人形のような女


シーザー・クラウンがドレスローザの王妃と最初に出会ったのは1年と少し前。
当時大将だった青キジと赤犬がパンクハザードを決闘の舞台に選んだ頃だった。

すでにSMILEの研究は完成しており、SADは量産体制を整えつつあった。
しかし大将同士の決闘ともなれば熾烈を極めるのは当然のこと。
パンクハザードが彼らの決闘の舞台ともなれば投資した施設に被害が及んでも仕方がない。

シーザーの安全を確保するため
ドフラミンゴはヴェルゴから情報を得た時点でシーザーをドレスローザに呼び寄せたのだ。

「なんでよりによって奴らパンクハザードを舞台に選びやがるんだ!」

当然、シーザーは”自らの城”を荒らされておかんむりだ。

シーザーにとってパンクハザードは理想的な環境だった。
かつての古巣であり使い勝手も良い。
何より道徳だとか法律だとかに咎められることなく好きな実験に打ち込める。

SMILEの作成はビジネスとしても役立っているが、シーザーの趣味によるところも大きい、
誰もが喉から出るほど欲しがる悪魔の実を、
自らの手で量産するのは神の御業に迫ったようで気分が良かった。

その上ビジネスパートナーであるドフラミンゴはシーザーに研究費用を惜しみなく与え、
シーザーが恨みを買った連中から守ってくれる。
こんな理想的な場所はない・・・だからこそ、今回の話には怒りを覚えた。

苛立ちに震えるシーザーに、テーブルを挟んで座っていたドフラミンゴが眉を上げた。

「そりゃあ、あの島はもともと政府の管理下だ。
 爆破事故で何もかも吹き飛んだ無人島。
 その上島に漂ってるはずの”毒ガス”はなぜだか中和されているとくりゃあ、
 誰に迷惑をかけるわけでもねェ。要するに都合がいい。無理からぬ話だろ」

「お・れ・が・迷惑だ!!!」

ドフラミンゴ直々にもてなされているのだが、シーザーの不機嫌は治らない。
酒を煽ると、いささか乱暴にテーブルにグラスを置いた。

「SADのある部屋はシェルターになってるとはいえ、相手はバケモノの大将どもだろ!?
 万が一アレが壊れちまったらあんただって無傷じゃすまねェだろうがよ!」

ドフラミンゴは肩を竦めてみせた。
SMILEには確かに莫大な資金を投資しているしSADの施設もその例外ではない。

だが、それでもドフラミンゴには余裕が見える。

「痛い出費にはなるだろうな。
 まァ、こっちには稼ぎ手がいるからそう時間をかけずに取り戻せはするだろう」

「ああ、あんたの嫁か・・・、景気がいいのは結構なことだな」

シーザーは鼻を鳴らした。

ドンキホーテ・。ドフラミンゴと結婚する前は辣腕の賢姫と名高かった王女である。
結婚したら家庭に入るのかと思いきや、
規模は縮小したものの天竜人を始め王侯貴族を相手に化粧品を売買し、
今もなおその商売を成功させている王妃だ。

シーザーはに直接会ったことはない。

だが、化粧品会社の社長で、ドフラミンゴの嫁だと言うからには、
どうせ着飾った勝気で小うるさい女なのだろうという妙な予感があった。

「会ってみるか?」

ドフラミンゴはシーザーの考えていることなど見通してるかのように、
笑みを浮かべたままそう言った。

まるで余興を面白がるようだな、と、
シーザーは使用人を呼び、を連れてこいと命令するドフラミンゴを見やりながら
不機嫌そうに酒を煽った。

そう長い時間をかけずに、客室の扉は開く。
シーザーは尖った目つきのまま扉を一瞥し、そして、目を見張る。

と申します。お噂はかねがね、ドクター・シーザー。
 いつも主人が世話になっているとか」

は笑みを湛えてシーザーに挨拶した。
手にはワインのボトルを持っている。

シーザーはあんぐりと口を開けてを見上げていた。
完璧に計算尽くされた美貌の女だった。
もう30も過ぎていると言うのに肌は艶めき、藤色の瞳は知性に輝いている。
声、服装から一挙手一投足に到るまで、上品で、隙がない。

「それにしても、この度は災難でしたね」 

ドフラミンゴの横に座り、二人のグラスに酒を注ぐと、
はシーザーに気遣わしげな声をかけた。

シーザーは我に返って口を開く。

「い、いや! 安心してくれ! 商売に差し障りはねェからな!
 必要な機材は前もってシェルターに入れてるんだ。
 そうそう滅多なことで壊れはしねェ。シュロロロロ!」

「左様ですか、リスクマネジメントがしっかりしているのは素晴らしいことです」
「フッフッフッ!」

は顎に手を這わせると感心したように頷いた。
ドフラミンゴは意見を翻したシーザーを笑っている。

「ここドレスローザでは、しばし休暇を取られたつもりでお過ごしになって、
 気晴らしをしてみるのは如何でしょう」

「ん?」

瞬いたシーザーに、は優しく微笑みかける。

「優秀な科学者とお聞きしております。根を詰めることも多いはず。
 たまには休息も必要ですよ」

シーザーは、一瞬返答に窮した。
シーザーに依頼をしてくる裏社会の人間は、
寝る間も惜しんで働き、成果を出せと迫るような連中ばかりだ。

そんな連中を躱して研究費用をむしり取り、好奇心の赴くまま研究に没頭するか、
あるいはガールズシップのきらびやかな女性たちを侍らせて、
うさを晴らすのがシーザーの常だった。

の態度は彼らとはまるで違う。
よくよく考えればドフラミンゴもそうだ。

「・・・ありがてェ申し出だ。そうさせてもらうよ。
 なに、パンクハザードでの決闘は一ヶ月も二ヶ月も続くようなもんじゃねェからな。
 この頭が錆びつくことはねェだろうさ!」

こめかみを指で叩き、上機嫌に酒を煽ったシーザーには頷き、
ドフラミンゴは笑みを深める。

「では、大将たちが去ったあかつきには存分にその知識を振るってくださいませ。ドクター・シーザー」
「フフフ、期待してるぜ、シーザー」

「あんたがたに期待をかけられたらそりゃあ、応えねェとなァ!
 この天才科学者にお任せあれ、だ! シュロロロロ!」



パンクハザードの隠された研究所。
デスクに山積みの書類を置いて、シーザーは退屈そうに紙束をめくった。
実験も商売も順調だ、しかし。

「はァ・・・」
「またため息。お疲れのようね、”マスター”」

シーザーの不調を指摘したのはドフラミンゴが寄越してきた助手、モネだ。
モネはさりげなく気を利かせてコーヒーをデスクに置いた。
遠慮なく受け取り、喉を湿らせたシーザーは眉を上げる。

砂糖が少々多めなのもモネなりの気遣いだろう。
さすがにドフラミンゴに信頼されている部下なだけある。

モネはすでにカウンターに腰掛け、ペンを走らせていた。
牛乳瓶の底のようなメガネをかけ、新聞だの手配書だのをめくりながら何かメモを取っている。

シーザーはモネになら、話したところでそう問題はあるまいと口を開いた。

「お前もドフラミンゴの部下なら知ってるだろうよ。王妃のことだ」

ペンの音が、一度止まった。

「彼女が、何か?」

「以前は手紙のやり取りをしていたんだが、ここ最近はめっきり返事がねェんだよ」

かつてドレスローザに滞在した時のこと、シーザーはドレスローズ本社にも足を運んでいる。
化粧品と科学は意外と近しい。
ちょっとした軟膏のアイディアをに提供したところ、いたく喜ばれた。

よそ行きの笑みとは違う、輝いた藤色の瞳を今でもシーザーは思い出すことができる。

『この軟膏、素晴らしい保湿効果です! この材料ならばバラの香りとも相性が良いですし、
 ありがとう、ドクター・シーザー。商品化したならばあなたにも利益の一部を支払わねばなりませんね』

『いや、そんな! おれはそこまでのことはしてねェさ・・・』

片手間にやっただけのことだから、とに遠慮するそぶりを見せたシーザーだったが、
は首を横に振った。

『恐縮なさらずに。素晴らしいアイディアには適切な報酬が払われるべきですから』
『・・・そんなにおれを買ってくれるなら、何か思いついた時は連絡しよう』

恐る恐る提案すると、は二つ返事で快諾してくれた。 

それからと言うものこっそりと文通をしていたのだが、とシーザーはため息をこぼす。
モネはペンについた羽をなんとなしに撫でていた。

「ジョーカーはそのこと知ってるの?
 それにしたって、あなたがパンクハザードとドレスローザで個人的なやり取りをするのは、
 よろしくないことだと思うけど」

難しい顔をしてシーザーを一瞥したモネに、シーザーは言い訳めいた言葉を連ね始める。

「おい、誤解してやがるな!? やましいことなんざなんもねェさ!
 ただちょ〜っと、化粧品に関して専門的なアドバイスをしたり、提案したりだな・・・。
 そんなことにいちいちジョーカーを付き合わせてられねェだろ?!」

モネは頬杖をついた。珍しくシーザーに対して呆れを隠そうともしない態度だ。

「つまり、ジョーカーは知らないわけね。
 彼の奥方と個人的な手紙を交わしてる時点で好ましくない行為よ。
 あれでジョーカーは嫉妬深いのだから・・・」

「うっ・・・」

シーザーはモネの指摘に喉を詰まらせたような声を出した。

ドレスローザに滞在していた際、ドフラミンゴとは特別ベタベタしているわけではないものの、
仲睦まじく過ごしているように見えたことを思い出していた。

「はァ・・・所詮は高嶺の花か・・・。いやしかし、王妃はマメなお人だろ?
 そんな王妃が何も言わずに連絡を絶つなんてことがあるか?
 なんかあったんじゃねェかと思うと、心配でよ・・・」

モネは胸を押さえるシーザーを横目で一瞥すると、ペンを再び走らせ始める。

「ええ、彼女は筆まめな方だから、返事はくると思うわ。
 ・・・きっと忙しいのでしょう」

シーザーは納得したように頷いている。

ノートに綴られた文字は、常のものより荒れていた。



モネがに告白してからも、お茶会は変わらず開かれた。

いつも通りちょっとした菓子や果物と紅茶が供され、
の作った化粧品を試して、衣服を着飾り、お喋りをする。
に求められれば肌が重なる。

変わったのは、これまでモネだけが化粧を施されたり、
着せ替え人形のように着飾らせられたりしていたが、
は近頃、モネに化粧を施されたがった。

当然、最初は上手くいくわけがない。

「ふふ! あはははは!」
「・・・」

モネは指を組んでから目をそらした。
は鏡を前に腹を抱えて笑っている。

「へったくそですね! ふ、ふ、ふ!」
「・・・、落ち込むからやめて」

明らかに眉墨と頬紅はつけすぎた。
アイシャドウは一番暗い色が全体に入ってしまい、濁った印象になっている。
モネが自信を持てるのは口紅の色と、ネイルの仕上がりだけだ。

は胸を押さえて息を整え、もう一度まじまじと鏡を眺める。

「うん。でも色選びはいいですよ。落ち着いた印象だし、素敵です。
 原因は道具の扱いでしょうね。人に化粧をするのは、緊張するでしょう?」
「ええ、とても」

さっと化粧を落としたは、ため息をこぼすモネにクスクス笑っている。

「そう落ち込まないで。爪を塗るのは上手ですよ」

整えられたつま先は、今日は薄い金色に彩られている。
モネと揃いの色合いだ。

「洋服も選んでください、モネ」

の提案に、モネは苦笑した。

「・・・あなたのクローゼット、最近は溢れそうよね」
「おかげで苦労してるのですよ。いや、送り主の好きな系統は大体把握していますが」

ドフラミンゴはの見目が目まぐるしく変わるのを楽しんでいるようで、
様々な系統の服を寄越している。

「へぇ・・・。ちなみにどんな?」
「上品でエロい服です」

は真顔でしれっと答えた。
モネは唖然としたのち、こめかみを抑える。

「・・・、あのね、なんとなくわかるわよ、言いたいことは。
 もう少し言葉選びはどうにかならなかったの!?」

「失礼」

は上品に微笑んで取り繕った。
そういう顔をしていると、俗な発言は何かの間違いのようであった。

「割と服の趣味は私と被るので、まあ、いいんですけど。
 でも同じコーディネートを嫌がるんですよ。どこかしら変えろと。めんどくさい。
 私のことをアクセサリーか何かだと思ってるんでしょうね」

はウォークインクローゼットの扉を開く。

「でも、そうね、あなたが選んだ服を着ている間は、
 誰かのアクセサリーじゃなくって、ただの人間になれる気がするのよ」

は悪戯めかして笑った。ささやかな反抗心の滲んだ顔に、モネは頷いた。
手を取り合って、二人はきらびやかなその部屋へと入っていった。



モネはに化粧を施すのがどんどん上手くなっていく。
に似合う色や、服の組み合わせを探すのも、さほど時間がかからなくなっていく。

互いが互いの着せ替え人形のようだ。
しかし不思議と二人が最も自分らしくあれるのが”お茶会”だった。

はもう家族や国民のことは口にしない。ドフラミンゴについても話すことが減った。

きっと王族でなかったなら、に重荷を背負わせる誰かがいなかったなら、
初めからこんな風に、屈託無く笑える人だったのではないかと、
モネはまた下手な冗談を言って笑うを眺めていた。

「口紅が落ちかけてるわよ、
「では、塗り直してください、モネ」

テーブルに並んだ筆をとって、モネはの顎を優しく掴んだ。
唇の輪郭に沿って、筆を這わせる。

モネはふと、魔が差したのだ。
吸い寄せられるように顔を寄せようとした、その時、扉が開いた。

、モネ、・・・お前たち何をしている?」

扉を開いたのはドフラミンゴだった。モネは振り返り、居住まいを正す。
はと言うと、閉じていた目を開いて、首を傾げていた。

「いつものお茶会なのですけれど」
「・・・やけに近しいな、」

ドフラミンゴはどうも腑に落ちないという顔をしていた。
自分が見たものの説明がうまくできない様子だった。

は歯切れの悪いドフラミンゴに淡々と返す。

「ああ・・・化粧を直してもらっていたのですよ。
 ところで、どうかなさったのですか?」

ドフラミンゴは「天竜人から呼び出しだ」とにメモを渡した。
ドフラミンゴを経由しての呼び出しということで、どうも相手方はすぐにの手を借りたいらしい。

「なるほど、結婚式をやるのですね、それで私の手を借りたいと。
 このかた、5回は式を挙げているのですが・・・」

男妾を持つたびに結婚式を挙げる女の天竜人の放蕩ぶりに、
は小さく息を吐いたが、すぐに立ち上がった。

「でんでん虫を使用しても? ”凪の帯”を渡りますから、海軍に手を回しますので」

レベッカの件があってから、の手元にでんでん虫を残すことをドフラミンゴは許していない。
しかし今回のようなケースも多忙なにはよく見受けられた。ドフラミンゴはに頷いてみせる。

「わかった。戻りはいつ頃になる?」
「一週間ほどでしょう。前回がそうでした。すぐに支度いたしますが・・・そういえば」

は何かに気づいたようでドフラミンゴを見上げた。

「多忙なあなたが直々に参られなくとも、使用人に伝言を頼めばよろしかったのでは?」
「・・・」

ドフラミンゴは唇を引き結んだ。
は口の端をわずかに上げてみせる。

「ふふ、失礼。意地悪を申しましたね」
「全くだな・・・お前は底意地が悪い」
「ふ、ふ、ふ」

は可笑しそうに喉を震わせて笑い、モネに一言声をかけてから慌ただしく部屋を後にした。
ドフラミンゴも要件を終えて去ってく。

一度モネに目を向けたように見えたが、間も無く扉は閉められる。
モネがそこに浮かぶ表情を捉えることはなかった。



モネはシーザーのいなくなったパンクハザードの応接室で一人、ノートにペンを走らせる。

が天竜人の結婚式に駆り出されてから間も無く、モネはパンクハザードへと出向くことになった。
「シーザー・クラウンの監視」がモネに課された命令だ。

出向を命じる際、ドフラミンゴはモネに何も言わなかった。
モネを選出した理由も、あるいは、とモネとの間に生じている違和感についても。

これが与えられた猶予なのだと言うことを、モネは理解していた。
おそらく、確信は持てなくとも、ドフラミンゴはとモネの不適切な距離感に気づいたのだろう。
だからモネをから遠ざけた。

それ自体は別に構わない。今でもドフラミンゴを優先順位の頂点に置くのは変わらない。

だが、モネにとって気がかりなのは、本心を誰にも吐露できなくなったのことだった。

でんでん虫を使うにも許可がいる。手紙にも検閲が入る。
味方も、信を置ける人間も誰一人存在しない。

そんな状況で、は身のうちに憎悪を滾らせ続けているのだろう。

モネはインクが染みを作ったのを見て、ノートのページを破る。

届かない手紙だった。

たわいもない、いつも交わしていた会話のような、”お友達”のようなやり取りの、
中身もなければ意味もない言葉の羅列。

出したとしても返事の来ないだろう手紙を、モネはため息とともにゴミ箱に捨て、
与えられた自室へと戻った。