melting magnets
目の当たりにした光景に、思わずセルバントは咥えていた煙草を取り落としそうになった。
白衣とスカートを翻し駆け寄ってくるのは、
近頃ロシナンテが執心していた・だ。
セルバントは今一度、脳裏で確かめるように彼女についての噂を反芻する。
まだ若い軍医だが、実力はベテランに負けずとも劣らない。
常に冷静で、粛々と仕事をこなす、
その着実な仕事ぶりはつる中将にも一目置かれているとか、いないとか。
その”冷静沈着”なが、今や冷静さのかけらもなく、
眩しいほどの微笑みを浮かべていた。
瞳は煌めき、頬は薔薇色に高揚している。
「ロシナンテ少佐!」
おまけに声まで弾んでいるときた。
セルバントはぽかんと口を開けた。
誰だ、これは。
先日戦場で顔をあわせた時にはよく出来た人形のように眉一つ動かさず、
はテキパキと仕事をこなしていたと言うのに。
セルバントの横に居たロシナンテに半ば飛びつくように、
はロシナンテの前でその足を止めた。
恐らくは場所が海軍の休憩所でなかったら思い切り抱きついていただろう。
そんな仕草だった。
は持っていたカバンから大きめの弁当箱を取り出し、おずおずとロシナンテに渡す。
「あ、あの、お弁当作って来たので、よろしければ、どうぞ・・・!」
「本当か?ありがとう、!あ、軍医!」
「!?」
ロシナンテは少し照れたように頭をかいた。
セルバントはロシナンテを呆然と見やる。
聞き間違いでなければ今、ロシナンテは軍医を名前で呼んで、言い直さなかったか?
はロシナンテが弁当箱を受け取ったのを見て心底嬉しそうにはにかんだ。
「フフフッ、喜んでもらえて、良かった!」
ロシナンテがその笑みを見て幸せそうに目を細めたのを見て、
セルバントは大体のことは察していた。
その唇が三日月のように弧を描くのが自覚出来る。
どういう経緯かは聞いていないが、根掘り葉掘り聞き出してやろうとセルバントは今決めた。
はそのまま駆け足で医療棟に向かう。
それを惚けた顔で見送るロシナンテは、隣に”悪友”セルバントが居たことを思い出したらしい。
はっとして、ぎくしゃくとセルバントを振り返る。
常よりニヤニヤとしたセルバントを見て何か察したらしい、ロシナンテは天を仰いだ。
セルバントは期待に応えてやらねばと、その口を開く。
「・・・なァお前いつからメロメロの実の能力者になったんだ?
なんだあの軍医は。思いっきりお前にベタ惚れじゃねぇか」
「う、うるせェ!揶揄うな!」
ロシナンテは咥えていた煙草を手にとり、声を荒げるも、否定はしない。
頬杖をついたセルバントはジト目でロシナンテの煙草を指差す。
「それとも彼女がメロメロの実の能力者なのか?
ハハハッ、だって煙草の煙がハートになりつつあるぜ、ロシナンテ」
「だーかーらー!」
「ハッハッハッ!」
セルバントが揶揄い笑う。
いまやロシナンテは首まで真っ赤だった。
「知らぬ間にまとまったようで何よりだ。
しかしお前、結構思い切ったことしたな」
「お前、あんまり悪ふざけが過ぎると怒るぞ、おれも!
・・・思い切ったって何のことだよ?」
ロシナンテは首を傾げる。
セルバントは笑いを噛み殺せず、全く謝罪の気持ちの籠っていない謝罪を口にする。
「ごめんごめん。
だって軍医って15だって言うじゃねぇか。
お前おれと同い年だから、今年で21だし、
結構年の差あるだろ?」
セルバントは煙草を吹かしつつ、何の気無しに言った。
ロシナンテは当然知っているだろうと思って口にした言葉だったが
目の前にいるロシナンテからは何も返事が返ってこない。
不審に思ってその顔を見るとロシナンテが
滝のように汗をかいていることに気づいてぎょっとする。
ロシナンテの声は震えていた。
「・・・セルバント、それは・・・本当、なのか・・・?」
「ハァ!?お前知らねェで手ェ出したのか!?」
思わず下世話な話題を振ってしまっていたが、
ロシナンテは混乱しているのかぶんぶんと首を振る。
「だ、出してない、まだ」
「まだ、じゃねぇよ!
・・・ちなみに幾つだと思ってた?」
「18くらいかなって・・・」
「へー」
セルバントの物言いた気な視線に大男のロシナンテが肩を丸めて小さくなっている。
なにかモゴモゴと話しているようだが、その内容は判別し難い。
「まァ、軍医しっかりしてるし、
真面目な顔してりゃあその位に見えるよな。
お前にデレッデレの時は年相応だったけど。
・・・テメェ、にやけてんじゃねぇよ」
「・・・すまねェ、無理だ」
口元に手を当てて笑みを殺しきれないでいるロシナンテに、
セルバントは深いため息を吐いた。
「あーあー、良いんじゃねぇの?当人同士がそれでいいなら。
幸せそうで何よりだよ、まったく」
「悪いなセルバント」
「謝るなバカ。おれが僻んでるみたいだろうが」
「え?僻んでるんじゃねェのか?」
目を丸くしてキョトンとした顔を作るロシナンテに、セルバントは突っ込む。
「違ェよ!・・・お前って割とイイ性格してるぜ。あ、これ褒めてないからな」
ロシナンテはそんなセルバントに構わず、息を吐いた。
は自身と比べ、2つか3つ年下だろうとは思っていたが、
まさかそこまで歳が離れていようとは・・・と、若干本気で落ち込んでいたのだ。
だが、ずっと秘密を一人で抱え込んで来た年月が、
を無理矢理大人にさせたと言うのなら、
年相応の笑みを浮かべさせてやりたいとも思う。
「でも、そうか、15か」
「なんだよ、今更、べた惚れなくせに」
「ああ、大事にしてやらねぇと」
ロシナンテが硬く決意するのにセルバントは水を差した。
「・・・おれァ『ロシナンテは十中八九軍医の誘惑には負けるし、尻に敷かれるし
なんなら主導権とかそういうの全部持ってかれる』に一票入れる」
ロシナンテは口を開きかけたと思ったが、その唇を閉じ、
無理矢理に笑みを浮かべてセルバントの肩を叩いた。
目の下に青筋を浮かべている。
「・・・表出ろ、セルバント、お前どんだけおれをナメきってんだ!?」
セルバントは肩に置かれたその手をつかんで微笑み返す。
「うるせェドジッ子。幾らおれが戦闘がイマイチとはいえ、
注意力散漫なテメェが勝てるとでも思ってんのか?爆発しろ!お幸せにな!」
「ああ、ありがとよ、陰険野郎!」
セルバントの手荒な拳の祝福に、ロシナンテも手荒に拳で返した。
その場に居た海兵が慌てて止めに入るも邪魔だと言わんばかりに
殴って返すものだから一大事になった。
「何やってんですか二人とも!?」
「誰か来てくれ!ロシナンテ少佐がセルバント少佐をぶん殴ってる!?」
「しょ、少佐以上の階級じゃねぇと無理だ!誰か呼んで来い!
できればセンゴク大将が良いんだが、こんなことで大将呼ぶのも・・・!」
突如として始まった将校同士の喧嘩。
慌てふためく海兵達に、ひょっこりと顔を出した老兵が居た。
「なァ、これ何の騒ぎ?」
「ガープ中将!」
「なんだか知らないんですけどロシナンテ少佐とセルバント少佐が喧嘩してて!止めて下さい!」
「さっきからセルバント少佐が一方的にぶん殴られてるんです!」
「ほう・・・?」
海兵たちの必死の言葉に、ガープは自身のあごひげを撫でた。
そして一拍置いて、面白そうに歯を見せて笑う。
それを見た海兵が嫌な予感を覚えたのが早いか否か、ガープが渦中へ飛び込んだ。
「セルバントは腕っ節イマイチじゃからのぅ、どれ、加勢してやるか!」
「あぁー!?ダメだー!悪化したー!?」
「おい、誰かセンゴクさん呼んで来い!それかつる中将!
ガープ中将なんかあの二人以外誰も止めらんねぇよ!」
突然始まった将校同士の喧嘩、仲裁どころか火に油を注いだ中将のせいで、
結局その騒ぎはセンゴクがげんこつを落とし、
雷のような怒声がその場に轟くまで納まりはしなかった。
※
医療棟の処置室。
はロシナンテの顔に消毒液を含ませたガーゼを当てる。
傷に染みるのか眉を顰めるロシナンテに、はカラコロと笑っていた。
「それでそんなに怪我をしたの?痣だらけですよ、馬鹿ねぇ」
「・・・言っておくがこの傷はガープ中将につけられたものであって、
断じてセルバントにつけられたわけじゃねェから」
「フフフッ、はいはい」
妙な意地を張るロシナンテにはまだ笑っている。
「センゴク大将に雷を落とされたのよね?3人とも?」
「ああ。特にガープ中将が一番怒られてた。だが一番堪えてなかったな」
一番大きなたんこぶを作っていたのに、
けろりとした顔でセンゴクの説教を右から左へと受け流すガープは
今思い出しても凄い、とロシナンテは遠い目をする。
あのセルバントですら奇妙な尊敬の眼差しを送っていた。
実際にガープは尊敬すべき、凄まじい実力の海兵なのだが、なぜだろう。
尊敬してはいけない部分も多々ある気がしてならない。
は手早くロシナンテの顔の治療を終えると、優しく言った。
「はやく、治りますように」
包帯の上からこめかみに唇を落とされる。
ロシナンテはこめかみを抑え、照れ隠しにをじろりと睨んだ。
だが、きっと迫力は無かったのだろう。
がクスクス笑っている。
顔から火が出てるみたいに、頬が熱いのを、ロシナンテは自覚していた。
「・・・なぁ、、お前15歳だって聞いたけど」
「え?ご存知無かったのですか?私てっきり知っているものかと」
口元を手で押さえて、驚いた、と言う顔をするに、
ロシナンテはため息を吐く。
「おれは出来ればの口から教えて欲しかったよ。セルバントじゃなくてな」
「・・・!ごめんなさい、ロシナンテさん」
「うっ、いや、良いんだ、おれが知ってると思ってたんだろ?」
困ったように、それでいて少し悲しそうに眉を顰めたに、
ロシナンテはそれ以上怒る気になれず首を振った。
は安堵したように息を吐くと、首を傾げてみせる。
「歳が離れてるのが気になりますか?」
「そりゃあ、気にならないわけじゃない」
子供と言っても差し支えの無い年齢でもあるように思う。
だが、物憂い気に目を伏せたはどうしても子供に見えない。
「そう・・・でも確かに、
私は気にしたことは無かったけれど、6つも離れてるんですね。
ロシナンテさんと比べたら、私、子供かしら」
ロシナンテは言葉に詰まる。
がロシナンテを見上げていた。
その唇は弧を描いている。
多分は分かっていてやっている。
ロシナンテの手をとって自らの頬に当てた。
きめ細かな肌の感触に、喉が渇くような感覚を覚える。
「ね、ロシナンテさん、私、子供に見える?」
「・・・見えないから困ってる」
「フフフ、背伸びしてるんですよ。これでも」
は猫が甘えるように、ロシナンテの手の平に、頬を擦り付ける。
時折長い睫毛が指に触れてくすぐったい。
「大人にならなくちゃ、早く大人になりたいって、いつも思ってました。
大人になれば規則や監視の目から少しは逃れられる。
秘密を隠すのも、もっと楽になるはずだからって。
・・・でも、今は、違う理由で大人になりたいって思ってる」
灰色の瞳がゆっくりと蕩ける。
その声は甘い響きを含んでいる。
少し傾げられた首は細く、白かった。
「ロシナンテさんに釣り合うような、大人の女の人になりたいの」
ロシナンテは思った。
セルバントの言うことは大体正しいと。
多分、おそらく、きっと、遠くない未来に
ロシナンテはの誘惑に屈服するのだ。
困ったことに、それをどこかで待ち望んでいる自身が居ることに気づきながら、
見ない振りをすることが出来る程度には、ロシナンテは狡さを覚えている。