Top of the World


    海軍本部の掲示板、普段は格式張った標語だの月報が貼られている中に、
    目立つ華やかなポスターが一つ目に止まって、ロシナンテが言った。

    「ああ、サーカスが来るのか。もうそんな時期なんだな」

    赤犬からの書類を届けに来たセルバントは目の下に隈を作っている。
    ロシナンテの言葉に頷きながら、眠そうにあくびを堪えていた。

    「秋だからな。街の方は枯葉がすごいぞ。お前足とられてスっ転んでるだろ」

    ぎく、とロシナンテの肩が震える。

    「・・・どっかで見てたのか?」
    「いいや、毎年の事だ。年中行事だぜ、もはや」
    「うるせぇよ」

    セルバントの揶揄いにむっとしながら返し、
    ロシナンテはサーカスのポスターを食い入るように眺めた。

    軍人の家族もマリンフォードには多く住んでいる。
    彼らのためにと年に数回、移動遊園地、動物園、なんかを呼ぶのが最近の通例だ。
    今年はサーカスが開催されるらしい。

    セルバントは懐かしそうにポスターを眺めた。

    「昔はセンゴクさんに連れてけってせがんだよなァ」
    「セルバントがな」

    ロシナンテの言葉に、セルバントは苦い顔をする。

    「・・・お前は頼み込むのだけおれにやらせて、
     行くってなったらちゃっかり自分もついてくんだよな、いつも」

    人聞きの悪いセルバントの言葉に、ロシナンテはくってかかる。

    「センゴクさんが不公平にならねェよう気を使ってくれてたんだよ!
     おれは、どっちだって良かったんだ」
    「嘘吐け、いつも一番面白がってたのはお前だった」

    そのせいか、かつてセンゴクはどんなに忙しくても
    時間を作るようにしていたとセルバントは思う。

    大人になってから、ロシナンテは娯楽には付き合い程度にしか参加しないので、
    随分長い間こういう催しなんかには行っていないのではないだろうか。

    いつもセルバントが無理矢理引っ張って飲み屋になんかに連れて行かなければ、
    おそらくロシナンテは仕事と訓練だけで平気で一年を終えてしまう。
    そんな毎日を過ごしていたはずだ。・・・に出会うまでは。

    「で?今年は行くのか?」
    「ああ」

    即答したロシナンテにセルバントは珍しいな、と眉を上げる。
    が、すぐに合点がいったのか、にやにやと笑みを深める。

    「・・・なんか戦場に行く前みたいな気合いだな」
    「えっ?・・・普段通りだ、おれは」
    「ふーん。ま、なんだっていいけど。変に気負うとお前ドジるぞ」

    何もかもお見通しだ、という顔をしてセルバントはロシナンテを指差した。
    その指を軽くはたいて、ロシナンテは犬でも追い払うにように手を振る。

    「うるせっ!仕事しろ!帰れ!」
    「ハッハッハ!・・・ハァ、今日もまた残業だぜ」

    セルバントは愉快そうに手をひらひらと振ったかと思うと、深いため息を吐き、
    足取りも重く執務室へと帰っていった。
    その哀愁漂う背中に、ロシナンテは腕を組んだ。

    「ちょっと邪険にし過ぎたか?いや、セルバントだしな・・・」

    今度また愚痴でも付き合ってやろう、とロシナンテは密かに思いつつ、仕事に戻った。



    ロシナンテの家。
    は夕食を共にしている最中、ロシナンテからサーカスが来るんだと聞くと
    は首を傾げる。

    「サーカスですか?珍しい。毎年来るものなの?」

    チケットを持っていたロシナンテは意外そうに目を瞬いた。

    「知らなかったのか?毎年、サーカスに限らないが、移動動物園とか、移動遊園地が来るんだ」

    は顎に手を当てて思案している。

    「ええ、そう言えばやけにこの時期は仕事が忙しくなるな、とは思っていたけど」
    「去年はおれも巡回にでてたからな・・・。もしかして見た事無い?」
    「そうね。サイファーポールでもそういう娯楽のようなものはあまり」
    「・・・なら、見に行こうぜ!面白いから!」

    少し目を伏せたに、ロシナンテは笑顔を作って提案する。
    はパチパチと目を瞬くと、そうね、と小さく呟いた。

    「たまには、良いかもしれませんね」
    「・・・!そっか。いや、懐かしいなァ、おれも久しぶりなんだよ。
     昔はセンゴクさんに連れてけって、セルバントが無理言ってな。
     おれも付き合わされたんだ。ピエロに大泣きしたりしたっけ・・・」

    ロシナンテの言葉には首を傾げる。

    「ピエロに、大泣き?」
    「・・・いや、それが」

    きょろきょろと辺りを見回していたところに
    風船をもったピエロがドアップで顔を覗きこんで来たので吃驚して大泣きするロシナンテと、
    それを見て風船をちゃっかり貰いながら爆笑するセルバント、
    困り果てるセンゴクの図は今でも思い出せる、と
    ロシナンテはどこか遠い目で言う。

    はクスクス笑っている。

    「ふふっ・・・、今はもう大丈夫なの?」
    「流石にな。ピエロでは泣かないよ」

    が揶揄うように言うので、ロシナンテは慌てて首を振った。
    はその様子もおかしかったらしい。

    「・・・、笑い過ぎだ」
    「フフフッ、ごめんなさい。おかしくて」

    口をへの字に曲げたロシナンテに謝りながらも、は時折肩を震わせている。
    案外笑い上戸なところもあるを見て、ロシナンテもつられて小さく笑った。



    まるでマリンフォードに居る人間皆が集まっているみたいだ、とは瞬いた。
    色とりどりの旗が吊るされ、ピエロが風船を配っている。
    屋台が出ているのか、香ばしい匂いが漂ってくる。
    子供を連れた家族連れも、恋人同士も、友達同士も居る。賑やかだ。
    制服以外の服を着た海兵や同期の軍医は見慣れないものだな、とは通り過ぎる人波を眺める。

    待ち合わせ時間には余裕があるが、
    こうも人が多いと、ロシナンテがを見つけるのは難しそうだ。

    「私が見つければ良いから、そんなに問題は無いかしら。
     ロシナンテさん、大きいし」

    それにしても早くつき過ぎてしまったと、は壁にもたれてつま先を眺めた。
    少しは高い踵の靴にも慣れたようだと思いながら、小さく足を揺らしていると、
    派手な化粧の道化師がの顔を覗き込んできた。
    思わずぎょっとして肩が跳ねる。

    「び、吃驚した・・・、あの、何か?」

    胸を抑えて問うと道化師はふむ、と芝居がかった仕草で頬をかく。
    かなりの量の風船を片手で持っているのを見て、は目を見張る。

    「お嬢さん、待ち合わせかな?お一人様?」

    道化師は大振りに首を傾げてみせた。
    はそれに素直に答える。

    「待ち合わせよ」
    「そうかい。じゃあ、手を出しな」

    不思議に思いながらも手を差し出すと
    道化師は風船をに持たせた。
    よくよく見れば、風船の先にはサーカステントや
    ピエロの顔が描かれたアイシングクッキーが括り付けられている。

    「・・・かわいい」
    「ふふ、お連れさんとどうぞ。風船は邪魔なら飛ばしちまってくれ。
     雲の島を支える力になるだろうから」
    「雲の島?」
    「この海のもっと先、グランドラインの奥深く、
     まだ見ぬ世界のどこかに、風船で浮かぶ雲の島があるのさ。
     おや?あの大男はお嬢さんの連れでは?」

    きょろきょろと辺りを見渡すロシナンテが見えて、はパッとその顔に喜色を浮かべた。
    その様子を見て、道化師はその化粧と同じように笑ってみせた。

    「良い一日を」
    「ええ、あなたも!」

    手を振って子供に風船を配り歩く道化師に別れを告げ、はロシナンテの元へ走り寄った。

    「あ、!待たせたか?・・・なんで風船持ってるんだ?」
    「いいえ、全然。これ、風船配りのピエロに貰ったの。クッキーがほら、かわいいでしょう?
     ・・・でも、やっぱり急に顔を覗き込まれると吃驚するわね」

    の言葉にロシナンテは道化師の背中を視線で追った。

    「だよな、やっぱりいきなり来たら怖いよな?」
    「ええ。子供は泣いてもおかしくないわ」

    頷き合ってどちらからともなく苦笑する。

    「今は洒落たもんがくっついてるんだなー、昔はこんなのなかったよ」
    「そうなの?・・・あら」

    クッキーが入った袋が括り付けられていた風船をロシナンテがとると、
    大方の予想通りと言うべきか否か、風船は飛んでいってしまった。

    とロシナンテは目で飛んで行く風船を追う。
    赤い風船が青空に吸い込まれて行くように、みるみる小さくなって行った。

    「・・・ごめん」
    「フフフ、気にしてないわ」
    「・・・すまん」

    ロシナンテは肩を落とす。
    は小さく笑って話題を変えながら、サーカステントに向かった。

    「ねぇ、ロシナンテさん、飛んで行った風船は”雲の島”に行くって、
     ピエロが言っていたけれど、それって有名な話なの?」
    「雲の島?空島のことか?」

    ロシナンテの反応を見るに、
    どうやらそう有名な話でもないらしい。

    「あるんだか無いんだかわからねェって話だが、グランドラインは広いし、
     海流も4つの海に比べると異常だ。あり得ない話では無いと思う」
    「そう」

    はもう一度振り返り、風船を配り歩くピエロの背中を探した。
    もう人並みにまぎれ、見つけられはしなかったけれど。



    サーカスは素晴らしかった。
    ボールに乗る象。火の輪をくぐる虎。空中ブランコ。ジャグリング。
    そして、不思議との印象に残ったのは、
    華やかな見せ物ではなく観客の緊張をほぐすための、おどけてみせる道化師の手品だった。

    「ピエロって、不思議ね」

    はほう、と感嘆のため息を漏らした。

    「なにが?」
    「スポットライトの下に居ると、まるで違う顔に見えるんだもの。
     風船配りをしていた人と、トランプで手品をしていた人、同じピエロだったわ」

    は何を思い出したのか、クスクスと笑っている。

    「ふふっ、ちょっとあなたに似てる」
    「えっ、そうか・・・?」

    ロシナンテは思っても居ない事を言われて瞬く。
    は微笑んだ。

    「おどけたり、ふざけたり、私を笑わせようとしてくれるでしょう?
     今日だって、こうして外に連れ出してくれた。
     私、多分誘われなければ、サーカスに足を運ぼうだなんて、考えもしなかった。
     ・・・ありがとう。楽しかったわ。とても」

    それはロシナンテだって同じ事だ。
    が居なければ、こんな風に、催しに出かけるだなんて考えなかったはずだ。

    もう人並みも遠い。
    ロシナンテとは浜辺を歩いた。
    夕焼けの海が見える。
    海なんて海兵をやっていれば見慣れるものだ。
    それなのに、その日ばかりは違っていた。

    「少し肌寒いわ。日が落ちるのも、早くなった。すっかり秋ね」
    「・・・なあ、
    「なに?」

    少し硬い声に、は振り返る。
    ロシナンテがの両手を握った。

    真正面からロシナンテの顔を見上げる。
    夕日に染まって何もかもがオレンジ色だった。
    ロシナンテは心無しか緊張しているようだ。は首を傾げる。

    「どうかしたの?」

    ロシナンテはの手を離して、咳払いをした。
    羽織っていたジャケットのポケットから彼にしては珍しくすんなりと箱のようなものを取り出す。

    「開けてみてくれ」

    は頭に疑問符を浮かべながら、箱を開ける。
    金色の指輪だった。中心に小さな白いダイヤモンドが輝いている。
    は弾かれたように顔を上げた。
    ロシナンテがの瞳をしっかりと見詰めている。

    「おれと家族になってほしい」

    は息をのんだ。
    ロシナンテはしゃがみ込み、と視線を合わせて、言葉を続ける。

    「まだお互いに若過ぎるかも、とか。
     まだやるべきことがおれには残ってるから、それに決着がつくまでは、とか。
     そんな風にも思ったんだけど」

    ロシナンテは深く息を吐く。

    「でも、やっぱりと、ずっと一緒に居たいんだ。
     おれはドジだし、にはかっこわるいとこばっかり見せてる気がするしで、
     ・・・愛想つかされないかたまに心配になるんだが、
     幸せにしてやりたいって、思ってる。一緒に幸せになりたいって、だから」

    は俯いて答えない。
    まさか考えさせてくれとか、言われないだろうか。
    ロシナンテの脳裏にネガティブな考えがよぎる。

    「あの・・・受け入れて、くれるか?」

    はロシナンテの首におもいきり抱きついた。

    「うぉ!?」
    「・・・薬指、ぶかぶかじゃないですか!バカ!」

    が薬指に指輪を嵌めて見せると一回りは大きいのが見て取れる。
    ロシナンテはショックだったらしい、青ざめていた。

    「えッ!うそだろ!?おれドジった!?この肝心な時に!?」

    えー!と慌てるロシナンテの頬に手を伸ばす。
    はロシナンテの唇の端にキスをした。
    瞬間ぴたりと動きをとめたロシナンテに、
    は視界が滲んでいるのもかまわずに言った。

    「よろこんで・・・私をロシナンテさんの家族にしてください」

    ロシナンテはぽかん、と口を開けて、やがてじわじわと涙ぐみはじめた。

    「や、やったー!」
    「わ!!!」

    立ち上がって、の腰をもってくるくると回りだす。
    子供みたいだと思って、は笑った。
    ロシナンテは頬を涙で濡らしながらも、満面の笑みを浮かべている。

    !ありがとう!」

    も頬に涙が伝うのに気がついたが、
    なんだか不穏な予感がして少しばかり冷静になる。
    ロシナンテが回転しながら海の方に向かっていっている・・・は叫んだ。

    「ロシナンテさん!ちょっとまって!これ!ぜったい落ちる!海に!海に!!!」
    「えっ!?あ!?」

    ロシナンテは足下にあった貝につまづいて転んだ。

    その結果、もロシナンテも浅いとはいえ海に飛び込む形になってしまった。
    派手に水しぶきが上がる。

    水浸しになったが急いで起き上がると、指輪はしっかりと握りこんでいて無事だった。
    ほっと息をついているとロシナンテの声がしないことに気がついてキョロキョロと辺りを見回す。
    の目に飛び込んで来たのは、器用に頭を海に浸しているロシナンテの姿だった。

    「嘘でしょ、溺れてる!ロシナンテさん!!!」

    浅瀬とはいえ顔から海に突っ込んだらしいロシナンテは悪魔の実の能力が祟って金槌だ。
    急いで浜辺に連れて行き、水を吐かせる。
    強かに咳き込んだロシナンテの背中を擦った。

    「ゲホッ、ごめん。うれしくて、っ、はしゃぎすぎた・・・」
    「ドジッ子!バカ!死んだらどうするの!?というかなんであんな浅瀬でおぼれるの!?」
    「め、面目ねえ・・・!」

    は軽くロシナンテの肩をはたいて、ため息をつく。

    「服がびしゃびしゃじゃない・・・ロシナンテさん顔まで砂塗れよ、もう」

    がロシナンテの髪をくしゃ、と撫でる。
    ロシナンテの、色素の薄い赤い瞳を覗き込む。
    はこの目が好きだった。
    が夢魔と知っても、まっすぐにを見詰め続けてくれたその目だ。
    まるで引き寄せられるように、どちらからともなく口づけた。

    目を開けると、ロシナンテはまた涙ぐんでいる。

    「夢じゃねえよな」
    「ええ。・・・フフフ!」

    はロシナンテの瞳に映り込んだ自分の格好が余りに酷くておかしかった。
    涙も笑いも止まらない。

    せっかく一緒に出かけるのだからとおしゃれしてきたのに、
    全身水浸しで、服も、顔も、髪でさえ砂塗れだ。

    それなのに、だからこそ。

    いきなり笑い出したに、頭に疑問符を浮かべてみせるロシナンテへ、は打ち明ける。

    「ねえ、ロシナンテさん、いま私、世界で一番幸せだわ」