庭園で朝食を


ドフラミンゴは夜を共にした女がベッドから起き上がり、
部屋を出ていくのに気がついて目を開いた。

まだ早朝と呼ばれる時間である。

ドフラミンゴの支配をあっけなく受け入れたリク王家の第二王女、
リク・は外海にも名高い美貌の賢姫として知られていた。

ドフラミンゴがドレスローザを奪わなければ、
ゆくゆくはがドレスローザの女王として君臨しただろう。

はスカーレットの死を知った時には憔悴した様子を見せたが、
そのあとは取り乱すこともなく、ドフラミンゴに恐ろしく従順だった。

ドフラミンゴらが計画したおとぎ話じみた茶番に沿った言動をとり、
内政の劇的な変化にも国民を対応させようと”王妃”と言う立場で懸命に奔走している。

賢く、物分かりの良い女は嫌いではない。

しかしドフラミンゴはどこかという女のとる行動が腑に落ちないでいた。
の妹であるヴィオラのように護衛には本心を吐露したり、
時折ドフラミンゴを怒りの篭った眼差しで射抜くのならまだ理解できる。

が、は概ねドフラミンゴの要求を粛々と受け入れているのだ。
ドフラミンゴは少しの好奇心から、身なりを整えるとの行く先を探してみることにした。

図書室、礼拝堂、食堂など、散歩を兼ねて王宮を歩き回ると、ふと、木漏れ日が目に入った。

プールの庭の反対側。設けられた庭園に、ドフラミンゴは足を踏み入れる。
誰が手入れしているのかは知らないが、四季の花々が計算され尽くした配置で咲き誇っていた。

盛りの時期なのか特にバラが見事だった。朝露に濡れる花弁はみずみずしく鮮やかだ。
様々な色彩のものが植わっていたが、ふと、金とも茶ともつかない大ぶりな品種に目がいった。

朝の日差しに発光しているようなそのバラに、思わず手を伸ばしたドフラミンゴへ、
落ち着いた声が呼びかける。

「怪我をしますよ」

ドフラミンゴが振り返ると、手袋をはめ、鋏を持ったが佇んでいる。

「そのバラ、”ジュリア・クレメンツ・ローズ”は棘が鋭いのです。
 手折るのであれば、私が」
「いや、いい」

ドフラミンゴは首を横に振り、少しの沈黙の後、に尋ねた。

「この庭はお前が?」
「ええ、私が息抜きに作ったものです」
「息抜きには見えねェなァ・・・」
「そうですね、少し・・・やりすぎましたね」

自身も自覚があるのか作り上げた庭園をどこか遠い目でみやる。
アーチにかかる蔓薔薇の葉がの頰に影を落とした。
ドフラミンゴはそれを眺めると、もう一度庭園に目を向ける

「奥にもあるのか」
「ええ。・・・案内が必要ですか?」

の提案に、ドフラミンゴは頷いていた。



庭を進めば進むほど、それが手をかけて作りあげられたものだということがわかって、
ドフラミンゴは呆れていた。

「・・・どう考えてもこれを”趣味”とは呼べねェだろ」

「まぁ、ここの植物を使って、
 商品開発や実験のようなこともしていましたから、
 そういった意味では”趣味”ではないかもしれないです」

は手放した会社のことをなんでもないことのように口にして、歩き続けた。
ドフラミンゴはその後ろ姿を眺める。

王族でありながら会社を起こしたバイタリティの持ち主。
ドレスローザの財政を立て直した辣腕の賢姫。
武芸にも秀で護衛いらず。それでいて容姿端麗。

女王になればその治世は盤石なものになるだろうと、
かつてドレスローザの期待を一身に背負っていた女。

ドフラミンゴがドレスローザを調べている間、
については薄ら寒いほどの良い評判しか聞かなかった。
自信家で勝気な姫を想像していたが、実際に見れば静謐な印象の女である。

しかし閨事では拙いながらドレスローザの女らしく情熱的に振る舞って見せる。
どちらが本性なのかはまだわかりかねていた。

が時折花々の説明をしながら庭園の奥に進むと、開けた場所に行き当たった。
煌びやかな庭園の果てにあったのはアールデコ調の装飾を施された温室だ。

「温室の影には菜園があります。
 あと、このあたりはハーブ類ですね。
 食用のものが主ですが、ラベンダーなんかは花も綺麗ですよ」

「誰かに手伝わせてたのか?」

ドフラミンゴが尋ねると、は頷く。

「もちろん。昔は小人に手伝ってもらっていました。
 最近ではあなたの商売の方に人手を割いているので、もっぱら人間の手に頼っています。
 私も少し暇になりましたので、こちらに顔を出せるようになりましたし」

ようやくからドフラミンゴに対する不満のようなものを感じ取ることができた。

小人を奴隷のように働かせることをは気に入っていないようだった。
もちろん、人質のことを考えればドフラミンゴに逆らえるはずもなく、
は食い下がることもなかったのだが。

「フッフッフ! 不満があるなら言ってみろ、聞くだけ聞いてやってもいい」

不満を露わにしてくれたならやりやすい。
好き嫌いはともかく関心をドフラミンゴに向けることが出来たなら
籠絡することは難しくない。

ドフラミンゴは新しくできた”妻”というおもちゃに構うことを楽しんでいた。

しかし、から返ってきたのは淡白な答えだった。

「正直なところ、最初は少々困りましたが、よく考えれば別に、どうでも」

は庭園を眺める。完璧に計算尽くされた箱庭を。

「私は美しいものが好きですし、植物を育て実らせるのも楽しく思っていますが、
 完璧主義では無いので。多少失敗したところで、構いません。
 庭園も、商売も、そもそもただの道楽です。・・・商才だけはあったようですが」

ドフラミンゴは目を眇めた。
これを言葉通りに受け取るべきではないだろう。が、
は存外のめり込みやすい性質なのかもしれないとは思う。

はドフラミンゴの無言をどう受け取ったのか、話題を変えた。

「・・・植物はいいですよ。適切に手をかければ、手をかけただけ花が咲き、結実します。
 そして何より没頭できる楽しい作業です。会計の仕事よりはよほど」
「おい」

会計はドフラミンゴが現在にやらせている仕事である。
思わず声をあげたドフラミンゴに、は「おっと」と口元を抑える。

「いけませんね、私は冗談がうまくないので」

は小さく口の端を歪めた。苦笑したようだった。

「・・・立ち話もなんです。木陰にテーブルと椅子がありますので、
 お茶、いえ、少し早いですが朝食をいかがですか?」



庭園を一望するテラス席に、ドフラミンゴとは向かい合って腰掛ける。
ドフラミンゴはどうも調子を狂わされていることを自覚していた。
はでんでん虫で使用人に朝食の用意を頼むとドフラミンゴに向き直り、首を傾げた。

「珍しいですね、あなたがあまり笑わないのは」

ドフラミンゴは指摘されてサングラスの下瞬くと、ぐい、と口角をあげてみせた。

「お前の鉄面皮が移ったのかもなァ、フフフフフッ」
「そうですか。どちらかといえばそちらが素のように思えたので、
 よろしいかと思ったのですが」

の言葉に、ドフラミンゴは黙り込んだ。

やはり調子が狂う。

「話は変わりますけれど、あなたは植物を育てないのですか?」
「は?」

思っても見ない話題だ。
訝しむドフラミンゴに、は怯むことなく続けた。

「得意そうに見えます」
「どこが、」
「人を育てるのが得意な方は、植物を手入れするのが上手です」

ドフラミンゴは頬杖をつき、を皮肉げに見遣った。

「それが実感に基づいての感想なら、お前は随分な自信家だな」
「お褒めの言葉と受け取りましょう」

「失礼致します陛下、王妃様」

一言断りを入れて、ドレスローザの使用人が朝食を運んできた。
は使用人から受け取った紅茶のカップを上品な所作で傾ける。

紅茶とサンドイッチ、ヨーグルト、果物の類がみるみるテーブルの上に広がった。
使用人の慣れた様子からして、がこの庭園で食事をとることは珍しいことではないらしい。

「話の続きですが、サボテンなら手入れも簡単なものがありますよ」
「おい、勝手に話を進めるな」

使用人の登場によって話題を変えるのかと思いきや、
はやけにドフラミンゴと植物の話題にこだわった。

「・・・だいたい、なんでサボテンなんだよ」

困惑するドフラミンゴに、はいちごを摘みながら答える。

「あなたに似ていますので」
「・・・あ? どういう意味だ?」

「あなたがよくお召しになっている羽のコートを着た時の、
 後ろから見たシルエットが」

ドフラミンゴはあっけにとられていた。
は手で丸い形を作って説明を続ける。

「こう・・・丸くて、トゲトゲしている。似ていると思います。
 よく手入れしますと、花も咲きますよ。いかがですか?」

ドフラミンゴはこめかみを抑えた。

「ふ、フッフッフッフッフッ!!!」

一瞬くだらない想像が頭をよぎったのだ。

例えば目覚めてすぐに、枕元のサボテンに呑気に水をやるドフラミンゴ。
花が咲くのを待ち望む自分を。

我ながら全くあり得ない風景だと頭を振ったが、
の脳裏に浮かぶのも似たような想像なのだろうか。

「ふざけてるのか?」
「実は、少し」

声色低く脅してみるも、返ってきたのはうっすらとした微笑みだ。
それも、どこか面白がっているような色さえ見える。

眉を顰めたドフラミンゴに、は核心に迫る話をした。

「あなたは私を無理やり妻に娶りましたし、
 ・・・私は家族を不本意に失いましたが」

は淡々と、思うところを打ち明ける。

「現状、私はあなたに従わなくてはなりませんし、そうするべきだと思います。
 でしたらできる限り友好的に接したいと思っているところです。
 何しろ、我々はおとぎ話にでもなりそうな、”ロマンスを結実させたおしどり夫婦”という設定?
 なのですから」

少なくとも敵対するようなことはしたくない、ということだろう。
ドフラミンゴは眉をあげ、の希望を揶揄して見せた。

「ほう? おれに良き夫になれと?」

「いえ、そこまでは期待しておりません。全く。
 あなたはそういうことに不向きだと思います」

全く忖度のない口ぶりに
ドフラミンゴの口の端が引きつった。

「私とあなたとの間で少なくとも険悪なそぶりは慎みたいと、
 そういう話をしているのです」

は落ち着いた様子で言葉を続ける。

「ですから、私を放っておこうがどうしようがご自由にされて構わないですし、
 うるさく言うつもりはありませんので、振る舞い自体は好きになさったらよろしいかと」

はドフラミンゴが唇をへの字に曲げていることに気がつき、
首を傾げた。

「あの?・・・なぜ不服そうな顔をするのです?
 私は最大限譲歩しているつもりですし、
 あなたにとっても悪い条件ではないと思うのですが」

「黙れ」

ドフラミンゴ自身、自分が”良き夫”などというものに向いているとは思わないが、
自覚があるのと、それを他人から指摘されるのとでは話が違う。

ピシャリと話を打ち切ったドフラミンゴに、
は「何を怒っているのでしょう」と言わんばかりの表情を浮かべているが、
それでもドフラミンゴの要求を飲んで、口を噤んだ。

紅茶を傾け、サンドイッチに手を伸ばす。
ドフラミンゴは頬杖をつき、静かになったを眺めた。

どうやらこの女は思いの外、喋る時は喋るらしい。

表情の乏しいドレスローザの第二王女。
賢姫と呼ばれる理由の一端はその挙動からも伝わった。
には一切の隙がない。ほころびが全く見えない。

リク王家の権力を理不尽に奪い、姉であるスカーレットを殺した男を部下にもつドフラミンゴに対して、
全く憎悪や殺意、嫌悪感すら伺うことができないのだ。
は言葉では複雑な心境を語るものの、挙動や表情は静かなものである。
まともな女なら肉親を殺した相手と、こうも自然に会話はできまい。

「お前は・・・」

ドフラミンゴはに漠然と何かを問いかけようとした。
だが、ふさわしい疑問がすぐには出て来ず、一度言葉に詰まる。

藤色の瞳がドフラミンゴを見上げた。
情熱という言葉とは程遠い、何の感情も乗っていない瞳だった。

「お前はドレスローザの女らしくない女だな」

は瞬き、首を傾げる。

「生まれも育ちもこの島ですよ」
「この国の女は恋に情熱的で、嫉妬深く、
 男が裏切ろうものなら刃傷沙汰になりかねないほどだと聞いたが?」

「あぁ・・・、なるほど」

ドフラミンゴの言葉には顎に手を這わせる。

「確かに、その条件に、私は当てはまりませんね」

のどこか皮肉めいた返事に、ドフラミンゴは小さな引っ掛かりを覚えながらも、
その時は気にすることさえしなかった。

二人は穏やかな空気さえ漂う朝食を終えた。
確かに側から見れば、仲睦まじい夫婦に見えるだろうが、
その内心は、当事者にしかわからない。