感傷
王の台地。
王宮、スートの間から振り落とされたローと麦わらの一味、
リク王と、ヴィオラ王女はでんでん虫で仲間と連絡を取り合い、
状況を確認していた。
ローは空を睨む。
13年前、これと同じ光景をローは見た事があった。
糸で出来たドーム状の檻”鳥カゴ”。
あの頃味わった無力が、じわじわとローを焦燥させる。
ドレスローザで始まった”ハンティングゲーム”
自身が狩りの対象になるのは当然だとしても、
並ぶ顔の中に、薄い笑みを浮かべた横顔を見つけて、ローは奥歯を噛んだ。
「・・・」
ローは海楼石の錠で拘束を受けている。
この後どういう行動をするにも、この錠は邪魔になる。
目の前でルフィと、懸賞をかけられたリク王の孫と言うレベッカの
交わす会話を聞いて、ローは眉を顰めていた。
結局、このゲームはドフラミンゴを倒さない限りは終わらないし、
ドフラミンゴが国民を誰も生かすつもりの無い事は分かっている。
しかしローがSADを壊した以上、このままドフラミンゴを倒せば、
百獣のカイドウの怒りは麦わらの一味とハートの海賊団に向けられるだろう。
本来なら、一度状況を整理し、作戦を練り直すべきだった。
「おれが必ずドフラミンゴぶっ飛ばしてやるから!
おれの仲間のそばから離れんな!」
だからローはルフィに問いかける。
命のリスクを。
「分かってんのか・・・!?
”麦わら屋”」
「!?」
ルフィがでんでん虫から顔を上げ、ローと視線を合わせた。
「ドフラミンゴを生かして、カイドウと衝突させるのが作戦だった。
今、ドフラミンゴを討てば、『SMILE』を失うカイドウの怒りは、
全ておれ達に向けられる!」
互いに海賊船の船長。信念を掲げ、海に出た。
背中を預ける仲間が居た。
同盟がここで終わったとして、ルフィはハートの海賊団を悪いようにはしないだろう。
・・・たとえ、ローが麦わらの一味を巻き込んだのだと、分かっていても。
だが、”後”のことを考えると、ここで本当にドフラミンゴを倒すべきかは、
判断に迷うべきところだった。
「怒れる『四皇』と直接戦うことになるんだぞ!」
その時点で、同盟を組んだ当初のカイドウ打倒の確立、”30%”は崩れる。
だがルフィの決断は早かった。いや、迷いなど最初からなかったのだろう。
「そんな先の話あとでいい!
この国良く見てみろ!! 今おれが止まってどうすんだ!!!」
「・・・!」
ローは口を噤む。
眼下に広がる町からは悲鳴が聞こえる。銃声も。
かつて、コラソンが守ろうとしていた国、
ドフラミンゴによって偽りの栄華を極めたドレスローザは、
他ならぬ、ドフラミンゴによって崩れ去ろうとしていた。
ルフィは黙り込んだローの首にそのゴムの腕を巻き付けた。
「トラ男!ゾロ!行くぞ!」
まさかこのままドフラミンゴの元へ行くつもりじゃないだろうな、と問いただすと
「そうだ!」という声が聞こえる。
「まて!おれは錠を外してからだ!」
「そのうち外れるよ」
「はァ!? 外れるわけねェだろうが!」
あまりにのんきな答えに抗議すると、ローと同じくルフィに掴まれたゾロが問う。
「どういうルートで行くんだ?」
「まっすぐ!」
助走をつけて走り出したルフィに息を飲む。
「まさか飛び降りるの!?」という
ヴィオラの声が聞こえてくるが、そのまさかだった。
風を切って落下していきながら、ローは内心で息を吐く。
・・・錠が解けたらまずコイツから殺そう。
ローはこめかみに青筋が浮かぶのを自覚していた。
※
かつて、麦わらのルフィが頂上戦争でみせた希有な力。
それは悪魔の実の能力でも、その覇気でもない。
周囲を巻き込んで、己の味方にする、その資質。
ルフィはメラメラの実を狙い、コロシアムの剣闘会に参加していたと聞いた。
コロシアムに出場していた巨人、格闘家、王族、海賊、くせ者揃いの男達が
なぜかルフィを恩人と仰ぎ、
それでいながら我こそがドフラミンゴを倒すのだ!と声を上げる様に、
ローは唖然としていた。
コロシアムで懐いたらしい牛のウーシーの背に乗り、
なぜかコロシアムの戦士、アブドーラとジェットとの相乗りになりながら、
ピーカの相手をゾロにまかせ王宮を目指す。
ここまで来たなら、もう安全策やリスクなどを考慮している暇はないだろう。
ローは一度息を吐き、目を開いた。
「麦わら屋。・・・もうやるしか生きる道がねェのは分かってる。
おれもハラを決めた」
ルフィはローと視線を合わせた。
もしかすると、ロー自身、ルフィに”当てられて”いるのかもしれない。
だが、今は、それでもいいと思っていた。
「お前らに持ちかけた作戦は、遠回りにドフラミンゴを潰す手段だった。
だが、本当は、おれもあいつに直接一矢報いたい!
さっきは負けたが、今度こそ!」
ルフィは黙ってローの話を聞いている。
「・・・13年前、おれは大好きだった人を、ドフラミンゴに殺されたんだ」
「!」
2年前、にだけは打ち明けていた。
その時と同様に、ルフィにも話す気になったのは、
恐らくこの先の運命を共にするだろうという直感があったからだ。
何より、ローが13年に渡る因縁の中に、麦わらの一味を巻き込んだ。
ローの脳裏に、馬鹿みたいな笑みを浮かべた、金髪の大男の姿がよぎる。
不器用で、ドジで、嘘つきで・・・、どうしようもない程優しかった。
「彼の名は”コラソン” 元ドンキホーテ・ファミリー最高幹部だった」
「え?・・・ドフラミンゴの、仲間なのか!?」
「そうだ。おれに命をくれた恩人で、・・・ドフラミンゴの、実の弟だ」
そして、のかつての婚約者だった。
ローは目を閉じる。
が立てた計画、シナリオは、冷静になった今なら大体想像がつく。
リスクを嫌うのことだ、安全策を幾重にも重ねたことだろう。
だがその計画も、ローがに睡眠薬を投与したことで狂いだしている。
ローは奥歯を噛んだ。
ローはの望む通りに動いても良いと思っていた。
だから早まった真似だけはしてくれるなとも願っている。
しかし、恐らくはまっすぐに、ドフラミンゴの元へその足を向けている。
の憎悪は余りに深い。
抜け道を見つけたというコロシアムの出場者
ケリー・ファンクの後をついていくウーシーの背で、
ローはルフィに告げる。
「麦わら屋、恐らくがモネを伴ってまっすぐ王宮に向かっている」
「あ、そうか! あの鳥女飛べるから・・・!
でも白いのじゃ、ミンゴには、」
ルフィの言葉を引き継いで、ローは頷いた。
「勝てないだろう。それはも承知してるはずだ。
だが、あいつも、・・・おれと同じように、
あるいはおれ以上にドフラミンゴを倒したいと願っている。
麦わら屋!おれの錠はどこで外れる!?」
焦りを滲ませるローの言葉に、ルフィがにっと笑みを浮かべた。
「・・・まー、なんとかなるって!とにかく先へ進もう!
ようは白いのより先に、ミンゴをぶっ飛ばせばいいんだろ?」
「おれの錠が外れねェとそれも出来ねェだろうが!
おい、なんも考えてねェならさっきの台地へ戻れ!
鍵を探す!勝負は”勝つ”か”死ぬ”かだぞ!?」
ローが声を荒げるが、ルフィは根拠も無く笑みを浮かべ、
「さっさといくぞー!」とウーシーを急かしている。
ローがこの先をどうすべきか考えている最中、
ローのでんでん虫が鳴った。
「麦わら屋、出ろ」
「おう。もしもし、おれはルフィ!
海賊王になる男だ!」
通話の相手はロビンだった。
どうやらローの錠の鍵をヴィオラが見つけたらしい。
4段目の”ひまわり畑”で落ち合うことに決まった。
それを聞いてルフィが振り返り、手配書と同じようにのんきに笑う。
「ほら、何とかなっただろ?」
「偶然じゃねぇか!・・・それよりここ、行き止まりだぞ!?
それに、なんだこの水!?」
抜け道の先は行き止まりだった。
しかも辺りを見渡せば能力者2人に取っては致命的な量の水だ。
そこに、揶揄うような声が響く。
「ここはただの傾いた井戸だ。
・・・フッフッフッ、弱者共が力を合わせて錠の鍵は外れるようだなァ?
ロー。お前あの女の裏切りを知っても、まだ洗脳は解けねぇのか?」
「ドフラミンゴ・・・!」
振り返れば現れたのは王宮最上階に居るはずのドフラミンゴだった。
「何でお前がここに居るんだ!」
ルフィがその腕をしならせ、ドフラミンゴに攻撃を仕掛けるが、
あっさりと一蹴される。
ドフラミンゴは愉快そうに笑った。
「フフフッ、助けに来たのさ。
つまらねぇ罠にかかりやがって、何が”抜け道”・・・」
その指がトリガーを弾くような仕草を見せる。
「”弾糸”!」
ウーシーの巨体を、糸が貫いた。
体勢を崩したウーシーに、ルフィがしがみつき、
ローは錠に力を奪われながらもドフラミンゴを睨む。
「この危機感の無さ・・・、くだらねェ!
これじゃあ、誰にでもお前らを殺せる!」
顎まで井戸の水に浸りながらも、ルフィがウーシーを励ますように身体を擦る。
ドフラミンゴはルフィに視線を向けた。
「外でおれの首を取ろうって奴らが暴れてんなァ、
この状況で、よく味方を得たものだ・・・!
その特殊な力には頂上戦争のころから一目置いていた。
だが・・・、当の本人がこうも間抜けじゃ、宝の持ち腐れだな、
なァ?麦わらのルフィ?」
「なんだとォ・・・!」
水で力が抜けるせいで、覇気も薄れているが、
ルフィはドフラミンゴを睨んでみせた。
ドフラミンゴはローに改めて向き直る。
「なぜコイツを選んだ?ロー?
お前はもっと見込みのある男だった。
ガキの頃でさえ、もっと冷酷で、もっと狡猾だった・・・!
違うか!?」
ドフラミンゴは大げさに腕を広げる。
「誰がお前をこんな腑抜けに変えた?
白衣の悪魔か?それとも、」
「黙れ!」
ローはドフラミンゴを怒鳴りつけた。
「おれはお前のようになる気はねェ!
おれは、救われたんだ!」
ローの言葉に、ドフラミンゴは少し考えるようなそぶりを見せた。
「・・・フッフッフ!」
しかし、その声色もその顔にも、
嘲けるような色が被さり、その本心は伺えない。
「そうか。我が弟”コラソン”にか。
腑抜けてねェなら、なぜこんなつまらねェ死に方をする!?
いつだったか、教えただろう、ロー・・・」
ドフラミンゴが勿体ぶるように囁く最中、声を上げる男達がいた。
「やめろォ!
麦わらさんに手ェ出すなァーっ!!!」
先ほどまでウーシーに乗り合っていたアブドーラとジェットが
後ろからドフラミンゴを斬りつけ、刺したのだ。
瞬間、糸が解けて落ちる。
ローがそれを見て、忌々しいと言わんばかりに顔を顰めた。
「やはり”分身”の方か、”糸人形”だ」
※
王宮、最上階。
ドフラミンゴはソファに腰掛け、持っていた鍵を指で弾いた。
「んねードフィ、今どっかに”糸ジョーカー”飛ばしてたか?」
トレーボルが静かに聞いた。
分身とは感覚を共有している。
腹を裂かれ、背中から串刺しにされた衝撃は本体に僅かながら戻ってきていた。
トレーボルは相変わらず、ドフラミンゴが害されていないか、
目敏く目を光らせているように見える。
ドフラミンゴは頷いた。
「ああ。届け物があったが、不要だったようだ。
・・・お前ら、ローに初めて会った日の事を覚えてるか?」
「ウハハハ!もちろんさ。イカレてた!目もイッちまってたな」
ディアマンテが笑う。
「ガキの頃のおれによく似てた・・・。
10年もすりゃ、おれの右腕になる男だと直感した」
ドフラミンゴは思い返していた。
かつてのローのことを。
全身に爆弾を巻いた薄汚い身なりのクソガキ。
絶望と不信を固めたような目つきで「全てを壊したい」と、
ローはそう言ってのけたのだ。
かつてのドフラミンゴと同じ事を望んだ。
だから目をかけ、育てようとした。
『おれは、救われたんだ』
故に、先ほどローが言い放った言葉には、少々思うところがあった。
ドフラミンゴは嘆息する。
「・・・それをこの手で殺す事になるとは、残念だ」
トレーボルも、ディアマンテもドフラミンゴの心情を慮ってか
余計な事は何一つ言わない。
町から聞こえる悲鳴や銃声、爆発音が音楽のように聞こえてくるのみだった。
しかし、そんな中で場違いにも王宮最上階へと上って来た男が居る。
ドフラミンゴは腕を組んだ。
一番乗りはどうやらその男らしい。
「おれは今、感傷に浸ってたんだ。何をしに来たベラミー。
”麦わら”の首は取ったのか?」
ハイエナのベラミー。ドフラミンゴ配下のその男は拳を握り、
悲壮めいた顔でドフラミンゴを見つめていた。
しかしその眼差しには未だ憧れと尊敬を宿している。
「なぜデリンジャーをおれの下へ送った!
ホントにあんたの命令なのか!?」
奥歯を噛み、絞り出すようにベラミーは問いただす。
「もうおれに、望みはねェのか・・・!?」
ドフラミンゴは半ばうんざりしていた。
チャンスならやった。
2年前も、ジョリー・ロジャーを貸してくれと頼まれた時も、
ドフラミンゴはそれを許した。
恵まれた環境に生まれ、平穏に飽いた悪ガキ。
かつてのベラミーはそういう子供だった。
そこらの夢見がちな海賊とドフラミンゴは違う、と見抜いたその嗅覚だけは
今の二つ名の通り”ハイエナ“のようだったが、
しかし、ベラミーはドフラミンゴにとって”夢見がちな海賊”そのものだった。
「フフフ!はっきりものを言わせるな、ベラミー。
おれとお前とは、目的が違うんだ。昔からな」
訝しむような顔をするベラミーに、ドフラミンゴは笑みを深める。
「お前はずっと”海賊”になりたがってた。
だが、おれは違う。・・・何でも良かった」
国王の座も、七武海の称号も、ジョーカーの役割も、
その全ては”目的”ではなく、”手段”に過ぎない。
いつか来る、その時代のうねりを巻き起こすための。
「この『世界』さえ、ブチ壊せればな!」
ドフラミンゴは哄笑する。
全てを嘲笑い、その手で何もかもを切り裂くために。
※
は緩やかに、堂々と、燃え盛る町を闊歩する。
時折懸賞金目当ての人間に襲われているが、
その白い衣服にはしみ一つ、綻び一つできやしなかった。
は襲い来る人々を魔眼で一睨み、
あるいは口づけで沈ませ、物のように打ち捨てて、
拳銃やナイフを幾つも拾い上げていた。
の能力は確かに恐ろしく、強力だ。
それでもドフラミンゴを相手にして、勝つことは出来ないだろう。
「ねぇ、モネ」
「何?」
「あなた、あの男に殺されかけた時、どう思った?
一度は、あの男のためなら死んでも構わないと、そう思っていたのでしょう?」
は前だけを見つめている。
モネは、静かに口を開いた。
「裏切りを許さない。そういう人だって分かっていたわ。
だから、当然だと思った。
けど、そうね。悲しいし辛かった。
・・・あなたのせいよ、」
「フフ、そうね。
憎んでくれて構わないわ。別に痛くも痒くもないから」
は軽く首を振る。
モネの一挙一動に、は頓着したりはしないのだろう。
今はそれを悔しく思う。
は小さく呟いた。
「でも、少し意外だわ」
「何が?」
「私があなたなら、多分、悪い気はしなかったと思うのよね」
は振り返り、笑う。
「だって、愛した男に殺されるなら、そう悪くはないと思わない?」
モネは息を飲んだ。
は一体、どういう意味でそれを口にしたのだろう。
王宮へとつながる岩壁の前で、は足を止めた。
「さて、ここから先は、あなたの力が必要だわ。モネ」
「・・・分かってるわ。あなたを連れて飛べば良いんでしょう?」
「できる?」
「『できない』なんて、言わせる気も無いくせに」
モネは羽ばたき、その足をが掴む。
ここから先は、きっと地獄だ。
それでもを連れていく。
それがおそらく一番の、の望みだと分かっていたから。