嘘吐き兄弟と小さな船医の希望
港では子供の叫び声が響いていた。
「おい!! イヤだ、病院は!!」
「普通のガキみてェなこと言ってんじゃねェ」
コラソンは島に降り立ち、ローを抱えて病院を仰ぎ見る。
港からも確認できるほど、その病院は立派だった。
だからこそ、コラソンはこの島を、旅の最初に選んだのだ。
「見ろ、こりゃでかい病院だ。きっと治るぞ!」
ローは冷や汗をかいた。
おそらく、これからどういう目に遭うのかは想像がついている。
コラソンはローを連れて病院の診察室へ向かった。
順番を待つ間も、ローは気が気ではなかった。
待合室ではなんとか珀鉛病患者だとバレることはなかったが、
診察されたらそうはいかないだろう。
「今日はどうしました?」
落ち着いた様子の医者と看護師がローを見ていた。
ローは帽子を深く被り、だんまりを決め込んだ。
コラソンが見かねて、病名を口にする。
部屋の空気が変わったのが、俯いたローにもわかった。
「”珀鉛病”・・・?!」
「もう時間も経った。いい薬はできてねェのか? 先生」
医者はローに問いただした。
「すまんが君、出身は?」
ローは視線を彷徨わせ、仕方なく答える。
「・・・フレバンス」
その瞬間、必死に平生を保っていたのだろう、看護師が泣き出した。
医者は消毒液と手袋、ガスマスクを用意させている。
警備員と政府への連絡を、とローの前で指示し始めた医者に、
ローは、わかっていても失望した。
珀鉛病は感染症じゃない。
それを、政府の発表を鵜呑みにして信じ込んでいる医者が世の中にどれだけいることだろう。
ローの言い分を信じてくれたのは、ドンキホーテ海賊団と、くらいのものだった。
ローは医者を睨んだ。
ズボンを握りしめて、奥歯を噛み、涙を堪える。
「・・・お前に、おれは治せないんだろ?」
「ホワイトモンスター・・・! 治療の手立てがあるわけがないだろう!
強力な感染症だぞ!!! 死骸を焼かなくては亡骸さえも感染源になるんだ!!!」
ローを化け物と罵る医者に、コラソンが声を荒げる。
「なっ・・・?! おい先生!? おれはこいつとずっと一緒に居たんだ!
そんなに強い感染症なら、おれも珀鉛病にかかってるはずだろう!?」
「よくもあんなガキを連れてきてくれたな!?
お前も感染しているかもしれない、潜伏期間の可能性だってある!
ここに何人の患者がいると思ってる!?」
怒鳴り返され、コラソンは眉を顰めた。
「『珀鉛病根絶のために患者は全員殺せ!』それが政府の出した結論だろうが!!!
新聞を読んでいないのか、お前は!?」
院内にはサイレンが鳴り出した。
『緊急連絡! 珀鉛病の子供が院内に侵入。全館至急消毒いたします』
「・・・子供をウィルスみてェに言いやがって。
怪我や病気を治すのが医者の役目じゃねェのかよ!!!」
「コラソン!」
ローはコラソンに叫んだ。
振り返ったコラソンに、ローは首を横に振る。
「おれはもう、人間じゃない」
コラソンは息を飲んだ。
人間ではないから、医者はローを治そうとしないとでも言うのだろうか。
しかし、ローの言葉を肯定するように、
医者も看護師も、ローを”ホワイトモンスター”と罵り、出て行け、と物を投げつけた。
『”天竜人”!』
コラソンの脳裏に、かつての出来事がよぎる。
理不尽に迫害され、殴られ、蹴られ、痛めつけられた日々。
あの頃、ドンキホーテの一家は、”人間”ではなかった。
気づけばコラソンは医者の頰を殴り飛ばしていた。
そして我に返ると、ローを抱え、追いかけてくる警備を狙撃し、逃げ出したのだ。
「最悪の病院だ! 悪かった。昔を思い出させたか?」
「だから言ったろ!? 病院なんか行きたくねェ!」
コラソンは首を横に振る。
「だが次はいい医者がいるはずだ!」
「嫌だ!」
喚き散らすローの言うことを、コラソンは聞かなかった。
政府の発表を鵜呑みにしない医者が居たっていいはずだ。
かつて、父を殺した兄の元から逃げ出して、コラソンがセンゴクに出会ったように、
奇跡が起きたっていいはずだと、コラソンは思っていた。
コラソンは歯を食いしばる。
「行動しなけりゃ、何も変わりはしねェんだ。・・・次行くぞ、次!」
※
コラソンとローは半年もの間、旅を続けた。
北の海中の病院を周り、そして誰もローを治すことはできなかった。
思えば、ドフラミンゴは全て分かっていたのだろう。
あるいは、も。
そうでなくては彼らがローの病になんの手立てを考えないまま、そばに置くわけがなかった。
野営の最中、コラソンは今まで巡った病院にバツ印をつける。
地図が真っ赤になる程病院を巡っても、なんの成果もないことに苛立ち、
コラソンは地図を海辺に撒き散らした。
海に湿って沈んで行く地図を見て、一人呟く。
「・・・何をやってんだ、おれは。
悲劇の町に生まれたガキに、散々悲劇を思い出させて、結果少しもよくなりゃしねェ」
酒を煽り、ローを眺めていると、昔のことばかりを思い出す。
暴漢に殴られたを庇い、反抗したドフラミンゴがもっと酷い目にあったこと。
心配するの前では平気な顔をしていたドフラミンゴが、
が眠った後、悔しさと痛みに涙を流していたこと。
眠るローに布をかけて、呟く。
「・・・お前は、ドフィにそっくりだよ、ロー。
世の中全部が嫌いで、憎くて、恨んでて、それでも、
一番嫌いなのが、何にもできない自分自身なんだよな?」
こうしてローと旅をしていると、見えてくるものがあった。
破壊の申し子と化してしまったドフラミンゴも、
最初は自分の現状と無力に苦しんだ、子供だったのではないのかと。
だからドフラミンゴに言えなかった言葉を、コラソンは眠るローに言うのだ。
「おれもだよ、おれも、そうだったんだ」
泣き喚くことしかできなかった。
父親が殺される場面でも、止めることができなかった。
「だからかな、同情してた・・・。
傷つけるだけの、こんなバカに、言われたかねェだろうが。
まだガキのお前が・・・『おれはもう死ぬ』だなんて、可哀想で」
コラソンは腹の傷を撫でる。
「お前はおれを、刺したけど・・・痛くもなかった。
痛いのはずっと、お前の方だったよな、可哀想によぉ、ロー・・・!!!」
コラソンの目から、大粒の涙が溢れる。
涙を拭い、鼻をすすりながら、自分も床に就こうとしたコラソンの背に、
震える声が聞こえた。
「・・・なんでお前らはそうなんだ」
振り返ると、ローが立っていた。
泣きながら、コラソンを詰る。
「なんで、おれに同情して、おれに手を差し伸べて、
おれをぐちゃぐちゃにするんだ!」
「ロー、」
いつから起きていたのか、そう尋ねるよりも先にローはコラソンを睨めつけた。
「傷つけられた方が、よっぽど楽だった!
どうして、おれに未来なんか欲しがらせるんだよ!
お前らは酷い! 酷い兄妹だ! どうしたっておれは死ぬのに!!!」
コラソンはその言い草に、もきっとローを生かそうとしたのだろうと思い至る。
肩で息をしながら泣いているローに、コラソンは涙を拭い、告げた。
「・・・生きてるからだ」
力強いコラソンの言葉に、ローは怯んだ。
「今、お前が生きてるからだ。どんな人生だって選んで歩める子供だからだ。
お前の病気が治れば、お前はどんな人間にだってなれるんだ!」
何もかもを恨んだままでは、ローはドフラミンゴのようになってしまうだろう。
コラソンはローの答えを待った。
ローはコラソンを見上げる。
「選べるなら、だったらおれは、を治したい」
コラソンの目が瞬く。ローはすがるように言い募った。
「約束なんだよ、頼むから、おれをあの人のところへ帰してくれ」
「・・・自分が治るよりも、を治す方が、・・・大切だっていうのか?」
戸惑うコラソンに、ローは頷いた。
「心を砕いて貰ったんだ」
ローは静かに呟いた。
「あの部屋にはなんでもあったけど、何にもなかった。
空っぽだった。それなのに、はおれに分けてくれた。
『一緒に生きる努力をして欲しい』って、言ったんだ」
コラソンは息を飲む。
はコラソンとは違うやり方で、ローを救おうとしたのだろう。
そしてローは、確かに救われているのだ。
何もかもを殺したいと、そう言っていた時の
尖った目つきが、今は失われている。
「死にたくない、おれは、あの人がいるから。
頼むよ、コラさん・・・!」
ローの叫びは、コラソンの胸を突いた。
「おれはに嘘を吐きたくないんだ!」
「・・・」
コラソンは頷いた。
「わかった」
病院を巡り、何も手立てがないまま、
に会わせないでローの病状が悪化するよりも、
とローを会わせてやる方が、ローにとっては良いのだろう。
結局大人になっても、己の無力を呪うのは子供の頃から変わらない。
コラソンは自嘲し、深いため息を吐いた。
※
翌日、ドンキホーテ海賊団の元に戻ろうと、
ローとロシナンテが2人で支度をしていると、
でんでん虫が鳴った。
『コラソン、おれだ』
受話器を取ると、ドフラミンゴの声がする。
「・・・!」
息を飲む2人に、ドフラミンゴは言葉を続ける。
『おっと、最初に確認しておかなきゃな、コラソン。お前だな?』
ロシナンテは受話器を3回叩いた。肯定の合図だ。
『フフフッ、お前らが飛び出して、もう半年だ。
ローは治せたか?』
ロシナンテは2回、受話器を叩く。こちらは否定の合図だ。
ドフラミンゴは予想通りだと言わんばかりに肯定した。
『だろうな、そこに、ローは居るのか?』
ローは訝しむように首をかしげた。
ドフラミンゴの声には疲労が滲んでいるように思えたからだ。
『一つ、報告しておこうか。
の具合があまり良くない。最近じゃあ起き上がることさえ億劫がる。
ロー、お前は本当に腕が良かったんだな』
「・・・!」
ローは悔しげに歯噛みした。
それを見て、ロシナンテは目を伏せる。
『話は変わるが・・・兄妹喧嘩をしたんだ』
ドフラミンゴは唐突に呟く。
ロシナンテとローは一瞬ぽかんとしてしまった。
兄妹喧嘩? 誰と誰が?
の柔らかい笑顔を思い出し、そんなまさか、と動揺するロシナンテとは対照的に、
ローは小さく笑った。
は、踏み出す努力をしたのだ。
現状を変えようと、ドフラミンゴへと踏み込んだのだろう。
『コラソン、いや、ロシナンテ。
お前は海兵なんだろう?』
ロシナンテはまた、驚きに目を見張った。
さすがに気付かれているとは思っていたが、ここにきて、
ドフラミンゴから指摘されるとは思わなかったのだ。
『あれほど追いかけてきたつるが、ここ半年音沙汰もない。
は気づいてたぜ。おれが海賊だってことも、お前が海兵だってこともな』
狼狽えるロシナンテだったが、
ローは腑に落ちるところがあったのか「やっぱり」と頷いていた。
2人に構わず、ドフラミンゴは語り続ける。
『はおれに言った。「嘘なら最後まで吐き通せ」と。
初めての兄妹喧嘩でおれは完膚なきまでにやられたよ。
「妹1人騙し通せない悪人は大成しない」とまで言われた。フッフッフッ!』
愉快そうに笑っているのが逆に不気味である。
ロシナンテはどう返答しようか考えあぐねていたが、
それよりも先にドフラミンゴが答えた。
『だが、一理あるよなァ?』
そして、ロシナンテに呼びかけたのだ。
『なあ、ロシナンテ、・・・ロシー』
久しく呼ばれていない呼び方だった。
『嘘を本当に変えられると思うか?』
ドフラミンゴの声色は奇妙なまでに静かだった。
その言葉は、独白であり、あるいは、懺悔であるように思えた。
『おれはもう、親父を殺してる。その後は誰を殺そうがどうでもよくなった。
とっくにボーダーラインを超えている。・・・人間はみんな残酷なんだ。
おれだけじゃない。血に酔って笑う連中ばかりだっただろ?
なぜおれ達ばかりが奪われる? 黙って受け入れられるわけがなかった。
親父が余計なことをしなけりゃ、母も、おれもお前もも、
権力をほしいままに、暮らせたかもしれねぇんだ』
ロシナンテは黙ってその言葉を聞いていた。
『親父を今でも許してない。だが、は言った。
あいつ、おれには無理だって言ったんだ。
「権力に牙を抜かれ、肥え太らされた豚に成り下がるのをドフィは耐えられないわ」ってな。
口が悪ィよ。一体誰に似たんだか』
ロシナンテは苦笑する。どう考えてもドフラミンゴの影響だろう。
妹の前だからと口汚いのを治そうとしても、多分ポロっと出てしまうのだ。
そんな風にロシナンテが思っていることを知ってか知らずか、
ドフラミンゴは続けた。
『・・・あいつはおれを、買い被ってるんだ。自分でよくわかってるよ。
おれがどんな人間なのかは。だから、なぁ、ロシー、お前ならわかるだろう?
・・・おれが、カタギに戻ってやお前と、
ままごとみたいな生活ができるとでも思うか?』
ロシナンテは目を大きく瞬いた。
ドフラミンゴは静かに、かつてに吐いた嘘を語る。
どこまでも優しく、どこまでも残酷だった嘘の話を。
『世界を股にかける貿易会社。北の海から、ゆくゆくはグランドライン。
新世界を超えて、何も奪わず、殺さず真っ当な取引で財を成し、
兄妹3人同じ食卓を囲む。・・・ガキの描く夢物語だろう?
今思えば我ながら、酷い嘘だったな』
自嘲を含んだ声が、ロシナンテに問いかけた。
『そんな、嘘みたいな話が、・・・叶うと思うか?』
これが、あのドフラミンゴの望みだと、にわかには信じ難いものがあった。
だが、ロシナンテは、でんでん虫に向かって頷いていた。
ロシナンテは泣いていた。両目から大粒の涙をこぼし、震える唇で答える。
「叶うよ」
受話器の先で、息を飲む音が聞こえた。
それでも構わなかった。
「おれたちが、叶えるんだ。ドフィ」
暴走が止まった。化け物だと思っていた兄が、人間に戻ろうとしている。
ロシナンテはに会いたかった。
会って抱きしめて褒めてやりたかった。
お前のおかげだ。
お前のおかげでやっとドフィが立ち止まった。
誰よりドフラミンゴを愛している妹。
が違う道を示してくれた。
歩み寄る道を。
ドフラミンゴは一度ため息を吐いた後、
本題に入ろう、と声をあげた。
『おれがお前たちに連絡を入れたのは他でもない
・・・オペオペの実の情報を手に入れた』
「?!」
ロシナンテの表情が変わる。
『海軍に巨額の金を提示されて価値を知らない海賊が取引に応じるようだ。
「政府」が必ず裏で糸を引いている』
悪魔の実について疎いローは、なんのことだ、と首を傾げていた。
ドフラミンゴはそうなることを見越してか、オペオペの実の説明を始めた。
『この実を食べた人間は改造自在人間になり、不治の病も治せるようになる。
無論、人体の改造や治療には医療の知識が必要だ。扱いも難しいと聞く』
「改造自在人間・・・?」
まるで魔法のような能力だが、ドフラミンゴの言い草だと、
そう都合のいい能力でもないようだ。
『何より、この悪魔の実の能力を極めた能力者は、
人の老化を止める 不老手術をすることができる。
それを知る政府の上層部、貴族はこの実に莫大な賞金をかけて行方を探してるんだよ。
当然、海賊もな。リスクも大きい。
オペオペの能力者はあらゆる立場の人間から追われることになる』
ロシナンテも眉を顰め、ドフラミンゴの語るリスクを聞いていた。
だが、ドフラミンゴもロシナンテと同様の結論に達したらしい。
『リスクを考えず食わせるなら、お前が適任だろう。なァ、ロー』
「!」
呼びかけられ、ローは息を飲んだ。
海賊の船長だった時とは違う、切実な声色だった。
『おれの、おれたちの妹を、治してくれるか』
「当たり前だ! そんなのは!」
即答したローに、ロシナンテは息を飲み、
ドフラミンゴは愉快そうに笑う。
「ロー・・・」
『・・・フッフッフッフ!』
そして、ドフラミンゴは告げたのだ。
『政府と海賊の取引の場所は北の海、ルーベック島。
海賊団のアジトは隣の島、ミニオンにある。
・・・おれはの容態が心配だ。ファミリーは動かせない。
やれるか? お前だけで』
ロシナンテは頷いた。
「おれを誰だと思ってる? お前の、弟だ。
必ず手に入れて見せる」
『フッフッフ、言ってくれる・・・!』
ドフラミンゴは笑う。
ロシナンテは力を尽くすだろう。
改めて、兄妹3人で歩み寄るためにも。
『オペオペの実を手に入れたなら落ち合おう。
・・・吉報を待つ』