イレギュラー

「”NHC10”・・・なるほど?覚醒剤ね」

はフラスコに入れたキャンディの破片が示した反応を見て目を眇めた。
成分に調整の痕跡がみられるのは人体巨体化計画かなにかと併用するためだろう。
つまり、この研究所には、”覚醒剤”を投与されている”人間”が居る。
それも、恐らく複数。

の手が握りしめられて血の気を失っていた。
思索を巡らせていたを現実に引き戻したのは、でんでん虫の声だった。
は大きく深呼吸して、でんでん虫の受話器を握る。

「はい、こちら、何か御用?」
『シーザー・クラウンだ。海軍、G-5のスモーカー中将がこちらに来ている。
 ローと対応してもらおう。場所は研究所正面入り口だ』

は軽く眉を上げる。

「ロー船長だけで充分に対応出来ると思うけれど?」
『ロー一人でこの建物を管理してるよりはテメェが居た方がそれらしいだろうが。
 おれたちがここに居ることは知られたくねぇんだよ』
「へぇ・・・まあ、ここは見られちゃ不味いものの宝庫でしょうけどね。
 ・・・船長一人に負担をかけては船員としては失格。行けば良いんでしょう?」

何か言いた気な顔をしたでんでん虫を無理矢理切って、
は研究所の正面入り口に脚を向ける。

いくつかの扉をくぐると、ローと合流した。
ローはを見ると歩くペースをやや落としたように見える。
は口角を上げた。

「シーザーは人使いが荒いわね」
「・・・全くだ。それにしても、今日はヤケに侵入者が多い」
「そうね・・・。
 ねぇ、ロー船長はここでシーザーの部下のごろつき以外に、人間を見たことある?」

ローは首を振る。

「いや、無いな。なにか痕跡を見つけたのか?」
「モネがキャンディに加工した覚醒剤を持っていてね、
 封が切られていたわ。成分を解析したけど、何かの実験で併用出来る様調節してあった。
 おそらく、人体の巨体化の方・・・」


脚を止めたローにはゆっくりと首を振った。

「・・・余計なことに目を向けるべきではないのは、分かっているわ」
「・・・計画が最終段階になれば、お前の憂さも晴れるだろう。
 だが、どうも”イレギュラー”が起きそうな予感がする。
 それがどういう方向に転がるのかは、わからねぇがな」

険しい顔で告げたローには首を傾げる。
ブザーが鳴り響く正面入り口につくと、ローがレバーを操作する。

「とにかく、今は海軍を追い返すのが先決。なんなら後ろに下がってろ」
「あら、優しいわね。外は猛吹雪かしら」

ローがの軽口に鼻を鳴らすと扉が完全に開ききったようだ。
外の冷気が室内に流れ込んでくる。

まるでごろつきのような粗暴な男達が大勢見える。
ブザーを鳴らしていたのはスモーカーらしい。
と目が合うと、訝し気に眉根を寄せられる。

「おれの別荘に・・・、何のようだ、白猟屋」

G-5の海兵達が叫ぶ。
ローの悪名は七武海になっても健在だ。
特に、七武海になるために海賊の心臓を100個政府に届けた経緯は広く知られている。
その異常な行動から関わり合いになりたくない、と怖気を滲ませる部下と対照的に、
スモーカーは毅然とした態度でローに言った。

「ここは政府関係者も全て”立入禁止”の島だ、ロー」
「じゃあ、お前らもそうだろう?」

緊張感が漂う中、次に口を開いたのはだ。
柔らかな笑みを浮かべながら、手を振る。

「そうカリカリしないでちょうだいG-5。
 別に喧嘩しに来たわけじゃないんでしょう?
 ご用件を伺いましょうか?」

スモーカーは唸るように、の悪名を呟いた。

「・・・”白衣の悪魔”
 裏切り者が。なんでテメェがここに居る」
「誰に付こうが私の勝手でしょう、スモーカー先輩。
 今はハートの海賊団の客員海賊。恩赦を受ける立場に当たるわ。
 ・・・で?何しにきたの?」

の疑問に口を挟んだのは、スモーカーの副官。たしぎだった。

「この島に麦わらの一味が上陸した可能性があります」
「・・・麦わら?」

首を傾げたに、たしぎが黒でんでん虫の記録を聞かせる。
ノイズも酷いが、確かに麦わらを名乗っている青年の声と、
情けなく助けを求める男の声がする。

おそらくは先ほどローが対処したサムライに襲われた時、
シーザーの部下が出した救難信号に、麦わらが引っかかったのだろう。
ローも黙ってその記録を聞いている。

「島の名前、”寒い”という気候、
 声の主はこの島から信号を送ったことで間違いないのでは?」

たしぎの追求に重ねるように、スモーカーが言う。

「”麦わらのルフィ”は知っているな?
 2年前シャボンディで起きた天竜人、ロズワード家の一件で
 お前達と”キッド””麦わら”は共闘してる」

G-5の部下もスモーカーの命令次第ではすぐに攻撃の用意が出来る様、
準備しているらしい。
軽く目を向けながら、はスモーカーに向き直る。

「更に頂上戦争では”赤犬”に追われる麦わらを、ロー、お前は逃がした」
「・・・質問の答えになっていないわ。そう思わない?ロー船長」
「ああ、そうだな。
 第一、緊急信号の捏造はお前ら海軍の十八番だろう」

スモーカーは腕を組んでローを睨む。

「残念ながらこの通信は海軍で作った罠じゃない」
「どうだかな・・・。おれも知らねェ、話は終わりだ」

スモーカーはようやく本題に入るらしい。
ローが浮かべていた不敵な笑みを解いた。

「つまらん問答はさせるな。研究所の中を見せろ」
「今はおれの別荘だ。断る」

がローの言葉を受けて頷く。

「世界政府が捨てた島でしょう、ここは。
 海賊の我々が居て、なんの不都合があるの?
 べつに民間人から搾取してるわけでもないし、咎める理由が何かある?」

首を傾げ笑うに、G-5の面々は言葉に詰まった様子だ。

「”麦わら”がもしここへ来たら首は狩っといてやろう。
 七武海としての仕事をしてやろうって言ってんだ。それで満足だろう、海軍。
 話が済んだらとっとと帰れ」

スモーカーは納得出来ないでいるのか、
なにか吟味するようにローとを睨むままだ。

やり辛い相手だ、とは目を眇めた。
だが話し合いで引かせることが出来るならそれに越したことは無い。

そのまま事態はしばし膠着するかと思われていたが、
研究所の中から誰かの声がしてきたことで状況は一変する。

ローもも訝し気に振り返ると、
麦わらの一味の数名と、子供が外に飛び出して来たのだ。
あまりの事態に絶句していると歌声まで響いてくる。
挙げ句の果てにはポーズまで決めてみせた闖入者達にその場にいた人間達は、目を疑っていた。

事態を静観せざるをえなかったローとに、
麦わらの一味の航海士、ナミと、巨大な狸のような生き物が目を剥く。

「あー!あんたら見覚えある!」
「そうだ、シャボンディにいた奴だぞ!」

ナミは目を吊り上げ、ローに食って掛かる。

「まさか子供達閉じ込めてたのあんたたちなの!?
 この外道!この子達返さないわよ!」

突然身に覚えのないことで責められたローは
戸惑いと煩わしさが入り交じったような顔をしていた。

は口元に手を当て、子供達を見つめた。

の脳裏に幾つものワードが浮かんでは弾ける。
背丈に随分と差のある子供達、覚醒剤入りのキャンディ、
引っ張りだされた政府の人体実験のレポート。人体の巨体化計画。
科学者、シーザー・クラウンとその助手、モネ。

「・・・へぇ、なるほどね」

うっすらと笑みを浮かべただが、その声に気づいた人間は居なかったらしい。
スモーカーが鬼のような形相を浮かべている。

「人が居るじゃねえか!」
「・・・居たな。今驚いてるところだ」

海軍に気づいた麦わらの一味ら、闖入者達が引き返そうとするのを見とがめた、
たしぎとG-5が攻撃を仕掛けようと武器を構える。
ローが短い悪態をついて、苛立ちまじりにROOMを展開し始める。
は息を吐いた。しかしその唇には笑みが浮かんだままだ。

「結局戦闘になったわね、手伝いましょうか?」
「今は良い。・・・テメェで状況を読んで好きに動け」

そのままローが人差し指を上に引き上げる。
軍艦を引き上げたローが宣戦布告する。

「お前らもう島から出すわけにはいかねェな
 人が居ねェと言ったことは悪かったよ・・・!」

スモーカーが愛用の十手を構え、そのモクモクの実の能力を発動する。
七武海を前に戦闘の用意があるらしい。

だがそれより先にローが動いた。鬼哭を抜いて、一振り。
それで軍艦はまっぷたつだ。
島の岩盤に軍艦の半分をぶつけて、G-5を唖然とさせてみせた。

「お見事」

パチパチと拍手してみせたの声が妙にその場に響いた。

「船長ばかり働かせるわけにはいかないわ。
 ねえ、スモーカー先輩?」

は剃を使ってスモーカーの前に現れる。
突然至近距離に現れたにスモーカーは反応が遅れた。
はスモーカーのくわえていた葉巻を一本手に取るとあろう事か面前で吹かしてみせる。

「けっこうキツい奴ねこれ。それを2本も吸ってるの?
 控えめに言って吸いすぎよ。肺がんで死ぬわ」
「・・・!テメェに”先輩”と呼ばれる筋合いはねェよ!」
「スモーカーさん!」

唖然とするスモーカーを揶揄うように顔へと白煙を吹きかけた
その十手の切っ先に殴られる前に距離を取った。

「短気な人ね」
、邪魔だ、下がってろ」
「あら、そう?では後ろから援護することにするわ」

奪った葉巻の一本をすぐに後ろに放り、は空気をなぞるように、指を上に上げる。
G-5の数名が頭を抑え、その場に膝を着く。

「な、なんだ、お前、どうした?」
「すげェ熱だ!?さっきまでなんとも無かったのに!」
「あっ、おい、いつの間にかでんでん虫全部盗られてるぞ!」

ローが白い息を吐いた。

「お前らがこの島で見たもの全て、
 ”本部”にも”政府”にも報告はさせねェ、
 ・・・それから医師として忠告しといてやるよ。
 高熱の患者が無理するな、出直してこい」
「うーん・・・スモーカーにも暗示をかけたのだけど、
 どうやら効きにくい様ね、短時間で高熱に感染させるのは無理か」

キラリ、と目を光らせたと、不敵に微笑むローに、
スモーカーが部下へと指示を飛ばす。

「お前ら邪魔だ、サークルから出てろ!
 ローの作った円内は”手術室”!
 奴はこの空間を完全に支配、執刀する”死の外科医”だ!」

海楼石の十手を鬼哭にぶつけ、スモーカーは距離を踊らせた。

「それから白衣の悪魔!あの女の目は見るな!
 あいつは”夢魔”だ!
 生半可な力量じゃ、戦いの土俵に立てもしねぇ!」

それを聞いて、ローが面白そうに口角を上げた。

「へぇ、随分買われてるらしいな、
「油断してくれた方が有り難いけどね。
 ・・・ロー船長、危ないわ」

たしぎがその剣を抜いて、ローとへに切り掛かる。
が場所をあけると、ローが迷い無く鬼哭を振り抜いた。
たしぎの身体が腹からまっぷたつに分かれる。

が雪に転がったたしぎの上半身に呆れたように言った。

「我々に喧嘩をふっかける前に、身内を改めた方が良いのではなくて?G-5」

忠告めいた言葉に、たしぎが苛立ちを露に吠えた。

「どういう意味だ!?」
「さァ・・・私はそんなに親切じゃないわよ。
 でも、幾つか”思い当たる節”はあるでしょう?」

たしぎの顔に疑念が浮かぶも、すぐに唇を噛み、へ持っていた刀を一振りする。
は後ろに身体を引いただけでそれを避けてみせた。
刀身はローによってすでに短くなっている。

「ぐ、」
「もう少し冷静になるべきね」

上官であるたしぎの危機的状況に、G-5が銃撃をはじめる。
だがローのROOMの中で、銃弾は何の意味も無い。
雪と入れ替わった銃弾を受けて、G-5が叫ぶ。

、どけ」

ローがを庇うように前へ出ると、その場所にスモーカーが十手を振り下ろしている。
さりげなくたしぎを庇うあたり、その力量が伺える、とは内心舌を巻いた。

「下がってろ!」

ローの慌てたような声に、が息を飲む。
スモーカーが背後に居ることに気づいた時には既にシャンブルズで
その位置をローと交換されていた。

「ロー船長!」

首を押さえつけられ引き倒されたローに、スモーカーが十手を振り上げる。
だが、その十手が砕いたのはローではなく、瓦礫だった。

「・・・いやなエネルギーを感じる。
 海楼石だな、その十手の先・・・!」

ローがスモーカーの十手を払おうと鬼哭を振り抜くと、
軍艦がその太刀筋に入っていたらしい、
バラバラになって落ちてくる。

G-5の海兵達はその有様を見て、一度ROOMの外に出ることに決めたようだ。
もそれに乗じてその場を離れた。
共闘すると足手まといになりそうだと状況を読んだのだ。

「覇気を身につけてもロギアの相手は気が抜けないわ」

はそれにしても、と息を付いた。
ローは大分能力を使用していた。
大技を使い続ければこちらの方が不利になる。

しばらく乱戦が続いていたようだが、決着がついたらしい。
ローがに気づいたのか近づいて来た。手には心臓を握っている。

「息が上がってるようだけど。侍との連戦はキツかったんじゃない?おつかれさま」
「うるせぇよ、・・・、さっきあの女海兵に言ったのはどういう意味だ」

ローがに問うたのは”身内を疑え”と進言したことについてだろう。
は頷いた。

「・・・ああ、私が夢魔、魔眼使いであることを知っているのは、基本的には海兵のみ。
 手配書リストの注釈にしか、恐らく掲載が無い情報なのよ」
「だが、モネは知っていた。・・・!」
「そう。手配書リストが横流しされてる。
 モネから探り出した情報だと、ドンキホーテファミリーの中には、
 海兵に潜入任務している人物が居るそうじゃない。
 おそらくは、その人物から情報を得ているのね」

ローが唇を硬く引き結んだ。その拳が真っ白になるまで握りしめられている。
は首を傾げる。
ローの目には苛立ちの他に、なにか、別の感情が浮かんでいるように見えた。
例えば、そう、後悔のような。

が口を開こうとした、その時、場違いな明るい声が響いた。
ローとともに振り返る。
茶ひげと、麦わらの一味だ。
赤いコートを着た、笑みを浮かべる青年の姿が目立つ。

「・・・麦わら屋」

ローの予感したイレギュラーとは、彼のことに違いない、
は、あるいはローも、直感していた。