悪夢に苛まれた王様の話
でんでん虫の受話器を置いたに、フランキーが声をかけた。
「どうした? 揉めてたようだったが・・・」
「うん。ちょっとロシー兄さんと見解の相違がね、あったものだから」
は疲れたように息を吐いた。
「いえ・・・覚悟はしていたけれど実際こうして現状を見て回ると、
気づかされることも多くて、有り体に言うと・・・へこむわ」
ズーン、と影を背負ったに、フランキーが眉を上げた。
ここまでが落ち込むのは珍しい。
「おいおい、しっかりしてくれよ?」
「ええ、もちろん。言い出したのは私だしね!」
フランキーの言葉には大きくかぶりを振り、
気合いを入れ直すかのようにパシパシと自分の頰を叩くと改めてフランキーに向き直る。
「フランキー、ブルック達とは連絡取れた?」
フランキーは頷いた。
「ああ、サニー号では案の定トラブルがあったらしいが、そっちは撃退できたらしい。
錦えもんは侍の居場所を探してる。・・・ただ、サンジの奴が出ねェんだよ」
はそれを聞いて顎に手を当てて、考えるそぶりを見せる。
「確か・・・でんでん虫を持っていたのは、
サニー号を除くとサンジと、ロー先生と、ロビン、錦えもん、フランキー、よね」
そして、何かに思い当たったように頷いた。
「ちょっと上から見てみるわ。ええと・・・」
「・・・何を?」
不思議そうに首をかしげるオモチャの兵隊の視線も気にせず、
は片手に持っていたトランクを広げる。
取り出したのは望遠鏡とメガネだ。
「これでよし!」
「ああ! その手があったか!」
フランキーはの思いつきに合点がいったと手を叩いた。
はフランキーとオモチャの兵隊ににこやかに微笑みかけ軽く手を振る。
「ではちょっと見てくるわね! すぐ戻るわ」
は瞼を閉じ、呟いた。
「”透明化”」
「!?」
オモチャの兵隊が息を飲む。
の体はまるで空気に溶けるように、消えていったのだ。
※
は透明に姿を変えたまま、
勢いをつけてドレスローザの上空へと舞い上がる。
ある程度の高さのところまで来ると、
メガネをかけ、望遠鏡を構えてドレスローザを伺った。
「まぁ!? ゾロったらあんなところに!」
が最初に見つけたのはゾロだった。
偶然にも花畑の方向に向けて走っている様子だ。
刀もいつのまにか取り返したらしい。腰にはきちんと3本の刀が収まっていた。
「サンジは・・・一緒には居ないのね。
・・・ええ?! なんで小人族と一緒にいるの!? どう言う成り行きなのかしら!?」
そしてよくよく見れば肩に小人を乗せているのでは思わず驚きの声をあげた。
サンジとは逸れたのか、それとも一緒にいるのが嫌になったのかは知らないが、
小人を新しく道案内に据えたようだ。
「いろいろとツッコミどころが多いけど・・・。
まあ、いいかしらゾロのことは。偶然だけどすぐに合流できそうだし」
小人と敵対している様子もなかったし、フランキーのいる場所からもそう遠くない。
ひとまず度を超えた方向音痴のゾロの心配はしなくて良さそうだと、
はホッと胸をなでおろした。
「あとは、サンジね、・・・、・・・!?」
が港町、アカシアを中心に望遠鏡を構えると、
ドンキホーテ・ファミリーの人間が貨物の積まれた場所に集まっているのが見えた。
そして、その中心には椅子に腰掛けた女と、血を流す男が何か言葉を交わしている。
女が立ち上がって男に近寄った。女の靴跡が、血に濡れて赤い。
「嘘でしょ、サンジ!!!」
はすぐにフランキーとオモチャの兵隊の元へと戻った。
透明化を解いたに、フランキーが駆け寄る。
「どうだった!?」
「ゾロは無事よ! すぐ近くにいるわ。でもサンジは今攻撃されてる!」
「!?」
驚いたフランキーに、は言葉を続ける。
「相手は女性だった・・・!
私が助けに行くから、フランキーは兵隊さんと先に進んで!
サンジを助けて、また後で連絡するわ!」
「わかった!!! 気をつけろよ!」
頷いたはまたすぐに姿を消した。
唖然と成り行きを見守っていたオモチャの兵隊はハッと我に帰ると
フランキーを問いただす。
「おい、フランキーとやら!? 今、は透明にならなかったか!?
というか、よくよく見れば、彼女・・・」
オモチャの兵隊は呆然と呟く。
「足がなかったぞ・・・!?」
「ああ、幽霊だからな」
フランキーの言葉に「何が何だかわからない」
と言う挙動を見せるオモチャの兵隊を抱えて、フランキーは花畑へと向かった。
「あいつは悪魔の実の能力者だ。心配はいらねェよ。
あれでなかなかやるんだぜ?」
※
今朝のことである。
ドフラミンゴはスートの間に幹部を集めた。
幹部の殆どは麦わらの一味とトラファルガー・ローに関することで
呼び出されたのだろうと分かっていた。
ヴィオラに至っては自身に課せられる役割にも検討がついている。
ドフラミンゴは麦わらとローになんらかの取引を持ちかけられ、
その上珍しく後手に回り、飲まざるを得ない条件を突きつけられたのだと言う。
その結果、ドフラミンゴが七武海を辞めると口にしたのを、ヴィオラは確かにその耳で聞いた。
正直に言うのならヴィオラはその時、どう言う態度をとればいいのかわからなかった。
ドレスローザがドンキホーテ・ファミリーの支配から
解放されるかもしれないと言う期待は確かにあった。
だが、ヴィオラは知っている。
ドフラミンゴは狡猾な男だ。
そして、手にしたものを逃さない男でもある。
ヴィオラのその予感は正しかった。
幹部たちを前に、ドフラミンゴはこう説明したのだ。
「つまり、昨日までの一連のことは・・・これは”嘘”なんだ」
「ベヘヘ、七武海は辞めねェってことか?」
「その通り」
トレーボルの疑問を、ドフラミンゴはあっさりと肯定した。
「大掛かりなマジックショーのタネほど案外単純なものだ。
新聞に嘘の記事を書かせ、後で誤報だったと伝える。それで全部うまくいくだろう。
少しばかり国民どもがうるせェだろうが、説明させりゃあ黙るはずだ。
それまでの雑音は堪えてくれ」
そう言ったかと思うと、ドフラミンゴは幹部に紙を配り始めた。
古い写真を引き伸ばしたような荒いものだったが、なんとか顔は確認できる。
女が横にいる誰かに微笑みながら話しかけているような、そんな写真だった。
手配書の形式をとって渡されたそれに、幹部連中のうち、何人かの顔色が変わった。
トレーボル、ピーカ、ディアマンテ、・・・そしてヴィオラも。
「そいつがおれを七武海から引きずり降ろそうとした計画の首謀者だ。
名前は・・・詳細は知らねェが悪魔の実の能力者で、麦わらの一味だそうだ」
「ドフィ・・・こいつは・・・」
ディアマンテは眉を顰めてドフラミンゴに目を向ける。
ドフラミンゴは愉快そうに口角を上げた。
「フフフフフッ! そう幽霊を見たような顔をするなよディアマンテ。
だが気持ちはわかるぜ・・・おれも死んだと思っていた」
ドフラミンゴの声は暗く、沈んでいく。
「もうすでに昨日同じ命令を伝えた奴もいるが・・・、
見つけたら生かして捕らえろ。
・・・他の連中は煮るなり焼くなり好きにしな」
緊張感の満ちたスートの間で、ピーカが重い口を開いた。
「・・・ローとロシナンテはどうする?」
「殺していい」
ドフラミンゴはあっさりと命令する。
ベビー5とバッファローの面持ちに一瞬影が走って、それからすぐに元に戻った。
話はそれだけだと、ドフラミンゴはスートの間を出ていき、他の幹部たちも皆去っていったが、
ヴィオラは最後までスートの間で手配書の女を眺めていた。
「あなた、って言うのね」
ヴィオラは名前は知らずともその女を、を知っていたのだ。
※
ドフラミンゴは夢見の悪い男だった。
ヴィオラはギロギロの実の能力でその夢を何度か覗き見たことがある。
最初は弱みを握ってやろうと始めたものだったが、
それを後悔するほどに、どれもひどいものだった。
火あぶりにされている夢。石を投げつけられる夢。
野良犬の血を啜る夢。泥を食わされる夢。
氷の浮いた川に溺れる夢。気絶するまで殴られる夢。
それが体験した記憶なのか、それともドフラミンゴの作り上げた幻なのかは
ヴィオラには判別がつかなかったが、見ているとヴィオラ自身も消耗が激しいほどに、
それらの夢は恐ろしく、また辛かった。
だから悪夢に魘されるドフラミンゴを、ヴィオラは起こすようになった。
そうすると起こされたドフラミンゴは黙ってヴィオラを一瞥し、そして再び床につくのだ。
不思議と悪夢を連続して見ることは少ないようで、
ただの悪夢から起こす分には咎められることはなかった。
だが、数多くの夢を覗き見るうちに、ヴィオラはあることに気がついた。
ドフラミンゴが魘される夢の中に一つ、悪夢らしくない悪夢がある。
その中に、が居たのだ。
だいたい、小さな美術館のような部屋からその夢は始まった。
美術品と本に囲まれた贅沢な部屋の真ん中、は寝台から半身を起こし、読書をしている。
ドフラミンゴはいつもその部屋で立ち尽くしていた。
ずっとそうしていると、が顔を上げてドフラミンゴに視線を向けるのだ。
ドフラミンゴと目が合うと、はかけていたメガネを外して、にこやかに微笑んでみせる。
ドフラミンゴはそれに何も答えない。
いつも浮かべている貼り付けたような笑みもなく、いつものように煙に巻くように話すこともなく、
ただ黙ってを見ていた。
は不思議そうに首を傾げて、やがて読書に戻り始める。
それだけの夢。
この夢を見た後のドフラミンゴは恐ろしく機嫌が悪かった。
コロシアムで開かれる興行ではより残酷な演目を披露し、深く酒を飲み、誰かを甚振ることを楽しんだ。
一番最悪だったのは、が田舎風の屋敷に居る夢を見たときだ。
その夢では大きな屋敷の中庭で、
がドフラミンゴに背格好がよく似ている男と
木でできたテーブルに料理を並べていた。
ドフラミンゴは2人を黙って眺めていた。
2人はドフラミンゴに気がついたのか笑顔で手を振ってみせる。
「こちらに来い」とでも言っているようだった。しかし、ドフラミンゴは動かない。
立ち尽くすドフラミンゴの膝下をどこかで見たことがあるような少女が駆けていき、
男から食器を半ば奪い取るようにしてテーブルセッティングを始める。
それから、ヴィオラが知るよりも若いドンキホーテ・ファミリーの面々が
徐々に食卓に集まり始めるのだ。
その夢ではドフラミンゴだけが現在と変わらない姿で、
どうしても食卓に座ることができなかった。
この夢を見たドフラミンゴは城にあった部屋を一つダメにしてしまった。
コロシアムでは血の雨が降り、酒は樽ひとつが開けられた。拘留されていた犯罪者が何人も死んだ。
だが、止めることはできなかった。
の登場する夢を見ているドフラミンゴを起こすことを、
ヴィオラには許されなかったからだ。
一度起こした時にヴィオラは首を掴み上げられたのでよく覚えている。
確かにドフラミンゴは凶暴な男ではあったが、
女であるヴィオラに直接的な暴力の矛先を向けたのはその時だけだった。
が既に亡くなっていることや、
ドフラミンゴにとって特別な女性であることは想像がついていた。
そして、その悪夢らしくない悪夢がドフラミンゴにとっては唯一、
その人と出会うことのできる機会であり、
またそれ故に、ドフラミンゴにとっては何にも勝る悪夢なのだと言うことも。
※
ヴィオラは血塗れで横たわる男を見下ろしていた。
麦わらの一味、サンジはろくに抵抗することもなく、ヴィオラに騙され、攻撃を受けたのだ。
簡単にサンジは騙されてくれた。
ヴィオラは恋を拗らせトラブルを抱えた、惚れっぽい女を演じ、
助けに応じたサンジにしなだれ掛かれば良かったのだから。
女に弱いという話は聞いていたが、ヴィオラが態度を変えてからもサンジの行動は変わらなかった。
ここまで無抵抗を貫かれると拍子抜けするほどである。
血塗れのサンジは何度か咳き込むと、ヴィオラを見上げて、呟く。
「・・・君はウソをついてる。ヴァイオレットちゃん、」
「何夢見てんだ? さっきのは全部演技だぜ!?」
この期に及んでヴィオラを信じ続けているサンジに、部下たちが野次を飛ばした。
サンジはヴィオラをよく知りもしない。
”ヴァイオレット”と言う名前すら偽ったものだ。
だがサンジはなおもヴィオラを熱っぽい瞳で見つめている。
「演技・・・? そうかもな・・・。
本当は美しい心を持っているのに、悪い奴らに唆されて、
君は居たくもない場所に居る・・・」
「こんな目に遭って何を言うの?・・・いつまで恋愛気分でいるのよ!」
ヴィオラがサンジの顔を蹴り上げたのは、
サンジの言葉がどこか的を射ており、その上やけに胸に刺さるからかもしれなかった。
ヴィオラはサンジの肩を踏みつけ、目を伏せる。
「適当なウソで私を丸め込めるとでも思っているの?
私は全てを見透かす女・・・見せてもらうわよ、頭の中を」
ヴィオラは指を丸め、サンジの心を覗こうと目を凝らしながら、問いかけた。
「トラファルガー・ローと麦わらはなぜ手を組んだの?
グリーンビットとは別にこのドレスローザでの目的は何?
どんな作戦で、何を企んでいるの?・・・」
ヴィオラの脳裏に”悪夢”の記憶がよぎる。
ドフラミンゴの悪夢の主役。
おそらくはドフラミンゴの特別な女性だと言うのに、
ドフラミンゴ失脚を狙う首謀者。
任務とは別に、ヴィオラ自身も知りたかった。
「””の、目的は何?」
””は何を思って、この国を訪れたのかを。
「ちょっと!」
その瞬間、サンジとヴィオラとの間に、女が突然現れた。
ヴィオラは目を丸くする。
手配書と全く同じ顔。しかし、その女の体は透けている。
幽霊がそこに居たのだ。
「『サンジから離れなさい!!!』」
の言葉に、部下たちが潮が引くようにその場から遠ざかった。
「お嬢さん・・・!?」
「ええ、正解! 焦ったわよ。上から見たらあなたやられちゃってるんだもの!」
「・・・面目ねェ」
頰を膨らませてぷりぷりとサンジを叱るの脳裏を覗き、
ヴィオラはとっさに耳を塞いだ。
「ゆ、幽霊!?」
「この女、手配書の女じゃねェか!?」
は微笑み、ゆっくりと部下たちのそばを歩く。
「『彼は死んだわ 我が姫よ 彼の行くのは黄泉の国』」
地面から幻の花が咲き、枯れていった。
「『額に芝土 かかとに墓石
高嶺の雪が身を覆い 花と共に棺には 涙の雨が降り注ぐ』」
の声に、部下たちはパタリ、パタリと次々と倒れていく。
「『棺を運び 皆眠れ おやすみなさい
・・・”オフィーリア”!』」
が歌い終わる頃には皆気絶してしまった。
一人を除いて。
「これを見なさい!」
その声にが振り返ると、
フラつきながらもヴィオラがサンジの喉元にナイフを突きつけていた。
「!」
は息を飲み、その表情を強張らせる。
ヴィオラは口元になんとか笑みを浮かべ、に告げた。
「・・・ドフラミンゴはあなたを血眼で探しているわよ。
生かして連れてこいとファミリーに厳命してる」
サンジにナイフを突きつけたまま、ヴィオラはを伺った。
は目を丸くすると、自分の手のひらを掲げて小さく笑って見せる。
「・・・ウフフフッ、私はどうしたって生きているようには見えないのに
どうやって”生かして”連れて来させるのかしら?」
ヴィオラは眉を顰めた。
まだには余裕のようなものがあるようだった。
「余計な冗談は結構よ。・・・あなた、何者なの?
ドフラミンゴとは、どういう関係?」
「・・・」
ヴィオラの疑問には目を伏せ、
一拍の間を置いた後、静かに告げる。
「私はドンキホーテ・」
ヴィオラの目が大きく見開かれた。
は、少し困ったように微笑む。
「ドフラミンゴの、妹です」