしても公衆の面前で罵ることができるのは気分がいいですね。
ええ。夕食の時にでも冷や水を浴びせてやります。物理的には無理ですが」
はそう言ってチョコレートを優しくつまむ。
返って上機嫌になったを見て、
モネはおそらく荒れるのであろう夕食を思い小さくため息を吐いた。
※
夕食はどこか異様な雰囲気で始まった。
それぞれが話し始めながらも、時折とヴィオラに目を配らせている。
年少者はどこか大人たちの中での不穏な雰囲気を感じ取ってか会話をするものは少ない。
は夕食が始まってなお一切ナイフとフォークには手をつけず、
円卓で隣り合うドフラミンゴを横目で一瞥した。
「陛下。確かに私はあなたの振る舞いにうるさく言うつもりは無いと言いましたが、
今回のことに関しては少し思うところがありますよ」
一斉にとドフラミンゴに視線が集まった。
ヴィオラは一度大きく肩を震わせたが、そのまま食事を続けている。
ドフラミンゴは口角を上げた。
「フッフッフ! なんの話だ?」
例によってしらを切ったドフラミンゴに、
は珍しく、はっきりとした微笑みを浮かべた。
「心底軽蔑いたします」
微笑みとは裏腹、ドフラミンゴとは目も合わせず呟かれた、恐ろしく冷え切った言葉に、
シン、と食卓が静まり返る。
ドフラミンゴの顔から笑みが消えた。
ヴィオラは蒼白な顔でを見つめている。
は笑みを浮かべたまま、立ち上がると一礼した。
「おい、、」
「食欲が失せました。お先に失礼いたします」
制止の声にも振り返らず、颯爽と出て行ったを、皆呆然と見送っていたが、
ドフラミンゴは立ち上がると、の後を追いかけて行った。
※
は言葉少なながら、言いたいことを言えたと
静かな達成感に浸っていた。
今日くらいはかつての自室で過ごすことを許されるだろう、と、
王の寝室とは反対側の廊下を歩いていると、後ろから腕を掴まれる。
腕の主はドフラミンゴだ。
は内心意外に思った。
まさか追いかけてくるとは思っていなかったのである。
また、朝食の時を除いて、ドフラミンゴが笑みを忘れた様子を見せるのは珍しい。
掴まれた腕を見やり、無言のままドフラミンゴを見上げると、ドフラミンゴが口を開いた。
「怒っているのか」
「なんの話ですか?」
は惚けて首を傾げて見せる。
ドフラミンゴは口を噤んだ。
「・・・」
「お話が無いなら、失礼したいのですけど」
「こっちはお前の寝室じゃねェだろ」
は眉を上げる。
「あなた、私に”妹とあなたが寝た寝具”で眠れとおっしゃるので?」
言外に滲ませた怒りは正確に伝わったようで、ドフラミンゴはの腕を離した。
それからしばしの沈黙の後、口を開く。
「・・・すぐにでも取り替えさせる」
「へぇ、左様ですか」
関心の無さそうな返事をして、はドフラミンゴから顔を背けた。
「悪かった」
だいぶ不服そうな声色であったが、ドフラミンゴは謝罪を口にした。
思わずは弾かれたように顔を上げる。
藤色の瞳は信じられないものを見るようにドフラミンゴを射抜いていた。
流石にいつもの無表情とその差は歴然としていたようで、ドフラミンゴは眉間の皺を深くしている。
「なんだ、その顔は」
「あなたは謝罪を口にしたら死ぬ病でも患っているのかと思っていました」
「あァ?!」
ドフラミンゴはのあんまりな発言に声を荒げたが、
そもそもの発端を思い出してかすぐに黙り込んだ。
は不思議そうにドフラミンゴを見上げた。
「それに私にどう思われたところで、あなたは痛くも痒くもないでしょうに」
ドフラミンゴはの言葉に何を思ったのか、無言でを見下ろしている。
その沈黙は肯定を意味しているわけでは無さそうだった。
サングラスに隠れて表情が読みにくいが、そこにはどこか、戸惑いのようなものが伺える。
その反応に、はますます意外だと思った。
攻め落とした国の王族の女など略奪者にとっては玩具に等しいのだと思っていた。
玩具にどう思われたところでどうでもいいのだろうと。
しかし、ドフラミンゴの反応を見るに、そういうわけではないのだろうか。
疑問を覚えたは尋ねようとした。
「違うのですか?、へい、」
陛下、と続きそうな言葉が唇で塞がれる。
口づけはさほど深いものではなかった。触れて離れただけだった。
は唖然としてドフラミンゴを見上げる。
結婚式と、閨事での愛撫じみたものを除いて、キスをするのは初めてだった。
ドフラミンゴはを見下ろした。
「・・・友好的に接するのが望ましいと言ったのはお前だろう」
「・・・そうするのが難しい状況を作ったのはあなたです」
は少し訝しむように眉を寄せた。
それをどう捉えたのか、ドフラミンゴはバツが悪そうに続ける。
「おれは謝った」
「そうですね」
「・・・」
「・・・」
なんだこれは。
重苦しい沈黙が二人の間によぎる。
は状況の意味することがよく分らなかった。
具体的にドフラミンゴが何をしたいのかが理解できない。
だがひとまず、ドフラミンゴがどうも反省とか謝罪らしき行動を見せていることから、
とりあえず溜飲を下げたというポーズはとっておくべきだろうと、
妥協することにした。
「明日のドレスローザはよく晴れるそうです」
「・・・そうか」
ドフラミンゴは話を変えたに頷く。
「私の庭園では薔薇が見頃です」
「ああ」
「朝食に、茹でたエビとたまごのサンドイッチはいかがですか」
ドフラミンゴは相変わらず表情の浮かんでいないの顔を眺める。
引き結ばれていた唇が弧を描いた。
「・・・良いだろう。フッフッフッフ!」