tempest


    「よォ。ロシナンテ。その後どうだ?」
    「何のことだ?」
    「分かってるだろ?軍医のことだよ。
     聞けたのか?危険な任務ばかり参加する理由は」

    ロシナンテが昼食をとっているとセルバントが前の席に座った。
    セルバントの顔は相も変わらず嘘くさいニヤけ面だ。

    初対面では愛想が良いと思われることも多いその顔だが、
    流石に10年近くの付き合いになるとその微妙な機微も読み取れるようになる。

    今、セルバントは面白がっている。
    ロシナンテは軽く息を吐き、ジト目でセルバントを睨んだ。

    「いい加減面白がるのを止めろよセルバント、
     仕事だからって言われた。はぐらかされたよ。・・・ただ」
    「ただ?」
    「いや、軍医なんだが、このところ顔色が悪そうでな」

    ロシナンテが言うと、セルバントが首を傾げた。

    「そうなのか?おれはあまり近くで彼女を見たことねェからわからないが。
     それで次の遠征なんかに参加して大丈夫かね?
     白兵戦になるだろうし、現場走らされるだろ、多分」
    「だよなぁ」

    ロシナンテがその顔を曇らせるのを見て、セルバントは半ば呆れていた。
    コーヒーを啜りながら新聞を捲る。

    「お前恋人でもないのにそんな心配してどうすんだよ。
     いや、別に責めてるわけじゃない。
     性分だもんな。一生治んないよ、お前のお人好しとドジは」

    セルバントはどう聞いても罵っているようにしか聞こえない言葉を吐いた。

    「・・・悪かったな」
    「だから責めてるわけじゃねぇって。海兵向きだ。おれと違って」

    苦笑するセルバントに、ロシナンテは内心『自覚があるのか』と呆れる。

    情報に明るいセルバントだが、彼は戦闘、任務において卑怯な戦法も平気で使うし嘘も言う。
    一言で言うとやり口が汚いのだ。
    そんなんだからセルバントは上司には嫌われ、部下には恐れられている。

    「お前はやり方が姑息だからな、罠にはめたり情報戦に持ち込んだり・・・。
     たまにすげェえげつないやり方してるときあるだろ、
     アレ、上からも下からも評判良くねェぞ」

    ロシナンテの忠告にセルバントはますます苦く笑った。

    「仕方ねえだろ、おれは腕っ節はイマイチなんだから。
     アタマでカバーしてるんだよ」
    「頭使うのは結構だが、もうちょっと配慮しろ。
     お前んとこの部下がたまにすげぇやつれた顔でおれのとこに相談来るぞ」
    「ヘェ?」

    ちっとも気に留めた様子のないセルバントにロシナンテは相変わらずだ、と目を眇めた。
    海賊以外には明るく、冗談も通じる良い奴なのだが。

    ロシナンテに内心で罵られているともつゆ知らず、
    セルバントは口元に手を置くと、考えるそぶりを見せる。

    「・・・話を戻すが、ロシナンテ、前にも教えたけど、
     軍医の白兵戦の参加率、ほぼ100%だ。
     戦火に巻き込まれるからってんで、
     他の軍医の参加率が50%程度ってことを考えると、異常だぜ」
    「なにが言いたい?」

    ロシナンテの声に真剣な色が乗る。
    セルバントもそれに合わせて真面目な声で推論を述べた。

    「彼女捨て鉢になってるんじゃねぇのか?」
    「!」

    ロシナンテは息を飲む。
    言われて見れば、そう考えることも出来そうだと思った。
    確かにどこか影のある眼差しや、心配する人間など誰も居ない、と言っていた口ぶりは、
    どうも儚気で、ロシナンテを「生きろ」と言って励ましたくせに、
    自身は生きていることに対して執着していないような感じを受けた。

    セルバントは頬杖をつく。

    「ま、ただの憶測だ。実際はそんなつもり無く、
     ただひたすら命を救おうとしての、使命感故の行動かも知れない。
     その辺の感情の機微とかはどっちかと言うとお前のが分かるだろうよ」
    「・・・」

    難しい顔をして黙り込んだロシナンテに、セルバントは呆れている。

    「あのなァ、・・・まあいいよ。
     そんな大事ならちゃんと戦場でも守ってやれよ?少佐殿」
    「・・・言われなくても、そうするつもりだよ」

    口角を下げたロシナンテを、セルバントは笑う。
    笑われるのは面白くないが、面白がられても仕方ないとも思っていた。

    に関することで冷静で居られたためしがない。

    どうしてここまで心を乱されているのか、ロシナンテ自身疑問だった。

    一目惚れに近いことも自分で分かっていたが、
    それならもっと冷静で居られただろうとも思っている。

    命を救われたから?生きてくれと懇願されたから?
    皮肉屋だけど優しくて、可愛いと思うから?
    どれも正解のようで、それだけではない気がする。

    だが、セルバントの推論で、ロシナンテはその答えの、
    核心の片鱗のようなものを嗅ぎ取れた気がしていた。

    はロシナンテに似ているのかも知れない。
    は多分、なにか心の内に隠しているものがあって、
    そのせいで、その出で立ちに影が付いて回っている。
    壁を作っているのだ。
    まるでそうしなければ行けないのだと言わんばかりに。

    きっとそんなこと、しなくてもいいことなのに。

    時間はかかったし、今だって何もかもを打ち明けているとは言い難いけれど、
    ロシナンテにも友人が出来た。両親のように、慈しんでくれる人も。
    だから、だって、心のよりどころを見つけられるはずだ。

    ・・・できればそれが自分ならいい、とも思っている。

    ロシナンテは密かに苦く笑った。
    今までは、自分のことで、精一杯だったはずなのだ。
    ドフラミンゴを止めるために、センゴクへの恩義へ報いるために生きていた。
    それなのに、たった一人、未だに心を開いても居ない、
    知らないことの方が多いに、惹き付けられて、振り回されている。

    まるでただの、ごく普通の人間のように。

    「なあ、セルバント、おれは馬鹿なのか?」
    「何だよ、急に」

    セルバントはぎょっとしたように目を瞬く。
    ロシナンテはどうして良いか分からない、といった表情で俯いていた。

    「頼まれてるわけでもねェのに心配でしょうがないし、
     軍医に関することだと冷静に行動できねェんだよ。
     自覚あるんだ、これでも。
     ・・・大して知りもしない相手に馬鹿かな、おれは」
    「東の海のことわざに、こんなのがある」

    セルバントはもったいぶっている。
    咳払いをして言った。

    「”恋はいつでもハリケーン”
     そういうもんだぜ、恋なんて天災みたいなもんなんだから下手に抵抗しても無駄だ。
     それにお前散々軍医に理由つけて話に行ってるんだから
     そんなこと言うのは今更ってもんだろ」

    「ぐ・・・お前、いちいち突き刺さるようなこと言いやがって」

    を見かけると殆ど衝動的に声をかけているのだから、セルバントの言い分は正しい。
    セルバントはさらに続けて言った。

    「大体、誰かを良い奴だと思ったり、気に入ったりするのに理由がいるのか?
     誰かを条件で量ったりするような奴じゃないだろお前。
     アンケートのチェックボックスを埋めるみたいに、
     人を好きになるほうが問題だとおれは思うが」

    「セルバント・・・」

    こういう一面を部下も知れば、セルバントの悪評も少しは無くなるだろうに。
    ロシナンテはそんなことを思いつつ、口の端を緩やかに上げた。

    「お前、結構ロマンチストなんだな」
    「オイ、おれがイイ話してやってんのになんだよその反応」

    軽口を叩くロシナンテに、セルバントは目を眇めた後、悪戯っぽく笑った。



    ロシナンテは備品室を訪れていた。
    恐らくそこにはがいるはずだった。

    そっと中を覗き込めば、医療班が備品のチェックを行っている。
    そのなかに、一際若い軍医が居る。だ。

    危険度の高い任務だからか、心なしか軍医達の顔は硬い。
    その中に居て、は不自然だと思える程、平然としているように見える。

    整備を終えた軍医達がぞろぞろと出て行くと、はその一番後ろに付いて歩いていた。

    軍医」
    「・・・ロシナンテ少佐?どうしたんです?」

    呼び止められたは目を瞬いてロシナンテを見つめる。
    ロシナンテは頷いて、言った。

    「明日、よろしく頼む」
    「え、ええ。勿論」

    首を傾げて不思議そうにしているの肩を掴み、ロシナンテは言った。

    「軍医が誰も怪我しないように、おれたち、頑張るからな!」

    はきょとんとした顔をする。
    あどけなさを残すその顔が、傷つくところなど見たくはない。
    は少し考えるそぶりを見せてから緩く笑みを浮かべ、首を振った。

    「あの、ありがたい申し出ですけど、私たちよりも、任務を優先してください。
     私たち軍属していますし、護身位は出来ます。・・・帯刀、帯銃も許されていますから」
    「分かってる」

    ロシナンテは頷く。
    がそんな風に言うのは分かっていた。
    交わした会話の中で、が真面目で、少し頑固な部分があることはもう知っている。

    「明日はすぐに、終わらせるから」

    ロシナンテの答えに、の目がますます大きく見開かれた。
    その手が喉を抑えている。

    「どうした、ロレンソ軍医、喉が痛むのか?」
    「いえ」

    は俯いて目を逸らした。
    深い影がその瞳に落ちている。
    喉を抑えていた手が、今度は胸を抑えていた。
    が小さく何か囁いた気がしたが、ロシナンテには聞き取れない。

    、軍医?やっぱりこの間から体調悪そうだ。
     明日の任務も誰かに変わってもらった方がいいと思うが」
    「・・・大丈夫ですよ、ロシナンテ少佐」

    は顔を上げ、にこ、と微笑んだ。
    完璧に計算尽くされた微笑みのように思えた。

    「少佐こそ、怪我をしないでくださいね。
     あなたのドジは・・・ちょっと規格外なところがありますから」
    「ひ、否定出来ない・・・」

    眉を下げたロシナンテを、がクスクス笑っている。
    その顔を見て、やはり、怪我をさせるわけにはいかないと、ロシナンテは誓うのだった。



    結論から言うのなら、その任務は成功だったし、
    海兵の中にけが人は殆ど出なかった。
    一人だけボロボロのロシナンテ少佐と
    多少の傷を負った部下が気絶した海賊の船長を引きずるように捕らえて来たのは、
    作戦開始の号令が出て20分もしないうちの出来事である。
    頭を失った海賊達はものの見事に戦意喪失し、あっけなくその島は海軍によって制圧された。

    これには他の隊の海兵も、そして付き従っていた医療班の誰もが唖然としていた。
    他の隊にいたセルバント少佐が乾いた笑みを浮かべる。

    「いやぁ、守ってやれよと発破はかけたが、
     やり過ぎだろ・・・おれたちの出番殆ど無かったな」

    体を張り過ぎだ。せめて肩くらい貸してやろう、と
    傷だらけのロシナンテに近づこうとするも、
    先にロシナンテの前に躍り出た影があった。

    「ロシナンテ少佐!なんて無茶を・・・!」

    がボロボロになったロシナンテに駆け寄ったのだ。
    ロシナンテがに微笑んで見せた。無理矢理な笑みだった。

    「途中までは上手くいってたんだが、ドジった・・・」
    「一人で突っ走るからですよ!何のために他の隊の皆さんが居るんですか!?」

    の言い分はもっともだった。
    怒りながらも的確に処置をするにロシナンテは言う。

    「でも、被害は最小限に済んだだろ?」
    「ふ、ふざけないでください!死んだらどうするんですか!
     誰か一人の犠牲でなんとかなったらそれで良いって言うんですか!?
     何のために海兵隊に医療班が付き従うと思ってるの!?」

    明らかには怒っていた。
    セルバントは軽く眉を上げる。
    は滅多に表情を変えないと聞いていた。
    ただ淡々と、粛々と仕事をこなす若い女軍医だと。
    しかし今は違う。

    「もうこんな、無謀なことは止めてください。
     お願いですから」

    眉を顰めたその顔を見て、ロシナンテは息を飲む。
    セルバントは腕を組んで面白そうに口の端を上げた。

    「・・・悪かった。もうしない」
    「なら、良いです」

    は大きく深呼吸する。
    周囲を見渡し、注目を集めていたことに気づいて、
    微かに頬を染めたは唇を噛んですっくと立ち上がった。

    「・・・マリンフォードへ戻ります。
     ロシナンテ少佐の部隊は見たところ軽傷の方が多いみたいですね。
     少佐以外は簡単な治療で済みそうです。
     少佐はマリンフォードの医療棟で本格的な処置を。
     手続きは私が踏みます。担架の用意をお願いします。
     お手数ですがどなたか手伝って頂けませんか。私では運べませんから」

    「OK、おれがやろう」

    セルバントが手を上げた。はセルバントを見上げ、軽く頷いて船へと戻る。
    セルバントは自身の部下の一人に担架の片側を持たせ、息を吐いたロシナンテに、
    揶揄うような笑みを浮かべた。

    「怒られちまったな、少佐殿?」
    「・・・うるせェ」

    拗ねたような顔をするロシナンテに、セルバントはくつくつ笑う。
    意外とこのドジッ子にも脈が無いわけでも無さそうだ。しかし。

    「一瞬すげェ目をした気がするんだよな、軍医・・・」

    セルバントの独り言に、ロシナンテが目を眇めた。

    「どうした、セルバント」
    「いや、何でも無い。気にするな怪我人、休んでろ」

    の視線はまるで野生の獣のような気配を帯びていたように思えたのだ。
    しかし、それは瞬間的なことだった。現にロシナンテは気づいても居ない。
    セルバントは漠然とした不安を覚えたが、そんなことはすぐに忘れてしまった。

    何しろ、命の危険なんて、海兵に取っては日常茶飯事だったし、
    セルバントにとっては気にかける程のことでもなかったのだ。