幽霊の約束
の”カルメン”によって火柱が立ち上った瞬間、ローは”ROOM”を広げ、
麦わらの一味と合流するべく、グリーンビットの鉄橋まで移動していた。
は歌い終わるや否や、再び吐血と過呼吸の発作を起こしていたため、
ローは直ちに処置に当たる。
「、落ち着け、ゆっくり息を吐け」
ローはの背に手を当てる。
はむせかえるのをこらえながら、ローの指示に頷き息を整えていた。
過呼吸はすぐに収まったが、血が口の端から再び滴り始めている。
喉を抑えている様子を見て、ローは目を眇め、喉の処置へと移った。
「口、開けられるか? 見せてくれ」
は頷いた。ローは常備していたペンライトと木ベラを使い、目視で症状を確認する。
出血は喉からだ。覇気を込めて歌うのに、かなり消耗するらしい。
「止血薬は飲めそうか?」
は首を横に振る。ローは「そうか、」と頷く。
「直に入れても大丈夫そうなら、オペオペの能力を使う」
「は?・・・”直”?」
側からローの処置を見ていたシーザーは頭に疑問符を浮かべている。
はローの目を見て、頷いた。
「分かった。手早く済ませよう」
「うっ、」
ローは”ROOM”を展開し、を覇気を帯びた鬼哭で両断すると、
文字通り胃に”直接”投薬し、すぐにの体を元に戻した。
パンクハザードでも薬漬けにされていた子供達相手に同じような処置をしていたが、
実際に同じような処置を受けるとは、とは瞬いている。
「うわァ・・・」
シーザーは微妙な表情を浮かべてローの処置を眺めていた。
しばらくは複雑な表情を浮かべて、
足をゆるくばたつかせたりしていたが、症状自体は落ち着いてきたらしく、
半身を起こしてローに顔を向ける。
「ロー先生、これ・・・すごく変な感じだわ・・・いえ、とても体は楽になったんだけど」
「普通に飲ませるよりもどういうわけかこっちの方が効きが良い。安心しろ、実験済みだ」
「誰で・・・?!」
普通に喋れるようになったを見て、
ローはようやく肩の荷が下りたようにふ、と息を吐いた。
それからへと問いかける。
「それはさておきだ。おれの見立てでは覇気を使わず、幽霊に戻れば出血はしねェが、
その代わり治りもしねェ。
本来なら、休息をとって覇気を出せる状態まで回復させた後、治療を行いたい。
・・・ここでお前は退場すべきだと、医者としては止めたいところなんだが、
それは嫌なんだよな?」
「ええ」
は短く肯定する。
ローはそれを見て眉を顰めるが、渋々頷いた。
「・・・まァ、それは百歩譲ってやっても良い。だが、・・・おい、あれは何だ?」
剣呑に眦を尖らせたローに、は肩を震わせた。
13年前、苦い薬を飲むのは嫌だと駄々を捏ねたに、
幼い日のローが似たような表情を浮かべていたのを思い出す。
その日は懇々と「良薬口に苦し」のお説教を食らったのだ。
は軽くしらばっくれて見せた。
「え、何って、・・・何が?」
「お前、『後少しだけ歌わせろ』って言ったよな?!
あれの何が”少し”だ!? 燃えてたぞ全部!!! 今日一番の大技だったじゃねェか!!!」
ローの剣幕にはオロオロと視線を彷徨わせ、言い訳を始めた。
「っだ、だって、ドフラミンゴと大将さんの足止めとか目くらましをしないとって思ったら、
生半可なやつじゃダメだと思ったのよ! それに、」
「『それに』? 何だ? 言ってみろ」
腕を組んで言葉を促すローには、全く誤魔化されてくれる様子がない。
は目をそらし、ポツポツと呟く。
「・・・ドフィ兄さんは全然私を対等に見てくれないし、なんなら愛玩動物くらいの認識だし、
ドレスローザの人たちにはすごく、酷いことをしているし、
一回、目に物を見せてやりたくて・・・」
ローは深いため息を零した。
「要するに感情的になって後先考えず大技決めたんだろお前は」
「その通りです・・・」
はがっくりと肩を落とす。
「全然冷静で居られなかったわ。そのせいで、状況を悪化させてしまった・・・」
シーザーを優先して取り戻せただけまだ良いものの、ヴェルゴとモネはドフラミンゴの手中にある。
未だにローの手の内に心臓があるとはいえ、ドフラミンゴ配下の厄介な戦力になることは間違いがない。
ローはの落胆に鼻を鳴らして見せた。
「別に言うほど状況は悪くはねェだろう。痛み分けだ。
あそこで心臓をくれるほど、ドフラミンゴは一筋縄でいくような人間じゃない」
「・・・そうね」
は苦笑しながらも、頷いて見せた。
「ここからが、正念場だわ」
はそう言って横に立ったローを伺う。
さっきの、あれは、愛の告白と言うか、私を貰うって、そう言う、ことなのかしら・・・?
ドフィ兄さんは唖然としてたし怒ってたし挑発としては大成功だったけど。
方便なのか、本気なのか、どちらかしら・・・?
腕を組み、は難しい顔をする。
そもそも私麦わらの一味だし、ハートの海賊団に行くわけには・・・。
待って、これが単に方便だったらこんな風に悩む私は滑稽なだけだわ?!
は真剣な眼差しで地面を睨んだ。
シーザーなど、「どんな悪巧みを企んでいるのか」と、戦々恐々とした面持ちでを伺っている。
大体幾つ年がはなれていると・・・、今は外見だけならそんなに離れて無いのよね。
子供に手を出すような大人は最低最悪だと思ってたくせに、
私、人のことをとやかく言えなくなっちゃってるのに・・・。
目を眇め、は思索に耽る。
ロー先生にはもっと相応しい人が、いるでしょうきっと。
海賊だけどお医者さまだし、無愛想だけど診察の時は優しかった。
いいえ、ロー先生は私にはいつも優しい、それに。
「どうかしたか?」
ローは特に変わった様子もなく、に声をかけた。
はそれを見て首を横に振る。
「いえ、なんでもないのよ。ウフフフフ!」
はいつものように笑みを浮かべた。
それに納得したらしいローはサニー号を探そうと海を眺める。
それに、私をよく見ている。
もローと同じように海を眺めた。
※
鉄橋からサニー号が目視で確認できた段階で、
ローはとシーザーを連れてサニー号へと移動する。
「さん!?」
「トラ男!」
樽と引き換えにサニー号に着地したローに、ナミが食ってかかった。
「トラ男!! ちょっとアンタ! ここめちゃくちゃ闘魚出るじゃないの!?」
「言ってなかったか?」
「言ってたけど!!!
そもそもいきなり『船をグリーンビットへ回せ』で切るのはなんなのよ! ルフィか!?」
ナミの怒りにもローはどこ吹く風である。
はいつのまにか船に戻って来ていたらしいサンジに目を留めた。
「あらサンジ! 戻ってきてたのね。彼女は・・・?」
サンジはの身なりを見て一瞬戸惑った様子だったが、
ヴィオラのことを尋ねると、笑顔で頷いて見せた。
「・・・ああ、ヴァイオレットちゃんから
この船がドフラミンゴの部下に狙われてるって聞いて戻って来たんだ。
実際来て見たら、ブルックがもう既に片付けた後だったが」
サンジの視線の先にはドンキホーテファミリーの幹部、ジョーラが縛られていた。
その手にはパンクハザードから持ってきていた海楼石の錠がかけられている。
シーザーがジョーラを見つけ、にじり寄った。
「おお、ジョーラか!? 助けろ!?」
「わたくしも捕まってるのざます!」
シーザーはうな垂れた。
「畜生、散々だ・・・なんの厄日だ、今日は・・・!」
ローはサンジへと顔を向ける。
「黒足屋、『工場破壊』はどうなってる?」
「場所はわかったが想像以上に大仕事になりそうだ」
その言葉にモモの助がハッと顔を上げて尋ねる。
「父上は?! カン十郎は?!」
「侍も工場にいる。ことが済めば助かるはずだ。
ところでさっきから気になっていたんだが
・・・お嬢さん、その血は、どうした?」
「・・・」
の口の端や、ワンピースには血飛沫が飛んでいた。
そこだけが赤く色づいているのだから、すでに皆、が負傷しているのに気がついていた。
は不意に視線をジョーラへと向ける。
「海楼石の錠がかけてあると言うことは・・・彼女は、悪魔の実の能力者なのね」
一人呟いたかと思うと、思いついたように手を叩く。
「なら、救命ボートにでも乗せて漂流させましょう。
運が良ければ、ファミリーの誰かが助けてくれるんじゃないかしら」
その言葉に顔色を変えたのは他ならぬジョーラだ。
「な!!! こ、ここは闘魚の住む海流ざましょ!?」
「ええ、そうね。だから?」
は「何の問題があるの?」と言わんばかりに首を傾げてみせる。
ジョーラはこめかみに冷や汗を浮かべていた。
それを見かねてか、それともサンジの質問に答えないに焦れたのか、
ブルックが声をかける。
「・・・お嬢さん」
「冗談よ・・・ドレスローザにほど近い海域まで戻って、流しましょう」
ジョーラはひとまずホッと胸を撫でおろしたが、
シーザーは「絶対あれは本気だっただろ・・・」と薄ら寒いものを見たときのように一歩引いていた。
は振り返り、サンジへと声をかける。
「サンジ、シーザーを連れたまま、ゾウを目指してちょうだい」
「え!?」
「・・・おれが渡したビブルカードがあるだろう」
とローの指示に、船の上にいた麦わらの一味の皆が、目を瞬いた。
それにかまわず、は淡々と作戦を述べる。
「少なくとも、ドレスローザにシーザーを置いておく理由がない、
保険をかけさせてもらいましょう、」
それを遮るように、サンジがを厳しい声で呼んだ。
「」
ナミもブルックもチョッパーも、を心配そうに見つめている。
は苦笑して、おどけて見せた。
「・・・ウフフ。心配性ね。これならね、大丈夫よ!
ロー先生が治療してくれたから!」
「おれがやったのは応急、むぐっ」
『応急処置だ』と続きそうなローの口を後ろから両手で遮り、
は力強く宣言した。
「治療してくれたから!」
ローはの手を軽く叩いて離させたが、それ以上何も言うことはなかった。
ナミはに向き直る。
「、あんた・・・死ぬ気じゃないでしょうね」
「ウフフフ! ナミったらおかしいわね、私もう、死んでるのに」
いつものゴーストジョークだったが、ブルックは首を横に振る。
「・・・ダメですよ、お嬢さん。そんなジョークじゃ、私たち、笑えません」
「・・・手厳しいわ。でも大丈夫。私は平気だから!」
胸に手を当てて自信満々に頷いてから、は指を立てて説明した。
「シーザーがこちらの手元にあるなら、必ず交渉の席は設けられる。
その際はお互いに生きていなくちゃ取引にならないでしょう?
このほうが返って安全なのよ」
ひとまずそれに納得したのか、チョッパーがを見上げた。
「は、これからどうするんだ?」
「私たちはこれから仕切り直しを」
はハキハキと答える。
「私は音楽家だもの、ちゃんと鍛えているわ。いくらだって歌える」
しかし、麦わらの一味のを見る目は、心配を隠しきれていなかった。
ただ、誰もを止めようとはしない。
は、そうだった、と思い直す。
麦わらの一味はずっと、の意思を尊重してくれた。
初めから、演じる必要なんてなかったのだ。
は、笑顔を作るのを止めた。
「・・・お願い、あなたたちのために、私はここへ帰ってきたいと思えるから。
絶対に死んだりしない、きっとすぐに追いつくから。
先に、ゾウヘ向かっていてください」
サンジはを見つめていた。
は、真面目な顔で、見つめ返した。
一味は皆、同じ気持ちだった。
「怖い」と言って欲しいと思った。
「助けて欲しい」と口にしてくれればと願った。
だが、は絶対にそういう言葉を言わないのだ。
「わかった」
「サンジくん!?」
ナミが思わずサンジを咎めるように声をあげた。
だが、ナミもやがて深いため息を零した。
「本当にもう・・・頑固なんだから」
額に手を当てて呟く。諦めたような仕草だった。
「さん!」
ブルックがへと駆け寄ってくる。
の手を取ろうとしてすり抜けたのを見て、
複雑な表情を浮かべるも、そのままへと目を合わせた。
「必ず! 必ず生きていてくださいね!
いつもの冗談なんかじゃありませんよ、あなたちゃんと生きてるんですから!」
の目が大きく見開かれた。
ブルックの声も顔も、真剣そのものだった。
ブルックはなおも言い募る。
「そうでなかったら、どうして歌が歌えますか!?
死人が誰かと笑いあえますか!?
誰かのために怒って、涙を流すことができますか!?」
ブルックの眼窩の端に、水滴が滲む。
「私たち、命の重さを一番よく知っている人間でしょう?
自分を投げ出すようなことだけはしないでください!」
「・・・ブルック」
は眉を下げた。
ブルックはローへと顔を向ける。
「ローさん、さんを、頼みますよ。傷つけたら、怒りますからね」
「ああ、言われなくとも」
茶化した様子のない声に、ローもはっきりと頷いた。
ブルックは安堵して笑ったように見えた。
再びへと顔を向け、励ますような言葉を送る。
「さん。あなたは強い人です。やると決めたことはやる人です。
どんなに心の奥底で恐怖で怯え、震えて涙していても、
あなたは笑って、立ち向かうことのできる人です。
だってあなたはあの霧の海を、たった一人でも、歩き続けられる人なんだから・・・!」
の瞳が潤む。
ブルックは首を横に振った。はそれに頷いて、涙を堪える。
「でも、今は違います! あなたには、仲間がいますよ!
支えてくれる仲間が! 私もその一人なんですから!
・・・だから、」
ブルックの声は震えていた。
絞り出すように、に告げる。
「だから、どうか、無事に、この船に帰ってきてください・・・!」
は手のひらを実体化させて、ブルックの手を取った。
弾かれるように顔を上げたブルックに、微笑んでみせる。
「・・・約束するわ。ブルック。また歌いましょう、”ビンクスの酒”を!
みんな揃って、全員で!」
はとびきりの笑顔で答えた。
作ったものではない、本心からのものだった。
「だって私たち、麦わらの一味の音楽家ですものね!」
※
ジョーラをドレスローザ近海の沖へ流し、サニー号がゾウへと向かうのを見送って、
とローは再びドレスローザに足を踏み入れていた。
「着替えたいのは山々だけれど、トランク、置いてきちゃったわ・・・」
「取りに戻るのは危険だろうな」
「しょうがないわね」
血のついたワンピースをつまみ上げてため息をこぼすをローが宥める。
ひとまず麦わらの一味の皆と連絡を取るか、とでんでん虫を取り出した、そんな時だ。
タイミングよく、でんでん虫が鳴き出した。
「こちらロー、」
『ロシナンテだ! 色々と報告したいんだが、今大丈夫か?!』
ローが受話器を取り、名乗りをあげるや否や、
最後まで聞かずに喋り出したロシナンテに、ローは眉を上げた。
「落ち着いてくれコラさん。こっちは平気だ」
『そうか! 実は・・・』
ロシナンテは報告を始める。
グリーンビットでとローがドフラミンゴと相対している間、
ドレスローザではとんでもない事態が起こっていた。