ブリキの感傷 嘘の代償


ドレスローザがドフラミンゴの国になって変わったことと言えば、
治安の維持を名目として夜12時消灯、以降の外出が禁止となったこと。
そして何より生きたおもちゃの存在である。

今や彼らは人間と変わらぬ存在として、ドレスローザに息づいていた。
それも無理からぬ話だ。
大半のおもちゃの正体は人間なのだから。

ドンキホーテ海賊団に属するシュガーという能力者は
生き物を自分に逆らうことのできぬ、おもちゃに変えることができるのだ。

主におもちゃに変えられるのはドフラミンゴに逆らった人間、猛獣などで、
彼らは夜通し働かされている。
ドレスローザの公共事業のほとんどはおもちゃによって成されていて、
いつの間にか、人間はほとんど働かなくても生活できるようになっていった。

キュロスもまた、おもちゃに変えられた人間の一人だ。

ドルド3世がとドフラミンゴとの結婚を認めず、
国王軍と傭兵たちとともにドンキホーテ海賊団に立ち向かった日、
キュロスも国王軍の中に居た。

ドフラミンゴはあろうことかキュロスを配下に加えようとしたが、
キュロスは当然のごとくそれを拒んだ。

捕らえられ今にも処刑されそうだったドルド3世を足を犠牲に助け出したが、
シュガーによってオモチャの兵隊に変えられてしまい、
死に際の妻、スカーレットにも自分のことを忘れられてしまった。

今はスカーレットの忘れ形見のレベッカを育て、
守ることがキュロスにとっての生きる意味である。

おもちゃとなってしまえば衣食住は必要ないが、レベッカはそうではない。
レベッカを食べさせるために、昼も賃金が出る場所で労働をした。

港でキュロスは積み荷を運ぶ仕事を終え、レベッカの元へと帰ろうとした時だった。

「オモチャの兵隊さん。あなたに手伝って欲しいことがあるのです。
 お時間、よろしいでしょうか」

誰かに声をかけられた。
そう珍しいことでもないが、どこか聞き覚えのある声だとは思った。

「やや、いかがいたしました、か・・・?」

おもちゃらしくおどけて振り返ると、
そこに居たのはフードのついたマントを着た、ドレスローザの王妃、だった。

思わず唖然としたものの、おもちゃは表情を変えることができない。
は淡々とキュロスに言い募る。

「荷物を持つのを手伝っていただきたいのです、
 ドレスローズ本社まで、おいでいただけますか?」

の足元には、一人でどうやって運んできたのかわからぬ量の紙袋が並んでいた。

「もちろん。喜んで!」

キュロスは明るく頷いてみせる。

ドレスローザがドフラミンゴに支配されるきっかけを作ったについては、
キュロスは釈然としない心持ちである。

ドレスローザの市民たちは大抵が賢明なの大恋愛を祝福したが、
恋に狂い、父親を失墜させた愚かな女と詰るものも、少なくはない。

無論、新聞の書き立てた顛末が本当のことなら、
もまたキュロスにとっては敵ということになるだろう。

だが、キュロスはどうも腑に落ちないでいる。
かつては弟子でもあったのことは、よく知っているつもりだった。
今でも疑問なのだ。
あの冷静で強かなが、果たして海賊と恋に落ちることがあったのかと。

ドレスローザの港から高速船に乗り、ドレスローズ本社まで向かう。
テーブルを挟んで向かい合うと、は窓枠に肘をかけて頬杖をついた。

キュロスはに声をかける。

「まさか王妃様がお忍びで出歩かれているとは! 驚きました」

探りを入れるキュロスに、は頬杖をついたまま、小さく口角をあげた。

「実は私、今もドレスローザ本社にいることになっています。
 ジョーラが今日の護衛だったのですが、
 彼女にはちょっと化粧品と社員の実験体になってもらいましてね。 
 時間を作ることができました・・・私はあなたに会いに来たのですよ」

キュロスは沈黙した。

「ヴィオラにレベッカの居場所を探らせたところ、
 あなたが彼女を匿ってくれていることがわかりましてね」

「レベッカを、どうするつもりですか?」

緊張で声が硬くなるのがキュロス自身にもわかった。
は穏やかに答える。

「できる限りの援助と、安全な場所への避難を」

ハッと顔を上げたキュロスに、はため息を零した。

「彼女には、しなくても良い苦労をかけました。
 ・・・あなた、おそらく元々はリク王家にゆかりのある人間なのでしょう?
 もしかしたら、言葉を交わしたこともあったのだろうかと思うのですが、」

キュロスは息を飲む。
きっとこの賢明な姫君は、キュロスの正体におおよその見当をつけているのだ。
たとえその記憶に、キュロスのことが残ってはいなくとも。

「・・・はい」

その証拠に、絞り出すように答えたキュロスにはわずかに眉を顰めていた。

「ああ、やっぱり。・・・では、私のことは憎らしく思っているでしょうか。
 王女の身分にも関わらず海賊と恋に落ちた、愚かな女と」

「・・・それは、本当のことなのですか?」

自嘲するに、キュロスは思わず問いただしていた。

「あなたは仕事に忙しく、武芸を学ぶのにも勉強をするのにも積極的でしたが、
 恋人や伴侶を持つことには消極的だったように、思うのですが」

は少しばかり目を瞬くと、目尻を微かに緩めたように見える。
その唇から、吐息のような笑い声がこぼれた。

「ふふ。あなた、本当に私の近しい人だったのですね」
「・・・! では、あなたは、」

「私があの男に出会ったのは、あの新聞が発行された日のことです。
 それまで言葉を交わしたこともありませんでした。
 ・・・逆らえば国民も家族も皆殺すと、」

の言葉に、キュロスは愕然としていた。
やはりは無理矢理、ドフラミンゴの妻にされたのだ。
そして、の話が本当なら、

「スカーレットは、」

キュロスの声は震えていた。

「スカーレットは、あなたへの見せしめのために殺されたのですか、」

の顔に、はっきりと苦悶の表情が浮かんだ。

「私を殺してくれれば良かったのにと、今でも思います」

瞼を抑えたに、キュロスは言葉を失っていた。
はそのまま、淡々と述べる。

「姉の次は妹。妹の次は父、そして国民・・・。
 ドフラミンゴはやろうと思えば、簡単に手をかけたでしょう。
 言い訳になりますが、逆らうことはできませんでした。
 でも・・・納得が、いかないでしょうね、きっと、」

「いいえ。・・・いいえ!」

キュロスは首を横に振る。

常にドレスローザの繁栄を願っていただ。
国民を危険に晒すことはできないと、
まるで人身御供のようにドフラミンゴの伴侶になったのであろう。

キュロスはの内心を慮ると、痛むはずのないブリキの胸が痛むような気さえした。

「よく、耐えていらっしゃいました・・・!」

誰にも弱みなど打ち明けることはできなかったのではないだろうか。
華やかなよそ行きの笑顔の下で、どれほどの心痛に苛まれたことだろう。

嘆くように頭を下げたキュロスに、はしばらくの沈黙の後、可笑しそうに笑った。

「・・・ふ、ふ、ふ。頭を上げなさい。私のことはいいのです。
 レベッカのことを考えましょう」

は話を進めようと、キュロスに向き直った。
それから、少しばかり困った様子を見せる。

「しかし・・・弱りましたね。おもちゃはドレスローザから出ることができません。
 シュガーの能力圏内を出ると、動けなくなってしまいます。
 ドレスローザにいるよりは、国外に逃げた方が良いと、思っていたのですが」

は計画の一端をキュロスに話した。
かつてのビジネスパートナー、アルビオン・メルシエのつてを頼り、
国外へとレベッカを連れ出す。それがの考えだった。

キュロスが人間だったならば、大手を振って賛成できた。
レベッカと一緒に逃げることもできるだろう。

しかし、キュロスは今はおもちゃである。
の言うとおり、シュガーの能力圏内を脱すると、おもちゃは動くことができなくなり、
やがて人格は失われ、”本物のおもちゃ”になってしまうのだ。

キュロスはしばし悩んだが、答えを出した。

「・・・構いません。彼女が無事に過ごせるのなら、共に過ごすことはできなくてもいい」

レベッカが無事に成長できるなら、それでいいと思った。
それに、懸念すべきことは他にもある。

「今は捜索を打ち切られているとはいえ、レベッカはスカーレットによく似ている。
 ・・・これから彼女が成長すれば、身分を隠し通すのは難しくなるでしょう。ただ、」

言い淀んだキュロスに、は首を傾げた。

「ただ?」

「彼女には、護身の術を教えたい。
 それだけが、私にできることなのです」

それ以外に、キュロスがレベッカに残してやれることはない。
人間であればレベッカに剣など持たせることなく、守ってやれるのだが。

はその辺りの機微を汲んだのか、一人頷くとキュロスに尋ねる。

「どのくらいかかりそうですか?」
「今のペースなら、15になる頃には」

キュロスがいなくとも良くなるには、最低でも後5年は必要だった。
は難しい顔をしたが、了承した。

「・・・わかりました。それまでは金銭的に、あなたたちを援助いたします」
「そんな・・・! 助けていただけるだけでもありがたいのに!」

遠慮したキュロスに、は小さく微笑みかける。

「ふ、ふ。これでも私、商才には少し自信がありましてね。お金には余裕があるのですよ。
 やらせてください。私があの子に、してやれることというのは、それくらいしかありませんもの」

は嵌めていたグローブを外し、キュロスのブリキの腕をとった。
グローブの下には昔ほどではないが相変わらず、豆ができている。

キュロスは久方ぶりに、笑いたくなった。

「・・・鍛錬の成果も見て差し上げたいところですが、この体ではな」
「え?」

「いいえ、なんでも」

キュロスはの手を握った。
キュロスには体温も感触もないが、それでも力強く、握手に応えようと思ったのだ。



レベッカにとって、オモチャの兵隊というのは父親のような存在だった。
どう言うわけかレベッカの母、スカーレットのこともよく知っていたし、
何よりレベッカを育て慈しんだのは他ならぬオモチャの兵隊である。

夜だけは”オモチャの家”に戻るものの、それ以外はまるで家族のように共に過ごした。

剣も教わった。
スカーレットが「人を傷つけることは良くないこと」だと
きつくレベッカに言い聞かせていたのを思い出して、
レベッカは最初、必要ないと嫌がったのだが、オモチャの兵隊はそれを聞かなかった。

「お前が傷つかない方法を教えるのだ!」

そう口を酸っぱくしてレベッカに言い聞かせたのである。
その甲斐あってか、近頃は褒められることも増えた。それを嬉しく思っていたのだが、
最近、ある変化があった。

オモチャの兵隊はここ最近、鍛錬の際にの名前を出すことが増えたのだ。
は勤勉で、鍛錬にも熱心だった。
護衛いらずの姫君だったと、まるで指導していたような口ぶりで。

についてはレベッカも知っていた。
幼い頃には会ったこともある。おぼろげな記憶のその人は表情は乏しくも穏やかな人だった気もする。
が、町の人がについて語るとき、レベッカの記憶からは随分と違う印象の人間が浮かび上がる。

曰く、かつては会社を興しドレスローザの国庫さえも潤した辣腕の女。
曰く、ドフラミンゴと身分違いの恋を成就させた情熱的な女。
曰く、自らの恋のために父親を失墜させた愚かな女。

レベッカはが今もドフラミンゴの妻として王宮を闊歩していると聞き、
やり場のない怒りを覚えた。
どうして自分の恋のために、家族を見捨てることができるのだろう、と思った。

そして、15になった頃。
オモチャの兵隊と共にドレスローザの港で、その人と出会った。

フードで隠していてもすぐにわかる。
簡素な衣服で化粧も薄いが、確かにドンキホーテ・その人だった。

はレベッカの顔を見るや否や、眦を緩めた。

「・・・話には聞いていましたが、ここまで似ているとは。
 レベッカ、今まで苦労をかけましたね」
「・・・」

レベッカは答えに窮した。
の声には切実な響きがあるが、
そもそもどういう理由で荷造りをして港に呼び出されたのかも分からないのだ。
状況が分からずオモチャの兵隊に目を向けると、は眉を上げた。

「おや、兵隊さん、状況の説明をしていないのですか?」
「ええ、あなたから伝え聞いたほうが良いと思ったのです」

はオモチャの兵隊に少し呆れたような眼差しを向けたが、
やがてレベッカに顔を向け、真剣な声色で告げた。

「お逃げなさいレベッカ。あなたはこの国にいるべきではない」
「え?」

レベッカは突然のことに戸惑っていた。

「私でもあなたの居場所を調べられたのです。
 このままだと、いつ、ドンキホーテ・ファミリーの手がかかるとも限りません。
 兵隊さんとも相談したのですよ」

「本当なの、兵隊さん?」

オモチャの兵隊はレベッカに頷いてみせた。

「お前はお母様、スカーレットによく似ている。
 今の所見逃されてはいるが、見つかればドフラミンゴはお前が王族だとすぐに見抜くだろう。
 そうなれば、どんな目に遭うか分からない。
 様はそうなる前にお前を安全なところに逃がしてくださると言っているのだ」

はオモチャの兵隊の言葉の続きを引き受けるように口を開いた。

「私の古い知り合いに、アルビオン・メルシエという男がいます。
 彼なら・・・私の名前を出したならあなたを守ってくれるはずです」

差し出された一枚のチケットに、レベッカは困惑に眉を顰めた。
がレベッカを慮り、善意から逃がそうとしてくれているのは分かるのだが、
はオモチャの兵隊を勘定に入れていないように思える。

「待って、兵隊さんは・・・!?」
「・・・彼はドレスローザを離れることができません」

は目を伏せた。

「え・・・?!」
「レベッカ、・・・様の言うことを聞いてくれ」

瞬いたレベッカに、オモチャの兵隊は静かに告げる。
だが、レベッカは納得ができなかった。

「どうして?! 兵隊さんと一緒に居られないなら、私、この国に居るよ!」

「レベッカ、気持ちはわかりますが、
 お願いですから聞き分けてください。あなたのためなのです」

困ったようにレベッカを宥めようとするを、レベッカは睨んだ。

「私から兵隊さんまで取り上げないでよ! ”恥知らず”!」
「!」

は目を見開いていた。

「あなたがドフラミンゴと結婚したからこんなことになってるのに!
 罪滅ぼしのつもりなの!?」

船のチケットを突き返したレベッカに、は何も言えないでいた。
オモチャの兵隊は慌ててレベッカをたしなめようとする。

「レベッカ! 様になんて口を、」
「私は自分の恋のために家族を犠牲にするような人の手なんか借りたくない!!!」

「レベッカ!!!」

の表情が強張る。
オモチャの兵隊がレベッカの頬を張った。

様にも事情があるのだ! 何も知らないと言うのに、お前は、なんてことを!」

倒れたレベッカは頬を押さえ、オモチャの兵隊に目を向けた。
その目は涙に潤んでいる。

「・・・どうしてこの人を庇うの、兵隊さん、私、知ってるんだよ。
 この人がドフラミンゴと恋なんてしなければ、あいつらはこの国に来なかったんでしょ・・・?
 お祖父様だって王様のままだった!」

レベッカはを指差して叫ぶ。

「お母様だって死なずに済んだのに!」

は立ち尽くしていた。
顔色は蒼白で、何かを耐え忍ぶようだった。

やがて、藤色の瞳の端から涙がこぼれ落ちる。

「・・・本当に、その通りですね。あなたの言う通りです。
 私さえ、この国にいなければ、」

レベッカは、その時、取り返しのつかないことをしたのだと気がついた。
あまりにその声は悲しみに満ちている。

レベッカが眉を顰め、何か言いかけて顔を上げた時、
の後ろから影が落ちた。

が振り返ると、その瞳が驚愕に大きく見開かれる。
いや、だけではない。
その場にいた誰もが驚きを隠せずにいた。

港に低く、苛立ちを隠さない声が響く。

「黙って聞いてりゃ、おれの妻を侮辱するとはいい度胸だな、小娘」

ドンキホーテ・ドフラミンゴが、そこに立っていた。