厄介な女


ドフラミンゴがルフィに倒されて一日。

ローは潜伏先のキュロスの家の扉を開く。
野花が咲く丘を歩きながら、厄介な女に面倒ごとを押し付けられた、
そのきっかけを思い返していた。



『お前、遂行すべき目的のために、地獄に落ちる覚悟はありますか?』

あの日、パンクハザードで手術を終えた後、はローの腕に手を置いてそう囁いた。
ローはすぐさま手を払いのけ、悪魔のように誘いをかけたへ厳しい声を投げかける。

『お前の話す内容次第だ』

警戒するローに、はくつくつと喉を鳴らすように笑う。

『ふふ、冷静ですね。気に入りましたよ。いいでしょう、お話しします。
 前置きはいいと言うのであれば簡潔に』

はローに尋ねた。

『お前、私を妊娠させることは可能ですか?』

ローは耳を疑った。
の吐いた言葉の意味が理解できなかったのだ。

『・・・・・・は?』

たっぷりとした沈黙の後、
言葉を失っていたローがどうにか単音を絞り出したのを見て、
は己の言葉足らずに気づいたらしい、
「ああ」と合点がいったように頷いてから首を横に振った。

『失礼、言葉が足りませんでしたね。
 お前の種が欲しいのではないのですよ』

率直な物言いにローは頰を引きつらせたが、ひとまずの発言を咎めるのは止めにした。
いちいちの言動に横槍を入れていては
話が一向に進まないことがなんとなく予想がついたからだ。

ローの内心など全く気にかけず、
は顎に手を当てて考えるそぶりを見せる。

『・・・それはそれで愉快な顛末になりそうですが、そうではなく、
 人工的に、ドフラミンゴの子供を、この腹に宿すことは可能ですか、と聞いているのです。
 人智を超えたオペオペの能力ならば、おそらく可能なのではと思うのですが』

ローはそこでの意図を悟った。
思えば、ドフラミンゴとは10年近く連れ添っているが、
子供を設けていない夫婦である。

口ぶりからドフラミンゴを憎んでいるらしいが、
なぜドフラミンゴの子を欲しがるのかは不明だが、
確かにそちらはオペオペの能力の分野であるようにも思えた。

しばし考えて、ローはに問いかける。

『・・・お前の方に問題があるのか?』

は口角を歪めた。

『いいえ、あの男に子を作る気がないだけですよ。
 10年散々な目に合わせておいて全く不義理な話ですよね』

は皮肉めいた言い回しでドフラミンゴをなじると、
手術台のそばにあったハンドバックを引き寄せながら話を続けた。

『ここに、今朝方採取した種があるので、サクッとなんとかできませんか?
 直射日光に当てず、温度を一定に保ち運搬すればなんとかなるという話を
 聞いてそのようにしたのですけれど、果たしてこれで良かったのかしら、』

『おい! ちょっと待て!!!』

ローはハンドバックから何かを取り出そうとしたの手をとって制した。
驚いたらしいは目を瞬き、怪訝そうにローを見やる。

『はい? なんですか?』

ローの脳裏にはありとあらゆる疑問が駆け巡っていたが、
ひとまずの意図を理解しなくてはならないと言葉を選ぶ。

『お前・・・お前、何を考えて・・・!』

違う、そうじゃない、この女にそういう真っ当なことは通じない、と、
すでに察していたローは深く息を吐き、頭を振った。
そして平生を装い、尋ねる。

『・・・前置きはいいと言ったのは悪かった。順序立てて話してくれ。
 そもそもなんでお前はあいつの子供を欲しがる?』

ローの質問は正解だったのだろう。は口角を愉快そうに上げた。

『復讐のために決まっているでしょう?』

そして、は計画の成り立ちから語り出した。
ドフラミンゴ自身の口から生い立ちについて聞いた時に、この計画を思いついたのだと言って。

『”あれ”は幼い頃まで贅沢な暮らしを送っていたようですが、
 10歳の時、平民にかしずかれるのを嫌がった父親の失敗で、
 汚泥をすするような暮らしを送るようになったそうです』

『それを恨んで父を殺し、また、成長して海賊になってから
 自らに反逆した海兵の弟もその手で撃ち殺したとか』

半分は知らない情報だったが、後半にはローの知る情報も含まれていたから、確かなことなのだろう。
思わず、ローの眉間にしわが寄る。

『・・・おや、顔色が変わりましたね?』
『気にするな、続けろ』

話を止めようとしただが、ローに促されると頷いた。

『・・・ゆえに、”あれ”は血縁というものに否定的です。
 あれほど”ファミリー”にこだわる男がですよ?』

は嘲るように笑い、そして淡々と述べる。

『だから、私は子を設けたいのです。子を設けて、利用したい』

そこまで冷静だった声色に粘りつくような残忍な色が乗った。
のまとう空気が嗜虐めいたものに変わる。

『”あれ”と同じように10歳まで甘やかし育てて、ごみ処理場のある島に捨てるのがいい。
 世界政府非加盟国ならより望ましい』

『あるいは奴隷商や天竜人に二束三文で売り飛ばしてもいい。
 ”あれ”の子が自らも行う下劣な商売の餌食になったと教えてやるのも愉快です』

『あるいは子供にある事ない事を吹き込んで、子供と殺し合いをさせてもいい。
 これは時間がかかるのが難点ですが、きっといい見世物になること請け合いです』

胸の悪くなるような残忍な計画を、は愉快そうに笑いながら説明した。
そして、頰に手を当てて、困ったように眉根を寄せる。

『悩みどころです。どれも捨てがたくて・・・』
『・・・なぜ、』

ローは胸糞悪いのを隠そうともせずに、を睨む。
だが、は眦を細めて首を横に振るばかりだ。

『ふふふ、私は非力な女ですから、まともな戦闘では”あれ”には敵わない。
 たとえ決死の覚悟で臨んでもね。
 命を奪うことはできないし、・・・しません。意味がありませんから』

なおも厳しい表情を浮かべるローに、目を伏せたは語りだした。
ドフラミンゴに、どのように辛酸を嘗めさせられたのかを。

国民と家族を人質に取られた挙句、
その死を偽って庶民に降嫁した姉を見せしめに殺されたことを。

『幼い頃から寝食を惜しみ、その発展に尽力した国も財産も奪われ、
 私が立ち上げ青春を捧げた会社も解体されました』

最初は静かだった声がやがて硬質なものへと変わる。

『残ったのは醜悪な国と、あの男の書いたストーリーに踊らされた愚かな国民。
 家族でさえ、私を信じきった人間はいなかった。ただの一人もです。
 ・・・どれほどの屈辱だったかわかりますか、お前に』

その眼差しは声色とともに怒りに尖っていった。
最後に絞り出された言葉は憎悪に歪んでいる。

『何より・・・、何より私は、愛する姉を殺した男の妻になったのですよ・・・』

ローは目を眇める。
その仕草に同情を見て取って、は眉を顰めたが、
触れることはせずに、そのまま話を続ける。

『生き地獄です。ずっと死にたかった。
 ・・・ですが、タダで死ぬには割に合いませんね』

怨嗟に淀んだ声が部屋に響く。

『私が死ぬときは、あの男が一生の傷を負うときです。
 ・・・決して死なせるものですか。
 ずっと、ずっと、生かして苦しめてやるのです』

拳が色を失い、固く握られていた。

『必ず私と同じ地獄に引きずり落としてやる・・・!』

切り裂くような鋭い声が反響した後、静まり返るオペ室に、
我に返ったようではふ、と柔らかな笑みを浮かべた。

『そう考えた時に、・・・ふふ! 思いついたのです』

口の端を三日月の形に歪め、はっきりと。

『私は女です。それを恨んだこともありましたが、見方を変えればいいのです。
 女にしかできない、うってつけの方法があるじゃぁありませんか。ねえ?』

これが理由です。胸に手を置いてそう朗らかに笑い、は口を閉じる。
ローは眉を顰め、を睥睨した。

『お前に耐えられるのか』

『何を今更。私は心底憎む男の耳元で夜毎ありもせぬ愛を囁いた女ですよ?
 そうやって10年耐えたのです。もう10年耐えることなど造作もありません』

は頰に手のひらを這わせ、首をかしげた。

『たとえそれが吐き気を催すおぞましい汚物のような”我が子”を育むことでも、
 私は”それ”を宝物のように扱って、慈しんでみせましょう。・・・”それ”が10歳になるまでは』

固い決意の滲む言葉に、ローは深いため息をこぼした。

『・・・わかった』
『引き受けて下さるのですね』

喜色の浮かんだその顔に、ローは首を横に振った。
それから、扉に目をやって、オペ室の中に”ROOM”を展開する。

カルテとペンが浮かび、ローとの手元までやってきたかと思えば、空中でペンが踊った。

”モネに盗聴されてる可能性がある”

は息を飲んだ。さらにペンが言葉を綴る。

”オペはしない”

『!』

怒りにローを睨んだに、ローはカルテを黙って指差した。
話は最後まで聞けということだろう。

眉を顰めたまま、不服そうにひとりでに動くペンに目を移したに、ローは不敵な笑みを浮かべる。

”10年待つ必要もない。おれは3ヶ月以内にことを起こす。
ドフラミンゴを玉座から引きずり下ろすつもりだ”

そしてある一文を書き終えて、ペンが空中で静止した。

”お前は今の計画を実行した、ということにすればいい”

は瞬いた後顎に手を当て、浮かぶペンを指差した。
ローはペンをに渡す。

”それは、私に「一芝居打て」ということですか?”

カルテに書き付けられた言葉に、ローは頷いた。

そしてから再びペンを奪い、
簡単にローの立てていた計画のあらましを書き付けた。

パンクハザードにあるSADを破壊するつもりであること。
シーザーを人質にドフラミンゴから王下七武海の座を奪うつもりであること。
さらにドレスローザまで赴き、SMILE工場を破壊するつもりであること。
カイドウとドフラミンゴを殺しあわせるつもりであること。

成功率は低くはないが高くもないだろう。
難しい顔をしただが、何に閃いたのか、やがて口角を歪めた。

ローの計画自体は失敗しようが成功しようがには関係ないと気づいたのだ。

 かつての部下でありながらドフラミンゴがら権力を奪おうとしたトラファルガー・ローと
 手を組んでいた妻。
 それだけでもプライドの高いドフラミンゴにとっては屈辱だろう。

 その上妊娠した妻を殺す羽目になれば、それはドフラミンゴの深い傷となる。
 何より、はったりであろうと、の計画した”3度目の肉親殺し”として成立する。

 ローがドフラミンゴに牙を剥いたその日、は念願の死を迎えることができる。
 それも、一番効果的なやり方で!

ローが指を動かすとどこからともなくマッチが現れ、魔法のように火がついた。
カルテの紙は銀色のトレーの上であっけなく燃え尽きてしまう。

は声をあげて笑った。

『ふふっ! ふ、ふ、ふ!!! なかなかに悪人ですね、お前。
 理想的な共犯者を得たようで、嬉しいですよ、私は!』

『・・・そうか。こっちは全く嬉しくねェよ』

こうして、どこか疲弊した様子のローにも構わず、
は上機嫌なまま、シーザーとのやりとりに向かったのである。



振り返っても、という女は初めからまともな女ではなかった。
ローは苦虫を噛み潰したような顔をする。

ローの向うのはひまわり畑だ。
晴れ渡る空に花々の咲く道を通っていてもお世辞にも気分がいいとは言えなかった。

ローの行く先には死を待ち兼ねるがいる。

『ひまわり畑で殺してください』

がローに頼んだ”責任の取り方”がそれだった。

王妃に死刑執行人の役目を仰せつかった”死の外科医”は歩む。
待ち合わせ時間まで、あと数分だ。