Beautiful hour


    相変わらずいつもの酒場で、他の客席とは遠い席に案内される。
    その日、セルバントはやる気の無い拍手を送りながらロシナンテに酒を振る舞った。

    ジョッキを掲げ、セルバントは淡々と言った。

    「ロシナンテ君婚約おめでとう。爆発しろ」

    毎日仕事に忙殺されているせいかセルバントの顔には疲労が暗い影を落としている。

    「・・・お前、言ってることが支離滅裂だぞ、大丈夫か?」

    罵られたと言うのに、ロシナンテが思わず心配そうなそぶりを見せると、
    セルバントは軽くため息をついた。

    「大丈夫じゃねェよ、まーたお前の惚気話と
     砂糖吐きそうなエピソード漬けになるかと思うとおれは涙が止まらねェなァ」

    「だから、いつも言ってるが面白がって聞いてこなきゃ良いだろう?
     聞かれなきゃ言わねェよ。
     というかセルバント、お前痩せたろ。メシ食ってんのか?
     ただでさえひょろひょろなのにそんなんで海兵が勤まるのか?」

    「ひょろひょろとは何だ。お前が恵体なんだよ。
     おれはフツーだ、フツー」

    そう言いながらもジョッキを煽るセルバントは自分の手首を見つめて、
    「でも、確かに最近腕時計が緩いんだよなァ」と息を吐いている。
    そのやつれぶりに、ロシナンテは若干引きつった顔をした。

    「・・・うわ。忙しくてもなんか食えよ」
    「分かってんだけどさァ、そうする時間も惜しいっていうか。
     サカズキ中将は多分もっと上に行く方の人だし、
     おれも一回限界ギリギリまでやってみようと思ってよ」

    どうやらセルバントなりに、赤犬を案じているようだ。
    しかし最近は神経が参り気味だ、と自嘲している。

    「おれも軍医みてェな嫁を貰えば心の余裕ができるのかね」
    「やらねェぞ」

    思わず低い声がロシナンテの口から零れる。
    セルバントはちょっと吃驚したように眉を上げた後、呆れて目を眇めている。

    「・・・おい、なんでマジな顔になってんだよ。”みたいな”って言ってんだろ。
     前言を撤回する。お前もっと余裕を持て。
     あんだけお前にべた惚れな軍医が余所見するわけねェよ」
    「・・・それもそうだな」

    セルバントは肩を竦めた。

    「ハァー!やれやれだぜ!大体お前なァ、プロポーズの経緯聞いたけど、
     ククっ」
    「・・・お前が何を思い出してんのかは大体分かってるからさっさと話を進めろよ」

    間違ってロシナンテのサイズの婚約指輪を
    二つ用意したエピソードを聞いてセルバントは腹を抱えて笑っていた。
    その笑いがぶり返したらしい。
    セルバントは笑い過ぎて出てきた涙を拭いつつ、ロシナンテを指差した。

    「そもそもあの軍医を見て断られるかもって思う方がおかしい。
     あと軍医はお前のためなら若干アレなことでもやりそうで怖い」
    「あ、アレなことってなんだよ!?」

    ロシナンテが何を言っているんだ!?とセルバントに食って掛かると、
    セルバントはニヤニヤといつもの笑みを浮かべる。

    「今お前が想像したような事だよ。・・・で?なに想像した?ん?」
    「お、お前って奴は・・・!」

    セルバントのカマ掛けにまんまと引っかかったロシナンテはぐぬぬ、と唇を噛んでいる。
    セルバントはニヤニヤ笑っているが、そう言えば、と眉を上げた。

    「で?センゴクさんには報告したのかよ」
    「・・・まだ」
    「はァ!?」

    信じられない、と言わんばかりに目を見開いたセルバントはおいおい、と眉を顰める。

    「お前、それはダメだろ、早い方が良いぞ、そういうのは」
    「・・・分かってはいるんだが」
    「センゴクさんだって忙しいんだ。先延ばしにしてるとかなりの時間が経っちまう。
     軍医が不安がっても知らねェよ、おれは」
    「うっ・・・」

    言葉に詰まったロシナンテに、セルバントは何か思案するようなそぶりを見せた後、
    ロシナンテに問いかける。

    「お前怖いの?」
    「・・・」
    「図星か。まァ確かに歳の差に関しては突っ込まれるだろうが」
    「そ、れもあるけど」

    確かな答えを告げないロシナンテに、
    セルバントは軽く目を眇める。

    「・・・お前は色々と考え過ぎだ」

    セルバントはつまらなそうに頬杖をついた。

    「なるようにしかならねぇよ。人生なんて」

    その顔にいつもの微笑みは浮かんでいない。
    思わず黙り込んだロシナンテに気づいたのか、
    セルバントは取り繕うようにビールを飲み干し、ロシナンテを肘で突いた。

    「それに、おれは結婚式での友人挨拶で
     お前を完膚なきまでにボロ泣きさせるのが楽しみなんだ。
     はやくしろ。そして覚悟しておけ」
    「完膚なきまでって、おかしいだろ」

    常の笑みを浮かべ軽口を叩くセルバントにロシナンテは苦笑した。
    セルバントはなおも言い募る。

    「センゴクさんに手紙読むなら相談乗るよ。
     ぼろっぼろに男泣きさせてやろうぜ!」
    「セルバント、お前ほんとに根性が悪ィな。・・・乗った」
    「ハッハッハ!そうこなくちゃなァ!」

    セルバントとの付き合いも長いが、
    こう言う類いの明るさも必要な時があると、ロシナンテは知っている。
    久々に悪ガキに戻ったような気分だった。

    帰ったら、センゴクにでんでん虫で連絡をいれよう、と思いながら、
    ロシナンテはジョッキを煽るのだった。



    センゴクはしばらく仕事以外で顔を出さなかった、
    ロシナンテを客人として温かく迎え入れた。
    『面と向かって相談したい事がある』と、
    息子同然のロシナンテに言われれば時間を作りたくなるものだ。

    「急にどうした?」
    「センゴクさん、あの・・・実は、紹介したい人がいて」

    センゴクはロシナンテの申し出に、目を瞬く。
    そして、ついに、とロシナンテを一瞥した。
    落ち着かない様子のロシナンテを見て、センゴクはどうにも感慨深い気持ちになる。

    彼を拾ってから、何年経っただろう。

    ついこの間まで、泣きじゃくる少年だった気がしてくるのだから不思議だ。
    だがいつの間にか大人になった。
    正直で、正義感が強く、口にした悪魔の実の能力も使いこなして少しずつ階級をあげて来た。
    恐ろしくドジなのが玉に瑕だが、もう一人前の海兵だ。

    センゴクは軽く頷いて、小さく感嘆のため息を吐いた。

    「そうか、お前ももうそんな歳か」
    「・・・はい」
    「どんな人なんだ?」
    「ええと・・・」

    はにかむロシナンテに頼まれ、予定を開けたのはつい先日のことだ。

    自宅にて、紹介したいと言っていた女性を待ちかねていると、
    呼び鈴が鳴る。

    ロシナンテから無理に聞き出したその人は、
    軍医の一人で、とてもしっかりしているとのことなので、
    センゴクは何人かいる妙齢の軍医を思い浮かべていた。

    ロシナンテお得意のドジと、動転していたらしいセンゴク自身のうっかりで
    名前を聞きそびれていたのが、会ってしまえば問題は無かろうと玄関先にいくと、
    頬を薔薇色にしたロシナンテと、
    まだあどけなさを残す美しい少女が笑っているのが見えた。

    ・・・少女?

    面食らったセンゴクに気づいたのか少女がセンゴクに視線を合わせ微笑んだ。
    整えられた金色の髪に、灰色の瞳が幸福に煌めいている。

    「センゴク大将、つる中将付き軍医、と申します。
     以後、お見知りおき下さい」

    「・・・軍医、噂はかねがね聞いている。
     つる中将が褒めていた。とても有望な軍医が入ったと」
    「・・・!光栄です!」

    ぱっ、と喜色を滲ませる少女、
    センゴクは彼女のことを知っていた。

    サイファー・ポールの教官の紹介で軍属した少女だ。

    諜報部員としての訓練も受けていたらしいが、体術の成績が思わしくなく、
    代わりに学力と医術に関する成績はトップクラス。
    見かねた教官が適正を見て医者へとその進路を変えたのだと言う。
    嘘か本当かわからない、曖昧な点の多い経歴だったが、海軍は彼女を受け入れた。

    世は大海賊時代。軍医は幾ら居ても足りない。

    だからのような、経歴がはっきりしない人物でも、海軍は従軍医師を必要とした。
    しかし、サイファー・ポールの息のかかった人物であることは確かである。
    同じ世界政府の組織と言えど、それぞれの立場があり、派閥が関わってくるが故に、
    対立する事もままある話だ。

    それ故に海軍上層部はを警戒し、つる中将に、
    の行動へ目を光らせるよう頼んでいたことをセンゴクは知っている。

    だが概ねの仕事ぶりに問題は無く、
    それどころか監視する立場のつるがその仕事ぶりを褒めていたので印象的だった。

    実際に相対して見ても、その印象は悪くはない。

    大人びてはいるが、眩しいほどの笑顔で答えたはあまりに幼気で可愛らしい。
    センゴクはロシナンテに目配せした。

    「あー・・・ロレンソさん、失礼だが、おいくつかね」
    「16です。もうすぐ17になります」
    「ロシナンテ・・・いつからお付き合いを?」

    センゴクの視線に含まれるものに気づいたらしい、ロシナンテの額に汗が滲む。

    「に、2年程前から」

    センゴクはくらくらしてきた。

    おい、当時15歳、下手すると14歳だぞ、お前・・・それは・・・。

    内心の葛藤を悟られまいと、センゴクは冷静であろうと努めて、に問う。

    「失礼だが、まだ若すぎるのでは?」

    は少し目を伏せる。センゴクは少し眉を上げた。
    微笑みを浮かべているよりもずっと大人っぽくなるのだ。

    「・・・確かに、私はまだ未熟です。
     けれど、大海賊時代と呼ばれる時代が始まってしばらく経ちますが、
     一向に戦況は落ち着かず、そして、海兵の死亡率は下がらない。
     ロシナンテ中佐も、軍医とはいえ私も、必要とあらば、前線に立つ身です」

    は少し苦みを帯びた笑みを浮かべた。
    ロシナンテがの言葉の続きを引き受けた。

    「約束だけでも交わしておきたいと言うのは、
     未熟者のワガママでしょうか、センゴクさん」

    センゴクは息を飲む。

    ああ、2人とも大人だ、と改めて思ったのだ。
    軍医であるでさえも、その命を正義に捧ぐ日が来るかもしれないと知っているのだ。
    センゴクは小さく咳払いをした。

    「・・・いや、お前たちの好きにしなさい」

    ぱっと二人の顔に喜色が浮かぶ。薔薇色の頬の二人は幸福そうで、微笑ましいが、
    センゴクは一言言っておきたい、とロシナンテに向き直った。

    「ただし、結婚はロレンソさんが20歳になってからだ!
     ロシナンテ!お前どういうことだ、16歳て、どういう!?」

    が苦笑いして、ロシナンテはおろおろしていた。

    「せ、センゴクさん、そのあたりおれも思うところが無いわけがないというか・・・!
     ドジで年齢を勘違いしてまして、3歳くらいの年の差かな、と」
    「あら、そうだったんですか?」

    初耳です、とは言って、笑った。
    その笑みにつられてロシナンテが少し困ったようにだが、笑う。

    「あの、センゴク大将」

    が少々の逡巡を交えて問いかけた。

    「なんだね?」
    「お義父様とお呼びしても?」

    センゴクはしばし言葉に詰まった。
    それを見て、は取り繕うように言った。

    「ロシナンテさんの親代わりと聞いていましたので、
     そうお呼びするのが良いかと思ったのですが。
     勿論、職務の最中はわきまえます。・・・ご迷惑、でしょうか」
    「・・・構わない。君の好きに、呼びなさい」

    が微笑んだ。
    その肩に手を置いて、ロシナンテも目尻を緩める。

    センゴクは目頭がほんの少し、熱を帯びたのを感じていた。

    父と呼んでくれるのか。ロシナンテ。お前も。



    センゴクは坂道を下るとロシナンテを見送った。

    ロシナンテの髪に、葉が落ちて、がそれに気づいたらしい。
    がロシナンテにかがめと合図したようだが、
    ロシナンテは何を思ったのかを抱き上げている。
    は少し困惑した様子だったが、やがて笑い出した。
    それからロシナンテの髪についた葉をとって見せる。

    子供のように、無邪気な、
    まるで絵に描いたような幸せそうな二人だった。

    かつてロシナンテを拾った時には、想像もできなかった光景がそこにある。

    センゴクがロシナンテと初めて出会った日、ロシナンテは泣きじゃくっていた。
    肉親を失くした子供だった。
    拾って、育てると決めたことを、センゴクは後悔はしていないが、
    ちゃんと育ててやれていたのか、それだけは確信を持てないでいた。
    親らしいことが出来たなどと、胸を張って言えはしない。
    部下を育てるのと、子供を育てるのは違う。

    この時代は子供が子供らしくあることを時に許さない。
    きっと、ロシナンテが子供でいられた時間は短い。
    みるみる成長したロシナンテは、友人らに囲まれていても、どこか影があった。

    残して来たと言う兄に懸賞金がかかった日には、
    落ち着いて見えても酷く落胆し、傷ついているのは明らかで、
    その後からは訓練にも力がはいったように見えた。

    海兵として、部下としては正しく評価した。
    だが、子供としてはどうだったのだろう。

    センゴクはその顔に笑みを浮かべる。

    「あんな可愛らしいお嬢さんを捕まえられるんだ。
     まっすぐ育った。・・・良かったな、ロシナンテ」

    その答えは、笑い合うとロシナンテを見れば明らかなのではないか。
    あの時、泣いている子供は、もう居ないのだ。