目を瞑る娘


ドフラミンゴは懐かしい夢で目を覚ました。
同時に、かつて味わった苦痛の記憶が蘇る。
幼かった頃、の髪を切った時の記憶だった。

マリージョアに居た頃は、着飾っていた母も妹も、
追われる日々を過ごすうちに、纏う衣服は男性のものと大差ないものに変わった。
自衛のためだった。
母が死に、逃亡の日々も限界に近づいて来たある日。
6歳だったの長い髪を、ドフラミンゴが切ってやったのだ。

ドフラミンゴは、が髪の毛を結んだり、
髪飾りをつけたりするのが好きだったのを知っていた。
本当は髪を切りたくないと思っていただろうに、はワガママ一つ言わなかった。

ドフラミンゴはその金糸のような髪が床に落ちるのを見たとき、酷く悔しく思った。
本当なら、天竜人のままで居たのなら、専属の髪結いが一人居て、の髪を結っただろう。
こんな風に、無様な少年のような格好を強いる事など無かっただろうに。

それでもは楽しそうに振る舞ってみせた。

『ドフィ兄さまは器用ね。美容師にだってなれるわ!』
『・・・なんでおれが美容師なんかになるんだえ。今日だけ、特別だ』
『ええ?そうなの?上手なのに』

割れた鏡で短くなった自身の髪をまじまじと見て、は笑った。
父と果物を取りに行っていたロシナンテが帰ってくると、飛びついて髪を指差してみせる。

『ロシー兄さま!ほら、同じ髪の毛!』
『わっ!?!どうしたの!?』
『ドフィ兄さまに切ってもらったの。ねぇ、似合う?
 お父さまも見て!』
『かわいいよ、
『ウフフッ!』

父とロシナンテと並んでじゃれ合う姿に、ドフラミンゴはどこかで安堵していた。
あの頃、の明るさに、どれだけ救われていたのだろうか。

母と同じ病に倒れるまでは、
ドフラミンゴの、ロシナンテの、父の、会話の潤滑油であり、よりどころでもあったのだろう。
今思えば、酷い話だ。たった6歳の少女に、心を預けていた。

ドフラミンゴは水差しから水を飲むと、苛立ちに任せてコップを床に叩き付けた。
ガラスは砕けて割れる。そのまま乱暴に立ち上がり、宝物庫に足を向けた。



は眠っていた。
静かな寝息を立てるは、かつての母によく似ていて、ドフラミンゴの胸をざわつかせるのだ。

それはきっと、ロシナンテとて変わらないだろう。
2年前、どこからか戻って来たロシナンテがに顔を見せたとき、
その唇が微かに「ははうえ」と動いたのをドフラミンゴは知っている。

その病弱さも、優しく、温かな人柄も、は母そっくりだ。
ドフラミンゴはの髪を梳く。
艶のある長い髪だ。
もう、ざんばらな、短い髪にさせたりはしない。

「・・・ドフィ?」
「・・・起こしたか」

は緩やかに目を開ける。

「また眠れなかったのね、ドフィ。怖い夢を見たの?」

は半身を起こした。
ドフラミンゴは答えずに、黙ってを見つめている。
はドフラミンゴを追求しない。
追求したところで、意味などないことを分かっているのだ。

何を思ったのか、の指が、
何かの儀式のように、ゆっくりとドフラミンゴのサングラスを外した。
サイドテーブルにもともと置いてあったのメガネと並んで、サングラスが置かれる。

「・・・また、夜更けまで本を読んでいたのか」

枕の横に置いてある本を見て、ドフラミンゴは呆れたように言う。

「この間ロシーが小説を買って来てくれたの。つい夢中になってしまって」
「目を悪くする」
「メガネをかければ良いわ」

は肩を竦めてみせた。
それから、ドフラミンゴの頬に手を伸ばす。
指先が輪郭をなぞるように触れた。

「疲れていたの?お仕事、忙しい?」
「ああ」
「・・・私に言われたくないかもしれないけど、顔色が良くないわ」

ドフラミンゴはの手首を掴む。
細い手首を強い力で握られて、
は困ったように眉を顰めた。

「私は逃げたりしないのに」

「フフフッ、さァ、どうだかな・・・」
「変なドフィ。自分で閉じ込めているくせに、何が不安なの?」
「出て行きたいとは思わないのか、

ドフラミンゴはの指に口づける。
らしくない、懇願するような仕草だった。
は軽く目を眇めたかと思うとドフラミンゴの額に唇を落とした。

「本音を言えば、3人で私の作った料理を囲んだり、出かけたり、船に乗ったり、
 ・・・せめて散歩したりとか、したいけど。
 身体が言う事を聞かないし、ドフィもロシーも、
 私の為に気を配ってくれていることは分かってる。
 あれもこれも、望める立場じゃないもの。ちょっとくらいの不自由は我慢するわ」

「・・・そうか」

ドフラミンゴは満足そうに口角を上げる。
そのまま寝台にあがると、の肩口に顔を埋めた。
はドフラミンゴの背中を優しく擦る。

ドフラミンゴはと居る時だけは、
身の内に渦巻く破壊衝動がなりを潜めることに気づいている。
ささくれ立った神経が徐々に凪いで行くのが分かる。

目を閉じると、優しい暗闇がそこにあった。



が熱を出した。
ドフラミンゴにそう告げられ、ローはすぐに宝物庫へと向かう。

の顔は真っ赤で、体温もかなり高かった。

解熱剤と抗生物質を投与し、役目を終えたとばかりにさっさとその場を去ろうとすると、
驚く程熱い手の平が、ローの腕を掴んでいた。

「行かないで、側に居て」
「・・・おれだって忙しい」
「お願い。眠るまでで良いの。どうせ、薬が効いたら眠くなるんでしょう」

は泣きそうな顔でローを見ている。
仕方なく、ローがの横たわるベッドの横にある椅子に腰掛けると、
は安堵したように息を吐いた。

「ねぇ、ロー先生、私、死ぬの?」
「死なない確立の方が高い。普通の奴よりは死ぬ可能性がある」

わざと意地の悪い言い方をしてみたが、に堪えた様子は無い。
それどころか、そんな言葉を聞いて、は咳き込みながら小さく笑ってみせた。

「ウフフ・・・、優しいのね、ロー先生」
「・・・何が」
「あなたは私に嘘を吐かない」

「患者に嘘ついてどうすんだよ。治らないもんは治らないし治る時は治る。
 変に期待を持たせるほうが残酷だ」

あるいは、ローはに格別の感情を覚えているわけではないから、
ある種冷淡に、冷静に接することが出来ているのかもしれない。
が”優しさ”と呼んだのは”客観”だ。

ローは内心でそう思いながらも、口を噤む。

余計な事を言って、の機嫌を損ねるとドフラミンゴに告げ口されそうだ。
ドフラミンゴの溺愛ぶりを見るに、を傷つければコラソンを害した時以上の
残酷な仕打ちを行うだろうということは容易に推測出来る。

「・・・そうね」

はローの内心を知ってか知らずか、眉を軽く顰める。

「ねぇ、本当は私、知っているのよ」

は絵画を指差した。ローがその絵画を見ると、
は語り始める

「その天使が描いてある絵はね。西の海にある国の国宝なの。
 有名な芸術家の作品で、左下にサインがあるわ」
「そこにある、大理石の女神像。東の海にある、芸術の島の美術館にあったもので
 右足の親指が欠損している」
「そこの宝石箱も・・・グランドラインのある島でしか取れない宝石を使っていてね、
 貴族かなにかの家宝だった。飾りに使われている宝石も全て本物。
 イミテーションじゃない」
「ロー先生、ロー先生の座っているその椅子も、高名な家具職人のナンバーコレクションの一つ。
 複製品も出回ってるようだけど。それは完璧なオリジナルよ」

「何が言いたい?」

静かに連ねられる言葉。その意図を尋ねるとは目を細めた。

「・・・兄さん達は、商船になんか乗っていないんでしょう?」

の言葉にローは心臓が飛び跳ねたような感覚を覚えた。
取り繕う言葉も、咄嗟には出てこない。

「ウフフ、正直ね、私の小さなお医者さん。顔色が、真っ青だわ」

に頬を撫でられる。
熱のせいで、が触れた箇所は驚く程熱いが、それでもローはを拒めなかった。

そして改めて感じていた。
どんなに無邪気に見えても。どんなに優しく幼く見えたとしても。
この人は、”あの”ドフラミンゴの妹なのだ。

「ロー先生、あなた程賢くないにしても、私はそんなに馬鹿じゃないわ。
 ・・・でも、馬鹿にされてはいるのかしらね。
 兄さん達の中で、私は6歳の女の子のままなのかもしれない」

静かに、は言う。

「普通の商船に乗っている人が、たとえ経営者だって。
 国宝とか、美術館の所蔵品を手に入れられる訳が無いことくらい、
 どんな世間知らずだって、理解出来る。そう思わない?」

ローは答えない。答えられなかった。
はそんなローを見て苦笑する。

「安心して。誰にも言いつけたりしないわ。
 昔から気づいていた。あなたがボロを出した訳じゃない」

ローは気を取り直すように、唇を噛み、に問いかけた。

「・・・、だったら何で、ドフラミンゴに嘘を吐くなって言わないんだ」
「兄さん達の嘘は、私のために吐いた嘘だって分かるもの」

は静かに呟く。

「昔からそう。私はドフィ兄さんの足手纏い。
 ロシー兄さんも、私とどう接していいか分からないみたいだった。
 ・・・ロー先生、聖書を読んだ事は?」

ローは頷く。
かつて通っていた学校は聖人の名前を冠していた。
聖書も読んだし賛美歌だって歌った。
は頷いたローに目を細める。

「”あなたたちは盗んではならない。嘘をついてはならない。互いに欺いてはならない。”
 私たち兄妹は、その全てに背いている」

噛み砕いた聖書の一節をそらんじて、はため息を吐いた。

「嘘を”吐いた”人間と、嘘を”吐かせた”人間。どちらの罪の方が重いのかしらね」

「わからねェよ、そんなの。もう寝ろ。
 そうやってわけわかんねェことばっかり考えてるから熱が下がらないんだ」

ローに促され、はようやく目を瞑り、小さくその唇に笑みを浮かべる。

「目が覚めて、あなたが居ないのは寂しいわ。私の小さなお医者さん」
「・・・その呼び方、止めろよな」

は答えない。
しばらく経たないうちに、静かな寝息が聞こえて来た。
緩やかに眠りに落ちたの寝顔は安らかだった。