恋を捨てたお姫様、傲慢な王様と怒れる幽霊


「妹・・・?!」

妹だと明かしたに、ヴィオラは驚きと、納得の両方を覚えていた。
なるほど、幹部以上の”ファミリー”に別格の扱いをするドフラミンゴのことだ。
それが血の繋がった本物の家族であるなら、どのような扱いをするのかは容易く想像ができる。

ヴィオラは続けざまに質問をぶつける。

「何をしにこの国に来たの? あなたの、目的は・・・、」

ヴィオラがの瞳を覗き込むと、は静かにヴィオラの目を見返した。
緋色の瞳は凪いでいる。ヴィオラを見下ろす視線は、冷たくもないが温くもない。

その眼差しに既視感を覚えながら、何と似通っているのかを掴むより先に
ヴィオラはの記憶の奔流を覗き込んでいた。

の記憶は他の誰の記憶よりも鮮明で、膨大だ。
圧倒されるヴィオラの視界、ある風景に焦点が合った。

”ドフラミンゴの夢”に見た、小さな美術館のような部屋。

「・・・え?」

そこに居たのは、ヴィオラが知るよりもずっと若い頃のドフラミンゴだった。
寝台の横の椅子に腰掛け、手ずからペティナイフで林檎の皮を剥いている。
寝台の上、半身を起こしたがドフラミンゴに微笑んでいた。

場面が変わる。

ドフラミンゴが小さな箱と絵画を見舞いに持って来ていた。
絵画を壁にかけ、ドフラミンゴはに絵の由来を語る。
は頷き、同じ作家の画集を本棚から引っ張り出して、ドフラミンゴに見せながら、
楽しそうに話しかけていた。

ドフラミンゴは絵の中の貴婦人が首にかけている、
大きな宝石のついた首飾りと同じものをにかけてやり、
満足気に頷いてを褒めている。
は少々呆れた様子ながらも、ドフラミンゴに礼を言い、その頰に唇を寄せた。

場面が変わる。

ドフラミンゴとはチェスをしている。
何か不服そうながドフラミンゴに文句を言っているが、
ドフラミンゴは面白そうに笑うばかりでに次の一手を促している。

腕を組んで悩みながら盤上を見つめるを、
頬杖をついて眺めるドフラミンゴの、サングラス越しに透ける眼差しときたら、
あまりに優しく、穏やかだった。

場面が変わる、変わる、変わるーー。

まるで万華鏡のように、記憶の舞台が移り変わり、色鮮やかな記憶が再生される。
あまりに幸福で、作り事のようなエピソード。
知っているはずなのに知らないドフラミンゴの顔。

そして、ヴィオラが最後に見たものは、記憶ではなく、の決意めいたイメージだった。
血まみれの。その手に抱えているのは、ドフラミンゴの首。

小さく悲鳴をあげて、ヴィオラの手からナイフがこぼれた。

サンジとはヴィオラを見て、瞬いている。
記憶は瞬きほどの時間で、ヴィオラに注ぎ込まれたのだ。
ヴィオラは口元を手のひらで覆い、その場にへたり込んだ。

感情が目の奥から滴り落ちる。
ヴィオラの唇から溢れたのは悲鳴じみた言葉だった。

「どうして・・・!?」

それはに向けられたものでもあり、ヴィオラ自身に向けられたものでもあった。

 どうして、あれ程幸福な時間を過ごしながら、それを自ら捨てるような真似をするのか。
 どうして、確かに愛しているはずの兄を殺す選択肢を選べるのか。
 どうしてーー。

泣き崩れたヴィオラの肩を、サンジが戸惑いながらも気遣うように支えた。

「大丈夫か? ヴァイオレットちゃん・・・?」

嗚咽するヴィオラを見て、何を悟ったのかは息を飲み、やがて静かに目を伏せた。

「・・・どうしても」

硬く目を瞑った後、はサンジに目を向けた。

「サンジ、彼女をお願い」
「え?」

怪訝そうな顔をするに、は目を伏せた。

「私がここに居ても、彼女を傷つけるだけだわ。
 ーーたった一人、戦い続けた彼女に、私は負担をかけたくない」
「!」

ヴィオラが弾かれるように顔を上げる。
は悲しそうに微笑んだ。

「兄、・・・ロシナンテから話は聞いています。
 ごめんなさい、・・・さようなら」

立ち去ろうとしているとすぐにわかった。
ヴィオラは思わず声を上げる。

「・・・待って!」

は背を向けたまま、足を止める。
ヴィオラは涙をぬぐい、サンジの拘束を解いた。

「ヴィオレットちゃん・・・」
「・・・敵の私を信じて気遣うなんて、本当にダメな男ね、あなたは、」

呆然とヴィオラを見つめるサンジに、ヴィオラは微笑んだ。

「さっきはありがとう・・・嬉しかった、」

無理矢理に笑みを浮かべるヴィオラにサンジは苦しげに眉を顰める。
そして、励ますようにヴィオラの手をとったのだ。

「事情は知らねェ・・・!
 だが不本意でドフラミンゴの部下になっているんだろう!?
 おれたちなら助けてやれる! そうだろう!? お嬢さん!」

「ええ・・・あなたが望むなら、私達はいくらでも力になるわ」

振り向いたの言葉に、ヴィオラは首を横に振る。
そして、にゆっくりと近寄った。

「・・・私たちはあなた達の現在の行動を全て把握している。
 この島に人質を連れてきた瞬間から・・・あなた達は彼の”罠”に嵌っているの」

ヴィオラの言葉に、は目を眇める。
その仕草を見て、ヴィオラは小さく笑みを零した。

「私の頭の中を覗いて、
 今朝の、ドレスローザの記憶よ」

ヴィオラがと額を合わせた。
瞬間、の脳裏にヴィオラの記憶が流れ込んでくる。

ドレスローザ王宮に、国民が押しかけてくるのを鬱陶しそうに眺めるドフラミンゴ。
政府の艦隊がドレスローザの港に訪れる光景。
船から降りたった”世界貴族”直属の役人達が、ドレスローザの国民に淡々と告げる。

『世界に報じられたドフラミンゴ”王位”及び”七武海”権威放棄の件。
 あれはミスだ。誤報である』

の目が大きく見開かれた。

『なおこの一件は本日午後3時の号外により、世界に知らされる手はず。
 それまでは他言無用!! 一切の口外を禁ず。
 国民全員何もなかったように、平静に暮らすべし』

はヴィオラから見せられた記憶に、俯き、沈黙した。
唇を噛み、拳を握る様からは確かに失望と怒りが滲んでいる。

お嬢さん、一体・・・?」

「ドフラミンゴは七武海を辞めていなかったようだわ。
 ウフフ、薄々そうかもしれないとは思っていたけれど。
 案の定・・・フフッ、フフフフフッ!」

はくつくつと喉を震わせるように笑い、
顔を上げると、懐から懐中時計を取り出した。
15時まで、もうさほどの時間はない。

「サンジ、彼女を守ってあげて。私はこれからグリーンビットへ。
 ・・・みんなにも連絡をお願いしてもいいかしら」

「それは、構わないけど、」
「頼んだわよ」

言葉少なく頼み込んでから、はまるで空気に溶けるが如く、
その場から姿を消したのである。



ローは人質を残し、ロビンとウソップ、ロシナンテをグリーンビットの森へと配した。
ロビンとウソップはそれぞれ諜報と狙撃のスペシャリスト。ロシナンテは両方を得意としている。

誰が潜んでいるかもわからない場所だ。
彼らこそが援護にはうってつけの人材だった。

ロビンらを森に潜ませて10分、人質を引き渡すまであと5分というところで、
グリーンビット南東のビーチにが姿を現した。

、工場は見つかったか?」
「・・・少なくとも、上空からはそれとわかる建物はなかったわ、」

現れたの顔にはいつもの笑みがない。
その挙動にローは眉を顰めた。

「ロー先生、隙があるならドフラミンゴの心臓を抜いてしまって構わないから」
「!」

の言葉に、人質の3人とローは驚嘆していた。
真っ先にの意図を汲み取ったのは、ローである。

「なら、やはり」
「ええ、交渉はすでに決裂している。ドフラミンゴは七武海を辞めてはいなかったの」

ローは顔を顰めた。
ドフラミンゴが七武海を辞めていない、という理屈もわからないが
それよりもの顔もその声色も不自然なまでに冷静そのものだったことの方が、
妙にローの胸をざわつかせていたのだ。

「その話は本当?! ?」
「ニコ屋!」
「ロビン」

上半身を地面から生やし、ロビンがに問いかける。
は頷いた。

「ニコ屋、コラさんと鼻屋とお前は援護に努めて、隙を見てドレスローザ本島まで戻れ」

ローの指示にロビンは首を横に振った。

「それが、私たち今地下にいるの!」
「地下・・・?!」

は顎に手を這わせ、考えるそぶりを見せる。

「ちょっとトラブルに巻き込まれて・・・小人達と一緒よ。みんな無事。
 補助はできないけど、脱出するなら先に行って。
 私たち、それなりに臨機応変に動けるから」

ロビンの言葉を聞いて、ローは頷いた。

「わかった。気をつけろ」

・・・無茶はしちゃ、ダメよ」
「ええ、あなた達も」

ぎこちないながらも笑みを浮かべた
ロビンは安心したように微笑んで、ふわりとその姿を消した。
懐中時計を見て15時まで3分を切っていることに気づき、は深いため息をつく。

「ロー先生、3人の心臓を地面に置いてもらっても?」
「・・・、お前、」
「お願い」

ローは薄々が何をするのかは分かっていたが、に念を押され、
断りきれず3人の心臓を地面に並べ、置いた。

は沈鬱な表情で、成り行きを見守っていた3人を振り返る。

「ヴェルゴ、モネ、シーザー」

一人一人に目を合わせ、その名前を呼んだ。
3人はの眼差しから今から起きることを悟る。

「”ここ”にドフラミンゴが来るのなら、理由なんてなんでも良かったのよ」

シーザーが青ざめ、震えだした。

「・・・お前、バカな真似はよせ・・・! やめろ・・・!」

だが、その嘆願には首を横に振る。
悲しげな表情だった。
ひどく打ちのめされているような、それでいて頑なな顔だった。

「私はね、人を嬲ったり、痛めつけたりするような、
 血を見て喜ぶような野蛮な趣味は持ち合わせていないけれど、
 交渉の役に立たない人質を抱えておくほど、お人好しではないの」

がレイピアを抜いた。刃は銀色の光を放っている。

「そんなことをしたらお前、殺されるぞ!」

「まぁ・・・! 幽霊である私の”命”を心配をしてくださるの? ありがとう。
 でもそれよりは、死後の道行の為にお祈りをした方がいいわ。
 ・・・きっと気休めになるでしょう」

柔和な口調と穏やかな面差しに、全く取りつく島がない。
シーザーはいよいよ恐怖に駆られての持つ剣から目が離せなくなっていた。
シーザーにはその剣がやけに鋭く、尖って見えた。

その剣を持つの顔にも、あるいは声にすら哀れむような色があった。
しかしはどこまでも残酷な言葉を吐き捨てる。

「恨むなら、ドフラミンゴにとって人質の価値すらない自分自身を恨みなさい」

誰かが息を飲んだ。
は剣に指を這わせ、そして振り上げる。

「さようなら」

3人は衝撃に備え、固く目を瞑る。
ローが何かに気づいて声を荒げた。

! 下がれ!!!」

剣が振り下ろされることはなかった。

の振り上げた剣は心臓の真上で止まっている。
はすぐに覇気を解いた。

剣を縛り付けていた糸がその場に散り、ローが心臓を確保するより先に、
生き物のように動いた糸が心臓に巻きつき、誰かの手の中に収まっていった。

「フフフフフッ! おいおい、そりゃあねェだろう!」

は実体化を解いても剣を掴んだまま、
右手を見下ろした後、現れたドフラミンゴを一瞥した。



ドフラミンゴは3つ、心臓をその手で弄びながらを見ている。
その顔には常の通り貼り付けたような笑みが浮かんでいたが、こめかみには汗が滲んでいた。

ドフラミンゴは13年前と姿の変わらない、幽霊になったを前に、
様々な感情を覚えていたが、それに浸る余裕はなかった。

の剣には、迷いなど微塵もなかったからだ。
ドフラミンゴが間一髪で止めなければ、人質は3人とも死んでいただろう。

「一体どういう了見だ!? えぇ!?
 せっかくおれァ、七武海を辞めたっていうのに、」

「『首を刎ねろ』」

その恐ろしく静かな声を聞いた瞬間、
空気が重く沈んだようだった。

「『”ハートの女王”』」

なんの前触れもなく、
突如として広がった黒い霧がドフラミンゴの首を薙いで、凝結したように見えた。

ドフラミンゴの視界がズレて、やがて落下する。
その首が砂浜に転がった。

「――!」

「若様!?」
「ドフィ!!!」

何が起きたかを、ドフラミンゴはすぐには理解できなかった。
モネとヴェルゴが声を荒げる。

思わずたたらを踏んだドフラミンゴの手の上、心臓が3つ、石ころと入れ替わった。

分かたれたはずの体の感覚を覚えた瞬間、
首を切り落とされた視界は、常と変わらないものに戻っていた。

我に返り、ドフラミンゴは首に手を這わせる。
まるで繋がっていることを確認するように。

はローが人質の心臓を取り戻したと見ると、深く息を吐いた。

何もかもが幻影だった。
ヴェルゴとローは信じられないものを見るような目でを見ている。

お前、今のは流石に・・・」

「ウフフフッ! 卑怯かしら? 海賊に手段を選べとでも言うの?
 面白いわ、ロー先生。笑っちゃう」

明るい声色だったが、有無を言わせない気迫に、ローは口を噤む。
は口角を上げ、ドフラミンゴに向き直った。
しかしその目は冴え冴えと凍っている。
 
「お忘れのようだから一言。
 『妹一人騙し通せない悪人は、大成しない』ですよ、”お兄様”
 それに、・・・自分に置き換えて考えてみればわかるでしょう?」

まるで出来の悪い生徒を教える教師のような口調だった。

「初めから交渉の席に着かない人と、交わす言葉があるとでも?」

柔和を保っていたのはそこまでだった。
鋼鉄のような表情で、ほとんど唇を動かさずに呟く。

「この期に及んで嘘を吐くなんて、本当にいい度胸だわ」

吐き捨てるような言葉を聞いてローは悟った。
間違いなくは激怒しているのだ、と。