Rainy day
雨が降ると、傷に響くものらしい。
最近眠りの浅いと言うロシナンテのために、
今度よく眠れるという紅茶を淹れてあげようかしらと
はキッチンに持ち込んだ紅茶の缶の残りを思い出していた。
ロシナンテの身体は傷だらけだ。
中には傷口を火で焼いたような痕や、自分で縫ったのかかなり不器用な傷跡も残っている。
眠るロシナンテの、目にかかりそうな髪を払いながら、は少し不満気に呟いていた。
「怪我したとき側にいれたなら、世話を焼いてあげられたのに」
「・・・?」
「あら、起きたんですか?まだ寝ていて良いですよ」
ロシナンテの遠征先が雨期だったのに加えて、軍艦が雨雲を連れ帰ったように、
マリンフォードではここ数日雨が降り続いている。
そのせいかロシナンテは少し体調を崩していた。
と言っても、今日ロシナンテが熱を出しているのは自業自得なのだけど。
は寝ていていいと言ったのに、ロシナンテはゆるやかに半身を起こし、目を開けて額を抑えた。
「あー・・・頭、痛ェ・・・」
「微熱ですけど熱があります。今日はゆっくりしてください」
が言うと、ロシナンテは目をパチパチと瞬いて、それからへらりと笑った。
「・・・わかりました、軍医。
先生が看病してくれるなら、多分すぐに治ると思うんだけど。どう思う?」
「フフッ、お大事に。ロシナンテ少佐。
私は夕方からお仕事ですけど、それまではちゃんと側に居ますよ」
おどけてみせるだけの余裕はあるらしい。
わざと”軍医”とか”先生”とか呼ぶロシナンテに、は小さく笑いながら答えた。
「そっか、・・・なぁ、。つかぬことを聞いても良いか?」
「ええ、なんですか?」
ロシナンテはこめかみに指を当て、小さく唸っている。
「・・・ここ、おれの家だよな」
「ええ。勿論」
は頷く。
「何で居るの?」
「・・・帰ります」
「まっ、待って!ちょっと待ってくれ!
!?・・・あ痛ッ!?」
ちょっと拗ねたような顔を作って出て行こうとしたを見て、
慌ててシーツに足をもつれさせて転んだロシナンテに、は肩を丸めた。
「何やってんですか、もう・・・!フフッ、冗談です」
「ちょっとそれ早く言って欲しかったよ。おれは。
・・・でもなんか怒ってないか?」
ロシナンテの疑問に、 は黙って微笑んだ。
ロシナンテはその顔を見て、慌てて昨夜の記憶を探る。
「あの、悪い。全然昨日の記憶が無い」
「フフフ、知りたいですか?」
艶やかに目を細めるに、ロシナンテは目を瞬く。
は深いため息をついた。
「昨日セルバントさんの深酒に付き合ったのは覚えていらっしゃらない?」
「あ、ああ、なんかあいつすげェ荒れてたんだよな、珍しく・・・」
ロシナンテの脳裏に徐々に昨夜の記憶が蘇ってくる。
昨晩は土砂降りの雨の日だった。
※
「おい、セルバント、飲み過ぎだよ、バカ。
何杯開けたんだよボトル・・・」
「うるせー!飲まなきゃやってられっか!
なんでおれが脳筋共の尻拭いをしなきゃならねぇんだ。
第一、お前だって飲んでるだろ酔っぱらいが」
「おれァ酔ってねェよ」
「うそつけ顔真っ赤だっつーの」
行きつけの酒場で、そんなじゃれ合いのようなどうしようもないやり取りをしている最中、
レインコートを着たが傘を持ってロシナンテを迎えに来たのだった。
セルバントはの姿を見て眉を上げる。
「ああ、軍医じゃないか!コイツの迎えか?甲斐甲斐しいなァ、相変わらず」
「こんばんは、セルバント少佐。また随分出来上がっていらっしゃいますね・・・」
耳まで真っ赤にしたセルバントを見て、珍しいな、とは首を傾げた。
ばしばしとロシナンテの肩を叩きながらセルバントはニタニタ笑っている。
「おい、ロシナンテ、 嫁が来たぞ」
「ブフォア!」
「うわ、汚ェよ!何やってんだよ。ハッハッハ!!!」
「ロシナンテさん・・・セルバント少佐・・・」
軽口を受けて思い切り酒を吹き出し、椅子ごと転んだロシナンテを見て大笑いするセルバント。
いつにも増して笑い上戸のようだ。
お決まりの光景なのだろうか。
酒場の店主が手慣れた様子で台拭きをセルバントに寄越している。
そう言えば二人だけやけに他の客からは慣れた席に居るとは思っていたのだが。
は呆れながらも、用件を伝える。
「雨脚が強くなりそうなので、もうそろそろ帰った方が良いですよ。
セルバント少佐も。途中まで路が同じでしょう。傘二つありますので一本どうぞ」
の言葉に、セルバントは頷いた。
先ほどまで赤かった耳が幾分落ち着いて見える。
セルバントは店主に頼んだ水を一気に飲み干すと、
深く息を吐いて、もういつも通りの声の調子を取り戻していた。
の気遣いを受けて、普段と変わらないポーカーフェイス代わりの微笑みを浮かべている。
「あぁ、助かる。ありがとな」
「おい、お前、セルバント!いきなり、何言ってんだよ!」
それにひきかえロシナンテは付き合うだけだったはずの酒に飲まれているようだ。
歩くにしてもロシナンテは千鳥足になりかけている。
反してセルバントはしっかりとした足取りで歩いていた。
セルバントの酔い方と言うのは質が悪いな・・・とは内心で思いつつ、
途中まで家路に付き合った。
※
セルバントと別れると雨はますます強くなったようだ。
まるでバケツをひっくり返したような大雨に、ロシナンテの声も遠い。
「それにしてもすごい雨ですね。
全然人も居ないし・・・ロシナンテさん?」
返事が返ってこないのでが振り返ると、
水たまりに思い切り尻餅をついているロシナンテがいてぎょっとする。
雨音で転んだ音さえもかき消されたのだろうか。
慌ててが駆け寄ると、ロシナンテはずぶぬれだった。
「風邪引いちゃいますよ、立てますか?」
が手を差し伸べて、起こそうとすると、突然ロシナンテは笑い出した。
「あはは、またドジっちまったよ、!」
「っ!わ!?」
助け起こそうとした手を引かれて、バランスを崩したまで雨に濡れる。
せっかく被っていたレインコートのフードも払われて、雨ですぐに前髪が額に張り付いた。
突然の暴挙に、流石にも怒って声を上げた。
「いきなり何です?!」
「ふふふ、雨に唄えば、だ!」
「え?」
微笑んだロシナンテの漠然とした返答に、が目を白黒させているうち、
ロシナンテは調子外れの鼻歌を歌いだした。
も知っている曲だった。
それから、土砂降りなのもおかまい無しに、
雨の中でロシナンテは下手くそなダンスにを巻き込んだ。
は手を引かれ、ロシナンテにつられながらめちゃくちゃなステップを踏んだ。
ロシナンテはの足は踏まなかったけれど、そのかわり手をつないだまま何度も転んだ。
ふざけて笑って唄いながら、二人はロシナンテの自宅まで、ゆっくりと帰った。
そのせいでロシナンテはもちろんのこと、
結局はもレインコートの意味が無くなる位ずぶぬれになったのだった。
※
「思い出しましたか?」
「・・・はい」
ロシナンテは「やっちまった」と言う顔をしている。
酔ってふざけて、迎えに来たを濡れ鼠にしてしまったのである。
おまけに何度も転ばせた。怪我は無いらしいが、
もしかしたら怪我をさせてたかもしれないと思うと、恐ろしい。
落ち込んだ様子のロシナンテを見て、は苦笑した。
「私はそれ自体は別に良いと思うんですけど、・・・楽しかったし」
「そうなのか?」
意外そうに眉を上げたロシナンテに、は指を立てて言った。
「問題はあなたが家についた途端眠いって言い出して、
私がどんなに『せめて身体を拭いて』っていってもそのまま寝ちゃったことです!
ただでさえ体調が優れないって言ってたのに!・・・熱は自業自得ですからね?」
は自身が濡れ鼠になったことよりも、
ロシナンテが体調管理を怠った方が気に入らないようだ。
らしい、とロシナンテは密かに笑った。
「それにしても、セルバントさんはどうしてあんなに荒れてたんでしょう?」
「上司との折り合いがうまくつかないんだってよ。無理もねェ。
最近配置換えがあって、セルバントの奴、赤犬の補佐に移ったばかりだから」
「それは・・・、大変ですね」
赤犬。海軍の中でもかなりのタカ派だ。おまけに海賊はもちろんの事、
身内であるはずの海兵に対しても鬼のように厳しく、容赦もないと言う。
セルバントのようなタイプには合わないのでは?とがロシナンテに言うと難しい顔をした。
「うーん。いや、意外と合っては居ると思うんだ。
あいつアレで海賊相手には手段を選ばないとこがあるから。
ただ・・・」
「ただ?」
「あいつ以外にデスクワーク出来る奴がほぼ居ないらしい」
「ああ、それは、お気の毒に・・・」
が納得したように頷くと、ロシナンテもしみじみと頷いた。
「おれもセルバントもずっとセンゴクさんの下に居たから、そのギャップもあるんだろう」
「・・・なるほど。私はその辺りのことは疎いけれど、センゴク大将に同行する軍医は割と喜びますね。
きちんとされている方ですから」
「やっぱり軍医にもそういうのあるのか。そうだろ?センゴクさん真面目だからな」
まるで自分が褒められたように嬉しそうなロシナンテに、は口の端を緩めた。
だが、壁掛時計を見て、慌てたように立ち上がる。
「いけない、そろそろ行かなくては、」
「いってらっしゃい、」
「・・・いってきます。ロシナンテさん。お大事に」
小走りで手を振って行ったの背中をいつまでも見送って、ロシナンテはベッドに身体を横たえる。
簡単なことで幸せになる自分はお手軽な人間なのかもしれないと、ロシナンテは思った。
本当は、目覚めてすぐが居て、それが凄く嬉しかったのだ。
毎日こうだったら良いのに、と思った。
センゴクにを会わせられるのは、いつになるだろうか。
ドンキホーテ海賊団の動きは、最近は落ち着いているように表向きは見えるが、実際はどうだか分からない。
幾つも選択肢が浮かんで消える。
何か一つ、後押しがあれば多分すぐにでも、ロシナンテは行動出来るに違いない。
そう分かってはいるものの、時間だけが過ぎて行くのだった。