自業自得
額から血を流すヴィオラを見て、レベッカが叫ぶ。
「もうやめて! ヴィオラさん!!」
無謀にも、ドフラミンゴにヴィオラは立ち向かった。
10年ドンキホーテ・ファミリーの幹部として過ごした”ケジメ”をつけるためだった。
ナイフを手に取り、ドフラミンゴへと向かったのは、果たして10年の恨みだけが理由であったのか、
それとも、いつかに見た憐憫と同情を断ち切るためだったのかはヴィオラ自身にもわからぬままだ。
ただ、ヴィオラは賢明な姉の仮初めの夫を殺すことにも、殺されることにも、ためらいはなかった。
「10年・・・、共にファミリーとして過ごしただけで、
お前を殺すことを躊躇するとでも?」
ヴィオラの複雑な心境を知ってか知らずか、
ドフラミンゴは麦わらのルフィとの戦闘で負った怪我など問題ではないと言わんばかりに
ヴィオラの蹴りをいなし、それどころか側にいたレベッカに糸をかける。
それに気を取られたヴィオラも、もう片方の手で吊り上げた。
笑いながら、ドフラミンゴはレベッカを操作する。
「おれは仲間の”失敗”は咎めない。
が、”裏切り”は許さねェ・・・!」
レベッカが背負っていた剣を抜いた。
剣を構えさせられたレベッカと、これから起きることを悟ったヴィオラの顔色が変わる。
一歩、また一歩と拘束されたヴィオラに近づくレベッカが、恐怖に涙した時だった。
「あら、あら、あら!」
場違いなほど弾んだ声がその場に響いた。
フッと、風がレベッカの背後から吹いたと思うと、レベッカはその場に座り込んでいた。
糸の切れ端が地面へと散らばる。
マントを纏った女が、片手で剣を持ちながら、首を傾げていた。
「お邪魔だったでしょうか?」
「お姉様・・・!」
ヴィオラの目から安堵の涙が溢れる。
それと同時に、ドフラミンゴは苦々しさを隠さず、その女を睨んでいた。
「・・・!」
満身創痍なドフラミンゴと血を流したヴィオラを見て、は愉快そうに笑う。
「あなたがそこまで怪我をするのを見るのは、初めてですねぇ、”ドフィ”」
はしげしげとドフラミンゴを眺め回した後、不意にヴィオラへと目を向けた。
「ヴィオラ、”目鯨”でも立てれば良かったのではありませんか?
少しは勝負になったと思うのですけど」
ヴィオラは、に沈黙で答えた。
レベッカを助けただが、そのあとの挙動がどこかおかしい。
何か滑稽な見世物でも見ているような笑みを浮かべている。
何も答えないヴィオラに、は口角を歪めた。
「ふふっ! やはり、あなたとは趣味が合いませんねぇ」
その笑みに、ヴィオラは怯えて肩を震わせた。
その目は雄弁に語っていた。
『愚かにも恋に狂った女は、果たして”どなた”だったのでしょうねぇ?』
はヴィオラの本心を見透かして、嘲笑っているのだと、
ギロギロの能力を使わずとも理解できた。
強張った顔のヴィオラを横目に、は再びドフラミンゴに顔を向けた。
「ねえ、”あなた”。今回の騒ぎで私の庭園は崩れ去りました。
ふ、ふ、ふ。我々が食事を共にしたあの庭は、もう見る影もありません」
ドフラミンゴも、の異様な態度には面食らっているようだった。
何より、こんなにも笑うを、ドフラミンゴも、ヴィオラですら見たことがなかった。
「・・・何が言いたい、お前、ここに何をしに来た?
妹同様、ケジメをつけに来たのか?」
は頷く。
「ある意味ではその通りですね」
は瓦礫の山と化した周囲を見て、ほぅ、と感嘆のため息を零す。
「10年、私とあなたで盛り立てたドレスローザが燃え、国民は次々倒れているわけですが。
何でしょう、不思議なことにね、とても良い気分です。晴れやかなのです」
は微笑んで言った。
「離縁していただけませんか?」
「何だと?」
世間話でもするような調子で放たれた言葉に、ドフラミンゴは眉を顰めた。
この状況にはそぐわないような、それでいて何より適当な話題にも思えた。
はクスクス笑いながらも、淡々と話を進める。
「この有様ですもの、もう私がお前の妻でいる理由は何もないでしょう?
それから、はい、」
はマントを払い、剣とは反対の手に持っていたものをドフラミンゴの足元に投げつけた。
放物線に沿って、瓦礫に点々と染みができる。
「!?」
「ひ、」
足元に転がったものを見て、ドフラミンゴは息を飲んだ。
レベッカが思わずといったように、口元を抑える。
ヴィオラの顔からも血の気が引いていた。
の投げつけたのは、手首から切り落とされた手のひらが二つ。
誰のものかを問いただす前に、は自分からその正体を明かした。
「ディアマンテの両手です。目障りだったので切り落としました」
「なんの真似だ!!!」
怒りに顔を上げたドフラミンゴが見たのは、笑いながら首をかしげるの姿だ。
「何を怒っているのです? スカーレットお姉様を殺した男に、復讐して何が悪いのですか?
『実の弟を傷つけたら、それが切り傷一つでも死を与える』と豪語していたと言う、
お前の理屈と同じことをしただけのこと」
ドフラミンゴはの言い様にある直感を得ていた。
「・・・! ローだな・・・!
お前、どうやってあいつと手を組んだ?!」
はローと通じていたに違いない。
おそらくのことだ。昨日今日の話ではないだろう。
思い当たるのは、パンクハザードにが視察した時のことだった。
だが、はドフラミンゴの疑問に答えない。
「どうでもいいんですよ。そんなことは」
は俯き、小さく息を吐いた。
そして、顔を上げる。
はドフラミンゴを睨みあげていた。
長いまつげに縁取られた眦は吊り上がり、
柳眉を逆立てる様は今まで見たことのない表情だった。
鬼のような形相に、ヴィオラとレベッカは目を見張った。
「なぜ殺したの?」
声色だけは淡々と、ドフラミンゴを問いただす。
「スカーレットに何の罪があったの?」
「・・・え?」
レベッカは母親の名前を出したに、驚いている。
「よりによって、なぜ見せしめにスカーレットを選んだの?」
「お姉様・・・?」
ヴィオラがの挙動にまさか、と目を見開いた。
の眇められた目から、一筋、涙がこぼれ落ちる。
「誰より幸せになるべき人だった。
彼女さえ幸せなら、私は他に、何もいらなかった」
声は段々と低くなる。
その形相に相応しい怨嗟の声へと変わってゆく。
「・・・気付いた時には手遅れで、弔えもしなかった。
下手人の男には嘲笑され、彼女の忘れ形見の姪には詰られた」
それはいびつに組み合っていた歯車が調整され、
徐々に噛み合っていくのを見ていくようだった。
そして、声と顔とが、重なった。
「『お前のせいでスカーレットは死んだ』と」
煮詰められた憎悪と怒りがその場の空気を重くした。
誰も一歩も動けず、声を発することさえできない。
その空気に当てられてか、レベッカの肩が震えている。
は、ドフラミンゴを睨む目はそのままに、唇を笑みの形に歪めた。
それはどこか、勝ち誇ったような色を含んでいる。
「ねぇ、我が亭主殿、この腹にはお前の子がいるのですよ」
ヴィオラがその場に崩れ落ちた。糸の効力が一時的に失われていた。
そちらに気を回す余裕が、その一瞬、確かに失せていた。
「・・・は?」
唖然とするドフラミンゴからは視線を外し、
座り込んだままのレベッカが取り落とした剣を拾い上げると、
レベッカの手を取って、剣を握らせる。
「ほら、ダメですよ。ちゃんと握っていなくては。キュロスに叱られますよ」
「え、あ・・・」
レベッカは得体の知れない怖気をから感じ取り、怯えていた。
は微笑みかけると、レベッカの背に立ち、しゃがみこむ。
「少し聞き苦しいことを喋りますので耳を塞ぎますね」
「あの、、さん?」
の目が細められた。
「聞き分けないのなら耳をそぎ落としますよ」
優しい声色だったが、は紛れもなく本気だった。
レベッカはなんとか頷いて見せる。
はそれを見て満足そうに眦を緩め、レベッカの耳を塞いだ。
ディアマンテの手首を切り落とした時に付いた血が乾いて、レベッカの頰にボロボロと崩れ落ちた。
それにも構わず、は淡々と口を開く。
「ええと、そう。私が妊娠していると言う話をしていたのですけど、
・・・あの、なんでそんなに驚いてらっしゃるのかしら。
仮にも我々”夫婦”だったではありませんか?
子宝に恵まれるのはめでたいことでは?」
「、お前、デタラメはよせ。そんなわけが、」
は疑うドフラミンゴに鼻白んだらしく目を眇め、ため息を零した。
「・・・面倒な。マンシェリーでも呼んできてこの腹を捌けばよろしいのですか?
多分、小さくとも胎児の形はしてると思いますから、見ればわかりますよ」
ドフラミンゴとヴィオラの表情が強張った。
は肩を震わせて笑う。
「ふふ。まあ、時間がないしお話にならないのでやりませんけども。
何をそんな青ざめていらっしゃるので? 笑えば良いのでは?
”血”と”死”こそ”娯楽”なのではなかったのですか?
いい見世物でしょう、王族の女が自ら腹を捌く流血ショーです。
・・・お気に召さない? まァ、どうでもいいですが」
唖然とするドフラミンゴには話を進めた。
「お前が子を持たぬよう気を配っているのはわかっていましたが、
身に覚えがないわけではないでしょう?
・・・オペオペの能力というのは便利ですよねぇ。
助力を仰げばこの通り、まだ腹は目立ちませんけど。ふ、ふ、ふ!」
ドフラミンゴは奥歯を噛んだ。
ローのオペオペの能力は”人知を超えた手術”が可能になる。
そして何より、は”有言実行の女”であることを、ドフラミンゴはよく知っていた。
は喉を鳴らし、皮肉に歪んだ笑みを浮かべる。
「それがどれだけおぞましいことだったかわかりますか?
私は女しか愛せないというのに」
ヴィオラは驚嘆のあまり絶句していた。
は心底軽蔑したような目でドフラミンゴを見上げる。
「お前と来たらそれに10年気づきもせず、
王女である私に売女の真似事をさせて愉しむような”女衒上がりのクズ”で、
その上自分が女に好かれるのが当然と思っている自惚れた男なのですから
全く、我が身が呪わしい」
ドフラミンゴはの暴言にも黙り込んでいる。
その様子に、どこか腑に落ちたような色を読み取って、は首を傾げて見せた。
「あぁ、でも、薄々気づいてはいたのでしょうか?
お前、モネを私から遠ざけましたから」
「まさかとは、思っていたが」
ドフラミンゴはサングラスの下、目を眇めた。
はそれを見て、浮かべていた笑みを消した。
「・・・”私の可愛いカナリア”」
は感情の伴わぬ声で呟く。
「あの子には長らく世話になりました」
レベッカの耳を塞いでいた手をとり、立ち上がったはドフラミンゴに一歩、また一歩と近く。
レベッカはその場にへたり込んだまま、振り返りもせずドフラミンゴに向き合ったの背を眺めた。
黒いドレスは着飾ってはいても喪服のようだ。
死の気配を濃厚に伴って、はかつての夫を罵った。
「・・・お前が悪いのですよ。お前が1年前、あの時私を殺していてくれたのなら、
私はこんな無様で見苦しい、”非人道的な手段”に打って出ずに済んだのです」
幾らかの悲哀を感じさせる声色だったが、その顔には嘲笑が張り付いている。
いつだって笑みを浮かべていたドフラミンゴが笑みを失くしているのと対照的に。
「まァ、それも”自業自得”というやつですよね?
さァ、3度目ですよ”ドフィ”、言うじゃありませんか、”二度あることは三度ある”と」
銃弾の入ったピストルをドフラミンゴの足元に投げ捨て、は冷たく言い捨てた。
「拾え。お前に許された選択肢は二つ。
私ごと腹に宿るまだ見ぬ我が子を殺すか、お前が死ぬかだ」
氷のような声色で紡がれた言葉に、は奇妙な可笑しみを覚えたのか、口角を上げる。
「私にしては、情熱的ではありませんか? ねぇ?」
眦を細め、ドフラミンゴの顔を覗き込むようにして放たれた言葉に、応えるものは誰もいなかった。