この世に思いを絶って死ね
は笑っている。
肩を震わせながら、剣を持つ手とは逆の手、人差し指をまっすぐにドフラミンゴに向けて言った。
「お前が肉親に”2度も”裏切られたことは私も知っています。
何を思ってそれを打ち明けたのかは知りませんが、
まァ、どういう意図なのかは想像がつきますよ」
1度目は父親。2度目は弟。
ドフラミンゴが身内を手にかけたことは、確かに自らに話している。
はくっ、と喉を鳴らして目を細めた。
「どうせ同情でも引こうとしたんでしょう。
お前は自分の弱みを自覚的に使う、計算高く浅ましい下衆野郎ですからね」
ヴィオラは呆然と、の顔を見上げていた。
後ろに立つドフラミンゴが何も言わずにの暴言を受け入れているのが奇妙でもあり、
しかし最もな事態であるとも思った。
自分の子を孕んだ女を、そうやすやすとは殺せない。
いくら悪のカリスマと謳われた男であったとしても。
しかし、は躊躇するドフラミンゴとは対照的に、鋭く尖った言葉を使う。
まるで自身も、その身に宿した子の事もどうでもいいと言わんばかりに。
「可哀想に。お望み通り哀れんであげます。
私に弱みを見せたばかりに、お前は3度血の繋がった肉親を殺すことになったのですから」
はわざとらしく眉を顰めた。
そのあと口元に手をやって、小首を傾げてみせる。
「・・・でも少し迷っていまして。
あの、麦わらのルフィとか言う年若い海賊の青年にその鼻をへし折られるのと、この二択を選ぶのと、
どっちがお前にとって苦痛なのでしょうか」
ドフラミンゴのこめかみに青筋が浮かぶ。覇気混じりの殺気がに向けられるも、
はニタニタ笑うばかりだ。
「おや、不服そうですね」
「口の聞き方に気をつけろ・・・! 腹の子共々殺されたくなけりゃ、」
「ですから、縊り殺したいのであれば殺せと申しているではないですか。
今更立場とか命に執着などしていませんし・・・あなた、何を言っているのです?」
は心底不思議そうにドフラミンゴを見上げた。
見上げて、怪訝そうに眉を顰める。
「まさかとは思いますが、私がお前になびくとでも思っていたのですか?」
周囲は沈黙した。
レベッカも、ヴィオラですら、10年夫婦として過ごしたとドフラミンゴの間には
なにがしかの絆めいたものがあるのだと疑っていなかった。
しかし、は冷え切った眼差しをドフラミンゴに向けるばかりである。
「ゴミ屑共に祭り上げられていい気になっている、王様気取りのお前に?」
「・・・!」
ここまで挑発しても、ドフラミンゴは動かなかった。
糸で細切れにされていてもおかしくはない暴言にもかかわらず。
は業を煮やしたように、ますます言葉の毒を強くする。
「ああ、そうだ。安心してください。もし万が一私が生き延びたとしても、
お前の子供は私が責任を持って不幸にします」
誰もが耳を疑った。
の口ぶりはやたらと明るく、朗らかでさえあった。
「そうですね。10歳まで甘やかし何不自由なく育てて、
突然ゴミ捨て場に捨てるとかどうです?」
は腹を撫で、慈しむような仕草で微笑む。
「腹の子がお前に似た男の子だったらやり甲斐がありそうですね。そうだったらいいなぁ。
でも、どちらに似ていようが性別がどうだろうが、同じことをしますけど」
「お前・・・!」
咎める声には驚嘆と怒り、そしてほんのわずかな恐怖が滲んでいた。
はその声を聞き、高らかに哄笑する。
「あっはっはっは!!! 愉快ですね! 嫌ですよね!?」
腹を抱えて笑うは再びドフラミンゴを指差した。
「わかりますよ。お前は結局、お前が未だに憎む父親と同じことをするんですものね!
お前の子供は! お前が父親だったせいで! 艱難辛苦に塗れた人生を歩むことになるのですから!」
青ざめて言葉もないドフラミンゴに、はなおも続けた。
「ふふふ。生まれる前に死ぬか、汚泥にまみれて生きるのかの差はありますけど。
まァ、どっちにしろ不幸ですねぇ。そうだ。腹の子に謝ってみたらどうですか?
お前はお誂え向きのセリフを知ってるはずですよ」
は心底愉快そうに笑う。
「ほら、『おれが父親ですまない』とか! ふふ! あはははははっ!!!」
ヴィオラの目から涙がこぼれる。
は壊れてしまっていたのだ。いつからかはわからないが、
少なくともかつてのはこんな風に、感情を爆発させるように誰かを罵り、嘲笑う人ではなかった。
ドフラミンゴも笑うを見て言葉を失くしている。
ここ数年のドフラミンゴとの関係は、傍目から見ても良好だった。
その全てが演技だったとはきっと誰も思わなかった。それを強制した、ドフラミンゴ自身でさえも。
ひとしきり笑い終えたは笑みを消した。
膠着している状況に嫌気が差しているようだった。
涙するヴィオラにも、怯えるレベッカにも、黙り込んだドフラミンゴにも苛立っていた。
「・・・ここまでお膳立てしてやってるというのに、
何を木偶のように突っ立っているのだか。
・・・いつまでグズグズしてるんですか?」
はドフラミンゴの足元に落ちた銃をみて、顎をしゃくって見せた。
「拾えよ、早く」
その声色は何よりも冷たい。
「すぐ済むでしょう、銃口を私に向けるか、自分に向けるかの違いだけですよ」
だが、その場にいた人間は誰も動かない。
それを見て、は深いため息をついた。
剣を持ったまま、頰に手を這わせる。
「どうせこのまま放っておいても、
鳥カゴに刻まれて”ドレスローザの愚民共”と共々私は死ぬのです。
先延ばしにしたところで結局お前はどちらかを選ばなきゃいけないんです。
わからないのですか?」
「お、お姉様、なんてことを言うの!?」
ヴィオラが聞き捨てならないと声をあげた。
その言葉はもしかすると、から一番聞きたくない言葉だったかもしれない。
だが、ヴィオラの希望は叶わなかった。
は揶揄するように、かつて新聞を賑わせた顛末を語る。
「『海賊ドフラミンゴと禁断の恋に落ちた姫。
姫と結婚するべくドフラミンゴは王下七武海となり、
娘の幸せを祝福できぬ頭の固い父王を倒し、めでたく彼らは結婚しました。
そしてドフラミンゴは国王に。姫は王妃となったのです。めでたし、めでたし』」
そして、冷たく吐き捨てた。
「こんな与太話を信じるのはただの馬鹿です」
妹も姪も断罪し、はまた声をあげて笑う。
「ふ、ふ、ふ! その馬鹿共のために、かつては寸暇も惜しんで奔走したのだと思うと。
・・・あははっ、どうにも滑稽で!」
は優しく囁いた。
その時に浮かべた笑みに狂気はなかったが、返ってそれが何よりおぞましく思えた。
「この国に、失くなって惜しいものなど一つもない。
みんな等しく、滅んで、どうぞ」
かくして、かつてドレスローザの次期女王と持て囃され、
美貌の賢姫として世界に名を馳せたリク・は死に果てた。
残ったのは煌々と燃える憎悪だけ。
ドフラミンゴが狂気に駆られたかつての妻に口を開いたが、
その言葉を誰も聞くことはなかった。
あっという間の出来事だった。
そこにはすでにの姿はなく、覇気を取り戻したルフィがドフラミンゴを睨みあげていた。
※
は自分が瞬間移動させられたことに気づいて目を瞬く。
が、傍に右手をだらりと下げた男を見つけて、納得したように頷いた。
「おや、もうお終いとはね・・・時間稼ぎにはなりましたか、トラファルガー?」
「・・・」
無言のままのローを気にすることなく、
は先ほどまで自分が居た場所にルフィがいるのを見てとると、
また、周囲にいたヴィオラとレベッカの姿が見えないのを確認する。
「ヴィオラとレベッカも、別の場所へ移動してくださったのですね。
海賊の割にお優しいことで。
一応礼を申し上げておきましょうか。ありがとうございます」
「・・・ああ」
ローは複雑な面持ちで頷いた。
ルフィが覇気を切らして10分ほど時間を稼がねばならなかった時に、
はローの前に現れた。
大剣と誰かの手首を持ったまま、はローの話を聞き、
そして調整役を買って出たのだ。
『どんな手段を使ってもよろしいのでしたら、10分程度容易いものです』
そう豪語した通り、はドフラミンゴの前に立ち、
今までの雪辱を晴らすように、時間を稼いで見せたのである。
はローの顔にやるせ無さと嫌悪感を読み取って、
心外だと言わんばかりに肩をすくめ、笑ってみせる。
「ふ、ふ、ふ。あなた、ひどい顔をしていらっしゃる。
私、ちゃんとするべきことはしましたのに・・・。いえ、むしろ、そうですね・・・」
は言葉の途中でローから視線を外し何か考えるそぶりをみせた。
再び目があった時、ローは言い知れない悪寒に瞠目する。
「トラファルガー、歯を食いしばりなさい」
何かを打ち付けるような音の後、
甲高い金属音が響いた。
はローの頰を打ち付け、その後大剣を振り下ろしたのだ。
ローはとっさに抜いた鬼哭で、の持つ大剣の刃と鍔迫り合う。
痺れる左腕に、ローはを睨み上げる。
「お前・・・!」
しかし、は興が醒めたと言わんばかりに剣を下げた。
ふぅ、と軽くため息を零し、目を細める。
「あらあら、しぶといったらないですね。さすが。
腐っても七武海ということなのでしょうか」
「どういうつもりだ・・・! 今のおれにも殺意くらいはわかる」
殺す気だっただろう、と暗に尋ねると、はわざとらしく瞬いた。
「そんな野蛮なこと致しませんよ。
まァ、意識を奪った後で左腕でも切り落とそうかとは思っていましたが」
「・・・!」
ローは鬼哭を構えたまま、奥歯を噛んだ。
は愉快そうに眦を細め、揶揄するように言葉を紡ぐ。
「ふふ、そう殺気立たないでください。恐ろしい。
非力な私では意識あるお前をどうこうはできませんからね。諦めますよ。残念、残念」
なおも警戒するローに、は笑みを解いた。
「・・・私が攻撃した理由を、お前は私に問いはしません。いいですね。
今から言う理由で納得してください」
淡々とした声色に戻ったに、ローは訝しむように眉を顰める。
「お前は私の共犯者であり恩人です。
なのですが・・・パンクハザードの件は少々腹が立ちました」
ローは息を飲んだかと思うと、黙って鬼哭を鞘に収めた。
が何のことを言っているのかはわかっていた。
モネがにとって特別な人間だというのは、先ほどの物言いでもわかっていたし、
そして他ならぬパンクハザードでの挙動でも薄々察するところでもあったのだ。
ローは帽子のつばを下げて、頷いた。
「・・・そうか」
「そうです。その責任を、お前はとってくれますね?」
大剣はまだローに向けられている。
だが、ローはそれに構わなかった。
「わかった」
了承されると思っていなかったのか、は瞬いて、
そして何の表情も浮かばないまま、思わずと言ったように呟いた。
「・・・お前は海賊のくせに誠実な男なのですね、トラファルガー」
ローはの言葉を聞き、驚きと呆れとの入り混じった複雑な顔をして、
それから深く息を吐いた。