Stay moment


    走る足音を聞いては思わず笑ってしまっていた。
    ロシナンテが訪れるタイミングは、その足音ですぐに分かる。
    がタイミングを見計らって扉を開けてやると、
    いきなりロシナンテはに抱きついた。

    !」
    「え!?わ!?」

    流石にそれは予想していなかったらしいが目を丸くするのにも構わずに、
    ロシナンテがを抱え上げてくるくると回る。
    面食らっていたはやがてクスクスと笑い出した。

    「どうしたんですか、随分ご機嫌ですね」
    「フフッ、センゴクさんに褒めてもらえたんだ。
     おれ、中佐になるって !」

    どうやら昇進が決まったらしい。
    嬉しそうなロシナンテに、も笑顔で答えた。

    「そうなんですね!おめでとうございます!
     なら、お祝いしましょうか?でかけますか?」

    ゆっくりと床に足をつけたが提案すると、ロシナンテは首を振る。
    それより、とに頼み込んだ。

    「・・・の作ったポトフを鍋一杯食べたい」
    「キャベツを沢山入れたやつ?」
    「そう、それ!」

    ぱっと眩しい程の笑顔を見せたロシナンテに、
    は苦笑しながらまんざらでも無さそうだ。

    「安上がりな人ね、腕によりをかけますから、待っててください」

    キッチンに立つに眦を緩めつつ、
    ロシナンテはそういえば、と話題を変えた。

    、少し背が伸びたか?」
    「本当?!」

    振り返ったに笑顔で聞き返されてロシナンテはたじろいだ。
    はやった、と小さく呟いて嬉しそうだ。

    ロシナンテは首を傾げる。
    の身長は平均くらいだ。
    海軍に居る女性陣を思い返してみても、
    は背が低くもなければ高くもなかったはずである。

    「早寝早起き、適度な運動、栄養バランスのとれた食事・・・、
     気休め程度とは言われてますが、毎日牛乳飲んでた甲斐がありました・・・!」

    よほど身長を伸ばしたかったらしいに、ロシナンテは少し戸惑った。
    そう言えば足元を見ると踵の高い靴を履いている。
    以前はどうだったかは定かではないが、職務に当たる時はナースサンダルだったように思う。

    「お、おう。でも元々そんなに小柄な訳でもないだろ?」
    「だってちょっとでも差を詰めたかったから」
    「・・・もしかして、おれとの?」

    自惚れだろうか、と思いながら頬をかくロシナンテに、
    は蕩けるような笑みで返す。

    「もしかしなくても、です」

    その眼差しに籠る情の深さが、の瞳を星のように輝かせるのだろうか。
    時間を重ねるごとに、身の内から光を放つように、は美しくなっているように思える。

    は亡くなった母親が、世界で一番美しかったと言ったけれど。

    両親以外の天竜人の欲深さを、ロシナンテ自身は軽蔑すらしていたと思っていたが、
    溢れるような感情がそれと大して差が無いことにも気づいていた。



    「水、飲むか?」
    「・・・ん」

    の喉を嗄らしたのは久々だった。
    ロシナンテはナギナギの実を食べた無音人間だ。
    壁の薄いアパートメントでも、ロシナンテにかかればそこは無音の部屋に変わる。

    だからロシナンテはいつもと眠るときは能力を使った。
    脳みその芯を痺れさせるような甘い声を、いつまでも自分だけで聞いていたかったのだ。
    そのせいで、は掠れた声でロシナンテからコップを受け取ったけれど。



    先にベッドに戻って、トントン、と隣にスペースを作って叩くと
    ははにかんで、いそいそとロシナンテの腕の中にやってきた。
    ロシナンテとは少し違う色味の金髪がシーツにたゆたう。

    頬には涙の痕が筋になっている。目尻に少し赤みが差していた。
    ロシナンテが拭うように親指でなぞると、
    猫のように目を細めてその頬をロシナンテの手の平に擦り付ける。

    『もう二度と、誰かの命を奪いたくない!
     誰かを殺してしまうかもしれないのが怖い・・・!』

    膝を抱えて、ロシナンテだけに打ち明けた時もは泣いていた。
    その時よりも随分と幸福そうな泣き顔だ。
    薔薇色の頬、大きな灰色の瞳、つんと尖った鼻、果実のように瑞々しい唇。
    その1つ1つが輝いて、あの日青ざめていた時より、ずっとずっと良い顔をしている。

    ロシナンテはの唇に柔らかく齧りついた。
    は少しためらいを見せたが、やがて食むような動きを見せる。
    煌めく瞳から、快楽がロシナンテの脳みそを溶かすように広がっていく。
    の手がロシナンテの首に回った。
    心地いい。永遠に続けば良い、と思っていたの食事は済んだらしい。

    唇がそっと離された。

    ロシナンテは自分の吐く息が荒いことに気づく。
    に”食べられる”といつもこうだ。
    まるで自分の方が犬みたいにを貪ったような気がしてくる。

    「なぁ、、おれはどんな味がする?」
    「・・・意地の悪いことを聞くのね」

    些細な好奇心故の質問だったが、
    がぎゅうと眉間に皺を寄せる。

    「煙草の味がする。苦くてすこし、鼻がつんとするみたいな」
    「おれが煙草吸うの、嫌か」

    ロシナンテが問うとは拗ねたような、困ったような顔をしていた。

    「吸い過ぎは身体に良く無いと思うけど・・・嫌いじゃないわ」
    「・・・ふぅん?」

    ・・・やっぱり、おれは強欲なのだ。

    を笑わせて、怒らせて、泣かせて、喜ばせて、
    その表情の全部を自分のものにしたい。
    そんなどうしようもない欲望が育って行くのが分かる。

    こんな己の一面を、ロシナンテはに出会ってから気づかされたようで、
    に気づかれぬよう微かに苦く笑った。



    朝を迎え、式典に出るからとロシナンテが慣れないスーツに袖を通していると、
    が少々呆れた様子で息を吐く。

    「ロシナンテさん、ネクタイ、どうしたらそうなるの?」
    「ああ・・・やっぱり変だよな?こんなことなら練習しとくんだった・・・!」
    「・・・ええ、そうね・・・噴水みたいなんだけど・・・本当にどうしたらそうなるの?」

    どうなっているのか見当もつかない程の奇妙なネクタイの締め方をしている。
    がっくりと肩を落とすロシナンテに、は首を傾げる。

    「今まではどうしてたんですか?」
    「・・・制服で通してた。年齢的にもそれで通ったから。
     おれ、やっぱりこっちの制服で」

    どうりで以前見せてもらった写真では通常の制服だった、とは思い返していた。
    だがもう既に成人しているし、中佐になったのだから、もうそれは通らないだろう。
    は首を振った。

    「ダメですよ、式典はちゃんとコートとスーツで出ないと。
     今日は私が締めてあげますから、かがんでください」
    「ん」

    テキパキとロシナンテのネクタイをあっという間に締めて、
    襟を正してやったが満足げに頷いた。
    鏡を見ると綺麗なウィンザー・ノットができている。

    「はい!できました。かっこいいです、ロシナンテさん!」
    「そ、そう?」

    照れたように頭をかいたロシナンテに、は手を合わせてニコニコしている。

    「でもなんか慣れてないか?普段ネクタイなんか締めてないのに」

    ロシナンテの疑問に、はちょっと目を逸らす。

    「えっ・・・その、笑わない?」
    「笑うようなことしてたのか?ネクタイで?」
    「そうじゃないんだけど!た、多分こんなこともあろうかと、練習・・・」

    耳まで赤くしてるはごにょごにょと語尾をぼかした。
    ロシナンテは一度言葉を飲み込み、問いかける。

    「練習したのか?」
    「・・・はい」
    「おれのために?」
    「・・・ええ」

    頷いたは、いじらしく、可愛らしかった。

    「・・・敵わねェなァ」

    思わずロシナンテの口元が緩む。
    は笑わないでって言ったのに!と膨れている。

    時間が止まってしまえばいい。

    ロシナンテはそんな風に思ったが、すぐに内心でそれを打ち消した。
    きっと、と同じ時間を歩んでいるうちは、誰より幸福になれるに違いない。
    その幸福をつなぎ止める術をロシナンテは知っていた。

    迷っている時間がもったいなかったと思いながら、
    膨れているの額に唇を落として、
    ロシナンテは心底幸福そうに笑った。