ハートの呪縛
ドレスローザ王宮
プールの庭では一進一退の攻防が続いていた。
ルフィの打撃はトレーボルには通じない。
”本体”を粘液でかさまししている分、的が小さいのだ。
モネがトレーボルの身体を雪で覆おうとすると、
シュガーがオモチャの兵隊達を呼び寄せ邪魔をする。
トレーボルはモネとルフィめがけて粘液の弾丸”ベトランチャー”を連発するが、
ルフィとモネは交わして逃げる。
そのいたちごっこに痺れを切らし、トレーボルが半ば呆れたように言い放った。
「んね〜、お前らおれにも負けずにべたべたしつこくない〜?
いい加減諦めろよ〜?」
「うるせぇ!誰が諦めるか、ネバネバしやがって!」
「おれは”べたべた”だ!」
ルフィの物言いにカチンときたらしい、トレーボルが怒鳴り散らす。
だが、確かに分が悪いのはこちらだ。
モネは歯噛みしながら、隙を探っていた。
シュガーには攻撃を当てた瞬間オモチャにされる可能性がある。
だから、”本気で”攻撃して一撃のもと気絶させるしかない。
しかし。
モネは目を眇め、オモチャの兵隊の銃弾を雪で受け流しながら、思索する。
”良心”を目覚めさせられたモネにシュガーを”本気で”攻撃する事はできない。
ドンキホーテとしてモネとシュガーを受け入れた、
・・・恩のあるトレーボルに対しても同じだ。
だから、ルフィに攻撃を委ねるしかないのだが。
「くっそー・・・ぜんぜん当たんねぇ、ロギアなら覇気を使えば当たるはずなのに!」
「麦わら!トレーボル様はパラミシア。
・・・ベタベタの能力で身体を”かさまし”しているのよ」
「え!?」
ルフィがモネの言葉にはっとしてトレーボルを見る。
「姉さん、余計な事を!」
シュガーは眉を顰めモネを睨んだ。
その手を前にかざし、オモチャの兵隊をモネに向かわせる。
モネは襲い来るオモチャを雪で押し流し、肩で息をする。
不運が重なったように、ドレスローザは今”夏”だ。
雪女であるモネが戦うには辛い気候だった。
「おい、鳥女、お前・・・!」
「私の事はいいから、トレーボル様に集中して・・・!」
「そうさ!余所見してる暇がどこにある!?」
「うわっ!?」
ルフィはトレーボルのベタベタの弾丸を何とか交わした。
モネに、シュガーが苛立ったように声を荒げた。
「さっきから・・・なんで本気で攻撃しないの!? 私たちを舐めてるの!?」
「・・・!」
「若様を、裏切ったくせに! ”ファミリー”を、捨てたくせに!」
モネは咄嗟に否定した。
「違う!」
「なにが違うの!?」
シュガーはモネを怒鳴りつけ、オモチャの兵隊をモネに差し向ける。
その顔は、涙をこらえているようにも見えた。
「なにが違うって言うのよ・・・!」
シュガーは絞り出すように言葉を繰り返した。
モネは一度唇を噛んだが、顔を上げて、
シュガーの目をまっすぐに見つめた。
「・・・このまま、このゲームが続いたら最後にはどうなるの」
「・・・え?」
「どこで止まるの、このゲームは!?」
いつの間に、モネは声を張り上げていた。
「若様はこの国の秘密を知った人間を全員殺すつもり、
・・・”私たち”が例外だって、どうして言い切れるの?」
「・・・ッ!」
モネの言葉を聞きたくないと言わんばかりに、
シュガーがオモチャの兵隊に銃撃を指示する。
「血の海の中に、若様がたった一人残るのよ!?
たった一人で・・・!今まで築いて来たもの全てを瓦礫に変えて!
そんな光景を、作らせたくないのよ・・・!わからない?!」
モネはオモチャの兵隊の攻撃を薙ぎ払いながら奥歯を噛んだ。
モネは知っている。
ドフラミンゴは、愛情も感情もきちんと理解出来る人間なのだ。
決して残酷なだけの人ではない。
今になっても信じている。
確かにドフラミンゴは”家族”を大切に思っているのだと。
だが、それを取捨選択できてしまう人なのだ。
ドフラミンゴはずっと物事を天秤にかけ続けて来た。
七武海の立場、ドレスローザ国王としての立場。
ヴェルゴとモネの命。SMILE。カイドウ。
感情、打算、目的、手段、損得、金・・・多くの物を計りにかけた。
そして、天秤を傾けるその度に、なにかをすり減らしてきたのだろう。
モネはシュガーに語り続ける。
「救ってもらったから恩を返したい、
幸せになって欲しい、そのためなら何だってしようって思ってた・・・!
でも違うわ!私たち皆、若様に寄りかかってただけよ。
若様が私たちを利用するように、私たちも若様を利用してる!
見返りが欲しくて、”家族”が欲しくて!」
都合のいい”家族”。都合のいい”操り人形”。
その立場に置かれても従ったのは、それでも余りある程の恩があるからだ。
救われたからだ。
”家族”が欲しかったのは、モネ達も同じだ。
血のつながりはなくとも、よりどころとなる強い絆で結ばれた、人のつながりが欲しかった。
だから従い続けた。でも、それで本当に、ドフラミンゴへの報いになるのか。
都合のいい人形のままで、ドフラミンゴのために死んで、報いた事になるのだろうか。
モネはドフラミンゴのことを、ゆくゆくは海賊王になる人だと思っていた。
この世界の全てを手にするに値する人だと思っている。今でもそうだ。
——だから決して、血の海に一人で立たせて良いわけがない。
「若様のためなら死ねるって思ってた、その覚悟もあった・・・!
だけどこんなのは違う!血の海に、一人になんかさせたくない!」
そんな幕引きを許して良いはずが無い。
「私はここで死にたくない!若様のために生きるの!
生きて、あの人の、不安や、憎しみを少しでいいから、取り払いたい・・・!
間違っていると思ったなら止めたいのよ!だって笑っていて欲しいから!」
例え全てを壊すことがドフラミンゴの望みだとしても、
そんな最後は受け入れられない。
「いつまでも、笑っていて欲しいから・・・!」
出来るなら、その笑顔が、嘲りや冷たさを含んだものなどではなく、
幸福に満ち足りていて欲しいと願うことが、
”家族”の役目ではないと言うのなら、一体なんだと言うのだろうか。
シュガーが唇を戦慄かせた。その目は大きく見開かれ、
薄い涙の膜から雫が滴り落ちたように見えた。
瞬間、人形がモネの髪をすり抜けて、シュガーの面前まで迫る。
「え・・・!?」
シュガーはその人形の顔を見てその顔を蒼白にさせた。
「きゃああああああ!!!!」
シュガーが心底からの悲鳴を上げて、その場に倒れた。
「シュガー!」
モネがシュガーに走り寄った。
オモチャの兵隊達も人間に戻り、そのまま地面に倒れ臥している。
シュガーを気絶させた人形は壁にめり込むようにして消えてしまった。
「シュガー!?一体何が起きた!?」
ルフィと戦闘を続けていたトレーボルにも動揺が走る。
モネは振り返る。
これがチャンスだと悟っていた。
モネはトレーボルの足を雪で覆う。
「・・・”万年雪”!
トレーボル様、ごめんなさい・・・!」
「ぬわっ!?モネ、貴様ァ・・・!?」
サングラスの奥で鋭い眼差しがモネを睨んだ気がした。
その隙を見て、ルフィが素早く攻撃に移る。
「ゴムゴムのォ!」
ルフィの足がゴムのしなりと、武装色の覇気を纏ってトレーボルの胴体を捕らえた。
「”ホーク・ウィップ”!!!」
「ぐあっ!?」
トレーボルの身体がプールに叩き付けられる。
悪魔の実の能力者にとって、”水”は避けられない弱点の一つだ。
トレーボルの粘液が水に溶けて、細い身体が浮き出てくる。
「わっ、ホントに細い奴だったのか・・・」
ルフィはプールに沈むトレーボルを覗き込んで、納得したように頷いた。
そして、シュガーを介抱するモネに問いかける。
「鳥女、おれは先行くけど、お前どうする!?」
「え・・・」
「”白いの”のこと、気になってるんじゃねェのか?」
。
モネに「シュガーへ会いに行け」と言って、戦闘からモネを遠ざけた。
ドフラミンゴに敵うはずも無いのにたった一人向かっていった。
今、彼女はどうなっている?
モネはとたんに背筋が凍らされたような心地を覚える。
「私も行くわ・・・!」
一筋涙を流したシュガーの目元を拭い、
モネは立ち上がった。
ルフィと共に、王宮最上階まで駆け上がる。
※
王宮最上階
ドフラミンゴは肩を震わせ、目の前で幕を引いた悪魔の結末を嘲笑っていた。
全く愉快だ、と言わんばかりにその口の端は吊り上がる。
「フフッ、フフフッ!
なんだ、仇よりも先に死んだか、
”白衣の悪魔” ・・・・」
の背を、声も無く左手で掻き抱いたローを見て、
ドフラミンゴは哄笑する。
「陳腐な幕引きだが、そうだな、
”お前に対しては”復讐としてうまく行ったんだろうよ。
ロー・・・どんな気分だ? 目の前で”愛した女”が死んだぞ。
それも・・・お前のせいでな」
「・・・!」
ローはドフラミンゴを睨み、奥歯を噛み締める。
その目にはうっすらと光るものがあるように見えた。
ドフラミンゴは銃口をローに向けたまま、吐き捨てるように言った。
「何が”愛”だ、くだらねェ」
それは底冷えするような声だった。
「・・・大体お前らは何だ。
死んだ人間の為に命がけでこのおれに挑み、
挙げ句おれの築いた全てを奪い去ろうとしやがる。
口を開けば馬鹿の一つ覚えのように”コラソン””ロシナンテ”と言い募る。
もう、うんざりだ」
そのこめかみに青筋が浮かぶ。
ドフラミンゴは一つ、深いため息を零して、ローに言った。
「ここでいい加減終わりにしようぜ。
”13年間、お前らのやって来た事は無駄だった”
そういう筋書きで充分だ。
”ハートの呪縛”は、ここで終わる・・・!」
銃口を向けられたローは抱きとめたの横顔を見る。
その唇は柔らかく弧を描いている。
人の気も知らぬまま、勝手に命を押しつけて、満足だとでも言うかのように。
ローは眉を顰め、を抱きかかえたまま、歯を食いしばる。
だが、その身体は、まだ温かい。
ローは気がついた。
まだチャンスが残っている。
※
王宮最上階に、ルフィとモネはようやく足を踏み入れていた。
激しい戦闘の痕が色濃く
血飛沫と瓦礫があちこちに広がり、地獄のような光景がそこに広がる。
「トラ男!ベラミー!・・・白いの!?」
「!? そんな・・・!」
地に伏したベラミー、瓦礫に背を預け、血みどろのを抱えるローを見て、
ルフィとモネはその名前を呼んだ。
ドフラミンゴは勝ち上がって来た2人を見てその笑みを深める。
「麦わらに、モネか・・・お前らちょうど良いところに来たな」
ドフラミンゴは瓦礫に腰掛けたまま、持っていた銃でを指した。
「たった今、白衣の悪魔が死んだ」
ローの腕に抱えられたは血まみれのドレスを纏い、動かない。
左脚は失われている。その有様に、モネは震えながら口元を抑える。
を抱える、ローの右腕も転がっていることに気づいてルフィが声を上げる。
「トラ男、お前腕はどうした!? おい、生きてんだろ、しっかりしろ!」
ルフィの呼びかけに、ローは目を堅く瞑り、の肩に一度額をつけると
左手で”ROOM”を発動し、モネの側にあった瓦礫と、の身体を交換する。
ドフラミンゴの足元にあった、の左脚と一緒に。
ローはゆっくりと立ち上がった。
迸る覇気に、ドフラミンゴは眉を顰めた。
ローが顔を上げる。
琥珀色の瞳が、煌々と輝いていた。
その目は驚く程の生命力に満ちている。
モネに向けて、ローは口を開いた。
「モネ!ドレスローザに、チユチユの実の能力者がいるだろう!?」
「え・・・?」
「そいつに治療させろ!はまだ生きてる!」
ローの言葉を受けて、モネは少しの逡巡もせずにを足で掴むと羽を広げ、
すぐさまチユチユの実の能力者、マンシェリーを探すべく翼をはためかせた。
「何を言っている?悪あがきはよせ!ロー!」
ドフラミンゴの言葉にローは鬼哭を構える。
左手だけでも刀は持てる。
その気迫を見て、ルフィ、そしてドフラミンゴは息を飲んだ。
ローは覚えていた。
母カルミアの死に顔は枯れ果てたミイラのようで、途方も無く醜かったと、
はかつて吐き捨てるように言った。
そして、カルミアのに対する”生きろ”と言う呪縛。
ローの推測が正しければ、はその呪縛を克服しきれていない。
生命力をローに全て受け渡す前に、カルミアの呪縛がの意識を落とした可能性がある。
そこに賭けるしか、無い。
「まだ終わってねェぞ、おれは、おれたちは・・・!」
このまま終わらせるものか。まだ生きている。
に押し付けられた命が、まだローを動かしている。
「トラ男!」
ルフィの言葉は無茶するなよ、とでも続きそうだったが、ローは無茶を通すつもりだ。
そうでなくてはドフラミンゴを倒せない。まだ諦める訳には行かないのだ。
「——腕なんかどうにでもなる」
ローはルフィに目配せする。
ルフィは大きく瞬いたが、やがて頷いた。
ローは再び、ドフラミンゴに向き直る。
今度は麦わらのルフィと共に。
「ドフラミンゴ!お前を倒すために、おれたちはここに来たんだ!
そう簡単に諦めて、くたばるわけにはいかねェなァ!」
その宣戦布告にドフラミンゴは眉を顰める。
「・・・麦わら、テメェも同じか」
ドフラミンゴがルフィに問いかける。
ルフィは腕を組み、高らかに宣言した。
「当たり前だ!ミンゴ、お前をぶっ飛ばす!」
ドフラミンゴは腰掛けていた瓦礫から立ち上がり、2人を見下ろした。
「つくづく失望させてくれる」
ローは顎を引く。
この戦いに、13年間の全てをかけるのだ。
腕は無くとも、例え四肢を引きちぎられても、ここで終わる訳には行かない。
「・・・行くぞ、麦わら屋」
「――おう!わかった!」
再びドフラミンゴに挑むのだ。
に託された命を使って、コラソンの本懐を遂げるために。