亀裂
「何か気になることでも?」
「ん?」
ドフラミンゴはの問いかけに顔を上げた。
すっかり庭園で朝食をとるのは習慣になってしまい、
当初よりは交わされる言葉に緊張感がなくなった。
は紅茶の水面から、ドフラミンゴの持ち込んだ新聞へと目を移す。
「最近は新聞をよくお読みになられているようで」
ドフラミンゴは行儀悪く新聞を広げていた。
に咎めるようなそぶりはないが、近頃はことあるごとに
新聞を読むドフラミンゴを目にしているためか、気にはなっているらしい。
ドフラミンゴは読み終えた新聞をテーブルに畳んだ。
「フフフッ、情報は武器だぜ、。
ただでさえ白ひげの死後は面白ェ事件が一面を賑わせてやがる。
これを娯楽にしねェのは損だ」
「左様ですか。・・・確かに、情勢は変わって来ているようですね」
ひょい、とテーブルに無造作に置かれた新聞をとって、
は新聞を流し読む。
「七武海の面子も目まぐるしく変わりましたね。まだお一人決まっていないようですが。
・・・クロコダイル氏が一角から落ちた時には驚いたものです。
全く、お会いした方が没落するのを見るのは気分がいいものではありませんね」
は小さくため息をこぼす。
は旧七武海の大半と面識があるのだ。
ドフラミンゴが遠出する際にはを連れ立って行くことが多く、
たとえそれが七武海の会議であっても例外ではなかった。
ドフラミンゴは七武海の中で在任中、唯一妻を娶ったともあって、何人かはに関心を寄せていた。
そして当然、誰も新聞の書き立てたロマンス小説のような経緯を信用していなかった。
クロコダイルなどは面白がっての言動からドフラミンゴのボロを出させようと話を振っていたが、
がのらりくらりと話をはぐらかし、その上がクロコダイルの能力に言及して、
いつかのドフラミンゴへの態度のように園芸を勧めだしたので、終いには閉口していた。
水分量の調整がどうの、砂漠気候でもよく育つ食物はなんだの、
終いにはドライフラワーの活用法などをクロコダイルに物怖じせずに説いてみせる様は見ものだった。
海軍相手に優等生を気取ってるため、
を物理的な手段で黙らせることができなかったクロコダイルは
終盤に至っては無言であったものの、その表情は雄弁だった。
に対しては『何がドライフラワーだ。お前をドライフラワーにしてやろうか』
ドフラミンゴに対しては『お前の妻だろ、黙らせろ』
もちろんドフラミンゴはクロコダイルの無言の圧力を無視してゲラゲラ笑っていた。
もクロコダイルの圧力を全く気にするそぶりがなかった。
気づかなかったわけではなく、今思えば、あれはわざとだろう。
「フッフッフッ! お前、奴には嫌われてたんだぜ」
当時を思い出してドフラミンゴは肩を震わせた。
「あら、そうだったのですか?」
「フフフッ、あいつに園芸なんか勧めるからだ」
わざとらしく驚いて見せたにドフラミンゴは頬杖をついた。
は口元に手をやって、心外だ、と目を伏せる。
「ああ・・・あれは一応本気だったのですよ。
せっかく素晴らしい能力をお持ちなのですから、生かすべきと思い提案したのです」
「フッフッフッフ!!!」
面白がるドフラミンゴに、は再び新聞に目を落とす。
一面には新七武海と、新たな四皇の顔写真が並んでいた。
四皇に連なる男の顔を指差して、は思案するように呟く。
「彼に代わり七武海入りしたのがマーシャル・D・ティーチ。”黒ひげ”ですね。
七武海だったのはたった数ヶ月のことでしたけど。
今では彼が白ひげに代わっての四皇ですか・・・。
白ひげ海賊団残党との衝突が先日記事になっていましたね」
『落とし前戦争』と名付けられた小競り合いが記憶に新しいと、
ドフラミンゴはに頷いてみせる。
「結果は黒ひげの勝利だったな。白ひげの残党は歯が立たなかったらしい。
黒ひげはどんな手品を使ったかは知れねェが、複数の悪魔の実の能力を手に入れた野郎だ」
どういう手段を用いたか定かではないが、
頂上戦争ではヤミヤミの実の能力に加え、白ひげのグラグラの実の能力を奪ったのがティーチである。
ドフラミンゴはの持つ新聞の裏面に載る”白ひげ海賊団幹部”を嘲笑った。
「フフフ、きっちり型に嵌めてやれば勝機の一つもあっただろうに。
『仁義だ』『落とし前だ』と気を逸らせたのが敗因だな」
「なるほど」
は新七武海のメンツに目を移した。
「ところであなた、この写真いつ撮らせたので?」
「あ? ああ。これはこの間のレヴェリーだな」
テーブルに新聞を広げたに、
ドフラミンゴは答えた。
「なるほど、そういえばお召し物がそうですね・・・。
七武海になったら政府公認の宣材写真とか撮るのかと、地味に気になってしまいまして」
ドフラミンゴはの疑問に呆れ、ため息混じりに答えた。
「・・・あるわけねェだろ、そんなもん」
「そういうものですか。
知名度が肝となる役職ですからあっても良いと思ったのですけど」
相変わらず妙な発想をするに、ドフラミンゴは呆れ顔だ。
夫の困惑を無視して、は顔写真の横に”NEW”と吹き出しの入った顔写真を眺めた。
「・・・今度七武海になった方は随分お若いのですね。
あら? 戦争のすぐ後にクロコダイル氏の後を”道化のバギー”が引き継いだのでは?
それから、海侠のジンベエ氏が辞任しましたよね・・・あとは」
誰が七武海を辞めたのだったか、とは目を瞬かせている。
「もう一人、モリアが戦争の混乱で失踪した。海軍は穴埋めに必死なんだろうな」
「へぇ。・・・”死の外科医”トラファルガー・ローですか。不思議な二つ名ですね。
『執刀したら必ず相手が死ぬ』とかの能力をお持ちなのでしょうか?」
「それはただの藪医者だな・・・」
ドフラミンゴは再びため息をこぼした。
本人が聞いたら気に入らないだろう発言である。
の認識があまりにも突拍子もないものだったので、
ドフラミンゴは思わず口を挟んでいた。
「いいか、。そいつはオペオペの実の能力者だ。
世界中の名医が喉から手が出るほど欲しがる悪魔の実を13の頃に口にしてやがる。
その上当時から医療知識は十分に身につけていたんだ。
おそらく医師としての実力は相当のものだろう」
いやに詳しく説明したドフラミンゴに、は首を傾げている。
「お知り合いで?」
ドフラミンゴは眉を顰めた。
だが、ここまで説明しておいて知らないとは言い難い。
「・・・かつての部下だ。10年以上連絡もよこさねェ不義理な野郎だがな」
「まぁ・・・。
でも彼も七武海になったのですから会議などに出ればお会いできるのでは?」
は驚いた様子だったが、同じ七武海になれば会える機会などいくらでもあると言う。
それに対して、ドフラミンゴは首を横に振った。
「こいつは会議には来ねェよ。海軍嫌いだ」
「でも、七武海になったのでしょう? もう克服していると思うのですけど」
のもっともな感想に、ドフラミンゴは頬杖をついて、顔を背けた。
「・・・なんでおれが、わざわざこいつのために出向いてやらなきゃならねェんだよ」
思いの外恨みがましい声になった。
は瞬いていたが、やがてかすかに目が細められた。
「ふふ。つまり、彼からこちらに出向くのが筋だと言うことですね?
なるほど、確かに、道理です」
そう言って、は紅茶を口にする。ドフラミンゴは横目でを一瞥した。
ほとんど無表情に近しいのに、面白がっているのがわかるのが癪である。
※
ちょうど、ローについてを話題に出してからそう日が立たない頃のことだった。
ドフラミンゴが寝室に戻り、すでに床についたの横に体を横たえようとした時、
でんでん虫が震え出した。マナーモードの訓練済みの個体だ。
ドフラミンゴはがすでに深い眠りに落ちていることを確認すると、
通話に応じた。ドフラミンゴに直接つながるでんでん虫の番号を知る人間はそう多くはない。
『ジョーカー? 私。モネよ』
「どうした?」
通話の相手はパンクハザードに出向させたモネである。
モネは落ち着いた声色ながらも、急ぎの用事だと断りを入れた。
『夜遅くにごめんなさい。どうしてもお耳に入れたいことが。
・・・パンクハザードにトラファルガー・ローが滞在を申し込んだわ』
「・・・、なんだと? ローがパンクハザードに?」
ドフラミンゴはしばし考えるそぶりを見せた。
かつての船長に挨拶するなら、ドレスローザに直接来るのが筋だろう。
それがパンクハザードに来ると言うことは、ローの目的は別にある。
ドフラミンゴの逡巡に、モネはローから説明された目的を明かした。
『政府の実験の証跡を洗いに来たそうよ』
ローの動機にドフラミンゴは鼻を鳴らした。
「フン、証跡か。もっともらしい理由ではあるな。
あいつが本当に政府の鼻を明かしてやるつもりなら、の話だが」
『・・・建前だと言うこと?』
モネの疑問に、ドフラミンゴは気の無いそぶりで答える。
「さァな。ただ・・・奴は”ジョーカー”がパンクハザードに関係していると知ってたんだろう?
なら、遅かれ早かれ敵対することになるだろうな」
『そう。・・・彼のことは話には聞いていたから、残念だわ』
ドフラミンゴは小さくため息を零し、モネに同意した。
「ああ。本当に・・・残念だよ」
モネはしばしの沈黙の後、ドフラミンゴに問いかける。
『では、すぐに始末しますか?
シーザーが、ローをパンクハザードに滞在させるにあたって、
彼の心臓を担保させたから、やろうと思えばすぐに殺せるのだけど』
「・・・」
ドフラミンゴは黙り込んだ。
その沈黙が何を意図するものか図りかねたのか、
でんでん虫が首をかしげたのが、薄暗い室内でもわかった。
『若様?』
問いただされて、ドフラミンゴは口を開く。
「いや、様子を見てくれ。決定的な裏切りの証拠を掴むまでは、泳がせておいて構わない」
『了解しました、ジョーカー』
モネはドフラミンゴの答えに応じたのち、通話を切った。
ドフラミンゴはでんでん虫をそのままサイドテーブルに置いて、
今度こそ床に着く。
暗闇の中、藤色の瞳がうっすらと開いた。
※
「あなた、ちょっとこちらをご覧になっていただけますか」
会計の仕事に当たっていたが難しい顔をしてドフラミンゴに声をかけた。
が持ってきたのはパンクハザードの会計資料である。
モネから送られてきたレポートの備考と合わせて確認すると、
ドフラミンゴは眉を顰めた。
は呆れた様子でこめかみに手をやっている。
「どうも計算が合わないと思ったら・・・どこから資金を引っ張って来てるのかは知りませんが、
シーザーは夜な夜なガールズシップを呼んで遊んでるようですね。
全く、いいご身分ですこと」
珍しく皮肉を隠さないに、ドフラミンゴも頷いた。
「でんでん虫でモネからも話は聞いてるよ。
・・・成果の方は上々だが、釘を刺してやらなくちゃいけねェか。
資金源も気になるな・・・」
確かに潤沢な資金をシーザーに与えてはいるものの、
報告される豪遊ぶりを許すほどの金は与えていない、とドフラミンゴとはわかっていた。
難しい顔をするドフラミンゴに、は考えるそぶりを見せた後、顔を上げた。
「私が参りましょうか」
「お前が?」
ドフラミンゴは意外そうに眉を上げた。
は頷いてみせる。
「あなたが直々に出るほどのことではないでしょう。
かといって、シーザーはでんでん虫越しの忠告では懲りない方ですよね?
私が直接出向いたなら、少しは反省するのではないでしょうか。
あの方、私の言うことは割と融通を利かせてくれますし」
の提案はドフラミンゴにとって、そう悪くないものであった。
カイドウとの取引が数日先にあり、今は立て込んでいる最中だ。
がシーザーに釘をさせば、シーザーのことだ。容易く言うことを聞くだろう。
しかし、とドフラミンゴは腕を組んだ。
「・・・妻に色目を使われるのはいい気分じゃねェんだがな」
は面白そうに口角を上げた。
「あら、妬いておられるので? ふ、ふ、ふ」
冗談めかして笑った後、は顎に手を這わせる。
「ご心配なく。2、3言シーザーと話したらその日のうちに帰って参りますよ。
護衛は、どなたにお願いいたしましょうか・・・」
ドフラミンゴはを一瞥した。
今、パンクハザードにローが滞在していることを知るのはドフラミンゴとモネだけ。
その上シーザーは一応ドフラミンゴにローの滞在を知らせてはいない。
シーザーがにローを会わせることは考え難い。
だが、ファミリーの幹部を護衛につけて、もし、ローと鉢合わせた場合、
小競り合いに発展しかねないだろう。幹部の多くは10年以上音沙汰のないローをよく思ってはいない。
ローの対処ができたとしても、最悪の場合、シーザー、SAD、そしてを失う羽目になる。
それなら、いっそのこと。
「いや、幹部連中は連れて行く必要はない。
下っ端を10人ほど貸してやる」
はドフラミンゴの言葉に、意外そうに瞬いていた。
「よろしいので?」
レベッカの一件以降、の監視は必ず幹部以上の人間が行うようになっていた。
だが、それを自ら覆したドフラミンゴはの顎に指を這わせる。
「フフフ、おれはお前を信頼してるんだぜ、」
「信頼、ですか」
どことなく戸惑うそぶりを見せたに、ドフラミンゴは笑みを深めた。
「お前ほど、自分の価値を知っている女は他にはいないさ」
「・・・」
は目を伏せた。
どうやらドフラミンゴの言いたいことを正しく汲み取ってくれたようである。
はもう二度と逃げられない。逆らうこともできない。
ドフラミンゴの手の上にはレベッカがいる。
ドフラミンゴはサングラスの奥で目を眇めた。哀れんですらいた。
”血の繋がり”を捨ててしまえば、たやすく自由になれるだろう。
国民や王家に連なる家族を見捨てることさえできれば、と。
「ふ、ふ、ふ」
しかし、は笑いながらドフラミンゴの手のひらに頰をすり寄せてみせた。
そして、こう言ったのだ。
「10年近く寄り添ってようやく得た信頼ならば、私はそれに、応えなくてはいけませんね?」
口角を上げたその顔は不敵ですらあって、ドフラミンゴは目を見張る。
何か言うよりも先に、はドフラミンゴの手のひらから逃れ、腰を折った。
「それでは、準備を整え次第行ってまいります。見送りは結構ですよ。
何しろ飛んで帰ってまいりますゆえ」