地獄で会いましょう


その日のドレスローザはよく晴れていた。
一面のひまわり畑が風にそよぐのを眺めながら、
は昨日着ていたのと同じ、黒いドレスに身を包んで、
王宮から飛んで来たらしい、煤けた椅子に腰掛けていた。

待ち合わせ時間ぴったりに、ローはの前に現れる。
椅子に腰掛けたまま、はローを見上げた。

青空と、鮮やかな黄色い花を前にした人間二人は示し合わせたように黒衣だ。
それに奇妙な可笑しさを覚えて、はわずかに口角を上げた。

「病み上がりに無理を言ってすみません」
「・・・全くだな」

ローは左手で右手を撫ぜる。
その怪我の具合からいって、それなりに安静にしなくてはいけないのだろうが、
にとってはどうでもいい話だった。
しかし一応触れておくべきだろうと、眉を上げて尋ねる。

「お前、医者でしょうに。右手は利き手なのではないですか?
 商売上がったりなのでは?」

「思ってもねェ心配をどうも。
 悪魔の実の能力での治癒だ。数日もすりゃ元に戻る」

ローの皮肉めいた言い回しに、は心外だと言わんばかり、大げさな声をあげた。

「まぁ、思ってもないだなんて、そんな。私は純粋に心配しただけですよ。自分をね。
 ヤブ医者に介錯を頼むバカがどこにいるのです?」
「・・・」

ローはムッとしたようでを睨んだ。
その顔に溜飲を下げたはひらひらと手を振ってみせる。

「ふふっ、冗談ですよ。
 ・・・あなたでしたらその辺り、安心できると見込んで頼んだのですから、
 ねぇ、”死の外科医”殿」

黙り込んだままのローからは視線を外し、
花咲く丘を遠くまで眺めた。

「よく晴れて、爽やかで、今日は死ぬにはいい日です」

ローはの言葉には肯定も否定もしなかった。
黙って懐から取り出したものを、に差し出す。

「その前に、お前に渡すものがある」

差し出されたのはノートだった。
は目を瞬き、怪訝そうに眉を顰める。

「なんです? この後に及んで。・・・、」

元の持ち主は筆跡で理解できた。走り書きでも整った筆記体だった。
苦い顔をして、はパラパラとノートの中身に目を通す。

トラファルガー・ローについての記述、
薬品の名前やその効果などを整理したメモ書きが前半に続く、
はそれを読み飛ばしていった。興味がなかったからだ。

そして、何枚かページを破り捨てた形跡を見つけた後、
”Dear Princess”の書き出しに目を留めた。

淀みなく動いていた指先も止まり、
は字面を丁寧に目でなぞり始める。

他の無味乾燥なメモ書きとは違う、感情的な言葉の羅列を、
今はもういない人の声を思い出すように。



ディア プリンセス

なんでこんな風に手紙をしたためようと思ったのかは、自分でもよくわからないのだけど、
きっと頭の整理をしたかったから。多分そう。

これはあなたへの届かない手紙。
ということにしておくわ。
届かないからには勝手なことを書くつもり。
意外に思われるかもしれないけど、私、結構あなたに遠慮してたのよ。

だから、知らないでしょう?
私が時々、もしもの世界を考えたりもしたことを。

例えば私たちが何もかも放り出して、山ほどの追っ手を出し抜いて逃げおおせることができたなら、
どこか遠くの島で暮らしたらどうなるのか、とか。

不思議よね。考えれば考えるほどパンクハザードに来る前とそんなに変わらないの。

小さな家を借りて、あなたはサロンでも開いて、
暇を見つけては下手くそな冗談を言いながら私に化粧をする。
別人みたいにきれいになった私が、鏡ごしに笑いかけたら、
あなたはほんの少しだけ口角を上げるのよ。

あなたは商売上手だし、私はそれなりにいろんな仕事をかじってきたから、
多分、どこでだってうまくやれるわ。その日暮らしには困らない。
それどころか、あなたはまた会社を作って、多くの人を豊かにするのかもしれない。
あなたは誰かの才能を伸ばすのが好きな人だったから。

王宮の庭ほど立派な庭園は難しいと思うけど、
小さくても季節の花々を庭に植えて、手入れするのもいいわね。
たまに喧嘩とかして、むしゃくしゃした時はあなた、
とても乱暴に草をむしるんでしょうね。きっと。

庭には小さいテーブルと椅子を置いて、
どんなに忙しくても決まった時間にお茶の時間にするの。
角砂糖を2つ入れたレモンティーとフィナンシェがあれば、あなたは満足だったでしょう?
王宮を離れたって困らないから助かるわ。

安上がりな人よね、あなた。高価なものは『高級な味がしますね』って言って済ますのに、
簡単な焼き菓子はペロリと食べてしまって。
でも、そのあとは運動場で死ぬほど剣を振ってたのが忘れられないのだけど。

あなた本当に極端だった。
どうしようもないくらい怠惰な態度の5分後にシャキッとしてお仕事をするような人だった。
あれはね、良くないわ。すごく疲れてたでしょう。

仕方がないことだけど、あなたはいつも気を張っていたから。

だから、ずっと昔に、全部捨て去ってやり直したら良かったって思う。
あなたの手を引いて逃げれば良かった。だって、きっと私たち、なんだってできたのだから。

スカーレットのことなんて忘れさせてみせるって、口先だけでも言えば良かった。
若様のことや、家族のこと、そういうことも忘れられるくらい楽しい時間を
あなたにあげるって、言えば良かった。

でも無理よね。
私もあなたも頑固で言い出したら聞かないもの。

ローにハーピーにしてくれるよう頼んだ時に、もう後戻りはできないことはわかってた。

あなたはずっと昔から死にたがりで、そのくせ犬死は嫌だって駄々をこねて、
私はそれをなだめてきたけど、こうして離れ離れになったら、どうやってあなたの涙を拭えばいい?

自棄になってたのかもね。こうやってあなたから遠ざけられ続けるのなら、
自分の爪先を見るのも嫌になったんだから。

いずれ、あなたは決定的な何かを起こすんでしょう。
そうすれば、若様も動かずにはいられない。
たとえ、それが長年連れ添ったあなたであっても、若様は躊躇しないわ。
そういう人だから。

あなたが思うより若様は人間的な人だけど、それでも一度非情になろうと決めたなら、
それをやり通すことができるの。あなたにとっては都合がいいのかしらね。

あなたの望みが叶う日が来るのは、私にとっては望ましくないことだけれど、
あなたがもう、苦痛に耐えることがなくなるのなら、きっと喜ぶべきなのよね。

でも残念。全く喜べそうにないわ。

できたら生きていて欲しい。
あなたがしわだらけのおばあちゃんになるまで。
きっとふてぶてしいおばあちゃんになるわよ。簡単に想像がつくと思わない?

そういえば、あなたは私に、”一番綺麗だった頃のあなたを覚えておいて”って言ったけど。
安心して。もちろん約束を違える気は無いのよ。覚えているわ、ずっと。

でも、実のところ、私が好きだったのは一番素敵だった頃のあなたじゃないの。
知ってた?

私はね、軽薄で俗っぽくて、美人に目がなくて、信じられない毒舌で不平不満を言いながら
お菓子ばかり食べてた、そういう、みっともないあなたが好きだったの。
美しく聡明で、それでも完璧じゃなかったあなたが。

このノートをローに渡したのは、彼があなたの共犯者だから。
ユキユキの実って便利なのよ。あなたの妹には負けるけど。

だから、この手紙が届くことがない方がいいとは思うし、そうなるように努力はするけど、
もし万が一、あなたの目にこれが触れることがあるなら、一つだけ忠告しておくわ。

あなたの肌が年月に枯れ果てて、必死に保ってたプロポーションが崩れる時まで、
地獄に来ることは許さない。

来たるべき時にこちらに来たら、年老いたあなたを笑ってあげる。
あんなに綺麗だったのに見る影もないわねって。
月日は残酷だわって嘆くわ。

それともあなた、度を越した見栄っ張りだから見た目だけはかくしゃくとして、
白髪頭でもそれなりに繕ったままでいるかしら?
もしそうなら、あなた、私を小娘だとか言って、軽くあしらうんでしょうね。

どう? 楽しそうじゃない?
だから地獄で会いましょう。

半世紀後くらいがいいわ。
フィナンシェと、レモンティーはなんとか用意してみせるから。

長々と取り留めのないことを書いてしまったわね。
少し照れくさいけれど、私の言いたかったことは一つだけなのよ。

愛しているわ、ディア プリンセス。

長く苦しんだあなたの人生に、ありったけの幸福がありますように。



「・・・卑怯者」

ノートを閉じ、は呟いた。
指先がノートの端を掴んで、紙が歪んだ。

「そういうことはね、ちゃんと面と向かって言うのが筋なのですよ、モネ」

ため息混じりの声は震えている。

「死なれてしまったら、文句も言えやしない」

は俯いた。
しばらく後れ毛が風にそよぐのをローは黙って見ていた。

どれくらい経っただろうか。
は振り返らずに、顔を上げてローに尋ねる。

「あなたはこれを読んだのですか、トラファルガー」
「・・・」

「沈黙は肯定とみなします。いつですか?」

厳しい声色で追及され、ローは白状した。

「・・・ドレスローザにくる前日、パンクハザードを落とした後だ」

罰が悪そうな声に、はふ、と小さく笑った。

「なるほど、信じましょう」

は椅子から立ち上がり、振り返った。
赤くなった目をわずかに細めて、ローに向き直る。

「介錯はもう結構ですよ。代わりに船出の供を頼みます」

ローは軽く瞬いた後、眉を顰めた。

「おれたちの進路にはカイドウ絡みの敵が出てくる。安全な島はまず通らないが?」

律儀にも念押ししたローに、は苦笑する。

「いいのです。ドレスローザから船を出せば足がつく。途中で離脱すれば済むことです。
 ああ・・・足手まといにはなりませんとも。これでも護衛いらずの姫と謳われた私です」

ローは苦虫を噛み潰したような顔をしての剣の腕前を褒めた。

「・・・知ってるよ。下手すりゃ左腕がなくなってたからな」
「ふ、ふ、ふ!」

はローを笑い飛ばして、その場を立ち去ろうと踵を返したローの後に続こうとした。
だが、その途中、ひまわり畑を振り返る。

共犯者には聞こえぬ程度の声で、決別の言葉を述べた。

「さようなら、スカーレット。我が麗しの姉上」

「さようなら、ドレスローズ。我が青春の結晶」

「さようなら、ドレスローザ。我が愛憎の母国」

そよ風に揺れる黄色い花々に、は目を細める。

「さようなら、。人形のようなあなた」