Confessions


    「ロシナンテさん!」

    遠征から帰ってきたロシナンテに、
    花が綻ぶような微笑みを浮かべたが駆け寄ってくる。
    今日は非番だったのだろう、白衣ではなく、淡い水色のワンピースを纏っていた。

    ぎゅう、と勢い良く抱きつかれて転んだロシナンテに、
    は頬を薔薇色にしてくすくすと笑った。

    「おかえりなさい!また背が伸びたんですか?
     ・・・私も2mくらいにならなきゃダメかしら?」
    「いいよ、そんなにでっかくならなくても!」

    ひょい、との脇を猫のように持ち上げてゆっくりと地面に下ろしてから立ち上がり、
    ロシナンテは頭をかいた。は心底幸福そうに微笑んでいる。

    素直になったは幼気で、そして好意を隠さない。

    「沢山お話したかったんです。でも、いざこうしてみると胸が一杯で、
     何を話したら良いか、忘れちゃいました」

    ロシナンテにはにかんで言う
    ロシナンテの背中に独身の海兵の冷たい視線が刺さる。
    そして妻子の居る海兵の生暖かい視線も痛い。

    、その、」

    はロシナンテの顔を見上げる。真っ赤だ。
    弱り切ったように眉を八の字にして、でも口元は緩んでいるロシナンテの顔と、
    周囲の状況を見回して、は自分がどのような振る舞いをしたのか悟り
    カッと顔を赤くした。

    「ご、ごめんなさい・・・」

    小さく消え入りそうな声で謝るを見てロシナンテは顔を手の平で覆って天を仰いだ。

    はあざとい。
    何があざといのかと言えば計算づくで行われる行動よりも、
    こうして自然に見せる仕草の方が的確に心臓を撃ち抜いてくるところだろうと、
    ロシナンテは清々しいまでの青空を見上げながら思った。



    セルバントは砂糖をしこたま口に突っ込まれたような顔をしていた。
    酒の席だと言うのにブラックコーヒーを注文し始めて店主を困らせてる。

    「あのさァ、お前の惚気話に付き合いすぎておれァ糖尿病になりそうなんだけど。
     何だそのエピソード。お前ら恋愛小説の世界に帰れよ」
    「だったら『最近どうだ』なんて聞いてこなきゃいいだろ」

    ロシナンテはセルバントに冷ややかな目を向けた。
    人の恋路を面白がってる悪趣味な男に、なにか配慮するようなこともあるまい。
    セルバントはジト目でロシナンテを睨んだ。

    「チッ・・・ロリコン将校」

    ロシナンテはその言葉に飲んでいた酒を吹き出す。咽せた。
    セルバントは「汚ェよ!」とのけぞるがロシナンテはそれどころではない。
    咽せたのが収まるとロシナンテはセルバントに食って掛かる。

    「ふざけんなセルバントこの野郎!
     好きになった人がたまたま歳がちょっと離れてただけだ!
     しかも大した歳の差じゃねェし!
     が20になったらおれ26だし、ほら!ほらな!?大したこと無ェだろ!?」
    「あっそう」

    セルバントは行儀悪く頬杖をつきながらハイハイと頷いている。

    「テメェ適当に流しやがって・・・!」

    ムキになるロシナンテに、セルバントは笑った。

    「いやぁ、軍医様々だな」
    「何がだ?おれを揶揄うネタが出来てそんなに楽しいのかよ」
    「それもそうだが」

    セルバントは笑みを深める。
    この男にしては珍しく、どこか優し気な微笑みだった。

    「お前気づいてるか?憑き物が落ちたみたいな顔してるぜ」
    「!」
    「前は変に気ィ張ってるように見えたからな」

    ロシナンテは言葉をなくしていた。
    セルバントの言葉に、思い出したのだ。

    自分が何のために海軍に居るのかを。

    に思いを打ち明けてから、ロシナンテは兄のことを忘れていたようだった。
    まるでただの、何の後ろ暗いところの無い普通の男のように、
    と過ごす時を、幸福に思っていたのだ。

    顔色を変えたロシナンテを見て、セルバントは怪訝そうに眉を顰めた。

    「ロシナンテ?」
    「・・・あ、ああ、いや、何でも無い。少し酔ったかな」
    「そうか?飲み過ぎるなよ」

    ロシナンテはそのとき、無性にの顔が見たくなったのだ。
    だから、帰り際その足が、の住む家に向かったのも、無理からぬ話だった。



    「悪い、突然、おしかけて」

    ドアベルが鳴ったのを聞いて、小窓から顔を出せば、
    ロシナンテがどこか途方にくれたような顔で立っていたのだから、は息を飲んだ。
    ドアを開け、がロシナンテを招き入れる。

    「いえ、構わないですけど、一体どうしたの?
     ・・・わッ!」

    尋ねたは、次の瞬間、ロシナンテに抱きすくめられていた。
    肩口に顔を埋められ、は目を白黒させていた。

    「ロシナンテさん、酔ってるの?」
    「・・・そうかも」
    「ほんとに、どうしたんですか?
     酷い顔、してますよ?」

    ロシナンテは肩口に埋めていた顔をゆっくりと離した。
    心配そうな顔が目の前にある。頬を撫でるの優しい声に、
    ロシナンテは眉を顰めた。

    投げやりな気分になっていた。
    何もかもを、ぶちまけてしまいたいような。

    「なぁ、
     おれが、どうしようもない奴だって知っても、
     お前は側に居てくれるか?」

    は目を丸くする。
    それからむっとしたように口を尖らせて、ロシナンテの頬を摘んでつねった。
    そんなに痛くはないが、きっと間抜けな顔になっていることだろう。

    「あなた、私が夢魔だって知っても人間扱いするくせに、何を言うの?」
    「そ、れとこれとは別の話だ。やめろ、つねるな」
    「・・・死ぬかもしれないのに、平気で私にキスするくせに」
    「だから、それとこれとは・・・」
    「同じだわ。
     それがどれだけ私を救っているのか、あなたは分かってないんですね」

    の声には頑なな響きがあった。
    はロシナンテの背を宥めるように撫でる。
    星のように煌めく瞳に、ロシナンテは息を飲んだ。

    「・・・後ろ暗いことがあるのかもしれないけれど、
     それだって今のあなたを作る一部だわ。
     全部ひっくるめて、ドンキホーテ・ロシナンテなの。
     ねぇ、隠しているのが辛いなら、教えて、ロシナンテさん」

    ロシナンテは目を見張った。
    は、いつから気づいていたのだろう。

    「私ばっかり甘やかすんじゃなくて、少しは私にも甘えてよ」

    精一杯背伸びしてる言葉だって分かっていた。
    それでもその言葉は、ロシナンテの張りつめた糸をぷっつりと断ち切ってしまったのだ。

    「違うんだ」
    「・・・ロシナンテさん?」
    「おれは、こんな風に、幸せになったらダメなんだ」

    瞬いたに、ロシナンテはの身体を離すと、ソファに腰掛けた。
    忘れてはいけなかったことがある、と切り出したロシナンテに、
    は息を飲んだようだった。

    「おれには、兄が居る」
    「お兄さんが、」

    そういえば、家族の話をしないのはお互い様だったと、
    は思い至る。
    ロシナンテの口から出るのは、
    親代わりだというセンゴク大将や、悪友らしいセルバント、
    目をかけていると言う後輩のスモーカーといった人物、海軍の人間ばかりだった。

    「そうだ。名前は、ドンキホーテ・ドフラミンゴ。北の海に居を構える海賊だ。
     つる中将の管轄だから、もしかするとも、
     遠征でこの先姿を見ることがあるかもしれない」

    は気遣わし気にロシナンテを見つめる。
    海兵であるロシナンテの兄が海賊であるなら、敵対は免れない。
    だが、ロシナンテの目にはもっと暗い色がよぎっている。
    ロシナンテは深く息を吐いた。

    「・・・おれたちは、昔、マリージョアに住んでいた」
    「マリージョア・・・、それは・・・!」

    は驚愕に声を上げた。ロシナンテは口元を両手で覆う。
    祈るような仕草だった。懺悔するようにも見えた。

    「おれたちの両親は、天竜人だ。だが、異端だった。
     神様みたいに崇められたり、奴隷や使用人を持つことを嫌って、
     自分も人間だと言って憚らない、そんな人たちだった。
     優しい、父と母だった」

    の声が震える。
    大体、何が起きたのか、想像がついたのだろう。
    ロシナンテの身に、何が降り掛かったのかを。

    「天竜人に生まれて、自らを”人間”だと、言ったのですか・・・!?
     立場を、捨てたの?でも、そんなことをしたなら・・・!」

    ロシナンテは頷く。

    「そうだ。・・・結局は、父も母も、”天竜人”だった。
     分かってなかったんだ。”天竜人”が今まで人間にどれだけの仕打ちをしてきて、
     どれだけ憎まれているのかも。
     そして、”天竜人”を辞めた天竜人が、どれだけの悪意に晒されるのかを。
     おれたちは迫害を受けた。
     身体の弱かった母は逃亡生活に耐えられず、体調を崩して死んだ。
     ろくに弔うことも出来ないまま、逃げ続け、・・・ある日、おれたちは捕まった」

    ロシナンテの脳裏に、燃え盛る火の記憶が蘇る。
    窓から吊り下げられ、矢で射られた。
    痛みと熱と、怨嗟の声が渦巻くその場所で、
    父は『自分はどうなっても良いから、ロシナンテとドフラミンゴだけは助けてくれ』と
    叫んでいた。
    あまりの恐怖と苦痛に、死んでしまいたいと願ったロシナンテだったが、
    兄、ドフラミンゴは違った。

    「ドフィは言った。
     『何をされても生き延びて、おまえらを、一人残らず殺しに行く』と。
     ・・・まだ10歳だったのに」

    は思わず口元を覆う。
    10歳の少年、そして8歳だったロシナンテが受けるには余りにも惨く、酷い仕打ちだ。
    その苦痛を受けて、ドフラミンゴは憎悪を吹き上げたのだろう。

    「その時既に、ドフィは覇王色の覇気を身につけていて、
     おれたちはその場を逃げ出すことが出来た。
     次の日だ。ドフィは、」

    奥歯を噛み締めたロシナンテに、
    は首を振り、ロシナンテの手をとった。

    「無理しないで、言いたくないなら言わなくてもいいから、」
    「・・・いや、知っていて欲しいんだ」

    眉を顰め、絞り出すように、ロシナンテは言葉を紡いだ。

    「ドフィは父を殺した。拳銃で、父の頭を撃ち抜いた。
     おれがいくら、止めてくれと頼んでも、止めてくれなくて、」

    はロシナンテを抱き締めて、ロシナンテの言葉を遮った。
    の身体は震えている。

    「ずっと、一人で、抱え込んで来たの?」

    ロシナンテは自身の頬が涙に濡れていることに気づいた。

    「黙って、誰にも打ち明けられずに、一人で」

    はロシナンテの涙を拭う。
    の目も、涙で潤み、星のように光っている。

    ロシナンテはこの目に引力を感じていた。
    同じような苦しみを、夢魔であるも味わっていた。
    だから惹かれたのだろうか。

    誰にも秘密を打ち明けられない。
    誰にも心を許しきることが出来ない。

    それでも、ロシナンテはになら話しても良いと思った。
    だって、同じ思いを抱いたから、自身が夢魔であることを明かしたのだろう。

    「・・・ドフィは父の首で、マリージョアに帰ろうとしたんだ。
     それは結局失敗に終わったようだが、ドフィは海賊になり、着々と名を上げている。
     ドフィをこのまま野放しにできない。
     あの、兄が、今後何をしでかすかわかったものじゃない。
     そう思って、おれは海軍で力をつけて来た」
    「そう、だったんですね」

    は目を伏せる。

    「それなのにおれは、忘れてたんだ。
     、お前と過ごす時間が、あんまり幸せだったから」

    ロシナンテはの頬に手を伸ばす。

    「なぁ、お前はおれに、救われたって言うけど。
     本当は、きっと、おれのほうが救われてるんだ。
     お前と居る時だけ、おれはただの男になれる。
     残して来た兄の狂気も、過去に見た地獄の様な光景も、
     お前と居るときだけは思い出さないでいられる。
     、お前が側に居てくれるだけで、おれは・・・」

    の肩にロシナンテは顔を埋める。

    「溺れそうなんだ」

    囁かれた言葉に、ぞくぞくとの背中が喜びで粟立つ。

    「私に?」
    「そうだ。お前に溺れて、馬鹿になっちまう。
     何もかも中途半端なまま、幸福になるのはダメだって、分かってるのに」

    はロシナンテの頭を撫でた。

    「ロシナンテさん。話してくれてありがとう。
     打ち明けてくれて、嬉しかった」

    優しい声だった。

    「だけど、幸せに、なってはいけないなんて、そんなこと無いです」

    「あなたが納得できないなら、私は幾らでも待ちますから、ロシナンテさん。
     目一杯幸せになりましょうよ。二人で」

    は笑う。いつか見たのと同じような、蕩けるような笑みだった。

    「あなたはもう一人じゃないんです。
     一人で抱え込む必要なんか、ないんですから」

    ロシナンテはを抱き締める手に力を込める。
    その言葉は、もしかすると、ずっと誰かに言って欲しかった言葉なのかもしれなかった。
    そうでなければ、どうしてロシナンテの目から、こうも涙がこぼれ落ちるのだろう。

    その日、更けていく夜を共に過ごしている間は、
    は誰かの命を啜り取る化け物ではなく、
    ロシナンテは運命に捕われた人間ではなかったのだ。
    少なくとも、その時ばかりは。