挫折
王宮 プールの庭
ひまわり畑でレベッカから海楼石の錠の鍵を受け取り、
晴れて自由を勝ち取ったローは、
ディアマンテの相手を途中で合流したキュロスに任せ、
ルフィとともにドフラミンゴの下へと向かう。
身体に残っていた銃弾をオペオペの能力で取り出すと、
ローは忌々し気に取り出した弾を投げ捨てた。
「わざわざ鉛玉を・・・あの野郎・・・!」
「よし、急ごう、トラ男!」
「ああ・・・!」
先を急ごうと王宮の先に向かうが、一人の子供が立ちはだかった。
子供は王冠を被り、グレープのカゴを抱え、泣きわめいていた。
「うわぁああん!パパぁ、ママぁ・・・!どこに行っちゃったの!?」
「あぁ?」
「ええ?」
困惑するローとルフィを見つけて、子供は近寄って来た。
涙を拭いながら、つっかえつっかえ問いかける。
「お、お兄ちゃん達、パパと、ママ、見なかった・・・!?」
「んん?お前もしかして迷子かァ?」
ルフィが首を捻る。
「相手にするな、麦わら屋。
迷子だなんてありえねェだろ、王宮だぞ、ここは」
ローがルフィを伴い先に行こうとすると、子供が癇癪を起こしたように泣きじゃくる。
「いやああああ、一人にしないでぇええええ!」
ローは眉を顰め、ルフィは困ったような顔をした。
「悪ィんだけど、おれたち急いでんだ!あぶねェからどっかに隠れてろよ!」
「う、ぅう、」
ボロボロと涙を零す子供がよろよろと近づいてくる。
だが、次の瞬間、爆発音がその場に響いた。
「なんだ!?」
「”ベトランチャー”!
あー、もうすばしっこいんねー・・・!
んね〜?いい加減逃げ回っても無駄だって気付けよ〜、モネ〜?」
王宮最上階へ続く階段から降りて来たのはモネだ。
そのモネを、ドンキホーテの最高幹部、トレーボルが追いかけて来ているのだ。
ローが声を上げる。
「モネ!? はどうした!?」
「ロー、麦わら・・・シュガー!?」
モネが子供に気づいてその名前を呼んだ。
子供は大きく目を瞬く。
それを見て、トレーボルが慌てたようなそぶりを見せる。
「しまった!モネをシュガーに会わせちまった!」
子供、シュガーはトレーボルの言葉に眉を顰めた。
「・・・それ、どういう意味?トレーボル」
「んね〜?」
「もしかして、私が姉さんと一緒に、若様を裏切ると思ってる?」
先ほどまで泣きじゃくっていたとは思えない子供らしからぬ口調で
トレーボルを威圧するシュガーを見て、ローはモネに問いかける。
「知り合いか、モネ」
「・・・妹よ。ホビホビの実の能力者。
それだけ言えば、あなたには分かるはず」
ローはなるほど、と頷いた。
「人間をオモチャに変える能力者だな」
「彼女に触れられた瞬間、オモチャに変わるわ。気をつけて」
「ええ?あいつがァ!?子供じゃん!」
ルフィがぱちくりと目を瞬く。
モネはルフィに呆れたような視線を送った。
「言っておくけど、シュガーはあなたより年上よ」
「ウソだろ!?」
モネの言葉にルフィは驚愕を隠せず、まじまじとシュガーを観察していた。
それに構わず、シュガーが目を苛立ちに細め、モネを睨み据える。
「ひさしぶりね、しばらく見ないうちに、随分変わってしまったみたい。
・・・ねぇ、どういうつもりなの、姉さん」
「シュガー、」
シュガーはモネに、冷たい怒りを露にしていた。
「今、この目で見るまで信じられなかったわ。
姉さんが、”白衣の悪魔”とか言う敵に、洗脳されてるだなんて。
若様を裏切るわけないって思ってた。
若様を裏切るくらいなら、死ぬ事を選ぶはずだから」
モネは眉を顰める。
シュガーは姉の躊躇いを見抜き、奥歯を噛んでいた。
「私には分かる。姉さんは洗脳なんかされてない。
・・・そうでしょ?」
モネは目を瞑った。耐えるような仕草だった。
しかし、自分から目を開き、シュガーに目を合わせた。
その瞳は冷静だ。
「・・・ええ、そもそもは、彼女は、
私に、良心の呵責を思い出させただけ」
それを洗脳と呼ぶのなら、そもそものことを否定しなくてはいけなくなるだろう。
ドフラミンゴに手を差し伸べられ、その手を取った事でさえ。
モネはそれを否定したくはないのだ。確かに救われたのだから。
救われた恩に報いたいと今でも思う。
けれど。
「もう私は、若様の命令に従うだけの、人形じゃない」
ずっと見ない振りをしていた。
ドフラミンゴの進む先がどこなのか、薄々知りながら、止めないでいた。
もう目は開いている。
殺して、奪って、焼き尽くした先に、一人佇むその人が見える。
・・・そんな光景を見せたくないと思ってしまった瞬間に、
きっとそのままでは居られなくなったのだ。
シュガーはモネの言葉に、酷く打ちのめされたような顔をする。
それも一瞬の事で、苛立ちを露にしながらもモネに向き直った。
モネはシュガーから目を離さずに、ローへ言う。
「・・・ロー、が若様と戦闘を」
「何だと、一人でか!?」
モネはローの問いかけに頷き、眉を顰め、声を荒げた。
「あなた、ずっと彼女の側に居たんでしょう、どうして気づかなかったの!?」
モネは唇を噛み締めていた。
の言動、行動を思い返し、ある結論に達していたのだ。
モネは絞り出すように言い募った。
「はここで、死ぬ気なんだわ!
昨日、今日出した結論じゃない、
彼女が白衣の悪魔になった日から、ずっと・・・!」
ローは最上階へと繋がる階段に顔を向けた。
まさか、と言う気持ちがあった。
安全策を幾重にも張り巡らし、リスクを嫌うが、命を捨てる気だったと?
だが、どこかで腑に落ちた気もしていた。
確かには、自身をないがしろにする傾向があった。
仲間が無茶をする度に叱りつけ、命を大切にしない奴は嫌いだと言うのに、
いつだって自身が一番無茶をした。
「トラ男」
言葉を失くし、唇を噛んだローを、ルフィが呼んだ。
真剣な面持ちで、ローに問う。
「白いのは、お前の仲間だろ?」
ルフィの声は驚く程静かで、その問いはあまりにシンプルだった。
ローは迷い無く、頷いてみせる。
「ああ、そうだ」
はコラソンの婚約者だったことをずっと黙っていた。
裏切りに等しい仕打ちだった。
それでもはハートの海賊団の船員。ローのクルーだ。
そして、それ以上に、絶対に失いたくない存在になってしまった。
「死なせて、殺されてたまるか・・・!
二度もドフラミンゴに奪われてたまるかよ!」
ルフィはローの答えを聞くと、に、と笑ってみせた。
「なら先行け、トラ男! ここはおれがなんとかする。
心配すんな、すぐ追いつくから!」
「麦わら屋、」
ルフィは指の骨を鳴らし、トレーボルとシュガーに向き直った。
「んねー、んねー・・・、おれがお前らを簡単に行かせると思ってんの?」
「舐められてるのよ、トレーボル。
・・・身内のしでかしたことなら、私が始末をつける。
あんたは麦わらとローをなんとかしなさい」
トレーボルとシュガーが立ちはだかる。
ルフィはモネに声をかけた。
「おい、鳥女、下がってて良いぞ、妹と喧嘩すんの嫌だろ?」
「・・・いえ、そういう訳にはいかないわ。もう逃げるのは止める。
それに、これは私の取るべき、ケジメだから」
「そうか!なら好きにしろ!」
モネも翼をはためかせた。
ローは静かに息を吐き、ルフィだけに聞こえるよう、呟いた。
「麦わら屋」
「ん?」
「・・・恩に着る」
ルフィは無邪気に笑う。
何も考えていない風に見えるけれど、
それでいて、何もかもを分かっているようにも見えた。
「しししっ、着なくていいよ、同盟だもんな!」
ローは小さく笑い、手を掲げた。
慣れた手つきで手の平を返す。
「”ROOM”! ”シャンブルズ”!」
「ぬあ!?ロー、あのガキ・・・!」
「おい、ねばねば、余所見すんな!お前の相手はおれだ!
すぐぶっ飛ばしてやるからな!」
「んなにをォ〜!?」
ルフィの生意気な言葉にトレーボルは苛立ちを隠せないでいる。
「麦わら、姉さん・・・2人ともオモチャにしてあげる・・・!」
「そうはさせない、幾らあなたが相手でも・・・!」
シュガーの言葉に、モネが首を横に振る。
プールの庭で、新たに戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。
※
王宮最上階
ローは戦場へと足を踏み入れていた。
そこでローが目にしたのは、倒れ臥した男、血にまみれた女、
そして血まみれの女の首を掴み持ち上げ、腕を振り上げている長年の仇。
「”ROOM”! ”シャンブルズ”!」
次の瞬間ドフラミンゴが切り刻んだのはソファの残骸だった。
がローの横に現れる。
はまだ生きていた。しかし、その左脚が失われている。
「!」
ローはすぐに駆け寄ろうとするが、の視線一つでその動きは止まる。
今までは決して味方に使おうとしなかった魔眼を、今はいとも容易く使ってみせた。
だが、その効果は決して強いものではない。
ローは唸るようにに問う。
「、お前・・・! 聞きたいことが山ほどあるぞ!
ドフラミンゴの言っていたことは本当なのか!?」
「・・・何の、ことかしら」
は膝をついたまま軽く咳き込み、億劫そうにローを見つめる。
「とぼけるんじゃねェ!お前は、コラさんの、」
の息は荒い。全身で息をしている。
まともな止血も出来ず、
白かったのだろうドレスは、いまや血と泥で赤黒く染まっていた。
しかしそんな凄惨な身なりでも、の瞳は輝きを取り戻していた。
その瞳が、より強く光を帯びる。
「トラファルガー・D・ワーテル・ロー」
「!?」
ドフラミンゴがの口にした名前に息を飲む。
ローは奥歯を噛んでいた。
Dの隠し名。それを知っているのは、かつての家族と、
ベビー5、バッファロー、そして、コラソンだけだ。
は無理矢理に笑う。
甘ったるく、それでいて悪意を内包した声はもう、"ロー船長"とは呼ばなかった。
「最初から言っていたでしょう。
私の婚約者はドフラミンゴに殺された。
・・・あなたのせいよ」
は淡々と、ただ無機質に言う。
魔眼の効果を持続させるために、青白い光を瞳に纏わせて、
ローを見ていた。
「あなたのせいでロシナンテさんは死んだ」
ローの心臓が大きく鼓動する。
ザァッと血の気が引いたのが分かった。
呆然とするローに、ドフラミンゴが心底愉快そうに笑う。
その足には深い傷があった。
の魔眼の支配を退けた、その傷だ。
「フッフッフッ!!!
ロー、お前はまんまと騙されてたらしいなァ、無理もねェ。
この女は骨の髄からの魔性だ」
「・・・その魔性に誘惑されたのは誰だったかしら。
あと3分もすれば天国を見せてあげたのに、残念ね」
眉を顰めて嘲笑いながら悪態をつくに、
ドフラミンゴは忌々しそうに口元を拭った。
「腹をぶち抜かれ、足を失ってもまだ足りねえのか、欲張りな女だ・・・」
「欲張り?・・・この私が?」
はくつくつと喉の奥を鳴らして笑った。
血を吐きながら、地面に爪を立てる。
「私が欲しかったのは、いつだってささやかな幸福だったわ」
が首もとのネックレスを握りしめた。
金色のリングが二つ、揺れている。
「・・・両親と慎ましやかに暮らすこと」
の脳裏に浮かぶのは美しく聡明だった母と、
醜く変貌したその亡骸。
生きている間はろくに心を通わせることなく、
その真意を死んだ後でしか知ることの出来なかった父の背中。
「・・・愛する人と、家族になること」
幸せそうなロシナンテの微笑みと、安らかな死に顔。
は大きく息を吐く。
「・・・だれも殺さないで、生きること」
ドフラミンゴをは睨みつけた。
手負いの獣のような形相だった。
「あの人は、私にそれが出来ると言ったわ。
自分の命を差し出して、手を差し伸べてくれた。夢を、見せてくれた。
・・・返しなさいよ」
は奥歯を噛み締める。
その頬を一つ、二つ、大粒の涙が伝う。
「私のロシナンテさんを返して!」
それは取り繕うことを止めた、の本心の叫びだったのだろう。
ローは眉を顰め、歯を食いしばる。
ドフラミンゴですら、一瞬その唇を引き結んだ。
「・・・ただの感情論だ。
そもそもコラソンの見せた夢とやらも、何の根拠もなけりゃアテもない
その場しのぎだ。全くもってあいつらしいじゃねえか。
なぁ、ロー・・・」
ドフラミンゴが嘲笑い、ローは黙ってドフラミンゴを睨む。
大げさに肩を竦め、ドフラミンゴは続けて言った。
「フフフ、結局お前はあいつのせいでつまらない復讐に身を窶した!
その才気があればお前はどこの国だって傾けることが出来たろう?
何不自由無く暮らすことも!何もかもを支配出来た・・・、
もったいねェなァ、おれならお前を上手く使えただろうに」
がそれを受けて、
フラフラと片足で立ち上がり、地面を踏みしめる。
虚勢でも、その唇に、笑みを貼付けてみせた。
「あなたには無理よ。だって私は」
がぐっと涙を拭う。
眼を閉じる。眼を開ける。
「あの頃が・・・世界で一番、幸せだった」
混じりけの無い、幸福な声色にローが息を飲んだ。
「・・・それで?復讐が済めばその幸福とやらが戻ってくるのか?馬鹿馬鹿しい!」
ドフラミンゴはなおも挑発する。
「失ったものは二度と戻りはしない。そんなの、分かってる。
でも不思議ね、今は復讐することだけが」
が無理矢理に六式を使い、ドフラミンゴの面前に現れる。
空中でドレスを翻すは、距離を取ろうとするドフラミンゴの、その頬に手をかけた。
至近距離、まるで恋人に触れるような甘やかな手つきで、その肌をなぞる。
「私に生きている実感を与えてくれる」
「ッ!」
おぞましい瞳の煌めきに、ドフラミンゴが短く舌打ちして再び糸を張り巡らせる。
一瞬での手は吊られ、空中に浮かされていた。
「!!!」
ローが叫んだ。
は磔になった罪人のような有様だった。
だがドフラミンゴの様子も普通ではない。
宙吊りにしたに目を奪われているように、その場を動かない。
よく見れば指は震え、その表情に笑みはなく、激怒しているようだった。
動かない2人、膠着した戦場、ローは好機だと直感した。
がドフラミンゴを抑えてる間に、攻撃するのがベストだ。
ここで討ち取らなければ、二度とこんなチャンスは無いだろう。
だが、それにはが邪魔だった。
鬼哭の柄に触れるのもためらいが滲む。
その逡巡を見透かしたらしいが吼えた。
「何してる・・・!?早く斬れ!」
「!?」
「テメェ・・・」
ドフラミンゴが低く唸る。
糸が軋んで血が滴っているのも、構わないと言わんばかりには叫び続けている。
「少なくともドフラミンゴ、あなたが死ねば、ここで終わる・・・!この国の支配も!」
それがの望みなのだ。
「ロー!早く!」
か細い光だった瞳の輝きが、また炎のように煌めきはじめている。
命を燃やし、ドフラミンゴを抑えているのだ。
迸るように伝う血と覇気に、ローは鬼哭を握り締める。
「迷うな!何のための13年だった?!何のために生きてきた?!思い出せ!」
は知っているのだ。
ローがいつかの船で打ち明けた内心が真実であったことを。
「私を殺せ!トラファルガー・ロー!
そうじゃなきゃ、どんな手を使ってでも、私がお前を殺してやる!」
結論は思いの外すぐに出る。
はいつでも言っていたではないか。
その心臓に、嘘を吐くことなど出来はしないと。
「"ROOM”!!!」
※
が瞬く。
糸の拘束から逃れ、身体が空中に投げ出される、
まるで一瞬が数時間のようにゆっくりと流れた。
前に現れた背中に、コラソンの文字が見える。
「なぜ」
呆然とした声の主が自分自身と気づくのに、時間はさほどかからない。
「おれに、命令、するんじゃねェよ」
ローの声が聞こえた瞬間、の目が一度大きく見開かれ、涙で滲んだ。
「・・・バカ」
の身体が地面に叩きつけられた時だった。
暗雲立ちこめる空の中に、血飛沫が飛んだ。
の目の前で。