"愛"


    ドフラミンゴは身体の自由が戻った瞬間、迷わず目の前の人影を攻撃していた。
    それがではなく、ローであることに気がついて、
    ドフラミンゴはローとをせせら笑った。

    「フフフッ・・・!つくづく救えねェなァ、お前らは!
     ロー!この女ごと切り捨てりゃ、おれは死んだだろうに!
     せっかくの捨て身の作戦も、水の泡だったな、白衣の悪魔!
     フッフッフッフ!」

    は地に伏したまま唇を噛み締めた。
    ローは糸で貫かれた肩を抑え、膝を着きながらもドフラミンゴを睨み据えている。

    「さァ、処刑を始めようか、白衣の悪魔は、ほっといても死にそうだがな・・・」

    転がるの左脚を、ドフラミンゴは軽くつま先で小突いてみせた。
    の顔色は今や蒼白で、意識があるのも不思議な程だった。

    「・・・一つ、腑に落ちねェことがある」

    は傷口に、締め付けるような感触を覚えて目を見開く。
    足元を見るとまるで魔法のように、ひとりでに包帯が巻かれていく。
    気がつけば、止血されていた。

    ——ローだ。

    は歯を食いしばった。

    オペオペの能力を、ローは密やかに発揮していた。
    ドフラミンゴに話しかけたのも、時間稼ぎなのだろう。

    そんな事はおくびにも出さず、ローはドフラミンゴに声を荒げた。

    「マリージョアから堕ちた元天竜人のお前に、
     なぜまだ権力がある・・・!
     お前は今朝”CP0”を動かした!」

    「——フフフ、そんな事が死ぬ前に気になるのか?
     おれが”聖地マリージョア”内部にある”重大な国宝”のことを知っているからだ!」

    ドフラミンゴはローを指差した。

    「なんせ、その存在自体が世界を揺る代物だ。
     それを知っているおれは、天竜人達にしてみりゃ最悪のカードを持った脱走者。
     殺そうにも死なねェおれに天竜人達は”敵対”より”懐柔”を選んだ。
     ・・・さらにお前の実の能力がこの手にあったなら、
     マリージョアの『国宝』を利用し、おれは世界の実権さえも握れただろう!」

    「・・・!?」

    怪訝そうに眉を顰めたローとに、
    ドフラミンゴは口の端をつり上げる。

    「ロー、お前、自分の食った実の価値をどれだけ知っている!?
     ”人格の移植手術”も然り、
     その能力者の中でも、才気あるものだけが
     古来よりの人類の夢を叶えられるチャンスを得る・・・!」

    ローは不愉快そうに目つきを尖らせた。
    もその話は知っている。
    オペオペの実の最上の業。
    それは人知を超えた悪魔の実の力の中でも、あまりに冒涜的で、魅力的な力だ。
     
    「知ってるさ。おれは興味ねェがな・・・!
     オペオペの実、最上の業は、
     人に”永遠の命”を与える『不老手術』!
     だがそれをやれば、能力者当人は命を失う!」

    ローの言葉にドフラミンゴは歯を食いしばり、憤怒の形相を浮かべる。
    ローは鬼哭を構え、迎撃の体制をとった。

    「そうさ!だからお前に食わせる気はなかった!
     恩を仇で返しやがって!!!」

    ドフラミンゴは糸を鞭のように振るう。
    ローは鬼哭をかざし、それを受けた。
    ドフラミンゴはローに激しい攻撃を繰り出し、怒鳴りつける。

    「ディアマンテの剣術!ラオGの体術!グラディウスの砲術!
     お前に戦闘の全てを叩き込んだ!このおれの右腕として鍛え上げるつもりだった!」

    「ああ、そうだ・・・!
     それで今があるのはコラさんのおかげだ!
     感謝してるよ・・・この力でお前らを討ち取れるんだからな!」

    ドフラミンゴは苛立ちに眉を寄せた。

    「生意気な口を・・・!」

    ローは”ROOM”を駆使してドフラミンゴの隙を狙う。

    「モンキー・D・ルフィをどう思ってる!?」
    「!?」
    「”D”をどう思ってる!?」

    “ROOM”の中で小石を投げ、シャンブルズで位置を交換し、
    ローはドフラミンゴの背後をとった。
    鬼哭をすかさず突き出して、ドフラミンゴを突き刺そうとした。

    だがその攻撃は、武装色を纏った拳に止められる。
    ドフラミンゴの手の平から血が滴った。

    「フフフッ、まさかお前も”D”だとはな。驚いたよ。
     コラソンもそれを知ってお前を連れ出したのか・・・!?
     だからなんだ、馬鹿馬鹿しい!」

    ドフラミンゴは握りしめた鬼哭ごとローを引き寄せ、その手を振るう。
    ローはその腕を武装色に変えて攻撃を受けた。

    「運命だとでも言うのか!?
     神の天敵の”D”なら、おれを止められるとでも?
     随分信仰深くなったじゃねェか、ええ?
     ・・・何も信じちゃいなかったお前が!」

    “ROOM”の中にドフラミンゴを誘い込み、
    フェンシングの要領で、ローは突き技を繰り出してみせる。

    「”インジェクション・ショット”!」

    攻撃を受けたドフラミンゴの口の端から血が吹きこぼれた。

    「コラさんだって百も承知だよ。
     ”D”はきっかけに過ぎない。名前一つじゃお前には勝てねぇ・・・わかってる!」

    ローは吠える。恩人に報いるために今、ここに立っているのだと。

    「おれは、優しいコラさんが”あの日”引けなかった引鉄を!
     代わりに引きに来ただけだ!そのために力をつけた!そのための13年だった!」

    は奥歯を噛んだ。
    ローのその本心は知っていた。
    だがその言葉をこの場で聞くと、改めて思い知らされる。
    ローはと同じように、ロシナンテのために生きていたのだと。

    ドフラミンゴは膝を着いて腹を抑えた。
    ローのインジェクション・ショットがその腹を貫いている。
    サングラスの奥の目に、憎悪よりも深く、怒りよりも濃い影が落ちる。

    「”タクト”」

    息も吐かせまいと、ローは攻撃を繰り返す。その中で勝機を見出すために。

    外壁塔がドフラミンゴめがけローの能力で飛んでくる。
    だが隕石をも切り裂いてみせた、ドフラミンゴにそれは通じない。

    「”蜘蛛の巣がき”!」

    ドフラミンゴは糸の盾を広げ、外壁塔を止めてみせた。
    糸によって崩れた瓦礫が僅かに零れる。

    ローは手の平を広げ、拳を握るような動作をした。
    “ROOM”の中の瓦礫がドフラミンゴに向かい飛んでいった。
    ドフラミンゴは空中に足場を作り、その攻撃を交わす。
    ローは続けて攻撃を繰り出そうとした。

    「”シャンブルズ”!”メス”!」

    その時、ドフラミンゴの手がローの手首を掴んだ。
    ドフラミンゴは苛立ちのままにローを詰る。

    「無駄な攻撃を繰り返すな、鬱陶しい。
     すっかり根性丸出しの、熱い男になっちまいやがって・・・」 

    ドフラミンゴはふと、倒れ臥したままのに目をやった。
    その傷口に包帯が巻かれているのを見て、ドフラミンゴは眉を上げる。

    「・・・やたら喋ると思ったら、白衣の悪魔を手当してやったのか。
     ”死の外科医”ともあろうものが、患者の死期もわからねェか?
     あの女は死ぬ。止血したところで手遅れだ」

    「・・・! 医者でもないお前に何が分かる!?」

    ドフラミンゴは語気を強めたローの手首を持ち上げ、空中で視線を合わせた。
     
    「ロー。お前がもし、本気でおれを殺したかったなら、
     カイドウとおれをぶつける作戦に終始すべきだった。
     ・・・だが、白衣の悪魔!お前の作戦はもうすぐ、”半分は”成功する!」
    「!?」

    ローは息を飲む。はドフラミンゴを睨み据えた。

    「白衣の悪魔、お前の復讐は、おれとローを殺し合わせ、
     生き残った奴をお前の手で殺す事だろう!?
     ここでローは死ぬが、こうなってみりゃ、確かにおれも無傷じゃねェ。
     今、お前の体調が万全で、魔眼を使う気力が残ってりゃ
     お前にも勝機はあったかもしれねェな・・・」 

    ドフラミンゴの言葉はローが予想した推測の一つでもあった。
    ローは眉根を寄せる。
    しかしは肯定も否定もせず、沈黙を守っている。
    それを肯定と受け取ったのか、ドフラミンゴは笑みを深める。

    「それがどうだ。、いまやお前の命は風前の灯火!
     ローはお前を思うが故に、睡眠薬か何かを飲ませ、麦わらの船に置いて来たんだろう?
     手の震え、魔眼を使いながら射撃の命中率の低さ・・・本調子じゃねェのは良くわかったぜ。
     ロー!見ろよ、お前が余計なことをしたせいでは死ぬんだ。
     コラソンの時と同じようにな!」

    「・・・なんだと」
     
    ドフラミンゴはなおも挑発するように言葉を続けた。

    「白衣の悪魔、お前は知っていたんだろう?
     コラソンはこの『ドレスローザ』を救おうとしてたのさ!」

    は指先を震わせ、そして拳を握りしめる。

    「ミニオン島でコラソンは情報文書をまとめ、
     まだ幼いローに託した。だがコイツはよりにもよって、
     海軍に潜入していたヴェルゴに文書を渡したんだ。
     フッフッフ!傑作だろう!? 
     なァ、ロー!お前があの日ヘマをしなきゃ、
     この国に降り注いだ、数々の悲劇は起きなかったのかもしれねェ・・・」

    ローは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、静かに問いただした。

    「・・・お前が、そう思うのか」

    ドフラミンゴは一瞬不意をつかれたような顔をしたが、やがて笑い出した。

    「フフフフ、フッフッフ!
     冷静だな。利口な奴だ・・・!その通りさ!
     おれに言わせりゃあの『文書』がどうあれ作戦を変え、
     この国の王座にはついた!」

    かつてドレスローザを治めていた”ドンキホーテ”の、天竜人としてのプライドが、
    ドフラミンゴをドレスローザへと縛り付けた。
    文書が海軍の手に渡ったとしても、リク王を追い落とし、”正統な”王の血筋である
    ドフラミンゴが王になる方法はいくらでもある。

    「コラソンが命を賭けてやったことは、結局全て無駄だったってわけだ・・・」

    ドフラミンゴの冷笑に、ローは声を荒げる。

    「それはお前が決めることじゃねェ!」

    裂帛の気迫をもって、ローはドフラミンゴに宣言する。

    「おれが、死ぬまでに、やる事全てが、コラさんの遺した功績なんだ!」

    ドフラミンゴは一瞬、その笑みを忘れたように見えた。
    しかし、再びその唇には笑みが浮かぶ。
    どこまでも残酷な、貼付けたような笑みが。

    「泣ける話だな、なァ、そう思うだろ、白衣の悪魔。
     這いつくばりながら良く見ておけ、
     ・・・おれもな、”すぐに殺すようなもったいねェことはしない”さ」
    「・・・!」

    いつかののセリフを引用するように低く呟かれた言葉に、は戦いた。
    の唇がなにか呟こうとしていたが、その声は空中までは届かない。

    「どんな悲劇も失態も! 起きちまった事だけが現実!」

    ドフラミンゴはローの肩に足をかけた。
    両手を掴み、地面へとローを叩きつける。

    「お前が”オペオペの実”を食って逃げた事も!
     パンクハザードでおれに牙を剥き、今ここに居る事も!」

    轟音の後、一拍置いて鋭い悲鳴が上がった。
    何が起きたのか悟ったは唇を噛み締め、固く目を瞑る。

    ローの右腕が切断されていた。

    苦痛にのたうち声を上げるローを、ドフラミンゴは嘲笑う。

    「フフフ!
     もう一人の”D”に感化されてか、白衣の悪魔に誑かされてか、
     ロー、お前が直接おれに挑んできたのも起きちまった現実!
     格上への勝ち方なんていくらでもあったろうになァ、
     安心しろよ・・・その愚かさを許してやる」

    ドフラミンゴは銃を掲げた。

    「実の父と弟を許したように・・・!
     ”死”をもってな!」

    「くっそォ・・・!」

    ローは傷口を押さえ、奥歯を噛んだ。

    「処刑はやはり、”鉛玉”に限る・・・!」

    ドフラミンゴが銃をローに差し向けた。 瞬間、怒号が聞こえる。

    「ピーカ!?」

    巨大な石像が音を立てて崩れ去ろうとしていた。
    ドフラミンゴがそれに目を奪われた隙に、
    ローは簡単に止血して、鬼哭を支えに立ち上がった。

    遠くで再び喧噪が聞こえる。SMILE工場が爆発していた。
    それを確かめて、ローは挑発するような不敵な笑みを浮かべていた。

    「SMILE工場が崩れた・・・!これでおれを殺しても、お前は終わりだ、ドフラミンゴ!」
    「・・・心配には及ばねェよ。
     チユチユの実の能力者”マンシェリー”が居る、工場も元に戻る」

    ドフラミンゴは右腕を失くしたローにも容赦なく糸の鞭を振るった。
    のほど近くまで吹飛ばされたローは、瓦礫に背中を預け、ようやく半身を起こしている。

    「・・・もう休め。お前の相棒の麦わらはそう簡単には来ない。
     まったく不憫な男だよ、お前は」

    その声色には僅かな憐憫が伺える。

    「”白い町”という地獄に生まれ、未来など無かった幼少期。
     コラソンに出会い、寿命を引き延ばされるも、
     まるで奴の亡霊かのように、おれを恨み・・・復讐のために生きて来た。
     挙げ句の果てに見る目もなく惚れた女はお前を心底恨んでいる。
     その上今にも死にそうだ。お前のせいでな」

    「・・・そうね」

    今まで黙っていたが口を挟んだ。
    ドフラミンゴもローも、に視線を投げかけた。
    瞬間、青白い光をはその目に宿してみせる。

    「——”強制麻痺”」

    それは微弱な光だったが、ドフラミンゴとローの行動を、確かに僅か制限した。
    不愉快だと眉を顰めるドフラミンゴに、は言葉を続けた。

    「どうせほっといても死ぬのなら、一人くらいは道連れが欲しいの。
     ・・・”死に方”を、選ばせてもらうわよ」

    ドフラミンゴは虚をつかれたような顔をするが、
    の意図を悟ったのか、やがて笑みを深めた。

    「フッフッフッフ!良いだろう・・・。
     安っぽい悲劇だが、お前達には似合いの結末だ。
     見届けてやるよ」

    は血と泥に塗れたまま、這うように、ローに近づいた。



    苦痛に呻き、息を切らせながらも、は強い力でローの肩をつかんだ。
    ローは眉を顰め、俯くの白い髪を見下ろした。

    ここで、終わるのだろうか。

    ローは不思議と自身の心が凪いでいくのを感じていた。
    それもいいかもしれない、と思っていた。

    どうしてもを切れなかった。
    殺したい程恨まれていると分かっていても、
    どうしたって見捨てることも、嫌うこともできなかった。
    できるなら、その痛みも苦痛も和らげてやりたかった。

    その愚かさが今、ローを殺すと言うのならそれでいいと、思ったのだ。

    だが、受け入れようとしたローは気がついた。
    ドフラミンゴは気づいていないだろう。
    顔を上げたは泣いていた。
    灰色の瞳の中で、星屑が幾つも光っている。

    思わず目を見開いたローの顎を、が掬った。

    唇が重なる。

    今までにない感触だった。
    常のような貪り食われる激しい感覚ではない。
    何か、温かいものが入り込んでくるような、そんな錯覚を覚えていたのに、
    ローは背筋を凍らせていた。の感情が吹き込んでくる。

    それは余りに優しく、そして余りに残酷な言葉だった。

    『ロー、私があなたを、殺せると思った?
     ・・・私が愛して、私を愛した、あの人が、命をかけて守ったあなたを、
     この私が、・・・殺せるはずないじゃない』

    ——それが2年間で出した、の結論だった。

    の命が、ローの中に流れてくるのが分かる。
    傷が塞がり、痛みが和らぐ。
    それが何を意味するのか、ローははっきりと分かっている。

    だから、ローはやめろと心中で叫び続けていた。抵抗を続けていた。

     このままだと本当に死ぬぞ!

    その声は聞こえていたはずだ。それでもは止めなかった。

    『私はずっと考えていた。奪うことが出来るのなら、与えることもできるはずだと。
     ——あなたに託すわ。全てを。私の命を。あの人のために生きている、あなたにあげる』

     そんなものはいらない。ふざけるな! 勝手な事しやがって、誰がそんなこと頼んだんだ!

    しかし、どんなに言葉を尽くしても、は止まりそうもなかった。
    絞り出すような声が何度も頭の中で反響する。
     
    『ああ、これで、やっと、あの人に会える』

    ローはその時、ようやくの真意を理解していた。

    はずっと、自分の死神を探していたのだ。
    カルミアの”生きろ”と言う魔眼の呪縛が、母親の愛が、を縛り続けていた。

    ドフラミンゴの言うように、ドフラミンゴとロー、生き残った方を殺すつもりだったのではない。
    生き残った方に、殺されるつもりだったのだ。
    モネの言うとおり、白衣の悪魔になったその日から、は死ぬつもりだった。

    愛するロシナンテと永久に眠るために。

    は目尻を優しく緩めた。
    気に病むな、とは簡単に告げた。

     にとって”愛”とは
     祝福であり、呪縛であり、救済であり、
     犠牲であり、憎悪であり、あるいは”全て”なのだ。

     1匹の怪物が愛に生き、愛に死ぬ。

    それだけのことなのだと、はローに教え、ゆっくりとその目蓋を閉じた。

    『あなたは”生きて”』

    『・・・あの人が命を尽くして守ったのが、あなたで良かった。
     ・・・ロー』

    は唇を離し、ローの耳元で、ローだけに聞こえるよう、震えるか細い声で囁いた。

    「・・・愛してるわ」

    奇しくもコラソンと同じ言葉だった、
    ローに覆い被さるように、の身体から力が抜ける。
    その唇は弧を描いていた。

    ローの心臓をずたずたに引き裂き、ドフラミンゴの手足に爪痕を遺して、
    の復讐は完結した。