不自由な娘
それは、ローがドフラミンゴ直々に、経営学と戦略を学ぶ最中の事だった。
会わせたい奴が居る、とドフラミンゴは呟いた。
ボス直々に言うことに、ローが異議を唱えるわけもない。
善は急げと言う事なのか、ローはすぐさま
ピンク色のフェザーコートの後を着いて行くはめになった。
ローはその背中を見上げる。
ドフラミンゴは常の笑みを忘れてしまったような顔をしていた。
ある部屋の前で立ち止まったドフラミンゴに、ローは首を傾げた。
「・・・おい、ここ、宝物庫だろ、この他に部屋なんかあったか?」
「隠し部屋がある」
ドフラミンゴは端的にローの疑問に答える。
宝物庫の中にある煉瓦造りの壁の一つを押すと、扉が開いた。
そこも宝物庫には変わりないのだとローは悟る。
ただ、置かれている宝の種類が違っていた。
宝石や金貨ではなく、その部屋に置かれているのは芸術品の類いだ。
大理石の彫刻。名画。希少本。
そして、その中に埋もれるように大きな寝台が一つ。
寝台の主は半身を起こして本を読んでいる。
その人もまるで芸術品かなにかのようだった。
大切に扱われている事は、その身なりからすぐに見て取れる。
フレームの細いメガネをかけていて、
読書に集中しているのか、ドフラミンゴやローに気づく様子も無い。
ドフラミンゴは焦れたように声をかけた。
「」
「・・・ドフィ?」
呼びかけられてようやくこちらに気づいたのか、と呼ばれたその人は顔を上げた。
不思議そうにローとドフラミンゴを見つめている。
「今日は顔色がいいな。
お前に紹介したい奴を連れて来た」
ローの背を押したドフラミンゴに促されるまま、ローはを見上げた。
近くで見るとは恐ろしく儚気で、病に冒されていることは一目で理解出来る。
「お前の二人目の主治医だ。名前はロー。幼いが腕は良い」
「そうなの?初めまして。
私はドンキホーテ・。
ロシー、ロシナンテのことは知っている?ロー、先生?」
”ドンキホーテ”という姓を告げられて、
ローは内心で驚きながらも、頷いた。
「ああ」
「そう。私はドフィとロシーの妹なの。見ての通り、あまり身体が強くないから、
船に乗ることはできないけれど。病気が治れば、一緒に船に乗りたいと思っているの。
ね、ドフィ?」
「フッフッフッ、治ったらな」
ドフラミンゴはの髪を撫でる。
慈しむような所作だった。
「絶対だからね。ドフィもロシーも、ドフィの側近だと言う人達も、
商船に乗るのはダメだって言うの。海賊が来たら、お前は卒倒してしまうって」
「え?」
ローはドフラミンゴに訝し気な視線を向ける。
ドフラミンゴは笑みを浮かべたままローを見下ろした。
・・・余計な事は言うな、という顔だった。
※
簡単な診察を終えて、宝物庫を後にしたドフラミンゴとローの内、
沈黙を破ったのはローのほうだった。
「ドフラミンゴ、いくつか確認と、質問がある」
「ああ、もとよりそのつもりだった」
ドフラミンゴの部屋に通されたローは簡単に書き付けたカルテを見て難しい顔をする。
「・・・まず、の病気についてだ。
は膠原病だな?ちょっとした風邪でも重病化しかねない。
まだ簡単にしか診察してないから確かとは言えねェが、十中八九免疫に異常がある。
これは、遺伝的なものも考えられるが」
「ああ。お前の見立て通りだろう。母もおそらくと同じ、膠原病だった」
指を組んだドフラミンゴに、ローは軽く目を眇めた。
「は定期的に診察を受けた方が良いってのは分かる。
おれの医術を買ってもらえるのはありがたい。
だが、・・・前に居た医者はどうした?」
ローはなんとなくだがドフラミンゴの答えを予期している。
ドフラミンゴもそれが分かるのか、軽く肩を竦めた。
「殺した」
ローは眉を顰める。
理由を問えば、ドフラミンゴは何を思い出したのか
苛立ったようにその眉間の皺を深くする。
「に惚れてあいつを連れ出そうとした。万死に値する。
その点お前はそういう心配はねェからな」
「・・・そうか」
そこに凄まじいまでの執着と愛情を見て取って、ローは空恐ろしく思った。
そして前任の医者とやらはよほど肝が座っていたのだろう、と息を吐く。
このドフラミンゴの実の妹に手を出そうなんて、正気の沙汰とは思えない。
「で?自分が海賊じゃねェって嘘吐いてんのものためか」
「そうだ。なァ、ロー。おれはあいつに余計な心配はかけたくねェのさ。
お前にも妹が居たなら分かるだろう?」
ローは目を眇める。
脳裏にもう、忘れかけていた声が蘇る。
『おそとはどうしてうるさいの・・・?』
『ああ、祭りだよ。フレバンスはいつも栄えてる』
同じ病に冒された妹、ラミについた嘘を思い出して、ローは拳を握った。
戦争が起きたフレバンスの様子を、命の終わりに怯えるラミに伝えるのは余りに酷だと思った。
それと同じような感情を、ドフラミンゴはに持っているのだろうか。
沈黙を肯定と受け取ったらしいドフラミンゴは笑う。
「おれの他にを知っているのはコラソンと、幹部の面々だ。
あいつらもに海賊稼業を知られるのは良くねェと思ってる。
他の連中にはまだ言わなくていい。いいな、ロー」
「ああ、もとより、誰にも言うつもりはない」
ローは少し考えるようなそぶりを見せた。
ドフラミンゴは恐らく理解しているに違いないのだが、
念のため、確認するために問いかけた。
「ドフラミンゴ、膠原病の原因は完全に見つかってる訳じゃない。
今の医学では、完治は難しい。投薬で寛解させ、
日常生活に問題ない程度まで回復させるのが精一杯だ」
ドフラミンゴは指を組んだまま、ローの言葉の続きを待っている。
「お前、を船に乗せるつもりは無いんだな?」
「当たり前だろう」
ドフラミンゴは何を分かりきった事を、と言わんばかりに言葉に笑みを含ませた。
「いいか、ロー。
嘘は、貫き通せば真実に変わる。おれはを騙し通す。
・・・そうしなきゃならねェし、そのための労力は惜しまない。
それがあいつのためだからだ」
「・・・わかった」
ローは頷いた。
そうする他に、選択肢が残されている訳が無かったのだ。
※
「。診察の時間だ」
「ハロー、私の小さなお医者さん」
「・・・その呼び方やめろ」
は窓の外の海を眺めながら、また読書していたようだ。
窓辺のテーブルに積み上げられた本は凄まじい値がつきそうな本ばかりだったが、
はぞんざいに扱っている。
「お前これ、ウィリアムの初版本じゃねェか、よく雑に扱えるな」
「ただの古い本よ。何回も読んだわ。何ならそらんじてあげましょうか?」
「別に良い。診察するからそこ座れ」
はドフラミンゴが居ないと随分気安く感じる。
簡単な診察のあと、薬を渡すと、は苦い顔をした。
「ねえ、ロー先生、この薬もう少しなんとかならない?」
「何が?」
「苦いじゃない、とても。シロップとか無いの?」
子供のようなワガママを言う。
ローは呆れて思わず零した。
「ガキかよ」
「失礼しちゃう。私もう成人してるんだけど」
それにしては随分幼い気もする。
は膨れっ面を作ってみせたが、それも一瞬の事で、首を傾げてローに問う。
「ロー先生はいくつ?」
「・・・11だ」
「すごい!」
ぱっと目を輝かせ、驚いてみせるにローは面食らい、一歩引いた。
「ああ、ごめんなさい。
しっかりしてるし、ドフィも認めているお医者さんだから、信頼はしているのだけど、
そうなの、11歳・・・賢いのね、随分努力したんじゃない?」
混じりけの無い賞賛だった。
そこにローの幼さを侮るようなそぶりはない。
ローは帽子をかぶり直して、ぶっきらぼうに告げる。
「別に。普通だ」
「普通じゃないでしょう。凄い事だと思う。私じゃとても無理だわ」
「・・・そりゃ、頭の出来が違うからな」
「ふぅん?」
ローの物言いに、は軽く眉を上げた。
「あんまり私に酷い事を言うならドフィに言いつけるわ」
「は!?」
「ウフフッ!ドフィを怒らせると怖いのよ?ご存知?」
悪戯っぽく笑いながら、は指を立てて額に当てる。
鬼のようだ、という身振りなのだろう。
そんなこと、言われなくても知っている。
焦るローを見て、事の重大さを分かっているのか居ないのかは笑っていた。
そうこうしているうちに隠し扉が回って、大男がのっそりと顔を出す。
コラソンだ。
誰かと鉢合わせるのは初めてのことだった。
コラソンはローが居る事に驚いたのか、紙にペンを走らせる。
『なんでここにいる』
「ドフラミンゴから聞いてないのかよ。おれはの主治医だ」
「・・・」
コラソンはちょっと考えるそぶりを見せると、に向けてまた紙を向けた。
『だいじょうぶなのか?』
「・・・オイ!どういう意味だ!」
とは対照的に、コラソンはローをイマイチ信頼していないらしい。
は瞬いた。
「私、ロー先生が主治医になってから凄く体調がいいのよ。
それに前の先生は、ちょっと・・・怖かったから」
『ならいい。おだいじに』
目を伏せたの頭を少し乱暴な手つきで撫でるとコラソンはさっさと出て行った。
苛立った顔でその背を睨むローに、は苦笑する。
「ごめんね、ロシーはちょっと人見知りだから」
「人見知り!?・・・いや、いい、そういう話になってんだな」
度を超した子供嫌いも、の前ではナリを潜めていた。
いつもなら出会い頭に殴られてもおかしくなかったのに。
「苦くてもちゃんと薬飲めよ、」
「・・・もう行ってしまうの?」
寂しそうに眉を顰めたに、ローはため息をついた。
ドフラミンゴの妹とは思えない程に幼いし、成人してるくせに純粋な子供のようだ。
あるいは、だからこそドフラミンゴは
をこうして宝物庫に閉じ込めているのかもしれないが。
「・・・また明日も来るから」
「本当?絶対よ」
は小指を立てて、ローに差し出した。
ローは仕方なく、と同じように小指を立てて、指切りをする。
「またね、私の小さなお医者さん」
「だから、その呼び方止めろって言ってるだろ!」
「ウフフフッ!」
クスクス笑うに背を向けて、隠し扉を出ると、扉を出た先でコラソンが立っていた。
ローを待っていたのだろう。
「・・・なんだよ」
コラソンはしゃがみ込むとローに突然煙草の煙を吹きかけた。
思わず咳き込むローに、コラソンはずい、と紙を突きつけた。
「な、なにすんだ、テメェ!」
『になにかしたらころす』
「はァ!?何言ってんだ!?」
ローに、コラソンは紙を再び突きつける。
『まえのいしゃも気の迷いで死んだ。ちゅうこくだ』
「・・・お前らなんなんだ本当に!
ドフラミンゴからも散々釘刺されたけど、患者だぞは!
前任の医者がどんなクソ野郎だったのかは知らねェけど一緒にすんな!」
『ならいい』
苛立つローを置いてそのままコラソンは宝物庫を後にした。
ローは舌打ちして、肩をいからせながらある事に気がついた。
そう言えば、は珀鉛病を怖がらなかった。
思わず振り返った宝物庫の扉はいつにも増して、重厚に見える。
閉じ込められたその人が、この扉を出る時は来るのだろうか。
「くだらない」
下らない話だ。世界を壊して殺して回るローにとっては、
誰かが閉じ込められていようがいまいが関係ない。
ただ、ドフラミンゴの命令だから診察してやっているだけなのだ。
その時は、そう思っていたのだった。