ひまわりの憧憬 菫の涙


「モネ。どう思いますか?
 許されたとでも思ってるんでしょうか、あの男。
 何がしたいのかさっぱり全くわかりません」

つつがなくいつも通りの朝食を終えた後のお茶会で、は首を捻っている。
緑茶の入ったカップを傾ける様は涼しげだ。

今日のお茶請けはせんべいと羊羹。
ドフラミンゴが上納金を納めた際にセンゴクから宛てに言付けられて送られたものだった。

モネはが羊羹を丁寧な所作で切り分ける姿を見て、
この一件はとりあえずの落着を迎えそうだと内心で胸を撫で下ろした。

「若様はあなたの気を引きたかっただけよ、多分・・・。
 あなたは若様を放っておいても平気だし、全然嫉妬したりしないでしょ。
 かと言って、あなたは若様を嫌うようなそぶりを見せることはない。
 どう扱うべきか、考えあぐねているんだと思うわ」

モネの言葉に、は眉を顰めた。

「私を”お飾り”にでもしてくれるなら、少しは精神衛生上楽なのですがね」
「若様はあなたが女性しか愛せないことを、知らないから、」

モネは途中で言葉を飲み込んだ。
これを言えば、は決していい気はしないだろう。

だが、はモネの逡巡を許さなかった。

「なんです? モネ、はっきり言いなさい」
「・・・あなたを籠絡した方が、今後都合がいいと判断したんじゃないかしら」

は鼻白んだ様子でソファの肘掛にもたれかかり、
苛立ちに声を荒げた。

「言っておきますけどね、
 私が異性愛者だとしても妹と寝る夫なんて死ねばいいのにって思いますよ。
 あなた、妹がいるのならわかるでしょう?!」

モネはの剣幕にも怯むことはないが、
そういう状況を想像したらしく、と同様に顔を顰めていた。

「・・・ええ、もしあなたと同じことをされたら、夫を殺すわ」
「そうでしょう!? 八つ裂きですよ、気分的には! 逆効果です! 逆効果!」

はせんべいを袋の上から叩き割っている。
何が見立てられているかは一目瞭然だったが、モネは見て見ぬ振りをして、
自身も羊羹に手をつけた。

「あら、これ、すごく美味しいわ」
「センゴクが寄越してくるお菓子はだいたい美味しいですよ、
 やはり元帥は違いますよね」

は冗談めかして告げた後、小さく息を吐いた。

「・・・あの男に恋ができたなら、話が少しは簡単だったのでしょうか」

それは、ふと漏らしてしまった言葉に聞こえた。
モネはのうつむいた顔を見つめる。

「・・・あなたはどうして、スカーレットに恋をしたの?」
「”どうして?”・・・そうですね、」

は少し考えるそぶりを見せる。
何から話そうか考えているようだった。

「私は見ての通り、表情の乏しい人間で、」

はカップをソーサーにおいて、喋り始める。

「それは昔から、幼い子供であった頃からそうでした。
 生まれついてのことなのですが、口の悪い使用人や民衆などには色々と言われましたよ。
 子供らしくない。異常だ、変だ、と。勉強に熱中してからもそうです。
 ガリ勉、幽霊憑きだとも言われました。別にそれを苦にしたことはありませんが」

の口ぶりは淡々としていた。
どうやら、過去になじられたことはにとって本当にどうでも良いことだったらしい。

「なぜなら、学ぶべきことは山ほどあって、そしてそれが楽しくて。
 当時、私は骨と皮のような有様でした。食べる時間も眠る時間も惜しかった。
 ふふ、・・・信じられないと言う顔ですね、写真を後で見せてあげます」

今のからは考えられない、とモネは瞬いた。

今はどんなに忙しくても規則正しい生活を心がけているし、
かなり自分の外見や印象に関して厳しくコントロールしているにも、
そんな頃があったとは。

驚嘆するモネには眦を緩めた。

「彼女は、そんな、やせ細って頭でっかちで、おかしな子供にも優しく、
 いつも気にかけてくださった。
 私のことをとやかく言う人達を叱ってくださいました。
 その時はまるで自分の悪口を聞いた時のように怒って・・・、」

スカーレットについて語るの顔には、うっすらとした笑みが浮かぶ。

「私と違って表情が豊かで、素直で、愛情深くて、
 彼女は私の持っていないものを全て持っていました。太陽のような方だった」

モネは微かに眉を顰めた。
こうして聞くと、はスカーレットを崇拝しているようにも聞こえる。
その内心がにもわかったのか、は口角を上げた。

「ふ、ふ、ふ。こうして言うと、
 まるで私が彼女を女神のように崇めているように聞こえるでしょうが、
 欠点も多い方でしたよ、彼女は。向こう見ずで直情的でした。
 こうと決めたら決して曲がらぬ頑固者で、
 ・・・しまいには王族としての務めを捨てて、庶民に降嫁し娘を産みました」

モネは沈黙を続けた。
は皮肉めいた笑みを浮かべる。

「ありえないことです。愚かだと思います。
 ですが、それが彼女にとっての幸せだったのですから、誰も止めることはしませんでした」

「・・・その時、あなたはどうしたの? 気持ちを伝える気は、」

は首を横に振った。

「ありませんでした。もちろん。彼女を混乱させるだけですから。
 私は祝福しましたとも、主導になって彼女に、身内だけでの結婚式を挙げさせました。
 ・・・本当は祝福したかったと言うよりも、
 私がただ単に彼女の花嫁姿が見たかっただけですけど、」

モネはの顔に浮かぶ憧憬に、胸を痛めた。

は確かに、恋をしていた。もしかすると、今でも。

「でも、どうして恋をしたのでしょうね。私にも、わかりません。
 強いて言うのなら、”彼女が彼女であったから”でしょうか」

は不思議なことに、どこか晴れやかささえ滲ませて笑う。

「実の姉に、したくてする恋など、ありませんからね」
、」

思いの外悲しげな声が響いた。

は瞬いたかと思うと、モネにはっきりとした笑みを作って見せる。
は怒っていた。モネの同情を許さなかった。

「・・・なんだか悲しくなってしまいました。
 あぁ、このままではきちんと妻の役目が果たせるか不安です。
 あの男の前で武器を手にわめき散らしてしまうかも知れない。
 せっかくうまくやっていけると思ったのに」

は立ち上がり、なおも痛ましげに眉を顰めたモネの頰を両手で包んだ。

「慰めてください、モネ。あなたに私を哀れむ心があるのなら」



ヴィオラはの自室を訪れていた。

どう言うわけか、ヴィオラにつけられた監視は緩み、
新しい寝具が届くまでかつての自室で過ごしているを訪ねることができたのだ。

はどこか怯えた様子のヴィオラを、平然と迎えた。
暖かな紅茶を入れてやり、ソファにヴィオラを座らせる。

ヴィオラは紅茶を口にしたことで少しは安堵したらしく、
向かいに座ったを見つめ、頭を下げた。

お姉さま、私、・・・ごめんなさい」
「謝らないでください。ドレスローザを思って、したことでしょう?」

ヴィオラは弾かれたように顔を上げた。
はわずかに苦く笑みを浮かべる。

「あの男の要求がエスカレートする前に手を打つ必要があったので
 ああいう言い方をしただけのこと。
 ・・・でも、あまり賢い行動ではなかったですね」

ドフラミンゴはヴィオラの能力を承知だから、きっと大した情報は得られなかったでしょう。
はそう続けた。

ヴィオラはの挙動から、やはり、はドフラミンゴに無理矢理
妻にされたのだと悟り、目に涙を浮かべた。

「・・・お姉さま、」

だが、近頃はそんなドフラミンゴと朝食を共にし、会話も弾むようになっている。
ヴィオラははっきりとの真意を確かめるべく、問いただした。

「お姉さまは、ドフラミンゴをどう思っているのですか」
「え?」
「私はてっきり、・・・その」

瞬いたはヴィオラの言いたいことを悟ってか顎に手を這わせた。

「あぁ、私があの男に絆されてあなたに嫉妬したと思った?」
「・・・」

ヴィオラは沈黙で肯定する。
は何かに思い当たる節があったのか、考えるそぶりを見せた。

「そう見えましたか、道理で、」

「お姉さまの考えていることは、・・・わかりません。
 昔から。結果が成されて、初めてお姉さまの考えていることを理解する。いつもそうです」

は落ち着いていた。ずっと変わらなかった。
取り乱したのはスカーレットが死んだと聞いた時だけだった。
しかしそれですら一瞬の出来事だった。

「・・・なぜ平気でいられるのですか」

気づけばそんな言葉が、涙と共にこぼれ出た。

「スカーレットお姉さまを殺したあいつと結婚して、
 苦労して作った会社まで奪われて、幹部たちには好奇の目を向けられ、罵られ・・・!
 それなのにお姉さまは平気な顔をしておられます、なぜですか!?」

はこんな時でも、無表情のまま、立ち上がったヴィオラを見つめている。

その時ヴィオラはのことが、なぜだかたまらなく憎らしく思えた。

冷静なを見ていると、怒りを覚え、涙することは馬鹿馬鹿しいことのようだ。
そうしなければ、自分の心を保つことができないのならどうすればいい。

「・・・私がお姉さまなら、多分正気でいられないわ!」

「私が正気に見えますか」

聞いたこともないような声だった気がした。
ヴィオラは思わず聞き返す。

「え?」
「ならいいのです」

しかし、は常と変わらぬ無表情で、
そっと立ち上がると、優しくヴィオラの涙を拭う。その手つきはどこか甘やかですらあった。

「・・・辛いことを話させましたね、ヴィオラ。
 私を信じられない気持ちはわかります。
 できる限り冷静でいようと、努めていることが仇になったのかもしれません」

ヴィオラは眉を顰めた。首を横に振って、にすがるように謝罪する。
はヴィオラの背を撫でながら、宥めるように言った。

「ごめんなさい、」

「いいのです。私があなたでもきっと怪しんだと思います。
 ただ、間違いなく新聞が書き立てたことは嘘ですし、
 私はスカーレットお姉さまを愛していました、心から。・・・これは本当のことですよ」

はあっさりとヴィオラを許したように見えた。

それから、とヴィオラは久しぶりにたわいもない話をして、
さほど遅くならない時間にはヴィオラを送り出し、小さくその手を振った。

だが、ヴィオラは数年後、この時の会話を永遠に後悔することになる。

なぜならヴィオラがドフラミンゴと褥を共にし、情報を抜き取ろうとしたことを知った時よりも、
食事の席でドンキホーテ・ファミリーの好奇の目に晒された時よりも、

おそらく、その時、はヴィオラに対して失望したのだ。