トラファルガー・ローの宣告
「『私と一緒に死んでください』」
の声がグリーンビットの森に静かに響き渡った時、
ローは息を飲み、そして奥歯を噛んだ。
「・・・悪いが大将、ちょっとばかし遠出して貰うぞ、
これ以上、邪魔が入るのはごめんでな」
「!」
ローの声色が変わった。
藤虎が対処するよりも早く、ローは”ROOM”を広範囲に広げ、手のひらを返す。
「シャンブルズ!」
藤虎の刀は空を切る。
瞬きほどの間のうちに、藤虎はグリーンビットの森から浜辺へと移動させられていた。
「イッショウさん!? 前線に居たはずでは!?」
浜辺ではの幻で消耗した海兵たちが手当を受けている。
藤虎に気がついた海兵の一人に声をかけられ、
藤虎は自身がどこに居るのかを把握することができたが、
改めてローの能力は厄介だと思い知っていたところだった。
「・・・不覚を取りやしたね、若くして七武海になっただけのことはある。
そもそもが幽霊の名演に、見入ったあっしの油断が元か・・・さて」
藤虎はグリーンビットの森を睨む。
三つ巴の戦いは一旦藤虎が抜けたことで、2陣営での戦いになった。
無論指を咥えて見ている気はないが、
とドフラミンゴの動きは両者とも先が読みづらい。
「どう辿りましょうかねェ」
藤虎は眉を顰める。
賭ける目はまだ、決まってはいない。
※
グリーンビットの森の奥では黒い霧が立ち込めていた。
の覇気の籠った声にも、ドフラミンゴは首を横に振る。
「・・・そいつは出来ない相談だな」
覇気は技術だ。
当然それには巧拙があり、格上の覇気使いには効き難いのである。
相手に”命令”を聞かせるの覇気はドフラミンゴには通用しない。
「お前が天竜人に対して嫌悪感を持つ理由はわかった。
権力者に対する憎悪も。フッフッフッフッ!」
ドフラミンゴは口角を上げた。
の中に、自身と似通った憎悪が渦巻いているのを面白がっているようだった。
「それは怒って当然だな、
おれでも相手を八つ裂きにしてやりたいと思うほどだ。
一族郎党を皆殺しにしてもまだ足りない」
ドフラミンゴは静かにへと歩み寄る。
は動かない。
「――しかしだ。それでもおれは、なにもかもが憎らしい。
上手く立ち回れなかった親父も、お前に理不尽を強いた”天竜人”も、
おれたちを追い立てた”人間”も、この最悪のシステムを作り出した”世界”も、
・・・そして他ならぬ、お前も」
ドフラミンゴはの顔を覗き込む。
「おれをここまで騙し通したことは褒めてやってもいい。
だが、おれはお前を許さない」
低く囁かれた言葉に、は目を眇めた。
鉄面皮を装おうとも、感情は目の中にぐるぐると渦巻いていた。
その葛藤の色を見定めるように、ドフラミンゴは告げる。
「・・・許されたいか、?」
は黙ってドフラミンゴを見返した。
ドフラミンゴは笑い、指を二本立てて見せた。
「方法は二つある」
そして、に条件を告げたのだ。
「一つは”死して償うこと”だ。
心配するな。優しく殺してやろう。おれの手で。
ひとかけらの痛みも苦しみもなく、安らかに眠らせてやる。約束しよう」
言葉の内容と裏腹に驚くほど優しげな声色だった。
覇気を帯びた手のひらがの頰を緩やかに撫でる。
「一つは”生きて償うこと”だ。
おれのために生き続けろ。自殺も病死も許さない。
・・・退屈凌ぎの本も美術品も何不自由なく与えてやる。
その一生を持って、許してやる」
今ここで死ぬか、死ぬまで檻の中に入るか。
二者択一を迫り、ドフラミンゴは答えを待った。
「さァ、、お前はどちらを選ぶ?
命が惜しくないと言うのなら、それで償うしか方法はない」
が口を開こうとした、その時だった。
「黙って聞いてりゃ、好き勝手なことを言いやがって」
を後ろから掻き抱いて、ローがドフラミンゴから距離を取ったのだ。
思わぬ介入に、ドフラミンゴもも、目を瞬いていた。
ローは苛立ちも露わにドフラミンゴへ声を荒げる。
「その上言うに事欠いて・・・”償え”だと?
それをこの人に言える資格がお前にあるのか、ドフラミンゴ!」
「・・・!?」
ドフラミンゴは怪訝そうに眉を上げる。
ローはそれに構わず、言葉を続けた。
「こういう状況になったのは、
元はと言えば、ヘタクソな嘘でこの人を騙そうとしたお前に原因があるだろう。
生きている間、充分にこの人は罰を受けていた」
を抱きとめる手に、ローは一層の力を込める。
「この人はずっと、お前のことしか考えてなかったよ」
は、ローの肩口で驚愕に目を見開く。
「一歩だって外に出れねェのに化粧品を散々お前に強請ったのは、
顔色が悪いのを悟られたくなかったからだ。
調子が悪い時ほど、この人はいつも身ぎれいにしていた」
ローが口にしたのは、13年前、が生きていた頃のことだった。
確かに、はローの言う通り、
ドフラミンゴに心配をかけたくなくて化粧を覚えた。
「家族と幸福に過ごしたいと言っていた。
・・・一人で口にする料理は味気ないとも。
この人がお前を困らせる我儘を言ったことがあったか?
せいぜいが最後の兄妹喧嘩くらいのものだろう」
ローはずっとを見ていた。
の言葉を、覚えていた。
「お前の杜撰な嘘に付き合って騙されたフリをしていた。
お前の”理想の妹”になろうと、ボロボロになるまで。
・・・そりゃそうだよな。この人にはお前しか居なかったんだから」
ローの言葉に、ドフラミンゴは眉を顰める。
「お前がそう仕向けたんだろうが!」
ドフラミンゴは徹底してを束縛した。
は家族から地位と平穏な日々を奪った罪悪感から、それも当然と思っていた。
だが、ローはそうではないと気づいている。
ドフラミンゴは、を手放すのが嫌だっただけだ。
昔も、そして今も。
「そのくせお前ときたら、この人の本心になんか気づきもしない。
だからこの人は”死にかけた可哀想なガキ”に心を開くしかなかったんだ」
ローの声に皮肉が混じる。
は何か言いたげに顔を上げようとするが、
強く抱きしめられ、身動きが取れない。
ドフラミンゴはローの言葉の端々から、
へと向ける情の深さを察し、絶句していた。
「お前・・・!」
「・・・残念だったな、せっかく大切にしまっておいたのに、
おれが引っ張り出しちまった」
ローはの髪に口付ける。
さすがに驚いたのか、はローに抗議するような声を上げた。
「ロー先生?!
人前でこういうことをするのはあんまりよろしくないと思うのだけど!?」
「人前じゃなきゃいいのか?」
ローの声には揶揄うような色が見えた。
はぐっ、と言葉につまる。
「・・・! そ、そういうの卑怯だと思う!」
「答えになってねェよ」
「うぅ・・・」
はもはや声にならない声を上げるばかりだった。
「・・・おい、」
ドフラミンゴはようやく状況に頭が追いついてきたのか、
底冷えするような声をローに向ける。
「おい、ロー。お前、・・・一体どういうことだ?! えェ?!」
「見て分かんねェのか? 鈍い野郎だな」
ローはこれ見よがしに深いため息を吐いて見せた。
やがて口の端には不敵な笑みが浮かぶ。
「”お兄様”とでも呼んでやろうか、そしたら理解できるだろう」
「!?」
「ロー先生!?」
は何か、思わぬ方向に話が進んでいないか、と頭に疑問符を浮かべている。
その上視界の外にあって見えないが、ドフラミンゴからの覇気のプレッシャーが
幽霊であるにも伝わるほどになっていた。
ドフラミンゴのこめかみには青筋が浮かんでいる。
ローの挑発は紛れもなく成功していた。
「よほど命が要らねェらしいなァ!? 身の程知らずの若造が!!!
よくも・・・!!!」
覇気の混じる怒りの声と共に、糸の弾丸が降りかかってきた。
ローはそれを、鬼哭で淡々と応じてみせる。
「・・・言いてェことはそれだけか?!」
「何?!」
ローはを背に庇うように下ろし、鬼哭を構えた。
「おれはこの人が散々自分を押し殺して
お前の為に笑っていようと努めてたことを、誰よりも知っている」
は息を飲む。
ドフラミンゴは常の笑みを忘れてローを睨みつけていた。
「今だってどういう覚悟でお前に剣を向けたのか、
どういう思いで自分の腑を曝け出すように打ち明けたのか、
・・・お前はおおよそ理解してるんだろうな?」
「黙れ」
ドフラミンゴは眉を顰める。
右手から生じた糸の鞭がしなり、ローへと向けられた。
「それで出てきた言葉が”償え”だろう?
――お前のこの人への執着はつくづく歪んでやがる。
この人の献身を、それを当然だと思ってんなら、テメェの節穴には勿体ねェから・・・」
ローは鬼哭で糸を絡め取り、ドフラミンゴへと告げる。
「おれが貰うぞ、ドフラミンゴ」
「・・・お前に舌は過ぎた代物らしい。耳障りだ。引きちぎって燃やしてやる!」
ドフラミンゴの怒りは頂点に達したようだった。
先ほどまでよりも攻撃に容赦がなくなっている。
は我に返った。
これはローが作り出したチャンスだった。
ドフラミンゴから冷静さを奪い、藤虎も今はいない。
単純に数だけなら2対1だ。らに分がある。
が声を上げようとした、その時だった。
「ッ・・・!?」
の口の端から、血の泡が吹きこぼれた。
※
ローはドフラミンゴの猛攻に耐えていた。
おそらくなら、ローの挑発の意図に気づくはずだと信じていたが、
いつまで経っても声が響かない。
ローが噎せ返るに気づいたのは、ドフラミンゴの攻撃を受け流した直後だった。
「!!! うッ・・・!」
に目を向けた途端、ドフラミンゴの次の攻撃がローへと決まる。
ドフラミンゴは吐血するに気づいて、ローへの追撃を止めた。
地面に小さい血だまりが出来ていた。
口を押さえる指の隙間から、血が滴っている。
色を失っている幽霊のはずなのに、血ばかりが赤い。
は自らの覇気に本体が耐えられなくなってきていることに気づいた。
剣を”幽霊”にすることができなくなっている。
「――本当に、言うことを聞いてくれないわ、私の体は・・・!」
「、」
ドフラミンゴがを呼んだ。
顔を上げて見たドフラミンゴの表情には見覚えがある。
悪夢を見たときのような顔だと、は場違いにもそんな風に思った。
「”ROOM”!」
の体と剣が、ローの側にあった小石と位置を変えた。
ローは額から血を流してはいるものの、無事らしい。
「ロー先生、」
「作戦は中止だ」
ローの表情は険しい。
に言い放つと戦線離脱を目論んで、ドフラミンゴの糸の弾を弾きながら隙を伺う。
「ダメよ、まだ、私は、」
「覇気の使いすぎだ。それ以上はお前が持たない!」
は首を横に振った。
「・・・聞けないわ」
「! 頼むから医者の言うことは聞いてくれ!・・・ぐっ!?」
ローがへと目を向けた瞬間、糸の弾丸がローの肩を貫いた。
「ロー先生!」
「よそ見をしてる余裕があるのか?」
ドフラミンゴは口角をあげ、ローとへと迫る。
そして、さらに状況は悪化した。
「見つけやしたよ、お三方、仕切り直しと参りましょう」
藤虎がここに来て、戻って来たのである。