嘆きの薔薇
「お前は知らんだろうが、はお前をいつも気にかけていたんだぜ、なァ?」
ドフラミンゴはレベッカに向かい、呆然と立ち尽くすを顎でしゃくって見せた。
「表立ってはおれに示しがつかねェと知恵を絞り・・・、
おもちゃの兵隊を通してお前のために金を工面してやってたのは我が妻だ」
レベッカの目が困惑に見開かれる。
いつの間にか周囲をドンキホーテ・ファミリーの構成員に囲まれている。
のささやかな反逆はドフラミンゴに漏れていたのだ。
ドフラミンゴはため息を零した。
らしくない会計の不備、
定期的にジョーラとベビー5の監視を掻い潜っていたことでボロが出た。
これまで完全無欠の姫を演じてきた女にしては、綻びが見えた計画だった。
それだけ必死だったということだろう。
ドフラミンゴは蒼白な顔色のを横目で一瞥した。
それでもドフラミンゴが、今日になるまでを泳がせていたのは、
がドフラミンゴに抵抗をするもりはなく、
リク王家の生き残り達を”逃す”方向で舵を切っていることがわかったからだ。
”家族”の安全のために力を尽くしたを、
ドフラミンゴは場合により、見逃してやる気でさえいた。
のことだ。”家族”をドレスローザに二度と帰ってこないよう丸め込むこともできるだろう。
そうすればドレスローザはドフラミンゴの国のまま。
穏当に支配を続けることができる。
ドフラミンゴ、の両者ともに利のある話だと、そう思っていた。
その”家族”が、を詰るのを見るまでは。
の苦悩も事情も知らず、援助を受けていながら自らを罵った姪に、
言葉を飲み込んで涙をこぼすがやけに癪に触った。
ドフラミンゴは指を上げた。
オモチャの兵隊とレベッカが息を飲む。
「衣服や食い物が湧き出るのが当然だとでも思っていたか?
犬でも一飯の恩は忘れねェって言うのに、・・・犬以下のクソガキが、」
ドフラミンゴが手を振り下ろそうとした瞬間、
がドフラミンゴに後ろから縋り付いた。
「あなた・・・! ”ドフィ”!」
ドフラミンゴの眉間に皺が寄る。
は常の無表情をかなぐり捨てていた。
焦りと恐怖に、の顔が歪んでいる。
「彼女はまだ15、物の道理も分からぬ子供です!」
「だからなんだ? お前は13の時から国を憂い国庫を潤していた。おれは15で旗を掲げた」
淡々と切り捨てたドフラミンゴに、
は首を横に振り、すがる手のひらに力を込める。
「後生ですから、レベッカだけは・・・!
大それたことをしでかすような子ではないのです!
陛下! どうか寛大にお考えください、お願いです・・・!!!」
の嘆願に、ドフラミンゴはしばしの沈黙の後、応えた。
「お前がそこまで言うなら、生かしてはおいてやろう。
・・・そいつをコロシアムへ連れて行け」
「はっ!」
「!?」
ドフラミンゴが下した命令に、
オモチャの兵隊とレベッカは驚き、は悲嘆を隠せなかった。
動き出したドンキホーテ・ファミリーの構成員達に、
オモチャの兵隊がレベッカの手を引いて立ち向かう。
逃げ出した二人をドフラミンゴとは追いかけなかった。
の手は震えている。
「み、見世物に、すると言うのですか、あの子を・・・!?」
「おれとお前を罵倒した。当然の罰だ。
ドレスローザの中なら逃げても無駄だ、捕まるのも時間の問題だろうな」
縋っていた手の平が離れた。
ドフラミンゴは、立ち尽くしたを見て、眉を顰める。
「お前には聞きてェことがいくつかある。場所を変えよう。答えてくれるな?」
は固く目を瞑る。
握られた拳からは、血が滴っていた。
※
は寝室のソファに腰掛けた。
その体には糸が幾重にも巻きついている。さながらマリオネットのような有様だ。
ドフラミンゴは身動きを封じたを立ったまま見下ろした。
「ようやく馬脚を出したな、。
お前はこれまで不気味なほど従順だった。返って安心したよ。
お前にまともな反骨精神が残っていたとはな」
はドフラミンゴの当てつけのような言葉にも反応しなかった。
ただ、目を伏せる。
「・・・殺さないのですか、私を」
「・・・」
ドフラミンゴは沈黙する。
はドフラミンゴと目を合わせぬまま、淡々と言葉を続ける。
「急な病とか、事故とか、理由はいくらでも作れるでしょう。
あまり長く苦しみたくはないのですが、・・・”弱い人間に死に方は選べない”、でしたか?
・・・お好きになさってくださいませ」
は目を瞑る。
全てを諦めたそぶりを見せるに、ドフラミンゴは目を眇めた。
「なぜレベッカを逃がそうとした?
おれに反旗を翻すならお前は父親に接触したはずだ」
「・・・」
は目を瞑ったまま答えない。
ドフラミンゴは苛立ちにささくれ立った声をあげた。
「答えろ」
「私のせいで彼女は母親を失いました」
は唯一動く指先をソファに爪立てた。
ドフラミンゴは眉を顰める。
「何を言い出すかと思えば。自惚れるなよ。
お前がいようがいまいがおれはこの国の玉座には就いた」
「彼女はそう思わなかったのでしょう」
の声は場違いなほど冷静だった。
「私はその責任を取らねばなりません。そうでなくとも身内です。
ましてドレスローザの権力闘争に巻き込むのは筋が違う」
ドフラミンゴの見立てたとおりの答えである。
しかし、の計画は保身を捨てていた。
まさか、ドフラミンゴがを見逃すことまで算段に入れていたわけではないだろう。
「お前、レベッカが逃げおおせた後、自分がどういう目に遭うか分からなかったのか?」
「私が彼女に出来る償いはそれしかありません。
彼女から母親を奪った私がのうのうと生きていくなど、許されぬことです」
つまり、文字どおりは”死力を尽くした”わけだ。
自分が殺される覚悟でこの計画に臨んだらしい。
しかし、失敗した。
の血縁であるはずの姪はの覚悟など知らぬまま、
の手配した自由への切符を自ら捨てたのだ。
の口元に、皮肉めいた笑みが浮かんだ。
「・・・どうやら私の独りよがりだったようですけども」
ドフラミンゴは指で糸を引いた。
首を絞めて宙づりにすることも、手足を引き裂くことも簡単にできる。
徐々に張り詰めていく糸にも表情の変わらないを一瞥した後、
ドフラミンゴはその手を――やがて下ろした。
そして、重い口を開く。
「おれは裏切りを許さないが、身内の失敗を咎めはしない」
「何を、」
が弾かれたように顔を上げた。
困惑に顰められた眉に、見開かれた眼差しは、
ドフラミンゴが今まで見たことのない表情だった。
「お前はおれに楯突こうとする反乱分子をあぶり出す為に囮になった」
「・・・!」
ドフラミンゴの出した結論は、
おそらくにとっては納得がいかないものだったのだろう。
当然だ。
最高幹部が同じことをしても同じように許すかはわからないほどに、
あまりにも甘い処分だ。
ドフラミンゴにもその自覚はあった。
だがそれでも、ドフラミンゴは”血縁”に理解されなかったを、
切り捨てる気になれなかったのだ。
「そうだな?」
「ドフィ、何をおっしゃるのです、私は、」
念を押したドフラミンゴに、は首を横に振った。
しかし、ドフラミンゴは議論を打ち切る。
「それ以上の問答は意味がねェ。
・・・血の繋がりなんざ捨てちまえよ、」
糸の拘束を解けば、はすぐに立ち上がった。
ドフラミンゴに歩み寄ると、すがるように言い募る。
「できません。殺してください」
「」
「殺して・・・!」
藤色の瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちた。
ドフラミンゴは短く舌打ちすると、嗚咽するを抱き上げる。
寝室の明かりは消え、打ちひしがれた女の声は、やがて掠れて途切れていった。
※
「お前が姪を気にかけたところで、意味なんかねェんだ。
これからも感謝を知らねェクソガキの為に気を揉んでやるのか? 馬鹿らしい」
薄暗い部屋、寝台にぐったりと体を横たえたの髪を弄ぶように触れるドフラミンゴは
億劫そうに目を開けたに皮肉めいた笑みを浮かべた。
「なぜそう肉親に固執する? 所詮血が繋がってるだけの他人だ。
信頼関係が築ける保証があるわけでもない」
は少し目を細める。
「・・・随分と、”血縁”に厳しい見方をするのですね」
平坦な物言いだ。そこには訝しむ様子も、苛立ちも憐れみもない。
のただ事実をなぞるような声が、ドフラミンゴは嫌いではなかった。
「・・・フフ、昔話をしてやろうか?」
だからだろうか、感傷を分かち合う気分になったのは。
「おれの生まれはマリージョアだ。お前も知っているだろ、
この国に伝えられている通り、おれの祖先はドレスローザの王だった」
「ええ、・・・”ドンキホーテ”の一族は、
本来なら天竜人として君臨しているはずだとは思っていました。
・・・事情があるのだろうとは」
さすがに国の成り立ちや歴史についてはよく学んでいる。
その上でドフラミンゴに余計なことを聞こうとはしなかったは賢明だ。
場合によってはこの冷静な女の首をあっさりとはね飛ばしていただろう。
「フフフ、明察だな。
生まれ持った権力を、ある日父が放棄したのさ。
どうやら奴隷にかしずかれる生活に嫌気が差したらしい。”人間らしい生き方”がしたかったそうだ」
「それは、なんというか、」
は言葉を濁した。
ドフラミンゴは笑みを深める。
「一家4人は政府非加盟国に放り出された。財産と屋敷を用意した上でな。
なァ、。お前ならわかるだろう? そのあと、何が起きたのか」
「・・・政府非加盟国の治安は概ね劣悪です。
それに、天上金を払えなかった国の末路である事も多い。
まず、天竜人の一家に好感は持たないでしょうね」
おそらくドフラミンゴの受けた仕打ちを理解しているだろうに、
の顔にはなんの感情も浮かばない。
ドフラミンゴはそれに反比例するように笑う。
「全く、お前がいつかに言った通りだ。
自分を善人だと思っている人間ほど愚かなものはねェよなァ?
まず迫害を受けるうち、劣悪な環境に母が耐えられず、病で死んだ」
肩を震わせ愉快そうなドフラミンゴを、はぼんやりと眺めているように見えた。
「”あいつ”は武器を手に取った人間どもに喚いてたぜ。
『子供達は許してくれ』『私だけにしてくれ』
フフフフッ! 殺気立った連中にしてみりゃ逆効果だ!
あいつが喚けば喚くほど、おれと弟は殴られた。
窓から吊るされ矢で射られたなァ!」
「おれは元凶となった父を10歳の頃に殺した。
なあ、信じられるか?
あいつは最後まで自分を善人だと信じ込んでたんだぜ!」
「フッフッフッフ! 何しろ最期の言葉は『私が父親でごめんな』だ。傑作だろ?
笑えよ、!」
ドフラミンゴはの顔をつかんだ。
はドフラミンゴに、平坦に返した。
「・・・面白くもないのに笑えません」
「フッフッ! つまらねェ女だな、お前は」
なじられては目を細めた。
苛立ったのかと思ったが、そういうわけではなかったらしい。
「あなたに弟がいたことを、初めて知りましたが、
・・・弟も、その迫害の日々で亡くしたので?」
そういえば、ドフラミンゴがロシナンテのことを改めて口にする機会はもうほとんどない。
の疑問に、ドフラミンゴは正直に答えてやった。
「いや? そいつもおれが殺したんだ」
さすがにそれにはも驚いたらしい。
パチパチと目を瞬いていた。
「父を殺したおれの元から弟は去り、15年後、成長してから帰ってきた。
ファミリーに入れてくれと言ってな。だが、その実奴は海軍のスパイだった」
「なるほど」
理由を言えば、いともたやすく納得したにドフラミンゴはまた笑う。
「フフッ、フフフッ! もう後のことは想像つくだろ、
おれは失敗は許しても裏切りは許さない。鉛玉を数発撃ち込んでやった」
「ここまでくれば誰だって学習するよな?
肉親であることに意味なんかねェし、必要もない。
それに、おれにはもう”家族”がいる」
「・・・随分と大所帯で賑やかになりましたね」
口を開いたかと思えば、どこか飄々とした響きの答えが返ってくる。
「フッフッフッフッ! 少しはマシな冗談が言えるようになったじゃねェか」
ドフラミンゴはの目を覗き込んだ。
先ほどまで泣き喚いていたのが嘘のように、藤色の瞳は凪いでいる。
「お前も笑えよ、」
「今の話に笑いどころがありましたか?」
ドフラミンゴは目を眇める。
いつの間にか、浮かべていた笑みは剥がれ落ちていた。
「笑え」
「無理です」
「おれの言うことが聞けねェか」
脅すように首をつかんだ。
冷えた声で凄んだドフラミンゴに、はドフラミンゴを見返した。
「私を無理やり笑わせたところでどうなるというのです。
気が晴れるわけでもあるまいし」
「フフフッ、なら慰めてくれよ」
は目を眇める。
近づく手のひらがの頬を撫でた。
「・・・傷の舐め合いですよ、こんなもの。
それも抉りあって舐め合うような、・・・不毛にもほどがある」
そう言いながらも、はドフラミンゴを拒むことはない。
抵抗が無意味と知っているのか、あるいは。
「そうだな。だが必要なことだろ?」
ドフラミンゴが呟いた言葉に、は口角を上げたように見えた。
「・・・そうですね、少なくとも衝動的になっている間は、」
は頬を撫でる手を掴む。
声には皮肉めいた色が乗った。
「余計なことを考えなくて済みますからね」
※
モネはのかつての自室に足を踏み入れた。
ドフラミンゴから落ち着くまでの相手をしてやれと言いつけられたのである。
モネは随分と様変わりしたその部屋に眉を顰めた。
今、かつてのの自室には何もない。
女一人では持ち上がらない大きさのベッドとソファ。
軽すぎるテーブル、割れないコップと水差し。
「まるで牢獄のようでしょう。いえ、そう言うには過分に贅沢かもしれませんが」
は窓の下に置かれたソファに腰掛け、外の景色を眺めながら呟いた。
「今回の顛末を聞いたわよ」
は泣きはらした目をそのままにモネを一瞥し、不意に目をそらす。
「若様はあなたが妙な気を起こさないように見張れと言ったわ。
・・・あなた、死のうとしたんでしょう?」
「ふ、ふ、ふ! 凶器になりそうなものは取り上げられました。
どうやら私が自害するのを止めたいようですね」
は愉快そうに声を上げた。
それから目を細め、モネを見上げる。
「『殺された姉の忘れ形見を逃して、略奪者の夫に裏切りを咎められ殺される』
・・・美しく健気な死に様ではありません?」
「!」
咎めるように一喝したモネに、は嘆息する。
「でも、うまくいかなかった。レベッカは私を『恥知らず』と・・・。
『恋のために家族を犠牲とした女の手など借りたくない』と言っていました」
「・・・それ、は」
モネは言葉に詰まった。
の受けた仕打ちを知らないからこその言葉だが、
の内心を知るモネからすれば、
それがにとっては刃のような言葉だったのだと理解できる。
しかし、はそれに対してはどうとも思っていないと首を横に振った。
「いえ、構わないのですけど。
事情を知らなければ最もな感想ですし。ただ、」
だが、その眼差しには憂いが陰る。
「別人だと分かってはいても、あの顔に罵られるのは堪えます」
「そんなに、似てるの?」
「・・・ええ、ふふ。お姉さまに瓜二つです」
が唯一心から愛した実の姉に、レベッカは生き写しなのだという。
モネから視線を外したは、再び窓の外を眺めた。
「あの男、私を殺してはくれませんでした」
モネは目を眇める。
ドフラミンゴがを殺さなかったことは、モネにとっても意外なことではあった。
失敗は許すが、裏切りは許さない。ドフラミンゴはそういう男だったはずだ。
だが、そうしなかったということは、
の計画はドフラミンゴにとって”裏切り”でさえなかったのだろう。
は瞼を覆う。口元に笑みを浮かべてはいるものの、その声色は弱々しい。
「”弱い人間は死に方を選べない”、
ここまで徹底されると、本当に、嫌になりますね」
モネはに歩み寄り、その手のひらをつかんだ。
目は真っ赤で、瞼は腫れている。
は煩わしそうに目を眇めたが、振り払う気力もないのか、
胡乱げにモネを見上げるに止める。
「・・・ひどい顔ね」
「繕わなければこんなものです」
「嘘つき」
モネはの頬を撫でる。
「あなたは綺麗よ」
「・・・」
「それに賢明だわ」
モネの一言に、気だるげなの面差しに火が灯ったようだった。
頬を撫でる手をはたき落とした。
「何が賢明だというのですか!?
本当に賢明だったならこんな状況にはなっていません!」
はモネを怒鳴りつけた。
「あの男は『レベッカをコロシアムで見世物にする』と!
あんな、野蛮な殺し合いの舞台に15歳の少女を!
お姉様の娘を! 送り込む羽目になったのですよ!?」
そして悲嘆に眉を顰め、顔を手のひらで覆う。
「・・・一体、どう償えばいいのですか。
あぁ・・・もう嫌です。もう何もかもどうでもいい。
もう、たくさん」
言いつのる言葉には生気がない。
「死にたい」
「ダメよ、」
モネはの隣に腰掛け、嘆くの膝に手を置いた。
「お姉さまに会いたい、」
「あなたが死んだところで、スカーレットには会えないわ」
慰めるように背中を撫でる。
は顔を上げて、モネをにらんだ。
藤色の瞳には涙が滲んでいる。
「どうして? どうして、そんなひどいことを言うの?」
「・・・泣かないで、」
拭っても拭ってもの涙は枯れず、滴り落ちた。
「生きていたって何も良いことはないのに、
死に縋ることの何が悪いのよ」
「・・・生きていて欲しいわ」
は眉を顰め、モネを嘲った。
「はっ! 大した忠誠ですこと」
モネの顎を掴み、その唇に笑みを浮かべる。
「あの男の円滑なドレスローザ支配のためにですか?
忠義深い部下を持てて、幸せですね、あの男は!」
モネはの怒りに動揺しなかった。
の手首を掴み、答える。
「私が、あなたに生きていて欲しいのよ、」
「嘘です」
「嘘じゃないわ、勝手に私の本心を決めないで」
モネはの瞳を覗き込んだ。
かつては自信と才能に輝いていたの顔は、
今や悲嘆に暮れ、疲弊しきっている。絶望にくすんでいる。
それでも、無表情の仮面をつけない素顔のは美しかった。
「好きなの」
気づけば打ち明けていた。
求められた王女、王妃の仮面を被り続け、いかなる時も素顔のままでいられない人。
失ったはずの愚かな恋をいつまでも抱えて、自由になれない人。
そんなの素顔を垣間見ることができるのはモネだけだということに、
いつしか仄暗い喜びを覚えていた。
「・・・は?」
はモネをつかんでいた手を下ろした。
どうやら突然の告白に戸惑っているらしい。
無理もない。はモネが自分を憎んでいると思っている。
は知らないのだ。
憎悪と愛情は近しい場所にあることを。
モネはに言いつのる。
「死んで欲しくないのよ」
死なせたくなかった。
モネに恐るべき愛憎を教えながら、
勝手に命を絶たれるのがどれほど我慢ならないことなのか、
教えてやらなくてはならないとさえ思っていた。
「バカじゃないんですか?」
は吐き捨てるように零す。
「あなた、私にどう言う目に遭ったと思っているの」
モネは苦笑した。
「・・・自分でも、どうかと思うわよ。
あなたは変なところで俗物だし、
無理やり乱暴するような最低な人だけど」
モネは唖然とするの手を取った。
「それでも、・・・私のそばにいてよ、。
下手な冗談を聞かせて。いくらだって話を聞くわ。
八つ当たりだって、構わないから」
そしての爪先に目を落として、小さく口角を上げた。
「モネ、何を、」
「爪が、少し剥げてるわね」
薄い桃色に彩られた爪を、モネは玉虫色に輝く指先で撫でる。
手のひらが重なる。距離を縮める。
見開かれた藤色の瞳の中に、自分の顔が見えるまで。
「塗り直してあげる。私と同じ色に」