嘘吐き兄弟と小さな船医の失望
「が、死んだ・・・?」
ロシナンテはでんでん虫を唖然と見つめていた。
確かに病弱なではあったが、まさか、そんなことがあるのだろうか、と
動揺しているうち、ローがでんでん虫に叫んでいた。
「・・・間に合わなかったのか? そこまで、悪化してたっていうのか?!
おれの後任の医者は何してたんだ!!!」
だが、ドフラミンゴはローの言葉を否定する。
でんでん虫は硬い表情のままだった。
『病で死んだんじゃない』
「・・・え?」
『自殺だ』
ローとロシナンテは、言葉を失くしていた。
ドフラミンゴは何も答えない2人に構わずに続ける。
『窓を割って、飛び降りた。
遺書が残っている。お前たちにも渡すように記されていたから、
でんでん虫で手紙を送ろう』
ロシナンテはでんでん虫が手紙を吐き出すのをただ見ていた。
たった紙切れ一枚が、の最後の言葉だった。
手紙が全て吐き出された頃、ドフラミンゴは笑い出した。
狂気に駆られた笑い方だった。
『フフフフフッ、』
ロシナンテは眉を顰め、でんでん虫を睨んだ。
「何がおかしい?!」
『・・・お笑い草だろう、結局、は自分から死を選んだ。
「人間に課してきた人生を神も生きてみよ、
という判決が突きつけられたら、神は自殺するだろう」
あいつも親父と同じだった・・・このおれを裏切った!』
ロシナンテの顔に驚愕が浮かぶ。
たとえ自ら死を選んだとしても
は、ドフラミンゴを裏切ろうとは思っていなかったはずだと
ロシナンテは直感していたのだ。
「そんな・・・!」
だが、庇おうとする言葉はドフラミンゴに遮られた。
『お前に言われても説得力がねェよなァ! ロシナンテ!
おれはつくづく血縁に恵まれねェ! はっきりとわかったよ。
おれは”ドンキホーテ海賊団”の船長だ!
幹部の、あいつらこそが”家族”だ! 血の繋がりに、なんの意味もねェ・・・!』
「なんだって?」
ロシナンテは奥歯を噛んだ。怒りに掴んだ受話器が、軋むような音を立てる。
「本気で言っているのか!?
そんなの、自分に都合のいい連中を”家族”と呼んでいるだけだろう!」
『なら何故、は、母は死んだ!? おれを置いて行った!?
父がおれたちに何をしたのか忘れてないだろう!? 何故お前はおれの邪魔をする!?』
ドフラミンゴの言葉に、ロシナンテは目を瞬いた。
それから固く目を瞑り、絞り出すように、続ける。
「お前が、間違ってるからだ、ドフィ・・・!」
『フフフッ、話にならねェな』
しかし、ロシナンテの言葉はドフラミンゴには届かなかった。
でんでん虫は常のように笑っている。仮面のような、貼り付けたような笑みだ。
『・・・ともかくおれはの遺言を果たした。
ロー、ロシナンテ。お前たちが出ていかなければ、
が生きていたかも知れねぇと思うと、
おれは腑が煮えるようだよ。
たとえ最後に裏切ったのだとしても、あいつはおれにとって唯一無二の妹だった・・・!』
ロシナンテは呻いた。
もう返す言葉が見つからなかったのだ。
ドフラミンゴに話が通じる状態ではないとよくわかっていたし、
を死まで追い詰めた原因が、自分の中に無いとは、言い切れなかった。
『もうオペオペの実がどうなろうとおれの知ったことじゃねェ。
ただ、一つ忠告をしておこう』
ドフラミンゴは苛立ちのままに告げた。
それは最後通牒だった。
『死にたくなければ、二度とおれの前に顔を見せるな・・・!』
受話器が叩きつけられるような音が聞こえる。
それから、通話が切れたことを示す短い音が何度か鳴り、やがて沈黙した。
しばらくの後、その沈黙を破ったのはローの方だった。
「コラさん、手紙を見よう」
ローは涙も出ないようで、ロシナンテのシャツの裾を引っ張った。
「・・・ああ。わかった」
ロシナンテとローは手紙を覗き込んだ。
の書いた、少し震えた文字が、言葉を綴っていた。
※
私の親愛なるドフィ
突然のお手紙をごめんなさい。急なことで、さぞ驚かれた事でしょう。
私、自分から命を絶ってしまうことに決めました。
多分亡骸も残らないはずだから、
ロシーに貰った推理小説と、ドフィに貰った楽譜を持っていく事にするわ。
『そしてだれもいなくなった』とても面白かったの。お気に入りよ。
犯人の気持ちが、少しだけ、分かる気がしたの。『Xの悲劇』とも迷ったのだけど。
ともかく、本題に、移るわね。
頭が混乱してるかもしれないけど、ちゃんと読んでね。
私はいつもあなたの足手纏いでした。
流行病に罹れば、すぐにでも命を落としかねない私は、あなたの足枷でしかなかった。
今年になってから、身体が言う事を聞かない日も増えて、
ローが居なくなったからかしら、お薬も、飲んでも効いている気がしないの。
散々にドフィやロシーには迷惑をかけてしまったわね。
連日、ドフィが私の為に時間を割いてくれて、私はとても嬉しかったけれど、辛かった。
たった一つ、あなたを置いて死に行く私が言える、正直な気持ちと言えば、
私はあなたを愛していました。ドフラミンゴお兄さま。
P.S.出来るなら、ロー先生と、ロシーにも、よろしくお伝え下さい。
出来るなら、このお手紙の写しを届けてください。それが無理なら
愛していると、自由に、生きてくださいと伝えて。それだけが、私の望みです。
四葉のクローバーがあるなら添えたかった。あなたに一生の幸運を。
ドンキホーテ・
※
「違う」
ローは首を横に振った。
「が自殺なんかするわけない」
「ロー? お前、何を言って、」
「がドフラミンゴから離れようとする訳が無いんだ!」
ローはの手紙を手に取る。
初めから終わりまでを何度も読み返し、手がかりを探した。
どこか引っかかりのようなものを覚えていた。
それを見逃してしまったら、何もかもが泡のように消えてしまうような気がしていたのだ。
そして、ローは手紙の中の一節に目を留めた。
「まて、・・・コラさん、コラさんがに渡した小説、
『そしてだれもいなくなった』だったか?」
ロシナンテは瞬いた。
最初にに渡した小説は推理小説である。
何冊かの長編と、短編集が出ている人気作で、その一作目をロシナンテが渡すと、
はたちまちそのシリーズに夢中になった。
は主役の探偵が集中するときのポーズを真似していたりしたので、よく覚えている。
「いや、違う。『緋色の研究』、
あとは『天の光はすべて星』だ。の奴、間違えたのか?」
「が間違えるはず無い。あいつの記憶力は抜群に良かった。
何か意味があるんだ。この手紙・・・!」
ローは食い入るように手紙を見つめる。
「『そして誰もいなくなった』・・・犯人の気持ちがわかる・・・。
『Xの悲劇』・・・」
ロシナンテはお手上げだと言わんばかりに頭をかいた。
「どっちも読んだ事ねェな。どんな話なんだ? 分かるか、ロー?」
ローは頷いた。
に付き合わされて、娯楽小説を山ほど読まされていたので、
に及ばないものの、ローはそれなりに有名な本のあらすじは覚えていた。
「『そして誰もいなくなった』は、
犯人が自分を含めて10人の人間を孤島に集めて、全員殺す話だ」
「・・・身も蓋もねェ」
簡潔にまとめられたローの答えに、ロシナンテはなんとも言えない表情を浮かべている。
「は犯人の気持ちが分かるって書いてる」
「『Xの悲劇』のほうは?」
ローは眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「確か、”汽車”とかいう乗り物の中で起きる殺人事件の話だ。
が”ダイイングメッセージ”が初めて使われた小説なんだって、はしゃいでた」
ロシナンテは眉を顰めた。
「・・・”ダイイングメッセージ”って、
被害者が死に際に犯人の名前を残すって言う、アレか?」
ローとロシナンテは顔を見合わせた。心臓が嫌な音を立てている。
「・・・は、」
「いや、決めつけるのは早い、他にもヒントがあるかもしれねェ」
ロシナンテはローに手紙を地面に広げるように言って、
文字を再び読み返した。
「確かに、ローに言われて見りゃ、この手紙、ちょっと変だな。
行間も不自然なところで空いてるし」
「『頭が混乱してるかもしれないけど、』とかいうのも、変な言い回しだ。
・・・!」
ローはその時何かに気づいたらしい。手の平で文章を覆った。
『私
流
今
ロ
散
連
た』
「コラさん・・・”頭”文字をノートに書き出してくれ」
ローの指示に従って、ノートにペンを走らせるうち、
ロシナンテもその意味に気づいたようだった。
「ええと、わ、は、こ・・・、これって・・・!」
「・・・最初の文字だけ『私』と読めば意味は通る。
の奴、よほど焦ってたんだ・・・」
頭文字が綴るのはの隠した最後の言葉だ。
『私はころされた』
ロシナンテは呆然と手紙を見下ろしていた。
「・・・まさか、本当に? 偶然じゃ、無いよな?」
「『そして誰もいなくなった』では、真犯人は自分の死を”偽装”する。
『Xの悲劇』はダイイングメッセージが最初に使われた小説だ。
・・・この手紙が、のダイイングメッセージなんだ」
ローはどこかで確信を得ているようだった。
だが、ロシナンテはまだ半信半疑のままだ。
「誰に殺されたって言うんだよ。ドフラミンゴがを殺す訳が無いし。
そもそもの存在を知っている人間の方が少ない、」
ロシナンテは息を飲んだ。
「トレーボル」
「え?」
「トレーボルだ。トランプの、クラブ。”クローバー”!
言われてみれば・・・確かにあいつは、を邪魔に思っている節があった」
手紙を思わず握りしめ、思い至った結論に、
ロシナンテは歯噛みする。
ローはロシナンテに問いかけた。
「ドフラミンゴは、気づくか? これに」
ロシナンテは、首を横に振り、手紙を睨んだ。
もしも、が自殺を強要されたというのなら、
この手紙も、犯人がその場にいるうちに書かれたものなのだろう。
回りくどい手段で真実を伝えようと探ることしか、には許されなかった。
自分の本心を綴ることすらも。
「・・・冷静だったなら、気づいたかもな。
だが、あの様子じゃダメだろう・・・。
ドフィの性格から考えると、の部屋の中のものは全部捨てられちまう。
この手紙も・・・これがすぐに処分されたなら、
幾らドフィでも、のメッセージは伝わらない」
ロシナンテは深いため息をついた。
「おれたちが教えようにも、近づけない。
今のままじゃ、接触を試みても殺されるだけだろうな」
項垂れたロシナンテに、ローは呟く。
「・・・コラさん、力をつけよう」
「ロー?」
その声には確かに決意のようなものが滲んでいた。
ロシナンテの手から手紙を取って、ローは我慢ならないと叫ぶ。
「は自殺なんかしたくなかったはずだ。
ドフラミンゴを置いて、死にたくなかったはずなんだ!」
ローは眉を顰めた。
「ドフラミンゴは次、おれたちに出会ったら問答無用で殺そうとしてくる。
その時、なんとか対抗できるだけの力をつけよう。
が伝えたがってたメッセージを、ドフラミンゴに伝えるんだ。
どれだけ時間がかかっても、いいから・・・」
ようやくローの目尻から涙が溢れる。その表情は後悔に歪んでいた。
ロシナンテはそれでもローの言葉を止めようとはせず、黙って続きを待っていた。
「おれの初めての患者だったんだ。
治してやりたかった。外を歩かせてやりたかった!
それが、できないなら、あいつの為に何か一つしてやりたい」
『私はドフィ兄さんのために生きている』
はそう言っていた。
そのが、死を選ばざるを得なかったのだ。
どれほどの無念と苦悩にまみれ、その道を選んだのか。
ローは奥歯を噛んだ。
「・・・あいつが、一番大事にしてたドフラミンゴに、
裏切り者だなんて思われてるのは、ダメだ・・・!」
ロシナンテは息を飲み、やがて唇を硬く引き結んだ。
「はドフラミンゴのブレーキだった。
あいつと居る時だけ、ドフラミンゴは、まともだった。
そのブレーキを失い、ドフラミンゴはますます暴走を続けるはずだ。
おれもそれを止めたい」
ロシナンテは、目尻に涙を浮かべていた。
「手伝ってくれるか、ロー?」
ローは頷いて、手紙を握りしめながら声を上げて泣いた。
その声は薄い防音の壁に阻まれて、どこにも聞こえなかった。
ロシナンテだけが、その慟哭を知っていた。
※
それはドフラミンゴがロシナンテとローに最後の電話をかける、8時間前のことだった。
ドフラミンゴは薄いピンク色のバラと、
白いガーベラとカーネーションで花束を用意した。
兄妹喧嘩以来、ドフラミンゴはの部屋に足を運べずにいた。
初めてのの反抗に驚き、ドフラミンゴは何も返すこともなく、
の部屋を立ち去ってしまい、その後取るべき行動について考えていたので、
これが喧嘩の日以来の見舞いである。
ドフラミンゴはロシナンテとオペオペの実奪取に向けて通話した後、
海軍に出向中のヴェルゴも無理を言って呼び戻し、最高幹部にも話をした。
彼らも驚いてはいたが、トレーボルが「ドフィの判断に従おう」と言うと、
前向きに検討してくれたようだ。
もっとも、ここ最近は彼らがドフラミンゴの意見に従わないことはないのだが。
ドフラミンゴが宝物庫の扉を開け、中へ声をかけても、答える声はなかった。
ドフラミンゴは仕方なく、そのままの部屋へと入る。
「? 眠っているのか?」
部屋は暗く、窓が開いているのか風の音が聞こえていた。
ドフラミンゴはすぐにその部屋の異変に気付いた。
ベッドはもぬけの殻、窓が割れている。
カーテンが風に翻り、月明かりに散らばったガラスの破片が光る。
抱えていた花束が手のひらから滑り落ちた。
ドフラミンゴの妹は、その部屋のどこにもいなかった。
異様に片付けられた寝台周りのサイドテーブルに手紙が遺されていることに気がついて、
ドフラミンゴは震える手で封筒を開いた。
記された文字に目を通し、ドフラミンゴはこれは夢だろうと思った。
いつもの悪夢だ。夢見が悪いのはいつものことだ。
目が覚めれば、寝台の上、半身を起こして読書に夢中になっているが、
ドフラミンゴに気付いて眼鏡を外し、照れたように笑ってくれる。
だが、腰掛けた寝台に温もりはすでに無く、部屋は冷え切っていた。
徐々に空が白むに従って、停止していた思考がまとまり始める。
ドフラミンゴが置かれていたのは、紛れもない現実だった。
「フフッ、フフフッ、フッフッフッフ!」
こめかみに手を当て、ドフラミンゴは笑っていた。
思い出されるのは、兄妹喧嘩の際にが口にした言葉だ。
『人間に課してきた人生を神も生きてみよ、
という判決が突きつけられたら、神は自殺するだろう』
反響するように言葉が頭の中で鳴り続けていた。
「お前も、いや、お前だけが、”天竜人”だったんだな、」
だけがドンキホーテの兄妹の中で、最後まで天竜人だった。
何も知らず、あるいは知りながら目をそらし続け、
先日に、何を思ったか目を開き、ドフラミンゴに嘆願した。
残り少ない命をかけての、必死の嘆願だった。
そして、何も言い返せず部屋を去ったドフラミンゴに、は失望した。
ドフラミンゴはそう思い至ったのだ。
「お前がおれを裏切ったのか、・・・おれがお前を殺したのか」
ドフラミンゴは床に落ちた花束を、乱暴に割れた窓から放り捨て、部屋を後にした。
自室に戻り、最後に兄としての責任を果たさなくてはならないと思ったのだ。
は死んだ。
自分に歯止めをかけるものが、何もなくなったのをドフラミンゴは自覚していた。