嘘吐きな弟の無茶な航海
「コラさん、早く海へ出よう!」
ドフラミンゴからの通話が切れると、ローは今すぐにでも出港準備を進めようと
ロシナンテの黒いコートを引っ張り、急かした。
ロシナンテは咥えていたタバコをつまみ、白い息を吐き出すと、
ローに頼み込んだ。
「・・・一箇所だけ、でんでん虫をかけさせてくれ」
「え?」
「頼む」
ロシナンテの言葉にローは瞬いたが、ロシナンテが真面目な顔で頼み込む様子を見て、
ローは頷いていた。
それに小さく礼を言うと、ロシナンテはでんでん虫をかけ始める。
さほどの時間も経たず、通話の相手は受話器をとった。
『”お・か・き”ー!』
「”あられ”。おれです」
ロシナンテが答えると、相手は軽く息を飲む。
『ロシナンテ! 久しぶりだな、心配したぞ!
・・・おいガープ貴様ちょっと出てけ!!』
『なんじゃ今せんべい持ってきたトコじゃろ茶を出せ!』
相手先が妙に賑やかなので、ロシナンテはちょっと困った顔をした。
「・・・今、やめときましょうか、センゴクさん」
『出ーてーけー!!バカヤロー!! 仕事だ、仕事ォ!!』
ロシナンテの申し出にセンゴクはガープを追い出すことにしたらしい。
相手先ではガープが「なんじゃ、ケチめ!!!」と
老練の海兵らしからぬ言葉でセンゴクを罵るのが聞こえてくるが、
なんとか会話が続けられそうな状況になったと見て、ロシナンテは言葉を続ける。
「いいですか?」
『ああ、すまん。いいぞ』
「”オペオペの実”の、取引がありますか?」
でんでん虫がむせ始めた。
どうやら飲んでいた茶を吹き出したらしい。
『お、お前何故それを・・・!?』
「兄が情報を得ています」
でんでん虫の顔色と声が変わる。
『なんだと・・・!? トップシークレットだぞ、どこから漏れた・・・!?』
「相手の海賊の動きを知りたいんです」
『そんなもん取引前に見つかるような奴らじゃ、』
どこか戸惑った様子のセンゴクに、ロシナンテは告げる。
「ドフラミンゴが取引前に”実”を奪うつもりでも?」
「!」
ローは思わずロシナンテの顔を注視していた。
おそらくでんでん虫の相手、海軍だろうが、それに嘘を伝える必要があるのだろうか。
実際に実を奪うのはロシナンテだと言うのに。
『!?・・・ホントか?!』
しかしロシナンテの目論見通りか否か、センゴクの声に迷いがなくなったように聞こえた。
「取引相手の海賊は?」
『”ディエス・バレルズ”、お前も知っているだろうが、元海軍将校だ。
・・・確かにドンキホーテ・ファミリーと比べるとその規模は見劣りする』
「兄は格上相手でも怯むことはありませんが、格下ならなおさらです」
ロシナンテは海図を取り出し、ペンを取りながら続ける。
「裏を取らせてください。取引の場所、ルーベックで間違い無いですね?」
『そうだ・・・3週間後の”北の海”ルーベックだ』
「おれとドフィはその”2日前”の夕刻、”スワロー島”で合流することになっています」
淡々と嘘を吐くロシナンテを、ローは黙って見ていた。
『2日前か、・・・今までのドフラミンゴの手口から言って、
”オペオペの実”強奪にはファミリー全員で取り掛かるだろう。・・・いい情報だ』
「・・・」
『ドフラミンゴもここまでだ・・・! ”スワロー島”に待ち伏せて、
ドンキホーテ・ファミリーを一網打尽にする!!!
お前は島に近づくな!!!』
センゴクの出した結論に、ロシナンテは頷いた。
「そのつもりです」
『リストについてはどうだ?』
センゴクからの問いかけに、ロシナンテは淀みなく答える。
「後日確実に渡します。”北の海”の闇も・・・十分暴けるでしょう」
『そうか、ご苦労・・・!』
話がひと段落したと見て、ロシナンテは目をわずかに細め、センゴクに告げた。
「・・・センゴクさん、おれのワガママを飲んでくれて、ありがとうございました」
でんでん虫が訝しげな表情を作った。
『なんだ、藪から棒に・・・任務はまだ終わったわけじゃないだろう?
気を引き締めてかかりなさい! お前はただでさえそそっかしいんだからな!』
どこか優しさの含んだ叱責に、ロシナンテは軍に在籍していた頃のように敬礼した。
「はっ、申し訳ありません! では、また・・・」
でんでん虫の受話器を置き、ロシナンテは深いため息を吐いた。
ローはロシナンテに首を傾げてみせる。
「今の、海軍か?」
「そうだ」
ロシナンテは頷いた。嘘を吐いているそぶりは無い。
ローは確認するように続けた。
「センゴクって、おれも聞いたことあるぞ。・・・大将、だよな」
ローは海軍の組織について、そう明るい方では無い。
海軍大将と関わり合いのあるような海兵は、
もっと華やかな任務に就くのでは、と思ったのだ。
そして何より、センゴクは随分とロシナンテを信頼しているようだった。
「養い親だ。彼に拾われて海兵になった」
ローは軽く息を飲む。
「・・・なんで、通話したんだ?」
「ドフィの情報の裏をとるためってのと、海兵からの邪魔が入らねェようにだ。
海賊団のアジト、ミニオン島には取引の4日前には着くからな。あと・・・」
ロシナンテの顔に苦い笑みが浮かんだ。
「多分、最後になるだろうから、挨拶みてェなことがしたかったんだ」
ローは納得したのか、小さく頷いた。
「そう、か・・・」
しかし、今まで立っていたのが嘘のように、パタリとその場に倒れこんでしまった。
「ロー?」
驚いて近寄ったロシナンテが顔色を変えた。
ローは息を荒げ、高熱に耐えているようだった。
突然の容態の悪化に、ロシナンテは慌てふためく。
「おい! お前・・・! 嘘だろ、しっかりしろ!?
オペオペの実を食べさえすりゃ、お前だって助かるんだ!!!
お前の読みじゃもっと生きられるはずだろ!!!」
ローは息も絶え絶えにロシナンテに指示を飛ばす。
「・・・熱は、荷物に、解熱剤、あるから、」
「わかった、・・・なんとか、頼むよ! あと3週間、生きててくれ・・・!
に会うんだろ!?」
ロシナンテが言うと、ローはしっかりと頷いた。
「・・・ああ、」
「だったらしっかり気を持たせろ! 死ぬんじゃねェ!
お前が死んだらの奴、散々に泣くだろうが!
あいつを泣かせるんじゃねェ! ロー!」
ロシナンテの激励に、ローは目を瞑った。
確かに、が泣くのは見たくない。
笑っていて欲しい。
ローがオペオペの実を食べて、ロー自身との病を治せたなら、
ドフラミンゴが海賊を辞めて、ロシナンテが海軍を抜けて、
3人で会社を起こして、暮らしていけたのなら、そのそばに、ローもいることができるなら、
そんな嘘みたいな話が叶うのなら、きっとどれほど幸せだろう。
は笑ってくれるはずだ。自分の足で外を歩くことができるなら。
それをわかっているから、今までになく病がローを苦しめても、
不思議と耐えていられたのだ。
※
しかし、ミニオン島までの航海は平坦なものではなかった。
ロシナンテは航海術に長けてはいたが、
いかんせん装備が心もとない。
なんとか堪えてはいるものの、小舟で嵐の海を渡るのは困難な道だった。
「くそ、こんな時に、大嵐か?!」
「コラさん・・・」
ローはロシナンテに一言言っておこうと思った。
「”政府”は、おれ達が死ぬことを知ってて、金のために珀鉛を掘らせたんだ。
おれの家族も、フレバンスも、政府が殺したんだ」
ロシナンテはハッ、とローを見つめた。
「コラさんは、違うってわかってる。でも、政府は、嫌いだ」
ロシナンテは、どう言うわけか頷いた。
「だろうな! だがおれは!
お前に嫌われても、お前を助けることを止めたりしねェよ!
大嫌いな軍人に助けられて残念だったな!・・・もうおれ海軍じゃねェけど」
「・・・ハハ、なんだ、それ。どんだけが大事なんだ」
力なく笑ったローに、ロシナンテは首を横に振る。
「のことがなくたって、おれはお前を助けたよ」
ロシナンテは笑っていた。
「お前はちゃんと生きていけるって、信じてるからな!」
なんの根拠もなかったが、妙に実感の篭った言葉だった。
ローはポカンとロシナンテの顔を注視する。
ロシナンテは自分がらしくないセリフを言ったことに気づいたのか
少し照れたように頰をかくと、舵を取りながら嵐を睨む。
「と言うか、海軍の取引の邪魔するんだ。
確実に政府は敵に回る。生きるのにも覚悟しとけ!」
ローは潤み始めた目を伏せて、ロシナンテに憎まれ口を叩いた。
「コラさん、嘘吐くの、止めたのか?
今まで散々、嘘吐いてたのに」
「・・・元々得意じゃねェんだ。だから口が利けないフリしてた。
ボロが出ねェように」
なのににはバレちまってるから、本当にヘタなんだろうな、嘘吐くの、と、
ロシナンテは自分自身に呆れているようだった。
「だけど、もう良いんだ。”人間じゃねェ奴”に人間の道理は通らねェけど。
人間同士なら、話せばわかるんだから」
ローはその時、何を言っているのだろうと首を傾げたが、
後々にロシナンテが言っていたのは、ドフラミンゴのことだったのだろうと気がついた。
※
雪が降っていた。
肉眼でもミニオン島が見えてきて、ロシナンテは双眼鏡を取り出した。
よくよく見れば海賊船と、それを監視する軍の船が確認できた。
監視船にいる軍人は戦闘員が居ないわけではないが、そう多くもない。
ドフラミンゴとの戦闘に備えて軍が準備し出すのは明日からだろう。
オペオペの実を奪うのに支障はない。
しかし、ロシナンテにはある疑問があった。
「ドフィの奴、マジでどっから情報仕入れたんだ・・・?
海賊船と軍の監視船があるから・・・海賊のアジトがあるってのは確からしい」
ローを体に括り付け、気づかれないよう崖に縄をかけて島へとよじ登り始めたロシナンテに、
ローが心配そうな声をあげた。
「・・・相手、海賊団なんだろ、一人で平気か?」
「バカ、寝てろ。それにおれはこれでもそれなりに強いぞ」
確かに、ローの知る限り、ロシナンテは強かった。
ドフラミンゴを始め、最高幹部の面々にも信頼されていたように思える。
しかし。
「ドジ、踏むなよ」
ローの指摘にロシナンテはこめかみに冷や汗を垂らした。
「・・・頑張る」
海賊団のアジトはすぐにわかった。
ゴーストタウンの中、丘の上の一軒だけ明かりがついている屋敷がそうだろう。
よほどオペオペの実に莫大な金額がついたのか、派手に騒いでいるのが
丘の下からでも聞こえた。
ロシナンテは塀のそばにローを下ろすと、
自分はさっさとオペオペの実を奪いに行く気らしく、ローの肩を優しく叩いた。
「ロー、キツイだろうが、ちょっとここで待ってろ!
オペオペの実を手に入れて、すぐ戻る」
ロシナンテがそう言ってから随分時間が経った。
丘の上を見ていると、何も音はしていないが、
何かが爆発したかのように光と煙が上がった。建物が、海賊のアジトが燃えている。
ローはロシナンテの”ナギナギの実”の能力を思い出していた。
ローを励ますためか、ロシナンテが能力を実演して見せたことがあったのだ。
ロシナンテが自分自身に触れてから花瓶を割ろうが、バズーカを撃とうが、屁をここうが、
全くなんの音もしなかった。
それなのに、確かに花瓶は割れていたし、バズーカは岩を砕き、臭いは残った。
ローは”ナギナギの実”をなんの役に立つんだ、とロシナンテに言ったが、
こうしてみると、泥棒にはうってつけの能力だな、と考えを改めていた。
ドフラミンゴに「一人でやれるか?」と聞かれて、自信満々に答えた理由もわかる。
だが、銃声が聞こえて、ローは肩を震せた。
ロシナンテが撃ったものではない。
不安に襲われるローの元に、黒い影が現れた。
「コラさん・・・!」
ロシナンテの手にはハート形の、渦巻き模様が表皮に浮かぶ奇妙な実が握られていた。
オペオペの実だ。
反対側の手でピースサインを浮かべ、ロシナンテは笑う。
「見ろ! ”オペオペの実”だ!」
「よ、良かった、無事だったのか・・・。
銃声が聞こえたから、なんかあったんじゃねェかと」
反応の薄いローに気分を害したのか、ロシナンテはムッとした顔でローに迫る。
「そんなのどうでもいい、喜べ!
これさえ食えばお前の病気もすぐ治るし、の病気もさっさと治せる!」
だが、ローは半信半疑でロシナンテを見つめた。
「・・・いや、扱いが難しいってドフラミンゴが、」
ロシナンテは焦れたようにローの口へオペオペの実を押し付けた。
「そんなもん食ってから考えろ!!! さァ食え! 早く食え!!!」
「ぶえっ!? 何すん!? むが、!!! まっず!!!」
オペオペの実はローが今まで食べた果物、いや、どんな食べ物の中でも最悪にまずかった。
消毒液や硫黄を直接流し込まれたってこんなにひどい味はしないだろうと思った。
しかしロシナンテは容赦なくオペオペの実を全部食えとローの顎を押さえつける。
「ほら、こうやって噛め! 食って飲み込め!!!」
覚悟を決めて半ば丸呑みするようにオペオペの実を飲み込むと、
ローの背中を悪寒が走った。
思わずローは自分の手のひらを見つめる。
「!?・・・なんだ今の悪寒。
て言うか、窒息するかと思った・・・なんつー後味だよ、最悪だ・・・」
ブツブツと文句を言うローに、ロシナンテはガッツポーズを決めた。
「よし・・・!」
そして、ふらりとその場に倒れこんだのだ。
ローは驚いて、ロシナンテのそばに寄る。
倒れこんだロシナンテのそばの雪に血が滲んだのを見て、
ローはロシナンテの体をひっくり返した。
「ちょっと待てよ、コラさん! 血まみれじゃねェか!!! 撃たれたのか?!」
「ああ・・・ちょっとドジった」
ロシナンテは傷を抑えて頷く。
あちこちに撃たれた痕が伺えた。
「何やってんだよコラさん!!! ドジ踏むなって言っただろ!!!」
「面目ねェ・・・」
ローは一度自分の手のひらを見つめ、ロシナンテの体に手をかざす。
「・・・、治れ! 治れ!! 血ィ止まれ!!!」
その様子を見て、ロシナンテは苦笑し、ローの頭を軽く撫でた。
「ハハ・・・悪魔の実の能力は、魔法じゃねェぞ」
その言葉に、ローは奥歯を噛み締めた。
「じゃあどうしたらいいんだ!? これ、おれのために撃たれたんだろ!!
だって、コラさん死んだら怒るぞ!」
ロシナンテは半身をなんとか起こすと、タバコに火をつけた。
ローは信じられないと言わんばかりにロシナンテを詰った。
「こんな時に一服なんかしてる場合か!」
ロシナンテは白い息を吐くと、おどけるように眉を上げて見せた。
「勝手に殺すな。こんなもんで死ぬか、おれが。
ちょっと休んで止血したら、スワロー島に移動する・・・流石に疲れた」
「!」
驚いたローにロシナンテはさらに続ける。
「明日の朝、ドフィに連絡入れてスパイダーマイルズに帰るぞ。
スワロー島からは船が出てるから、
そっち経由すりゃあ海軍も海賊も撒けるだろ」
ロシナンテは上着を脱ぎ、自分で包帯を巻き始めた。
いやに慣れた手つきとあっという間に終わった止血に、
ローは複雑な表情でロシナンテを見上げる。
ロシナンテの手にはどこから持ってきたのか、服が握られていた。
「・・・コラさん着替えと金持ってたのかよ」
「さっき海賊のアジトからかっぱらってきた」
ことも無げに言われて、ローは唖然とロシナンテを見上げた後、深いため息をついた。
「血の繋がりを感じる」
「アハハ、そりゃそうだ。弟だからな」
※
ロシナンテは驚異的にも、スワロー島までの夜間航海を成功させた。
もともとミニオン島から目視できるほど近くにスワロー島が位置していたと言うこともあるが、
ローはほとんどロシナンテが精神力だけで体を動かし、
生き延びようと気力を振り絞っていることに気づいていた。
ローも同じ気持ちだった。
何としても生き延びて、スパイダーマイルズに帰らなくてはならないと思っている。
だから無理も通せた、待っている未来のためなら。
スワロー島に着くやいなや、ロシナンテが最初からあたりをつけていたと言う洞窟で一晩を明かした。
二人とも泥のように眠った。
そして朝を迎え、ロシナンテがドフラミンゴへ連絡しようとでんでん虫を取り出した時、
タイミングよくでんでん虫が鳴き出したのだ。
受話器を取ると、いつものように名乗らずに、ドフラミンゴが話し始める。
『コラソンか、おれだ』
ロシナンテは笑みを浮かべ、でんでん虫に話しかける。
声は弾み、喜びに満ちていた。
「ドフィ! おれたち・・・」
『状況が変わった』
ロシナンテの声を遮ったドフラミンゴの声は恐ろしく硬く、強張っていた。
『が死んだ』