You Created Me


    ドフラミンゴは落ちた影に空を見上げ、ほう、と感嘆の息を零した。

    なるほど、上手く考えたものだ。

    ピーカ達を差し向けた場所とは離れた、人員の手薄な場所から、
    空を飛んでその女たちは現れた。

    大きく羽音を立てて、その女は王宮、その最上階に降り立った。

    「どうもありがとう、モネ」
    「・・・どういたしまして」

    ドフラミンゴとトレーボルの前に、2人の女が立っていた。

    一人は表情を強ばらせている。当然だ。
    内心はどうあれ、ドフラミンゴを裏切り、敵に組した女である。そしてもう一人。

    「・・・お会い出来て嬉しいわ、ドンキホーテ・ドフラミンゴ王。
     我々が最初だと思っていたけれど、そうでは無かったようね」

    もう一人の女はドフラミンゴの足元に転がる男に目を落としてから、
    視線をドフラミンゴに合わせた。

    目を細め、その手を胸に当てて微笑む女を、ドフラミンゴは知っている。

    ドフラミンゴがその女を最初に見たのは、まだ王下七武海に入る前のことだ。
    その時から刺すような視線の持ち主だった。
    それなのに印象的な灰色の瞳はあどけなささえ漂わせていて、
    妙な女だと思ったことを覚えている。

    女は軍で支給される白衣を纏っていた。
    一目で軍医と分かる出で立ちのくせに銃剣を振り回し、
    その白衣は血に塗れていた。
    ドフラミンゴ配下の海賊を撃ち捕らえる姿は
    とても人を救うことを生業にしている人間には見えなかったものだ。

    容赦と言うものが一切無い女だった。

    そして目の前の敵を薙ぎ払ってなお、この女ときたら、殺意を隠しきれず、
    ただ一心にゆらぐ瞳でドフラミンゴを見詰めていた。

    海の上、互いの姿が、船が、米粒のように小さくなっても
    その殺意の残り香はドフラミンゴに纏わり付いた。
    あの時感じた奇妙な高揚を、今も感じている。

    どす黒い感情の眼差し、煮えたぎるような憎悪、殺意。
    全身から立ち上る覇気にドフラミンゴは笑みを深める。

    「フッフッフ、こうして顔をあわせるのは久しぶりだなァ、
     あの頃お前は軍医だったか」

    ドフラミンゴの言葉に、女は微笑みをより一層深くした。

    「あら、光栄ね・・・何度も言うけれど、私のことをご存知だとは、
     覚えているとは思わなかったわ。
     大した力も無い、少々経歴が異色なだけの、いまやただの海賊の、この私を」

    嘯く女が一歩前に出た。意図しているのかいないのか、モネを庇う格好になる。
    ドフラミンゴはソファに腰掛けたまま、動かない。

    「おいおい、行き過ぎた謙遜はかえって見苦しいぜ、
     ・・・。
     お前程性悪で、危険な女をおれァ他に見たことが無い。なんせ、」

    ドフラミンゴの指が持ち上がる。マリオネットを操る、いつもの動きだ。

    「このおれの忠実な部下を骨抜きにしちまった・・・!
     なァ、モネ!」

    「!」

    モネが携えていたアイスピックをに刺そうと動く。
    ドフラミンゴのパラサイトに操られ、モネは息を飲んだ。

    銃声がその場に響いた。

    その後何かが千切れる音がしたかと思えば、
    モネの身体が突然支えを無くしたように地面に叩き付けられる。

    いつのまにか、の手には拳銃が握られていた。
    ドフラミンゴがその銃を見て、顔色を変える。

    「・・・その銃」
    「あぁ・・・、”これ”に、見覚えでもあったかしら?」

    金具が銀なのを除いて、ドフラミンゴの持っているものと全く同じその銃は、
    かつてロシナンテが持っていたものだった。

    ドフラミンゴの口の端が釣り上がった。
    はどこまでも、ドフラミンゴの神経を逆撫でするつもりだろう。

    はモネに視線を流す。

    「モネ、あなたここに居ると邪魔だわ。
     どうせあの男に攻撃する気はないんでしょう?
     どこかに行ってちょうだい。なんならそのまま”逃げても良いわ”」

    「・・・なんですって?」

    「そうね、ひとつアドバイスするなら、
     ”大切な人にはお別れを済ませてから”行くべきだわ。
     さぁ、行きなさい」

    モネは文句を言いたくなったが、口を噤む。

    の言うとおり、モネにドフラミンゴを攻撃するつもりはない。
    を攻撃するのも今は躊躇われる。
    ここにいてはいずれ殺されるだろう。それは、嫌だった。

    そして何より、のモネを見る瞳に、僅かな懇願を読み取ったのだ。
    モネは苦虫を噛み潰したような顔ですぐにその場を駆け出した。

    「ベーヘっヘっ!逃げられると思うのか!? モネ! 血の掟をお前は裏切った!」
    「フッフッフ・・・トレーボル、行って来い」

    ドフラミンゴはゆっくりと立ち上がった。
    トレーボルはドフラミンゴの言いたいことを察したらしい、
    少し意外そうに首を傾げる。

    「んん? 良いのか、ドフィ」
    「ああ・・・構わねェ。モネはシュガーの姉だ、
     シュガーを連れて逃げられれば、新しく国を作るにも支障が出る
     ・・・まさしくこの女の思うつぼ、そうだろう!? 白衣の悪魔!」

    小手調べだろうオーバーヒートでの攻撃を、は避ける。

    「この女はおれ一人で充分だ。トレーボル、シュガーだけは何としても渡すな」
    「べへへ!そういうことか・・・!なら先を急ごう!」

    トレーボルが浮くようにして走り出す。
    ドフラミンゴとが一対一で向かい合う。

    は一度目を閉じ、首もとのネックレスに触れる。
    そしてもう一度、目を開いた。

     この時を何度夢見た事だろう。
     この研いだ牙が、あの喉笛に食い込む瞬間だけを欲している。
     肌で感じるのは圧倒的な実力差だ。
     それでも何も出来ないということは無い。
     勝てなくても良い。
     削り取ろう。こそぎ落とそう。へし折ろう。奪い去ろう。
     出来るだけ長く、長く、長く、味わわせるのだ。
     私が望むのは苦痛、屈辱、怒りに、悲しみ、そしてとびきりの絶望。

     私の復讐が、ここで終わる。

    は笑った。
    喉の奥から、腹の底から。

    「フフフフフ・・・! そうよ。
     何の打算も無く、私がモネをここまで連れてくるわけがないじゃない。
     ローは私が彼女に同情したものと思っていたようだけれど」

    がモネを連れ出したのは、シュガー対策でもあった。
    苦難を共にした血のつながった”姉”を使って、
    シュガーを無力化するつもりだったのだ。

    ドフラミンゴはの言葉に口の端をつり上げる。

    「あぁ、あいつらは女を見る目がねェ、お前みてェなアバズレに誑し込まれて
     弟に至っては婚約までしやがった。
     おれァお前みたいなのが血縁にならずに済んで心底安心してるよ・・・!」

    「何かと気が合うじゃないの、私も同じ気持ちよ、ドフラミンゴ」

    泰然とするが気に入らないと、ドフラミンゴは挑発する。
    その笑みを崩してやろうと思ったのだ。

    「随分怖い顔するじゃねえか。そんなに婚約者を、
     ・・・コラソンを殺されたのが許せないか? 白衣の悪魔。
     お前がそんなに健気で一途な女だったとは驚きだ。
     お前の過去からは想像もできねェな」

    「・・・どういう意味かしら」

    の顔から目論み通り、笑みが消えた。

    「兄としては弟がどこの馬の骨とも分からねえ女と結婚しようとしてた、
     なんて聞いたら気になるだろう? 調べたんだよ、お前のことは全部なァ!」

    その怒気に呼応するように、ビリビリ、と空気が震える。
    覇気が迸るように、肌を伝う。

    「世界政府の実験動物として生をうけ、実の父に母共々投薬実験を受ける日々・・・、
     そのうち母親の頭が薬でイかれ、母親が父親を殺したあとお前の目の前で自殺。
     それから幼いお前はサイファーポールを経て海軍に所属した。
     賞金首になるまで魔眼を隠し通していたようだが、
     コラソンに、挙げ句の果てにローまで誑かしたお前の本質は
     どこまでも薄汚い娼婦も同じ・・・よくものうのうと生きていられるものだなァ、
     ええ? ・・・」

    手酷く罵られ、は息を吐いた。
    慣れているのか、そうでないのか、ドフラミンゴの罵倒には露程も怒りを示さない。

    「・・・ずいぶんとお喋りね。よく調べたのは褒めてあげてもいいけど、
     一つだけ間違っているわ。母は自殺じゃない。
     私が殺したのよ、ドフラミンゴ。
     あなたがあなたの父親を殺したように」

    ドフラミンゴは微かに眉を顰めた。

    「・・・!
     そりゃあますます気にいらねェ。
     コラソンの野郎、お前に何もかも洗いざらい話したらしいな。
     ならなぜ、ローはおれが天竜人であったことを知らない?」

    の表情がこんどこそはっきりと歪んだ。
    ドフラミンゴは笑みを深める。

    「フフフッ、お前黙ってただろう。
     ローの奴ァ愕然としてたぜ、お前がコラソンの婚約者だったと知ってな!
     当ててやろうか? お前の復讐の相手はおれだけじゃねェだろう?」

    の瞳が僅かに揺らぐ。
    動揺。それは無言の肯定に他ならない。

    「ローのことだって憎らしかったに違いない。
     何たってコラソンはローのために死んだんだ。
     あいつさえいなけりゃコラソンは生きてたかもしれねェ。
     そんな風にお前が考えても無理は無いだろうよ」

    「そうね」

    ドフラミンゴの推理を、は淡々と認めてみせた。

    「トラファルガー・ローと、ドンキホーテ・ドフラミンゴ。
     私の婚約者、ドンキホーテ・ロシナンテに死を齎したあなたたちを殺し合わせること。
     それが当初立てた計画であることは認めるわ」

    ローとドフラミンゴを直接相対させ、
    戦闘に持ち込ませ、どちらかにどちらかを殺させる。
    その後の取るべき行動は決まっている。

    2年前、に浮かんだシナリオは単純で明快だ。
    しかし、そのために慎重に動いた。
    2年かけてローの信頼を勝ち取り、ドフラミンゴの周辺の情報を洗い出し、
    ローと、イレギュラーである麦わらの一味ともにパンクハザードをめちゃくちゃにした。

    その中で、のシナリオも若干の変化を遂げたのだが、
    ドフラミンゴに全てを話す気は、には無い。
    何より、定められた結末が変わる事など無いのだ。

    ドフラミンゴは嘲笑う。
    計略に乗せられたローを笑っているようにも、
    醜悪な計略を張り巡らせることしか術の無かったを笑っているようにも見えた。

    「フッフッフ!やはりそうか・・・ローの奴は間抜けも良いとこだな!
     お前を麦わらの船に置いて来たのは、お前を案じた故だろうに」

    「・・・フフフ」

    が口元に手を当てた。
    笑っている。だがその目は鋭く、冷めきっている。
    全てを嘲笑うような笑みはどうしてかドフラミンゴとよく似通っていた。

    「そろそろこんな煽り合いはやめにしましょう。
     いくら互いに挑発して見ても、頭の芯まで熱くなれはしない。
     ・・・わかるでしょう?」

    の纏う空気が研ぎ澄まされて行くのがわかる。

    ドフラミンゴは背筋を冷たい手の平が這うような感触を覚えて唇を舐めた。
    過去のあどけなさは今や失われて久しいのだろう。
    はその挙動の一つ一つが妙に艶かしい。夢魔として完成しているのだ。

    「まさか、このおれに勝てるつもりで居るのか?白衣の悪魔」
    「いいえ。勝てないでしょうね」

    はあっさりと否定する。

    思わず虚を突かれたドフラミンゴが怪訝そうな顔を見せると、
    はその手を顔に当てた。

    「私のこの弱く、脆い、忌々しい細腕では、出来ることが限られている、
     まともにやりあえば、私なんてすぐに命を落とすでしょう。
     でもね、ドフラミンゴ」

    が顔から手を離す。その瞳は爛々と輝いている。

    「生憎と私、まともじゃないの。
     ・・・ねぇ、気づいていないと思うから教えてあげるけれど
     あなたが13年前殺したのは、あなたの弟だけではないのよ」

    その囁くような声が背筋を粟立てるのは、
    が夢魔という怪物であるが故なのだろうか。

    「あなたは””も殺したわ」

    白いドレスが風に翻る。

    「代わりに、おぞましい化け物を作り上げた・・・」

    は胸に手を当て、高らかに名乗りを上げる。
    今、幕が上がった。

    「私は白衣の悪魔。
     かつてはドンキホーテ・ロシナンテの婚約者。
     今はトラファルガー・ローの右腕。
     そして、ドンキホーテ・ドフラミンゴ、あなたの作り出した怪物。
     あるいは、・・・あなたの死神」

    銃口をドフラミンゴに向けて、
    その笑みも、淑女然として柔らかな口調も全て取り払い、
    ドフラミンゴを睨み据える。

    人ならざる形相ながら、その悪魔はため息が出る程美しい。
    真っ白な悪魔が吠えた。

    「私に出来る一番惨たらしい方法で殺してやる・・・! 
     跪け、ドンキホーテ・ドフラミンゴ!」