"あの女"


    グリーンビットでは激しい戦闘が続いている。
    藤虎とドフラミンゴが共闘し、ローは徐々に追いつめられつつあった。
    森の中まで逃げ込んだが、藤虎の攻撃に容赦はない。

    そんなギリギリの状態にあっても、ローはシーザーを船に乗せるためにと、
    サニー号にあるでんでん虫へ通話を試みる。
    受話器を取ったのはチョッパーのようだった。

    「おい、おれだ!無事か!?」
    『もしもし!トラ男か!?ひでェ目にあったけど、コッチは大丈夫だ!
     モネとブルックが船を守った!』
    「トニー屋か、よく聞け」

    でんでん虫で会話をする間にも、攻撃の手は休まらない。
    藤虎が岩を投げてくるのを避けていると、
    チョッパーは心配そうに声をあげた。

    『わ!?スゲェ音だ!大丈夫かトラ男!?』
    「チ・・・!今すぐグリーンビットに船をまわせ!
     お前らにシーザーを預ける!」
    『え!?どういうことだ!?』
    「状況を説明する時間はねェ!頼むぞ!」
    『おい、ま、』

    半ば無理矢理通話を切ると、糸がローの周囲の木立をバラバラにしてみせる。
    ドフラミンゴが余裕の笑みを浮かべていた。

    「無駄だぞ、ロー。今誰を呼んだ!?
     早くシーザーの心臓を返せ!
     ・・・お前がここで踏ん張る事に何の意味がある!?」

    膝を着き、ローはドフラミンゴを睨む。
    ドフラミンゴは心底愉快そうにローを嘲笑う。

    「フフフッ!お前はつくづく人を見る目がねェなァ、ロー。
     お前が相棒に選んだ”麦わら”は、おれの仕掛けた”餌”に食らいついている。
     コロシアムの『剣闘会』に出場中だ!」
    「!?」

    ローは軽く奥歯を噛んだ。
    ローにルフィの状況を知る術は無い。ドフラミンゴの言葉も嘘か本当か定かではないが、
    ドフラミンゴの口ぶりは真に迫っている。

    「各地から海を越えて強豪達が集まる無法者の殺し合い。
     負ければ即地獄行きだ!あのコロシアムから、麦わらはもう出てこれやしねェ、
     ・・・同盟は終わりだ。ロー!観念しろ!」

    ローはドフラミンゴに何も返さず、鬼哭の切っ先を向けた。
    言葉のない反抗に、ドフラミンゴは笑みを深める。
    そこには残忍さと苛立ち、怒りが見て取れた。

    「聞き分けのねェガキだ・・・!」
    「へい、ちょいと失礼しやすよ」

    ドフラミンゴに気をとられていたローは気づかなかった。
    背後にいた藤虎の存在に。

    「ぐ・・・っ!?」

    藤虎の姿を見た瞬間、ローの身体が言う事を聞かなくなった。
    恐るべき重力が今、ローを地べたに叩き付けたのだ。

    「フフフッ、良い仕事しやがるぜ、藤虎」
    「・・・」

    藤虎はドフラミンゴの賞賛に何も答えない。

    ドフラミンゴは藤虎にローを押さえつけさせ、
    シーザーの心臓と思しきキューブを手に入れると倒れ臥したローを相手に昔話を始めた。

    かつて、ドンキホーテ一族が”天竜人”であったという話を。

    嫌にもったいぶって話されたドンキホーテの成り立ちに、ローは息を飲んだ。

    「お前は、”天竜人”だったのか!ドフラミンゴ・・・!!!」

    ローの言葉に、なぜかドフラミンゴはその顔から笑みをぬぐい去っていた。
    顎に手を当てて、ローの顔を覗きこんでみせる。

    「・・・どうも話が噛み合わねェな。お前、なぜ知らない?」
    「・・・なんの、話だ?」

    ドフラミンゴの、まるでローがしらを切っていることを疑うようなそぶりに、
    ローも訝し気な表情を浮かべる。

    そのやりとりを無視して、藤虎がローから目を離し、
    軽く遠方を伺うようなそぶりを見せた。

    「どうした、藤虎」

    そのそぶりにドフラミンゴが問うと、藤虎は小さく笑ってみせた。

    「いえ、何。
     海の方で雷鳴が聞こえたもんで・・・、空色はどうですかい?」
    「雷・・・?多少雲は出てるが晴れているぞ」

    ドフラミンゴの答えに、藤虎はへぇ、と眉を上げた。

    「あっしの目は閉じてはいても、雲行きくらいはわかるつもりでいたが、
     ・・・へへ、歳をとったかなぁ」

    藤虎の声に、ローはサニー号が近くに来ていることを悟った。
    ナミは天候を操る事が出来る。
    藤虎が聞いたと言う雷鳴はきっとナミの起こしたものだろう。

    ローが確信めいたものを覚えていると、草むらに隠れていたシーザーが声をあげた。

    「ジョーカー!奪い返してくれたなら!心臓を戻してくれ!」

    ドフラミンゴは手に持っていた心臓をまじまじと見る。
    ローは口の端に笑みを浮かべた。
    海賊らしい、不敵な笑みを。

    「それがシーザーのものだと言った覚えはねェぞ、ドフラミンゴ・・・!」
    「!?」

    ローの言葉にシーザーが叫ぶ。

    「なんだと!?
     てめェ今日一日それでおれを脅してただろ!?
     現におれの旨には今、心臓は入ってねェ!」
    「チッ・・・!」

    ドフラミンゴは苛立たし気に短く舌打ちして、持っていた心臓を握った。
    シーザーは不思議そうに首を傾げているが、遠くで海兵の一人が叫び声を上げる。
    それに藤虎が声を荒げた。

    「部下の悲鳴だ!天夜叉のォ、あんた一体何をする!?」
    「えェ!?海兵の心臓だったのか!?じゃあ、おれのは!?」

    ローは答えず、振り絞るようにROOMを展開した。

    「しっかり”重力”かけときな、藤虎。
     おれが逃げるぞ・・・”シャンブルズ”!」

    ローは岩と自身の位置を入れ替え、シーザーを掴むとグリーンビットの森へと向かう。

    本来、SADの作り方を忘れたシーザーを渡したところでローにとっては問題ないのだが、
    今、そうしてしまえばドフラミンゴは確実にローを、
    そして、記憶に干渉出来る能力を持つを疑うはずだ。

    この状況になってしまっては、
    がシーザーの記憶を消したことも余り意味がなかった、と
    ローは奥歯を噛み締めながら先を急ぐ。

    「手間取らせんじゃねェよ小僧!
     逃げ場などなかったろ!?」

    ドフラミンゴがローを追う。
    シーザーをサニー号に乗せるまで、気を抜けないとローは眉を顰めた。



    サニー号はドレスローザ北東、グリーンビットを最高速度で目指す。

    途中、意識を取り戻し、ジョーラが暴れようとするという一幕もあったが、
    ナミがジョーラを天候棒の雷で打ちのめしたため、航海に問題は起きていない。
    ジョーラは全身を焦がしながら、苦々し気にモネとを睨んでいる。

    「さて、どうしよう、”コレ”」

    ジョーラの扱いを吟味する麦わらの一味に、ジョーラは沈黙を守っている。

    「ま、良いか。とにかく、トラ男のところへ急ぎましょう」

    ひとまず拘束したまま放置することにしたようだ。
    殺されずに済んだのは僥倖だが、その扱いは納得いかない、とジョーラは唇を噛んだ。

    「・・・でもシーザーを受け取るってどういう事だろう」

    チョッパーが不安そうな顔をする。
    ブルックも腕を組んだ。

    「そうですね、ドフラミンゴは”七武海”を辞めたのですから。
     シーザーは返してしかるべきでしょう」

    ジョーラはくくく、と倒れ臥したまま笑い出した。

    「あーた達、何も知らないのざますね・・・。
     おめでたい、おほほほほ、
     若様は、ガキ共の交渉など本気で受けやしないよ・・・!
     ”七武海”を辞める?そんなことする訳がない・・・!」
    「!?」

    その場に居た誰もが息を飲んだ。

    「・・・それ、本当なの、ジョーラ」
    「モネ・・・」
    「若様は、七武海を辞めていないのね」

    安堵するようなそぶりを見せたモネに、ジョーラも含め、全員が驚きに目を見張る。

    「ちょっとアンタ、いったい誰の味方なのよ!」

    ナミが天候棒をモネに突きつける。
    を抱えたまま、モネは唇を噛んだ。

    「・・・私は、を誰かに殺されるのが嫌なだけ。
     若様のことも、大事よ」
    「そ、そんな都合のいい話がまかり通ると思ってるざますか!?」

    ジョーラは吠える。モネは緩やかに首を振った。

    「そうね・・・私は、もう彼のために死ぬことは出来ない。
     彼に命じられた任務も、受け入れられなくなった。
     きっと今、シーザーの実験を手伝えと言われても、無理でしょうね。
     は、私に言ったわ。”自分の心臓に、嘘はつけない”って。
     私は子供達を傷つけたくない。もう二度と・・・」

    モネの言葉に、ナミはゆっくりと天候棒を下ろした。
    苦しそうに葛藤するモネに、ナミは複雑な表情を浮かべる。

    「どういう事情でドフラミンゴに付いてたのかは知らないけど、
     がアンタの”良心”を呼び覚ましたのは分かったわ」
    「・・・」
    「多分それが一番アンタに”効く”って分かってたのね、
     私はをあまりよく知らないけど」

    ナミはに視線を移した。
    は静かに眠っている。
    何を考えてモネを連れて来たのか、おそらくローですら読めないでいた。
    きっと自身にしか、その考えは分からない。

    ジョーラは忌々しい、とを睨み据えて、言い募った。

    「モネ!どんな理由であれ”血の掟”を裏切ったことには変わらない!
     それに、あーた達は若様の手の平の上!今頃島に上陸したあーたたちの仲間は
     ヴァイオレットに全て暴かれ!捕まってるはずざます!」
    「えェ!?」

    ジョーラの言葉にブルックが息を飲んだ。

    「モネさん、そのヴァイオレットとは何者なんです?」
    「・・・”ギロギロの実”の眼力人間。千里眼の持ち主よ。
     人の心を見通す力をもっているわ」
    「それは・・・不味いですね・・・!」

    誰か一人でもヴァイオレットに捕まれば、作戦は筒抜けになるだろう。

    だが、ヴァイオレットはもともとリク王の娘だ。
    モネはしばらく考えるようなそぶりを見せたが、ナミに視線を向けた。

    「今ここで、心配してもしょうがないんじゃない?」
    「・・・それもそうね。そろそろグリーンビットは目視できてもおかしくないんだけど」
    「え?」
    「あ、本当だ。霧が深くて様子がわかんねェな・・・変わった森が見えるけど」

    ナミは優れた航海士だ。
    波と風を読み、すぐにグリーンビットまでサニー号を移動させてみせた。
    チョッパーとナミの言葉にモネが小さく息を飲む。

    「・・・あなた達、忘れてるのかもしれないけど、」

    モネが何か言いかけた、その時だった。
    船体が大きく揺れた。

    一行が叫び声を上げる。

    「海に何か居るぞ!」
    「闘魚の群れざます!」

    ジョーラの声に、何を思い出したのか、ナミが顔を蒼白にさせた。

    「あっ、そう言えばトラ男が・・・
     闘魚が居るせいでグリーンビット近海は普通の船はまともに航海できないって、
     言ってたような・・・!?」

    「知っててなんで近づいたざます!?馬鹿じゃないざますか!?
     軍艦も沈める殺人魚ざますよ!?」

    ジョーラを含め、ぎゃーぎゃーと騒ぎだす一味に、モネはを抱える手に力を込めた。



    ローは森を通り、ドレスローザへと渡る橋を目指す。
    ドフラミンゴを引きつけるためだ。

    ローは走りながら思考を巡らせる。

    今船を狙われたらまずいことは百も承知だ。
    ローが橋の上でドフラミンゴを相手どれば、船が逃げる時間は充分に稼げるだろう。
    そのあと適当にシーザーをサニー号に乗せてしまえば、シーザーの価値を偽ったまま、
    ローの目的は達成できる。

    橋まで走るローに、ドフラミンゴは訝し気な表情を浮かべる。

    「橋を渡る気か!?
     ドレスローザへ行けば完全におれのホームだぞ!」

    そのとき、ドフラミンゴの耳に、誰かの騒ぎ立てるような声が聞こえた。
    振り向けば、麦わらの船、サニー号が目視出来る。

    それを見て、ドフラミンゴはローの狙いを悟り、
    口元に獰猛な笑みを浮かべた。

    「フッフッフッ、なるほどなァ・・・、そう言う事か」

    ドフラミンゴは方向を変える。
    雲を糸で掴み、サニー号へとその行く先を変えた。

    「待て、ドフラミンゴ!」

    もうドフラミンゴはローを振り返ることすらしない。
    ローの姿を探していたチョッパーが双眼鏡でその姿を捉えた。

    「え!?ドフラミンゴが飛んでくるぞ!」
    「えええええ!?」

    麦わらの一味とモモの助は怯えて涙を流している。
    ジョーラはその顔に笑みを浮かべた。
    モネは複雑な面持ちでその影を見つめる。

    「若様・・・!」

    モネの言葉はドフラミンゴには届かない。
    ドフラミンゴは空中を駆け、ローを挑発するように声を上げる。

    「フッフッフ!良く見てろ、ロー!目の前で同盟の一味が無惨に死ぬ姿を!」

    そこに空中を駆けて、現れる男が一人居た。
    サンジが、ドフラミンゴを蹴ってその動きを止めたのだ。

    「おい、泣いて嫌がる、ウチの仲間に近づくな!ドフラミンゴ!」

    ドフラミンゴは僅かに表情を変えた。

    「ほう・・・強そうなのが来たな。麦わらの一味、”黒足”!」

    その脚に炎を纏い、ドフラミンゴの動きを止めようとするサンジを
    ドフラミンゴはいなしてみせた。
    空中で身体を捻るように出した5色の糸でサンジを斬りつけ距離を取る。

    「うわ!?」
    「フッフッフッ!守りてェなら守ってみろ!」

    ドフラミンゴはサニー号へ目を向ける。
    そこに居る人間の顔もはっきりと確認出来る距離だ。
    甲板の上に居る一味は数名。およそ半分程度だった。

    そして、そこには拘束されたジョーラと、白い髪の女を抱えるモネの姿がある。
    ドフラミンゴはモネが微かに怯え、その女を掻き抱いたのを見て表情を変えた。

    「モネ・・・!あの女・・・!」

    モネの腕の中で眠る女をその目で捕らえたドフラミンゴの顔は
    笑みを浮かべては居なかった。