踏み外した娘
「随分とご機嫌でいらっしゃるようですが、一体何を企んでいるのですか?」
「人聞きが悪いことを言うのね、アルドンサ先生」
はアルドンサをジト目で睨んだ。
毒を盛られることはなくなったが、それでもの容態は決して良いとは言えなかった。
アルドンサは自己保身を欠かすことがないため、それも仕方がないとは割り切っている。
アルドンサに毒殺を指示した人間はが回復しては困るのだから。
現状維持。それがアルドンサとの間に結ばれた協定だった。
アルドンサはに問いかける。
「お兄様はここ最近、お見舞いにいらっしゃらないようですが」
「そうね・・・兄妹喧嘩をしたから、ちょっと気まずいんじゃ無いかしら」
「・・・兄妹喧嘩、ですか?」
アルドンサはパチパチと目を瞬き、
意外だ、と言う顔を隠しもせずに、感想を漏らした。
「あなた方も普通の兄妹なのですね」
「どう言う意味?」
が眉をあげると、アルドンサは肩を竦めてみせる。
「いえ、・・・妹を軟禁する兄と、
それを甘んじて受け入れている妹というのは、
あまり見ないものですから」
「・・・好き勝手言ってくれるわ。本当のことだけど」
は深いため息をついた後、静かに目を伏せた。
「アルドンサ先生。もし、何かいつもと違うことが起こったなら、
あなたは速やかに逃げることができるかしら?」
「え?」
訝しげなアルドンサに、は身につけていた首飾りを外し、
アルドンサの首にかけた。
「・・・ウフフ、ねぇ、アルドンサ先生、この首飾りをあげるわ。
あなたの方が似合うと、前から思っていたの」
アルドンサはから渡された首飾りに触れて
戦々恐々と首を横に振った。
金と宝石を惜しみなく使った、ずっしりと重い首飾りは、
いくらするのか皆目見当がつかなかった。
「頂けません、こんな・・・」
は笑う。
「あなたは医者なのだから、
もう二度と、誰かを殺したりなんかしないで。
せっかく努力して手に入れた人を救うための手のひらを、
汚すような真似はしないでね」
「様?」
アルドンサは戸惑いを隠せず、を見つめた。
はそれ以降は何も答えず、アルドンサに告げた。
「今日の診察は終わりでしょう、下がってちょうだい、アルドンサ」
それが、アルドンサがと会った、最後の日だった。
※
ドンキホーテ海賊団、最高幹部の面々はスパイダーマイルズの
ある部屋に密やかに集まっていた。
「困ったことになったな。まさかドフィが、海賊を辞めると言い出すとは、」
ディアマンテが頭をかきながら呟く。
トレーボルはドフラミンゴの手前それを承諾したように見えたが、
実際は違うと皆理解していた。
ピーカは難しい顔をしながら、当のトレーボルへと問いかけた。
「どうする? トレーボル?」
「・・・決まっているさ」
トレーボルは組んだ手のひらに力を込めて、静かに告げた。
「我らが王の妹君には、ご退場願おう」
誰もそれに異を唱えなかった。
それまで黙り込んでいたヴェルゴに、トレーボルは問いかける。
「お前も、良いな? ヴェルゴ?」
「・・・なぜおれに聞くんだ?」
ヴェルゴは鼻を鳴らし、淡々と告げた。
「おれたちはドフィを王にする。
その邪魔になるものは、排除するのが、おれたちの仕事だろう」
天から堕ちてきた限りない才能を、拾い上げ、力を与え、
代わりに”夢”を託した。
その夢を、忘れさせるようなものを、ドフラミンゴのそばに置くわけにはいかない。
ヴェルゴの答えに満足したのか、トレーボルは立ち上がった。
その手に杖と、木の箱を持って。
「では、善は急げだ。行こうか、皆」
※
そして、その時は訪れた。
乱暴に開かれた扉に、は寝台から立ち上がり、招かれざる客人たちを睨む。
「・・・女性の寝室に大勢で押しかけるのは、マナーがなっていないと思わないかしら、
トレーボル。何か御用?」
は壁に背中をつけた。
武器を構えたトレーボル、ピーカ、ディアマンテ、そしてヴェルゴが、
の部屋に入って来たのだ。
「べへへ、ご機嫌麗しゅう、ドンキホーテ・。
死に損ないがよくもまァ、ここまで生きてくれたもんだ。おかげで、」
「・・・『ドフラミンゴの勢力が思ったより拡大しなくて困ってる』かしら?」
「!?」
の口にした言葉に、ピーカとディアマンテは驚きを露わにしていた。
トレーボルとヴェルゴは眉を顰め、を睨む。
「私が何も、知らないとでも?」
は口角を上げた。
胸に手を当てて、トレーボルたちを宣告する。
「私は兄に全てを押し付けて引鉄を引かせた罪人。
病に冒された私にできる唯一の役目は、少しでも『兄の歩みを遅らせること』」
病人のを転々とさせるのは難しいことだった。
当然、勢力を拡大させながら移動するのも、困難になる。
「全部計算尽くだったって言うのか・・・?!」
ディアマンテがを見て目を瞬かせた。
その様を黙っていたヴェルゴが、に問いかける。
「、お前・・・ロシナンテが海兵だって知ってたな?」
は頷いた。
「ええ、だから彼が帰って来たときは嬉しかった。
きっとここも海軍に知らされるだろうと思ってたのに」
ロシナンテはを巻き込みたくはなかったのだろう。
海軍を連れてくるのはいつもドフラミンゴの出向いた先。
拠点に軍艦が向かうことはなかった。
「・・・ロシー兄さんは詰めが甘いわ。
優しいのは良いことだけど、非情になりきれない。
”私たち”と違って」
は俯いた後、皮肉な笑みを作り上げた。
「それにしても、随分と焦っていらっしゃるのね?
遠回しに私を殺そうと画策していらしたのに、こうして直接的な手段に出るだなんて」
「んねー、回りくどい言い方はよせ。・・・何が言いたい?」
トレーボルの言葉に、は目を眇める。
「ロー先生以外の主治医、あなたたちの息がかかっていたでしょう。
毒を盛ったのもあなたたちよね?
次からはもう少し、上手に隠蔽したらどうなの?」
トレーボルはパチパチと乾いた拍手をして見せた。
「クク、べへへへへへ! なるほど、なるほど。
ご教授いただけて嬉しいんねー」
に杖の先を突きつけ、トレーボルは低く囁いた。
「だが、”次”なんてものはお前には無い」
しかしは怯むことなく、
笑みを浮かべたまま挑発するように言葉を紡ぐ。
「・・・あなたたちがここに来たということは、
私の”ワガママ”は兄に何かしらの”変化”を与えたのね」
は浮かべていた笑みをほどき、
トレーボルを睨み上げた。
「これ以上、兄を利用するのは止めて。
兄はまだ、引き返せるのだから」
「引き返せる?・・・何を言っているんだ、お前は」
トレーボルはの腕を掴み、凄んだ。
「だったら教えてやろうか!?
お前の慕う”お兄様”が、どれだけの人間を殺したのかを!
お前を囲むこの部屋の芸術品を、どんな手段で奪ったのかを!」
トレーボルは笑う。
「街に火をかけ、老人も子供も皆殺し、男も女も首をはねた。
時には拷問にもかけてたなァ!
お前の”お兄様”は悪事にかけちゃあ、一流だとも!」
は奥歯を噛み、トレーボルを怒鳴りつけた。
「あなたたちがそうさせたんじゃない!
私の兄を、”怪物”に変えたんじゃない!」
の言葉に、トレーボルは声を上げて笑う。
「べへへへへ!!! 言い得て妙だなァ。だが、ドフィはそういう才能を持っていた。
おれたちはその才能を伸ばしたに過ぎない」
「確かに最初はおれたちが道を示した」
ピーカがトレーボルに続けて、静かに答える。
「今はドフィが道を切り開いてくれる。
破壊と血の滴る復讐の道を・・・!」
ディアマンテがピーカに続けて嘲るように笑いながら言った。
「・・・ドフラミンゴは我らの王だ。誰にも邪魔はさせない」
そして最後に、ヴェルゴがに答えたのだ。
「私が止めるわ! あなたたちの、思う通りにさせて溜まるものですか!」
「べへへ、物分かりの悪い小娘が。”お前に何ができる?”」
「・・・!」
なおも歯向かうに、トレーボルは掴んだ手に力を込めた。
「病弱で、世間知らずで、少しひねればこの腕も折れるだろう。
元天竜人だけあって気位の高さだけは一人前だが、お前には何もできまい。
考えろ、おれたちとお前と、ドフィに真に必要とされているのはどちらなのかを」
トレーボルはゆっくりと、を言い含めるように告げた。
「ここでお前には死んでもらおう。2択だ。
”自分で死ぬか、おれたちに殺されるか”」
「・・・何ですって?」
は訝しむように、トレーボルを睨んだ。
を殺せば、まず間違いなく、トレーボルたちはドフラミンゴに殺されるだろう。
「ドフラミンゴにとって、幹部である我々がお前を殺すのは”裏切り”だろう。
おれたちはおそらく殺される。当然だ」
しかし、トレーボルはそれさえも全て承知の上で、に迫っているようだった。
「・・・さて、そしたらあいつに何が残る?」
トレーボルの意図を悟り、の顔が蒼白になった。
「怒りのまま、おれたちを殺し、後には何が残るんだろうなァ、ええ、!
“お前のせいで”あいつは今までファミリーを支えてきた柱を失うだろう」
トレーボルは浮かべていた笑みを深める。
「お前は再び兄に”家族殺し”をやらせる気か?」
の目は驚愕と怒り、そして恐怖に揺らいでいた。
「お前が自ら死ねば、ドフィに残るのはおれたちだ。
今まで通り、なァんも変わらねェだろうなァ。
お前はこの部屋に閉じ込められてきたんだから。仕事には何も支障はあるまい。
多少荒れるにしても、おれたちがドフィを支えてみせるさ。今まで通り、変わらずな」
トレーボルは囁いた。
「おれたちこそがドフィの”家族”なんだ。
思想を共にし、互いに信頼し、同じ釜の飯を食い、財を成した。
お前と違ってなァ、・・・」
気丈な態度を崩すまいとして居たの顔に、筆舌にし難い悲壮な感情がよぎる。
「わかるだろう? どちらが真に、ドフィにとって必要な、”家族”なのか」
とうとうの目尻から涙が溢れた。
唇を噛み、奥歯を食いしばって、トレーボルを睨むが、
トレーボルは笑みを浮かべたままである。
「それに、どうせお前の命は長くはない。そうだな?」
は固く目を瞑り、唇を引き結んだ。
ローがいなくなってからというもの、の体は一向に良くならない。
そして何より、ドフラミンゴに”家族”を殺させる選択肢を、は選べなかった。
ここで選べる選択肢は、一つしかなかった。
深くため息をつき、答える。
「・・・わかりました。私が死ねば、いいんですね?」
トレーボルはの腕を離した。
「そうとも、べへへへへへ! 物分かりが良くて助かるわー。
さて、”我らの王”の妹君。その血に敬意を持って、
この世で最も贅沢な死に方を考えてみた」
トレーボルはその手に果物を掲げていた。
奇妙な果物だった。まるでナシかリンゴが燃えたような黒い表皮に、渦巻き模様が浮かんでいる。
「この”悪魔の実”を食べ、窓から飛び降りるんだ。
べへへへへへ!!! 洒落た死に方だろう? んねー?」
トレーボルに渡された悪魔の実を、は睨み、
やがて観念したように一口齧った。
驚くほどの不味さに、はむせ返りながら、
何とか全ての実を食べきると、短く悪態をついた。
「・・・最後の晩餐なら、もっと美味しいものが食べたかったわ」
「減らず口を」
笑うトレーボルに、ディアマンテが声をかける。
「良いのか、トレーボル。何の実かわからねェもんを食わせちまって」
「ベヘヘ、どんな悪魔の実だろうが、使いこなすには時間が掛かる。
それに、死んじまえば回収は容易だ。
・・・重要なのは、この女が”必ず死ぬ”と言うこと。
悪魔の実の能力者が、この高さから海に落ちれば、命は無い」
黙って話を聞いていたは吐き気を堪えながら唇をぬぐい、トレーボルに告げた。
「では、遺書を残させてもらおうかしら」
「んん?それは・・・」
難しい顔をするトレーボルに、は首を横に振る。
「もちろんあなたたちのことは書かないわよ。
でも、それらしくするべきじゃないかしら。
私が自殺するとしたら、必ず一言、兄に一筆残すわ」
なおも渋い顔をするトレーボルに、ヴェルゴが声をかけた。
「トレーボル、それくらいは許してやったらどうだ」
「ヴェルゴ、」
意外そうな顔を、は浮かべる。
だが、ヴェルゴはに一瞥もくれなかった。
は散らかっていた本を本棚に戻し、短い手紙をしたためた。
少し筆跡は乱れたが、直す余裕も時間もなかった。
重石を置いて、サイドテーブルに手紙を残す。
それから部屋を見回し、はいつもローが腰掛けるのに使っていた椅子を手に持った。
「・・・窓から、飛び降りれば良いんだったわね」
は椅子を振り上げて、窓に叩きつけ始めた。
トレーボルたちは椅子を振り上げ、はめ殺しの窓を割ろうとするをただ見ていた。
非力な腕を振り上げ、何度も椅子を窓に叩きつけてようやく窓枠がひしゃげ、窓が割れた。
椅子がそのまま崖下へと落ちていく。
風が吹き込んで、の髪を撫でているようだった。
は一冊の本と楽譜を手にとって、窓まで歩む。
「一つ、お願いをするわ。皆様方」
は窓枠の縁に立ち、振り返る。
「あなた達は”家族”なのだから、兄を、ドフラミンゴを決して裏切らないで」
「べへへ、何をいまさら・・・」
「・・・さもなくば、地獄の底から呪ってやる。
必ず”私”が復讐してやる。この肉体が滅んでも」
は激しい言葉と裏腹に、恐ろしく冷静にトレーボルを見つめていた。
「”私”が、お前を、殺してやる」
死にゆく女に何を言われても動じまいと思っていたが、の声色も目つきも、
トレーボルが王と仰ぐドフラミンゴによく似ていた。
血の符合。
一見穏やかに見えるにも凶暴性が眠っている。
トレーボルは唐突に理解していた。
は、"ドフラミンゴの妹"なのだということを。
思わず背筋が震えていた。しかし。
は表情を和らげ腰を折り、胸に手を当て頭を下げる。
「兄をどうか、よろしくお願いします」
誰かが息を飲んだ瞬間、スカートが風に翻る。
あっという間にの身体は窓の外へと倒れていった。
「・・・!」
ウェルゴが思わずと言ったようにを追いかけた。
窓から身を乗り出したが、落ちゆくと目があったのか否か、
すぐに顔を背け、立ち尽くしていた。
トレーボルが満足げに頷いた。
「この辺りの海流は流れが早い。
惨い死に様をドフィに見せずに済んだことだけが、あの女の兄孝行だった・・・。
べへへへへへへへ!!!」
笑うトレーボルは、ピーカとディアマンテを連れて部屋を後にする。
動かないヴェルゴに、ディアマンテが気がついた。
「ヴェルゴ?」
「・・・すぐに追いつく」
ヴェルゴは振り返ったディアマンテに返した。
ディアマンテは眉をあげる。
「そうか? あまり長居するなよ」
主人を失った部屋に、ヴェルゴだけが残った。
※
落ちる。
一瞬とも永劫ともつかない時間の流れが、を包んでいた。
体感はどうあれ、きっと間も無く海に叩きつけられては死ぬのだろう。
記憶はまるで映画のように、の脳裏で再生される。
幼い子供の頃のこと。家族と交わした言葉の数々。
宝物庫の中で増えていく芸術品の一点一点。
嘘つきだった、兄たちの笑顔。
そして、正直者の小さな船医。賢くてかわいそうな少年。
昔のドフラミンゴによく似ていた、破壊に憧れ、自暴自棄になっていた。
それがと話すうち、少年らしい表情をするようになった。
キスをした。自分は必ず死んでしまうから、一緒に秘密を持っていくと言われた。
の心に土足で踏み込んで、その輪郭をなぞった。
にとって・・・それがどれほど、嬉しかったことか。
もう一度会いたかった。
愛していると伝えたかった。
あなたのおかげで、私は幸せになりたいと、願うようになったのだと。
はそこまで考えて、涙が溢れたのを自覚した。
私が一番嘘吐きだった。
生きてるのも、死んでるのも同じだなんて嘘だった。
こんな死に方をするなら、ロー先生、あなたと生きたかった。
どんなに短い時間でも良いから、そばに居たかった!
鉛色の空が遠い。後何秒で死に至るのだろう。
引き伸ばされた時間は、記憶を何度も呼び起こす。
「ーー死にたくない」
思わず呟いたその瞬間、の足元から感覚がなくなっていった。
渦巻くような煙がの身体を包み込む。
そして、の身体は、その場に"浮遊"した。
ドンキホーテ・は、その時、”幽霊”になったのだ。