Lady in White
ドフラミンゴを護送する海軍の船団は嵐を進む。
海楼石の鎖に繋がれていても、ドフラミンゴは笑みを浮かべてみせた。
しかしその口から滑り出るのは、恨み言だ。
みっともないのは十分承知していたが、それでも言いたい事は言わせてもらうつもりだった。
囚人と話をしたがった酔狂な大参謀にドフラミンゴは口を開く。
「藤虎・・・あいつはバカだぜ、おつるさん。
もしもおれに加勢して、ガキ共を始末してれば、こうはならなかった。
おれが世界の”怪物達”の手綱を引いてたんだ!
フッフッフッフ・・・こうなったらバランスは崩れ出す。
アンタら必ず後悔するぞ・・・!」
つるは黙ってドフラミンゴの話を聞いていたと思ったが、
その言葉を一蹴してみせる。
「情けない話をするんじゃないよ。
『もしもあの時』なんて酔狂な世界は存在しない。
この結果だけが”現実”さ。お前は敗けたんだ」
ドフラミンゴは声を上げて笑った。
そうとも、つるの言っている事は正しい。
ドフラミンゴはそれを身に染みて知っていたはずだった。
つるは今後の世界情勢をドフラミンゴに問う。
ドフラミンゴという”バランサー”を失い、海賊の世界はどう変化していくのか、
その見解を知りたかったのだ。
確かにドフラミンゴは”世界”の手綱を引いていたのだから。
ドフラミンゴは全てを嘲笑う様に笑い続けた。
四皇、七武海、最悪の世代、海軍、革命軍、
偉大なる航路ではそれぞれの思惑でそれぞれが蠢く。
歴史の底で燻り続ける”D”の一族もやがて姿を現すだろう。
マリージョアに君臨し続ける天竜人は己の座る玉座が砂上にあることに気づいていない。
すべてはひっくり返される。ドフラミンゴがそうなった様に。
「ゴールド・ロジャーが世界で初めて”グランドライン”を制覇して25年!
宿敵”白ひげ”は王座につかず、その椅子の前に君臨した!
今はどうだ!? 膨れ上がった海賊達の数に対してがら空きの玉座が一つ!
——あとはわかるよなァ?」
ドフラミンゴが身を捩るのに合わせ、鎖が大きく音を立てた。
つるは咎めることなく、ドフラミンゴの言葉を聞いている。
「始まるんだよ!大海賊時代最大の”覇権争い”が!!!」
つると、その場に居る海兵達が息を飲む。
ドフラミンゴは尚も愉快そうに笑ってみせた。
「フフフフ、フッフッフッフ・・・、
インペルダウンへ行くのか。悪いが毎日新聞を差し入れてくれよ。
それで退屈はしねェ」
つるは暫く黙り込んだと思ったが、やがて静かに口を開いた。
「ひとつ、昔話をしてやろう。なに、単なる老人の戯言だ。聞き流して構わない」
つるの口上に、ドフラミンゴは耳をそばだてる。
「昔、あたしの船には腕の立つ軍医が居た。
人を救うことを何より誇りに思っていた、自慢の部下だったよ。
やがて彼女は海兵と軍医を兼任し、海賊を拿捕しながら海兵を治療し続けた」
のことだろう。ドフラミンゴはつるの言葉に、浮かべていた笑みを取り払っていた。
「お前が七武海になってからも、ずっとだ。
軍を飛び出し、賞金首になったときは残念に思ったが・・・、
あの子の本質は、今も変わっていない」
「何が言いたいんだ?おつるさん」
つるの話の核が見えず、ドフラミンゴが問うと、つるは僅かに目を細める。
「・・・ドレスローザで、二人の女が自首して来た。
一人は少女、もう一人はハーピー、人面鳥の女だ。二人は姉妹だと言っていた」
ドフラミンゴは目を見張った。
モネと、シュガーだ。
シュガーはともかく、モネは、ドフラミンゴを裏切ったはずである。
に心底惚れ込んでいたはずだ。それが、なぜ。
ドフラミンゴの動揺を見抜いたのか、そうでないのか、つるは淡々と告げる。
「ハーピーの女からは
『私は、何があろうと、どう思われようとあなたの家族だ』
そう伝えてくれと言われたよ」
何も言わないドフラミンゴに、つるは息を吐いた。
「『誰も自分の心臓に嘘は吐けない』あの子はそう言っていたそうだ。
それに感化されて、自首して来たらしい。
逃げる事もできた。お前を忘れて新しく人生をやり直す事もできた。
だが、そうしなかった。彼女はお前を選んだんだ」
ドフラミンゴは、そこまで聞いて、何か言わなくてはならないと言葉を選んだ。
黙り込むことは、得策ではないと考えたのだ。
「・・・フフフ、馬鹿な奴だ」
「聞けば、お前は彼女に『死んでくれ』と言ったそうだね。
それをあの子に阻止されたと聞いたよ。
巡り巡って、お前はあの子に救われてるんじゃないのかい」
「——結果論だな。偶然に過ぎない」
つるはドフラミンゴの言葉に鼻を鳴らした。
「だが起きてしまった事だけが現実で、真実だ。
それから、ドフラミンゴ」
つるは呆れた様に言葉を続ける。
「インペルダウン、お前はLEVEL6”無限地獄”に入れられる事になるだろう」
「だろうな、それがどうした?」
「まだわかんないのかい?
あそこは”退屈”こそが刑罰なんだ。新聞なんざ差し入れたら刑にならないだろう」
「・・・」
ドフラミンゴはサングラスの下で瞬いた。
「お前は頭は回るっていうのに、馬鹿だね、本当に」
「フッフッフッフッフ・・・最悪だ・・・」
この瞬間が最も絶望的だとさえドフラミンゴは思っていた。
※
ヨンタマリア大船団での宴の後、
バルトクラブ海賊団”ゴーイングルフィセンパイ号”に移り、
一行はゾウを目指す。
新聞を捲るゾロがルフィに声をかけた。
「おいルフィ、どうやらおれ達懸賞金上がってんぞ」
「えー!?本当か!?」
声を上げるルフィに、恭しくバルトロメオが一行を船長室へ案内する。
片付いた部屋の中に、額入りで一味の手配書とサインが飾られていた。
は手配書を眺め、感心した様に呟いている。
「改めて見ると凄い一味ね、全員賞金首で、
総賞金額が15億7千万、飛んで100ベリー・・・立派な大海賊だわ」
「飛んで100ベリーを飛ばさねェでくれてるところにアンタの優しさを感じるぜ・・・」
フランキーがの言葉に頷いているとバルトロメオが
に二つ紙切れを差し出した。
どうやらとローの手配書のようである。
「白衣の悪魔、これはアンタとトラファルガーの手配書だが・・・」
「何?」
「いや、見ればわかるべ・・・海軍も何を考えてるんだがなァ」
少々気まずそうに渡された手配書を見て、は息を飲んだ。
「DEAD OR ALIVE ”白衣の悪魔” ・ 懸賞金、3億ベリー・・・!?」
「元々の懸賞金が1億だろ? 2億も上がったのか!?」
ウソップが声を上げた。
ローも難しい顔をしている。
「・・・当然と言えば当然だ。お前かなり暴れただろう」
はモネを伴い、ドンキホーテファミリーの構成員をミイラに変え、
海軍とドレスローザ市民を前に啖呵を切り、逃げ果せ、挙げ句ドフラミンゴに食って掛かった。
魔眼を散々使いながらだ。
は額に手を当て嘆く。
「あー・・・そうね。
民間人の前で暴れたのが不味かったかしら?
それとも魔眼を散々使ったせい?両方か。
3億、3億ね・・・はァ・・・」
は深いため息を吐き、目を伏せて手配書をローに渡した。
「それに、顔ががっつり出たわ。
それから・・・ごめんなさいね、ロー。とばっちりよ」
「?」
意味深なの口調を訝しみながら、
手配書を確認して、ローは眉を顰めた。
ローに抱えられて苦笑するの顔が写真に使われている。
「・・・あいつらがうるさそうだ」
ハートの海賊団の面々は嬉々としてローとを冷やかすだろう。
はやれやれと首を振った。
「面倒よね。多分あの陰険メガネの仕事だわ」
「陰険メガネ・・・」
ローはその言い草に思うところがあるのか、の言葉を反芻する。
ウソップがそのやり取りを見て半ば呆れた様に言った。
「・・・お前ら結構冷静だな」
「ここでガタガタ騒いだところでどうにもならないわよ。
一回賞金首になったら死ぬか捕まるまで懸賞金は横ばいになるか、
上がっていくものだし。
・・・ローも5億ベリーね。ルフィ君と同じ」
「賞金首には変わりねぇんだ。額なんかどうでもいい」
言葉通り心底どうでも良さそうに、ローは息を吐いた。
そんなことよりもとロー、二人の頭にあるのは、
散々面白おかしく冷やかしてくるだろう船員達の対処だとかである。
ウソップは「全世界に向けてこの写真が使われた事はどうでもいいんか、お前ら!?」と
突っ込もうか否か迷ったが、先ほどまでウソップを締めあげていたフランキーに
優しく肩を叩かれた上で首を横に振られ、口を噤む事にした。
ロビンも面白そうにクスクス笑っている。
恐らくこれは”やぶ蛇”と言う奴なのだ。
本人達が良いと言ってるのだから良いのだろう。
下手に触って気まずい思いをするのはごめんである。
※
ドレスローザ王宮ではサイファーポール、
”イージス”ゼロの面々がでんでん虫で通話をしている。
『密売のリストはないのう、じゃが、明らかに盗まれた形跡が・・・』
「やはりか」
荷物に腰掛け、鳩を肩に乗せた男はでんでん虫の声に頷いてみせた。
「地下交易港に残された武器や兵器も全て事件後に盗まれてる。
相当な量だぞ。”組織”の仕事だ。海軍も騒いでいた」
『”革命軍”か?』
「ああ、奴らしか居ない。・・・もういい、戻れ」
通話を切り、男は吐き捨てるように呟く。
「目障りな奴らだ」
それを聞いて同調する様に、側に居た部下は大げさに頷いた。
「仰る通りです、ダンナ!!!」
その声に仮面の下で酷薄な表情を浮かべ、男は冷たく部下に当たる。
「お前の様にな」
「ワーオ!それ言い過ぎィ~アッハッハッハ・・・」
乾いた笑みを浮かべ、部下はいそいそと紙の束を男に差し出した。
「そういやダンナ、例の奴らの手配書が更新されたんで、渡しときます」
男はその紙の束を捲った。
憎らしい麦わらの一味の面々がその賞金額を吊り上げている。
海賊らしく無い笑みを浮かべた船長ルフィの懸賞金は5億だ。
かつて男と戦った際には1億だった。
どれほど腕をあげたのか。男は密かに笑みを浮かべた。
そして、麦わらと同盟を組んだと報じられたトラファルガー・ローの賞金も5億に上がっている。
忌々しい顔が並ぶ手配書の中に、その女を見つけて、男は眉を上げた。
ローに抱えられ苦笑いする女の顔は、妙に穏やかだが、かつて少女だった頃の面影を残している。
——体術は最下位の成績で歯牙にもかけたことはなかったが、座学では勝てなかった。
どこか手を抜いているそぶりを見せていたので咎めたことがあったのを覚えている。
ようやく座学でも同点を取れるようになった頃に、少女は男の前から去ってしまった。
軍医になったことは知っていた。
その方が少女の質に合っていると思ったのを覚えている。
だからその後、軍艦を一隻燃やし尽くし、科学者を皆殺しにして賞金首になったと聞いて驚いたのだ。
そんな大それたことをする様な人間には見えなかった。
陰に隠れ、滅多に笑う事もなく、いつも物憂い気だったその顔が手配書の中で
笑っているのを見て、男は胸のざわつきを覚え、思わず呟いていた。
「・・・”白衣の悪魔” ・。
やはり、お前だったか」
「お知り合いで?」
ほのかな郷愁のようなものが掠めたのを、部下に遮られて男は眦を尖らせた。
「お前には関係がない」
「あっ・・・し、失礼しやした!」
手配書を握りつぶし、男は立ち上がる。
かつてどんな因縁があるにしろ、次に相見えたときは殺すだけだ。
男はそう思っていた。
”正義”の為に。
己の信じるべきものはそれしかないのだから。
※
バルトクラブの面々と、麦わらの一味一行は眠っている。
寝ずの番がマストの上であくびを噛み殺している以外に、人影は見えない。
早朝4時。は甲板の上で海を眺めていた。
夜が明ける。海が赤く染まり、潮風がの髪を一房撫でる。
はロシナンテのことを考えていた。
昔は思い出す度に、失った幸福と未来を思って涙してしまうので、
頭の隅に追いやる様にして過ごしていたが、月日は感情を鈍らせたのか、
を激しく波立たせる事はない。
ネックレスに触れながら思う。
いつか夢に見た幻は、が頭の中で作り上げた偶像で、その人自身ではなかったが、
きっと本人であったとしても同じ事を言うと思っていた。
『今度はローのことも、助けてやってくれ、いつかのおれと、同じように』
「今度は助けられたわ。いつかのあなたと同じように、死なせてしまう事もなく」
答える人は誰も居ない。
その時、海は”新世界”だと言うにも関わらず、静かだった。
凪の海だ。
「」
だからだろうか、その声が聞こえた時、は錯覚したのだ。
その人の声だと思った。
振り返ると居るのはその人ではなかったけれど。
「・・・ロー」
「眠れないのか」
ドレスローザを出て3日は経つ。
その間に、ローの隈は幾分薄くなった様にも思える。
「ええ。もう、夜明けだけれど」
「新世界だってのに妙に静かだ」
朝焼けに眩しそうに目を細め、呟いたローには口を噤んだ。
その様子を見て、ローは声を硬くする。
「・・・お前はおれがコラさんに似てるって言ったな」
「そうね」
「おれはあの人じゃねぇぞ」
ローの言葉に、は呆れた様子で言った。
「知ってるわ。言っておくけれど重ねて見ているなんてことはないからね」
は軽く目を伏せる。
「唯一無二の人だった。少なくとも、私にとっては」
「それはそうだろう」
ローはの横に並ぶと、静かに告げた。
「言っておくが、お前の代わりも居ないんだ」
その言葉の意味をは汲んで、眉を顰める。
「・・・理解に苦しむわ、私と居たらあなた死ぬわよ」
「おれが簡単に死ぬか。
・・・ただ、これは自分でもどうかと思っては居るんだが、
お前になら殺されても良いと思ってる」
「!」
半ば躊躇う様に告げられた言葉に、は絶句する。
やっとの思いで口に出来たのは、呆れと僅かな怒りが含まれた言葉だ。
「・・・イかれてる」
「そうじゃなきゃ海賊なんかやってねェよ」
しかしロー自身も「どうかと思う」と言った通り、
その声にはばつの悪さや奇妙な自己嫌悪のようなものが
混じっているように聞こえて、は眉を下げた。
自分自身の感情でさえ、コントロールする事が容易でない事を、
は誰より知っている。
「——それもそうね」
ローは静かに息を吐くと、の首を飾るネックレスを指差した。
どうやら話題を変えたいようだ。
「そういえば、それはコラさんの形見なのか?」
「え?ああ、違うわ。両方とも私のよ」
「一個はサイズが明らかにでかいが・・・」
ローの疑問に、は懐かしむ様に海を見る。
ちょうど同じような色合いの海だったが、あの時に見たのは夕焼けだった。
「最初にあの人、自分と同じサイズの指輪を2個注文してたらしくてね。
返してくれって言うのは癪だからって、結局2つ指輪をくれたわ」
の言葉に、ローは僅かに頬を引きつらせていた。
「——コラさん、プロポーズでもドジったのかよ」
「フフ・・・ッ!アハハハハッ!」
は高らかに笑った。
朝焼けはの髪を金色に照らし出している。
「あなたと、こんな話が出来るとは、思ってなかった。
フフフフフッ!」
「・・・だろうな」
笑い過ぎて泣いているのか、目尻を拭って、は息を吐いた。
それから、ローに向き直る。
その顔は、いつかと同じ様に凪いでいた。
「失ったものはもう二度と戻ってこない」
ロシナンテのことを言っているのだとすぐに分かった。
「ドフラミンゴを倒したところで、ロー、あなたを殺したって、
私が心から欲したものは手に入らない。
忘れて、前に進むのも嫌なのよ。
私は引きずって生きていくしかないのだわ。
・・・それでもいい?」
ローは目を細める。
はまだロシナンテを愛している。
きっと、永遠に。
それを咎める権利も、止める手段もローは持ち合わせていない。
それにそもそも、咎めたり止めたりする必要性をローは感じていないのだから、
の言葉は杞憂だ。
「それでいい。おれだって忘れたくないんだ。それに、」
「それに?」
しかしにそれを伝えるのはどこか面映いものがあるのだが、
は聡いようで居て鈍いので、
ローは直接的な言葉を使わなくては行けなかった。
から視線を外し、朝焼けに目を向ける。
「全部ひっくるめて、お前だろう。。
コラさんは、もうお前の一部なんだ」
ローは見る事はなかったが、瞬いた灰色の瞳の中で、星屑が幾つも光っていた。
凪の海に風が吹きはじめた。
帆が風を受け、船が進む。
「ロー」
「なんだ」
「私、あなたのそう言うところは嫌いじゃないわ」
いつものチェシャ猫のようなニヤニヤ笑いでそんな事を言っているのだろうかと、
ローはの顔を伺うが、そこにあったのは穏やかな微笑みだった。
今、本当の意味で、の復讐は終わったのだとローは悟った。
そこに居るのは、他人の命を啜り取る化け物でも、復讐に身を焦がした悪魔でもなかった。
白衣の女がそこに居る。
ローの横に、この先を共に生きると決めた人が居る。
「・・・だったら、余所見しないでついて来いよ」
「生意気な口を利くわね」
はローの言い草に眉を顰めたあと、やがて不敵な笑みを浮かべた。
「そこはあなたの甲斐性次第なんじゃない?」
「言ったな・・・望むところだ」
同じ様に挑発的な笑みで返したローに、は腕を組んで笑う。
首元ではネックレスが金色の光を弾いて揺れていた。
Devil in White-夢魔の見る夢- 了