サロメ

「あーあ、バラッバラね。
 ローったら、よほど腹に据えかねてたと見えるわ。
 気づかなかったもの。見落としてしまうところだった」

SAD製造室、小さな爆発が起きつつある部屋、
動けなかったヴェルゴはに何か言いたげに口を動かすが、
縦に別れた顔のままでは何を言うことも出来ない。

そのことに気づいたのか否か。
はバラバラになったヴェルゴの手首を投げ捨て、
二つに分かれたヴェルゴの顔をくっつけた。
生首のような状態になったヴェルゴには微笑みかける。

「・・・白衣の悪魔」

ヴェルゴは正直意外に思った。
そのまま捨て置かれるか、すぐに殺すだろうと思っていたのだ。
まるで対話を望むかのように、首を元に戻すとは思っていなかった。
どうせなら息の根を止めてくれと願いその足首を掴んだのに、とんだ誤算だった。

それにしても。

ヴェルゴはを見て、やはり奇妙な違和感があると目を眇めた。
喉につかえがあるような、奥歯に物が挟まったような、そんな感覚がするのだ。
気のせいか、の目を見ると、頭の芯が熱を持ったような気さえする。
はヴェルゴの首を持ち上げてみせる。
その声色は砂糖菓子のように甘い。

「ああ、私があなたを殺さないのが不思議なの?
 そうしてあげてもやぶさかでは無いのだけれど。
 少しあなたと話したいことがあってね。
 ねぇ、・・・13年前のこと、あなたは覚えているかしら」

ヴェルゴの眉が怪訝そうに顰められる。
は笑みを深めた。
その目には微かな狂気が渦巻いている。

「私が見つけたとき、あの人の体はボロボロだった。
 致命傷となった銃創のほかにも、真新しい傷がいくつもあった。
 顔も青あざだらけで・・・銃で撃たれる前に、
 酷い暴行を受けたのは、誰の目にも明らかだったわ」
「何の、話をしている?」

ヴェルゴは首があったら捻っていただろうと思った。
唐突な話に戸惑うヴェルゴに、が目を眇める。

「鈍いのね。少し記憶を揺り起こしてあげるわ」

の目が青白い光を帯びる。
ヴェルゴは息を飲んだ。
先ほどまでもやがかっていたように感じていた、頭の熱がとれたようだ。
ある記憶が蘇る。

ヴェルゴは濁流のように押し寄せる記憶と情報に、額に汗を滲ませた。
十数年前の日のことを、ヴェルゴは思い出していた。



まだドフラミンゴが七武海でも、ドレスローザの国王でもなく、一介の海賊船の船長だったころ。
海軍へ潜入していたヴェルゴが定期報告に、
ドフラミンゴの元へと戻った時のことだった。

ドフラミンゴは船長室の窓から外を眺めていた。
夕焼けに染まる海など見慣れているはずなのに、
何かに見入るような仕草をみせたドフラミンゴを不思議に思ったのを覚えている。

ドフラミンゴへ定期報告を終えたヴェルゴがその場を立ち去ろうとすると、
ワインのボトルをさして、付き合うように命じられた。
断る理由などなく、ヴェルゴは応じる。

ドフラミンゴはヴェルゴに二三、たわいない雑談をしたあと、
唐突に”その女”に付いて話し始めた。

『なぁ、ヴェルゴ、海軍に妙な女が居るんだ、お前知っているか?
 どう見たって出で立ちは医者にしか見えねぇんだが、
 マスケット銃をぶっ放してた。
 フフッ、返り血で白衣が真っ赤だったなァ』

妙に愉快そうな声色に、ヴェルゴは首を振った。

『いや、知らないな。軍医は確かに帯刀、帯銃を許可されているが、
 自分から戦闘に参加している奴は見たことが無い』

ヴェルゴの言葉に、ドフラミンゴはそうか、と簡単に返した。

『しかし珍しいなドフィ、お前が海軍の人間に目を付けるのは』
『そうだろう?おれもそう思う』

そのときの含みある言葉がヴェルゴの耳に残っている。

。白い髪の軍医だ。
 ・・・ところで、ヴェルゴ。
 コラソンに婚約者が居たって言ったらお前、どう思う?』

ヴェルゴは息を飲んだ。

『コラソンに?あいつが誰かと結婚する気だったって?
 ・・・そんなまさか!』

驚きを隠せないヴェルゴに、ドフラミンゴは笑ってグラスを煽る。
どこか苛立ちが滲んでいるような、そんな笑い方だった。

『フッフッフッ!そうだろう!?信じられねぇよなァ!
 あのコラソンが・・・!フフフフフッ、
 おれの知らないところで勝手に血縁が増えるとこだった』
『・・・』

ヴェルゴは一度口を噤み、ゆっくりと問いかける。

『その軍医がそうなのか?ドフィ』
『ああ、そうらしい』

ドフラミンゴは頬杖をついて笑った。

『フフ、あの女、軍艦の上でドロドロに濁った目でおれを睨むんだ』

その残酷な愉悦を含んだ声を、ヴェルゴは思い出したのだ。



ヴェルゴは頭を鈍器で殴られたような痛みを感じながら、
目の前の女を睨む。
かつてドフラミンゴが言った通り、
その瞳は青白い光を帯びていながら、どろりと濁っているようにも見える。

コラソン、ドンキホーテ・ロシナンテの婚約者。
かつて銃を撃つ軍医だった女・・・その女がここにいる。
海賊、白衣の悪魔として。

その名前に聞き覚えがあると思ったのも、当然の話だった。
何故思い出せなかったのか、それさえも今は理解出来る。

ドフラミンゴはを警戒していた。
が軍艦を血に染め、その首に懸賞金がかかったとき、
真っ先にその経緯をヴェルゴに調べさせ、が夢魔であることを知ると、
納得するとともにさらにその行方を調べさせていた。
いずれが己に牙を剥くと、知っているかのように。

そして今。
ヴェルゴは歯噛みする。
ドフラミンゴの予想通り、はドフラミンゴへ銃口を向けた。
よりによって、あのローと共に。

「・・・思い出したぞ、
 お前、あいつの、」
「そう。やはり、知っていたのね」

ヴェルゴの言葉を遮り、はその首と目線をあわせた。
頬を抑え、親指でその唇をなぞり、甘ったるい声色でヴェルゴに囁く。

「ねぇ、あなたでしょう?
 ・・・ロシナンテさんの骨を砕き折ったのは」

はヴェルゴが答えるよりも早く、その唇に噛み付いていた。
抵抗する間もなく、ヴェルゴの髪がみるみる白くなっていく。

深い口づけは、何故だか酷い激痛をヴェルゴに齎した。

の目は今や燦然と青白く輝いている、
ヴェルゴに体の内側を焼くような痛みと熱を与えているのだ。
はヴェルゴが枯れ果てる寸前で、その”食事”を打ち切った。

唇を手の甲で拭い、は生首のまま荒い息を吐くヴェルゴの頭を転がし、見下ろした。
満身創痍のヴェルゴに反し、の白髪は艶を増し、雪のように輝いていた。
だがその顔は嫌悪感に歪んでいる。
は唾を吐き、低く唸る。

「胸の悪くなる味だわ」
「貴様・・・!何のつもりでローと・・・!」

ヴェルゴが問うと、は笑った。
白衣の悪魔の呼び名に相応しい、残忍な笑い方で。

「決まっているわ。お前を相棒と呼ぶ男に復讐を」

は言葉を続ける。

「ローは復讐ではないと言っていたけどね。
 結果に差はないでしょう?」

「そんなことが出来ると思っているのか?
 お前の力ではドフィに傷一つつけられやしない!」
「あら、だから私はローと居るのよ」

の言い草に、ヴェルゴは驚愕を露にする。

「直接手を下すのだけが復讐じゃないわ。
 死を与えることが必ずしも復讐になるわけではないように。
 そう、私はあなたを殺さないわ。
 復讐は、蜜より甘い」

はしゃがみ、ヴェルゴの目を覗き込む。
まるで恋人の頬を愛でるような手つきでヴェルゴに触れるが、
その声色は刃物のように鋭く、冷えきっている。

「あなたは死ぬ。大事な”相棒”に害なす敵を滅ぼせもせず、
 SADと爆死する。
 永遠とも一瞬ともつかない時間の中で味わうが良いわ。
 私が舐めた、辛酸の一部を。
 己の無力さ、絶望、憎しみ。
 それは全て私が、この唇で、かつて味わったものなのだから」

はその顔に、なんの表情も浮かべていなかった。
人形のような顔つきに、ヴェルゴはまるで亡霊のような女だと奇妙な感想を覚えた。
ローと檻に入っていた時の、あの感情的な眼差しが、今は嘘のようだ。

「さて・・・この部屋もそろそろ危ういわね」

は最後にヴェルゴの顎を一撫ですると、背を向けた。

「では、私はもう一仕事残っているのでね。
 ごきげんよう、ヴェルゴ」

ヴェルゴは何も言わなかった。
何も言わず、白衣の悪魔の背を見送った。



は持っていたでんでん虫がけたたましく鳴りだすのを聞いて、
笑みを浮かべた。

「はい。こちら、。ご機嫌いかが?ロー船長」
!お前今どこに居る!早くR棟まで来い、脱出準備はもう出来てる。
 麦わら屋のバカがシーザーをぶっ飛ばしたせいで急がなきゃならねェ!』

ローの声の後ろから「バカとはなんだ!」と憤る声がしては吹き出した。
でんでん虫から顔を離したらしいローの
「バカにバカって言ってなにが悪いんだ?」と言う声も聞こえて来る。

海賊同盟の船長同士でまるで子供のような口喧嘩を繰り広げているらしい。
はその場に居ないことを少しだけ残念に思った。

「フフフッ、振り回されてるわねぇ、ロー船長」
『オイ、事の重大さがわからねェお前じゃないだろ!?早くしろ!』
「言ったはずよ。ロー船長。私は自力で脱出するわ。
 やるべきことがあるのでね。先に行ってちょうだい」
『!?』

でんでん虫がローの顔を真似て、驚愕の表情を浮かべる。
それから険しい顔を作ってみせた。

『・・・、お前死ぬ気じゃねェだろうな?』

はおや、と目を見張った。
珍しくを案じているのを隠しもしない声色だ。

「私が、そんなに死にたがりの女だとでも?」
『・・・いや、』

ローは何か言いよどんでいる。
は目を細める。

こんな風にローに心配されるようになるとは、
ローの船に乗った日には思ってなかった。
目的を同じとする共犯者として扱われはしても、
こんな風に、仲間のように扱われるとは思いもしなかった。

「まだ心臓を返してもらってないもの。
 あなたには、私が嘘をついているかどうか分かるはずよ。
 ・・・誰も自分の心臓に、嘘はつけない」

はネックレスをくすぐりながら、言葉を続ける。

「生きて戻る。約束するわ」

ローはしばらく返事を寄越さなかった。
だが、は辛抱強く答えを待つ。

『お前は、後先考えずに、命を使い捨てる奴が嫌いだったな』
「ええ。そうよ」
『約束を守らない奴も嫌いだろう、
「・・・そうね」
『なら良い。好きにしろ。
 だが、必ず生きて戻って来い。・・・船長命令だ』

は目を閉じる。
自身の表情が、常よりも柔らかいことには気づかないままに。

「仰せのままに、ロー船長」

でんでん虫の受話器を置いて、は走り出した。
残された時間は少ない。
最後の仕上げを、しに行くのだ。