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    ローが目を覚ましたのは、ドフラミンゴを倒した翌日だった。

    「あら、起きたのね」
    「・・・ニコ屋か」

    半身を起こしたローにカップを手に上品な所作で微笑んだのはニコ・ロビンだ。
    その横ではフランキーが自身の修理を進めている。
    ルフィはまだ眠っているようで、ベッドに寝かされていた。

    「なかなかスーパーな活躍だったな、トラ男」

    ドフラミンゴを倒した事を言っているのだろう。
    ローは軽く頭を振った。

    「・・・いや、麦わら屋がおれを立てただけだ、あれは」

    ルフィが”ギア・フォース”になったからこそ、ローはドフラミンゴを倒す事が出来たのだ。

    見かけとお気楽な言動によらず、ローの目的を知らないとは言え、尊重してくれたようだった。
    案外聡い部分もあるのかもしれない、とローはルフィの評価を内心で改める。

    フランキー曰く、ここは花畑のそばにあるキュロスの家だと言う。
    目当ての人物を探そうと周囲に目を向けると、ロビンが面白そうに笑った。

    なら街でマンシェリーと一緒に治療に当たってるわ」

    「は・・・?」

    左脚の怪我を押して出て行ったのだろうか。
    ローの呆れと困惑を見て取って、ロビンはその時の状況を簡単に説明する。

    「あなたの右腕を小人達と一緒に治して、すぐ、は錦えもんを脅してたわ。
     『私を変装させなさい』って言ってね。
     それからドレスローザの人々の手当に急いだの」

    ローは切り落とされていたはずの右腕に触れる。
    の左脚にもあった、縫い傷がある。
    だが神経もきちんと繫がっているようだ。
    指を意識して動かしてみると、以前と同じように右手は動く。

    ローの腕がこの調子なら、の脚も同様に治っているのだろう。
    しかしローは深く息を吐いた。

    「あの、馬鹿・・・どうせお前らが止めても無駄だったんだろ」
    「うふふ」

    ロビンは笑うばかりだ。フランキーも肩を竦めている。
    ローは枕元に置かれた帽子を被り、少しふらつきながらも立ち上がった。

    「おいおい、無理するなよ」
    「・・・ああ」

    「それと、彼女は今、変装しているから白い髪じゃないし、白衣も着てないわよ。
     でもトラ男くんならすぐ分かるかもね」

    ロビンの助言めいた言葉を聞き流し、ローはキュロスの家を出た。

    今日のドレスローザはよく晴れている。花畑に影を落とすのは専ら白い雲ばかりで、
    ローは眩しさに眉を顰める。

    花畑を降りて、街を歩いた。
    ドレスローザは鳥カゴの影響で幾つかの建物を除いて瓦礫に変わっているが、
    街行く人の顔に悲壮な感情は見受けられない。
    皆どこか明るい顔をしていた。

    「——早く、治りますように」

    その声に、ローは振り返る。
    そこは簡易的な診療所のようだった。テントが張られている。
    横ではチユチユの実の能力者、マンシェリーが献血ならぬ献ポポを募っている。

    診療所では水色の上着を羽織った金髪の女が少女を治療していた。
    しゃがみ込んで患者の脚に包帯を巻いてやり、
    患者にそう言った女は、笑顔を見せた患者の頭を優しく撫でて、立ち上がる。



    女は振り返った。

    まるで元々金髪だったかのように、その変装に違和感は無い。
    はローの姿を見とめると、唖然と口を開いたようだった。

    「あなた・・・良く動けるわね。
     安静にしてないとダメじゃない」

    「その言葉、そっくりそのままお前に返す。
     脚はいいのか?」

    はもう杖をついてはいない。
    ローが左脚に視線をやると、は苦笑した。

    「ええ。マンシェリーの力は夢魔の私には効果が倍増するようでね。
     とは言え、普段通りとは言えないけど」

    息を吐いたに、ローは目を瞑り、また開いた。

    「・・・話したい事が山ほどある」

    その声は低く、怒りを孕んでいる。

    とたんに周囲の空気がぴりぴりとした物に変わった。
    近くに居たドレスローザの医師と思しき男が「ひっ」と小さく息を飲んだほどだ。
    しかしはそれをものともしない。
    それどころか不敵な笑みさえ浮かべてみせた。

    「・・・奇遇ね。私もあなたに言いたいことが、沢山あるわよ。
     治療も一段落したところだし、少しお話しましょうか」



    カルタの丘の花畑に近いベンチに、ローとは腰掛けた。
    近くに人気は無く、ただ風の音だけが響いている。

    は変装を解いて、もとの白い髪を露にした。
    の目には花畑が映り込んでいる。
    口火を切ったのは、のほうだった。

    「あなたのせいで、死に損なったわ」

    その声色は驚く程静かだ。
    その顔にも感情的なものは伺えない。
    ただ凪いでいる。そんな様子だった。

    「万が一ということもあるから聞いておきたいのだけど。
     あなたは私を殺してはくれないのでしょう?」

    の物言いに、ローは奥歯を噛み締める。
    組んだ腕にも力が入った。

    「・・・パンクハザードで、
     お前はおれに『死ぬ気はない』と言った。あれは嘘か」

    「嘘じゃないわよ。
     あの時点でパンクハザードで死ぬつもりは無かったというだけのこと」

    ローの目が恐ろしく剣呑に尖っていくのにも構わず、は淡々と返した。

    「カルミアの呪縛はまだ続いてる。自分で死ぬ事が私には出来ない。
     ロシナンテさんを殺した全てが憎くて、憎くて、
     どうせなら、ドフラミンゴとあなたを殺し合わせた末に、
     どちらかに殺され死ぬのが理想的だと思った。
     パンクハザードで爆発に巻き込まれて死ぬよりは遥かにね」

    「だったらなんでおれを助けた」

    は口を噤んだ。
    ローは我慢ならない、と言わんばかりに続ける。

    「・・・お前、よくもあんな真似をしてくれたな」

    ローはが自身の命を省みず、
    ローに生命力を注ぎ込んだ事を許していないのだ。
    は僅かに目を眇める。

    「・・・私の勝手よ」
    「お前はおれのクルーだ」
    「私はずっと死にたかった」

    「ふざけるな!」

    ローはの胸ぐらをつかみあげた。
    ついに押さえ込んでいた感情が決壊したのだ。

    「おれが、それを、許すとでも思ってんのか!?
     挙げ句の果てには殺せだと?
     もう一回同じこと言って見ろ!
     その舌切り落として二度と喋れねェようにしてやる・・・!」

    「あなたこそ!」

    は胸ぐらを掴まれたまま声を荒げ、ローを睨みつけた。
    目を吊り上げるは常の冷静さを忘れたように感情的に言い募る。

    「あなたこそ、私を置いて自分一人で死のうとしたくせによくもぬけぬけと!
     一船の船長が!無責任だとは思わないわけ!?」

    「おれの勝手だ!」

    怒りにの目の色が変わった。

    「馬鹿なこと言わないで!
     あなたが死んだら、ロシナンテさんはなんのために死んだの!?」

    どの口でそれを言うのだ。
    そう思ったのはお互い様だと言う事なのだろう。

    「お前が言うな!コラさんはお前に後追いなんかして欲しくなかっただろうよ、
     あの人がどういう人だか、お前は知ってるんだろうが!
     婚約者だったんだろう!?」

    「そうよ!」

    は眉を寄せ、唇を噛んだ。

    「私は、あの人が居たから生きてた!
     あの人が私の全てだった!!!」

    胸ぐらを掴んでいたローの手が緩んだ。
    が胸元のネックレスを握りしめる。

    「あの人だけが、化け物である私を、人間にしてくれる。
     あの人が居なくなった私は、人を糧に生きる化け物。
     ドフラミンゴと変わらない、もっと酷い!人でなしの”怪物”!
     どうして生きていられる?
     ただ生きているだけで、誰かの命を啜りとらなくてはいけないのに!
     生きている価値なんて私には無い!」

    ローはを見下ろした。
    以前からは冗談めかして、あるいは真面目に、
    自身を怪物、化け物、悪魔だと称した。

    ローに言わせれば、の自己評価は随分と偏っている。

    「それを決めるのはお前じゃねェよ」

    ローの言葉にの目が揺れる。

    「人でなしの怪物?化け物?
     笑わせるな、だったら何でおれは生きてる!?」

    の唇が戦慄いた。

    ローはまっすぐにを見ている。
    目を逸らしてはいけないと感じていた。

    「ガキ共は見捨てられねェ、モネには同情する、
     死ぬ程憎んでただろう、・・・おれを許して治療する!
     ・・・なにが人でなしだ、ふざけんじゃねェ。
     一体お前のどこが化け物なんだ」

    「・・・!」

    は愕然としたように目を見開き、言葉を失くしたようだった。
    その目が僅かに感情に揺らいだようだった。
    その顔を見て、ローはに呆れと怒りを覚えていながら、
    冷静さを僅かに取り戻したらしい。

    「医者のくせに、自分の怪我を押して
     治療にあたろうとする馬鹿のどこが化け物なんだよ」

    「・・・うるさい。黙って」

    俯いたに畳み掛けるよう、ローは言葉を続ける。

    「いいや、この際だから言わせてもらう。
     お前は散々非情を装ってきたが女子供には甘ェし、
     大体治療してると早く治れだの生きろだのうるせェ」
     
    「・・・あなただって、パンクハザードでは子供たちを助けたがってた」
    「黙れ、おれのことは今はいいんだ」

    は治療の際に患者を励ます言葉をかける。
    指摘すると癖のようなものだと苦笑されたことがあった。

    は夢魔である前に医者だとドフラミンゴに告げたが、
    それが間違っていないことをローは確信している。

    そうでなければ、魔眼を治療に利用したりはしない。
    完全に復讐に取り憑かれた悪魔だと言うのなら、は医者である事を辞めたはずだ。
    他人を治療する手は復讐に、なんら必要の無い手段だからだ。

    「・・・医者なんだよ、お前は。骨の髄からの。
     誰かを助けることが、お前の生き甲斐みたいなもんなんだろ。違うか?」

    は首を横に振り、右手で目を覆った。
     
    「ただの自己満足よ。
     命を啜り取らざるを得ないのなら、
     それ以上の命を救わなくてはと、思っただけの」

    「へぇ?化け物の発想か、それが」

    ローは挑発するような笑みを浮かべた。
    はそれに苛立ったように目を眇める。

    「随分と意地の悪い言い方をするのね」

    「当たり前だろ。おれは海賊だ。
     ・・・ドフラミンゴには同類だと言われたよ。おれ自身そう思う。
     あいつを倒すためなら、なんだってしたからな」

    ローは自嘲するようなそぶりを見せる。
    しかし、は顎に手を当てて怪訝そうに首を傾げた。

    「・・・言っておくけど、あなたそこまでドフラミンゴに似てないわよ」
    「は?」

    驚くローに、は自身の膝に頬杖をつき、呆れを隠しもせずにまくしたてた。

    「計画を立てても大体肝心なところで上手く行かないし、
     詰めは甘くて最後は出たとこ勝負だし、非情になりきれてないし、
     麦わらの一味のテンションに引きずられてたまに素になってるし、
     結局女一人切り捨てられなかったじゃない。
     おまけにその女はあなたを散々騙して殺す気だったっていうのに、
     最後の最後まで気づかない。
     挙げ句の果てには好きだとか言うし・・・馬鹿じゃないの。
     ドフラミンゴの方がいくらか冷静で合理的だったわ」

    ローは自身の頬が引きつるのを感じていた。
    すらすらと並べ立てられた罵倒によって、こめかみに青筋が浮かぶ。

    「てめェ・・・!」

    「・・・本当、似なくていいとこまでロシナンテさんに、そっくり」

    ローは息を飲んだ。

    はローを見ている。
    その顔は笑っては居ない。

    「あなたの気持ちには応えられない」

    それが何を指しているのか、すぐに分かった。

    「・・・それでやすやすとおれが食い下がるとでも思ってんのか」

    は露骨に眉を顰めた。
    それに構わずローは続ける。

    「お前が初めからコラさんの婚約者だっておれに言ってたら、
     こうはならなかったはずだ」

    「・・・」

    は自覚があるのか、黙り込んでしまった。

    は復讐の為にローに近づいたが、コラソンの婚約者であることを、
    一切ローに悟らせず、ローがドフラミンゴ失脚の為に動くのを2年間、
    いっそ献身的と言って良い程に支え続けた。
    その結果が今である。

    「お前が招いた結果なんだよ、
     自業自得だ。
     ”自分の心臓に嘘は吐けねェ”
     そうだろ?」

    口癖を揶揄するようなローの言葉には目を眇める。

    「・・・クソガキ」
    「そのクソガキに、愛してるって言っただろうが」

    は会話の展開が思わぬ方向に逸れたのに目眩を感じていた。
    額に手を当て、歯を食いしばる。

    「・・・弟みたいに思ってるんだけど」

    「言い訳だな。逃げようってなら追いかけるだけだ。
     お前の弱点を一つ教えてやろうか?」

    ローはの肩を掴んだ。
    困惑と驚きに瞬くに囁く、その唇には不敵な笑みが浮かんでいた。

    「押しに弱い」

    はハッとした様子を見せたかと思うと、その目を細めた。
    灰色の瞳が青白い光を帯びる。

    「”強制麻痺”!」
    「!?」

    かなり手荒な手段を用いて、はローの腕の中から逃げ出した。
    悔しそうに歯噛みするローに、は息を吐いた。

    「そういうセリフは、好きにさせてから言いなさいよ」

    の言葉にローは口の端を吊り上げる。

    「上等だ・・・!」

    は呆れたように目を細めたが、やがてその唇には笑みが浮かんだ。
    以前のような不敵なものでも、挑発するようなものでもない。
    ただ優しいだけの微笑みだった。

    しかしその顔は常の挑発するような笑みに取って代わる。

    「・・・長話だったわね、私は治療に戻るわ。
     ロー、魔眼の効果が切れたらあなたは安静に。
     一時は失血死寸前だったのだから、お大事になさい。
     言われなくても、どういう対処をすればいいか、
     医者のあなたは分かってるだろうけど」

    身動きがとれず不機嫌に黙り込んだローへ、は告げた。

    「ポーラータングに戻ったら、傷を見たベポ君たちに散々どやされるでしょうね。
     フフフ・・・楽しみだわ」

    ローは他人事のように言うへ胡乱な眼差しを送る。

    ハートの海賊団の船員にどやされるのはローだけではないだろう。
    何を他人事のような物言いをしているのだ、と。

    そして、一拍の間を置いて後、ローは気がついた。
    はローの船に、未だ生きて乗る気があるのだ。



    は未だ魔眼で身体が動かないでいるローを置いて、花畑を進んだ。

    青空が広がり、ドレスローザの花々は美しく咲き誇っている。
    まったく、憎らしい程見事だった。

    にはローからいつまで逃げられるかは分からないと言う自覚が確かにあるし、
    船を降りるつもりはないことはローにも知れただろう。
    その時点で半ば負けを認めているようなものだが、
    はそれから目を背ける。

    まだ逃げていたい、それだけなのだ。

    『一体お前のどこが化け物なんだ』

    ローの言った言葉と、似たようなセリフを、は聞いた事があった。

    『お前は化け物なんかじゃない!』

    は目を閉じる。
    その声を、いまでも覚えている。

    「——ロシナンテさん」

    は思い返していた。
    世界で一番幸せだったそのころ、
    生まれて初めて心から笑えたと思った時のことを。

    その時と同じ言葉を、まさか他の、
    ローの口から聞くことになるとは思わなかったのだ。