ドンキホーテ・の罪と罰
グリーンビットでは3陣営に分かれての攻防が繰り広げられていた。
その舞台は浜辺から森へとなだれ込んでいる。
糸によって木々が切り裂かれ、
誰のものともしれない剣撃が岩を打ち砕き、
藤虎もドフラミンゴもローも、皆どこかしら傷を負っていた。
幽霊であるだけが無傷のまま、歌で幻を作り続けている。
「『お前は彼を 知ってはいない 想像すらもしていない
世界の海で聞いてみろ! 海原を渡る全ての者 船乗り 海兵 海賊どもに!
信心深い人々の 恐怖の的たるこの船を 彼らは誰より知っている』」
グリーンビットの森を覆った黒い霧は巨大な船の姿へと変わる。
ところどころが破れた赤い帆を掲げる幽霊船だ。
宙を浮かび進む船に、とロー以外の陣営は思わず立ち止まっていた。
「『人はこの船を”さまよえる幽霊船”と呼ぶ!』」
船は藤虎を援護しようとする海兵達の元に突っ込んだ。
轟音と叫び声が辺りに響き渡る。
動揺する敵影に、ローは隙を見てサニー号へとでんでん虫をかけた。
『もしもし、こちらサニー号だ!』
どうやらチョッパーが受話器をとったらしい。
「今すぐグリーンビットに船をまわせ!!!
お前らに人質を預ける!!!」
『えッ!? 一体、』
ローは詳しい説明を省いて受話器を置いた。
そこを狙ってドフラミンゴが糸を飛ばす。
ローは何とか転がるようにして避けたが、
そうでなかったら首が飛んでいただろう。
ドフラミンゴが嘲るような笑みを湛えながら、ローとの前に立った。
「ムダなあがきだ・・・今、誰を呼んだ!?
人質の心臓を返せ!」
「お断りよ! ・・・きゃあ!?」
「!」
ドフラミンゴに目を向けていたを、藤虎の重力が吹き飛ばした。
どうやら覇気を同時に使っているらしい。
は眦を尖らせて声を張り上げる。
「ちょっと大将さんしつこいわよ!
『死にゆく者の魂を』――うわ!?」
続けざまに重力を浴びせかけられ、は随分遠くまで飛ばされてしまった。
藤虎は刀を構える。
「幽霊のお嬢さん、あんたの技ァ、あっしには随分恐ろしいんでね。
まずはあんたからだ。悪く思わないでくだせェ・・・!」
「・・・!」
盲目の藤虎には歌を媒介とするの幻がよく効くのだ。
それ故、先にの無力化をしようとした藤虎だったが、
攻撃を畳み掛けようとする前に、ドフラミンゴの糸が迫る。
「フフフフフッ、今おれが”亡霊”と喋ってんだ、邪魔するんじゃねェよ!!!」
「!」
藤虎がドフラミンゴの攻撃に追われ、とローに多少の余裕が生まれた。
「全く乱戦にもほどがあるわね、大丈夫? ロー先生」
「ああ、なんとかな。それにしても、船を海軍にぶつけるのはどうなんだ」
「だって海兵さん達、邪魔なんだもの」
あっけらかんとは言い放つが、ローはそうではない、と目を眇めた。
この乱戦の最中、一見傷一つないだが、いつまでもそのままとは限らない。
例えばローのオペオペの力と同様に、の能力にもリスクがあるとしたら、
船を呼び出すような大技は控えたほうがいいのでは、と思ったのだ。
しかし、ローがそれをに問いただす余力はなさそうだ。
ドフラミンゴと藤虎がそれぞれローとに狙いを定め、向かってきたのだ。
ローが藤虎の刀を止め、がドフラミンゴの糸を弾く。
互いに鍔迫り合いのような状況になった。
「お前らがここで踏ん張ることになんの意味がある?
大方、・・・ドレスローザ本島で何かしら企んでるんだろうが、
時間稼ぎの意味が本当にあるのか?」
「何ですって?」
は眉を顰め、ドフラミンゴから距離をとった。
ドフラミンゴはを指差し、宣告する。
「お前の船長、麦わらのルフィはコロシアムの”剣闘会”に出場中だ。
各地から海を越えて強豪たちが集まる無法者の殺し合い・・・。
負ければ即地獄行きのコロシアムから、奴は出てこられやしねェよ!」
「・・・知ってるわよ、彼がコロシアムに出場するとき、私もそばに居たんだから」
「ほう・・・? ならなぜ止めなかった?
作戦は遂行しなくてもいいようなものだったか?」
は剣を振るう。
その動きはなぜだか洗練されたものだったが、使い慣れていないのか
ドフラミンゴを倒すには力が足りていない。
振り上げられた剣を武装色を纏った拳で掴み上げ、ドフラミンゴは笑う。
は剣を手放し、ドフラミンゴへと突っ込んでいった。
がすり抜けた瞬間、感じた冷ややかさにドフラミンゴの動きが止まる。
その隙に剣を取り戻し、再びは距離をとった。
「作戦のことは抜きにしても、ドレスローザがどういう国なのか、
”ドンキホーテ”の一族なら、向き合って当然の命題でしょう。
コロシアムはその象徴とも言ってよかった・・・」
はレイピアの切っ先をドフラミンゴに向けた。
「リク王家からドンキホーテに王権を移す方法は、
いくらだってあったのに。
それなのに、あなた、一番残酷で卑怯な方法を選んだでしょう!」
ビリビリと覇気が迸る。
藤虎と斬り合いになっていたローも思わずそちらに目を向けたほどだ。
藤虎も険しい表情での方へと注意を払っている。
ドフラミンゴはの言葉に肩をすくめて見せた。
「フフフッ、なんのことやら・・・。
おれはリク王の暴走を止め、国民に請われて王になった」
は眉を顰め、言葉を続ける。
「・・・おもちゃと小人は皆あなたの奴隷、正当な対価を払わず、無理矢理に従えている」
「奴隷制は古くから多くの国で使われている手段だろう?」
「コロシアムの剣は全て本物。
剣闘士たちは手足を失い、劣悪な環境で苦しみ、見世物にされる」
「”あれ”らは囚人だ。一種の刑罰さ、先代の頃からそうだった」
ドフラミンゴはそれ以上の問答は意味がない、とを見下ろした。
「裁判官にでもなるのか、”亡霊”?
おれの行動は間違っているとでも?
おれを断罪するつもりなら、そりゃあ、お門違いってもんだろう」
はドフラミンゴを見上げる。
そこに怯む様子は全くなかった。
「そうね・・・私は正義を断じる立場にない。海賊ですもの」
「フッフッフッ、わかってるじゃねェか、なら・・・」
「だから”気に入らない”って言ってるの!
正しさの問題じゃないわ! あなたの! やり口が! 嫌だって言ってるのよ!!!」
が剣を薙いだ。
「『首を刎ねろ! 刎ね飛ばせ! ”ハートの女王”!!!』」
黒い霧がドフラミンゴと藤虎の首を薙ぎ払う。
藤虎は咄嗟に耳を塞ぎ、距離をとることでその効果を軽減したが、
ドフラミンゴは至近距離で対処が遅れた。
「暴力と血を娯楽にするのを楽しむのは、
いつだって高いところから物を見る人間ばかりだわ。
這い上がって、”今度は”見下ろす側に回ったつもりなのでしょうけど」
転がったドフラミンゴの首をは片手で乱暴に拾い上げた。
一度目を合わせてから、苦々しく首を放り捨てる。
「人より高い眺望を楽しむのなら、落ちた時の絶望はより深い。
私たちが誰より知る答えだと言うのに・・・!」
ドフラミンゴはいつの間に戻った視界に、眉を顰めていた。
徐々に幻の精度が上がっているようだ。
痛みが先ほどよりも長引いている。
「・・・随分とわかったような口を利くなァ、”亡霊”。
お前、王としてのおれに意見しようって言うのか?」
「独裁者は王ではないでしょう。
国を”終わらせる”人間を私は王とは呼びはしない。
まして、滅びゆく権力者になど、」
首を抑えるドフラミンゴに、は奥歯を噛み、声を荒げる。
「この後に及んでサイファーポールまで動かすとはどう言うことなの!?」
まるで悍ましいものでも見たような声だった。
ドフラミンゴはそれに首を傾げつつ、ついに核心を突いた。
「おれは当然の権利を行使しただけのこと。
おれたちは世界一気高い血族、天竜人だ!」
「!?」
藤虎との攻防の最中に聞こえた言葉に、ローの目が驚愕に見開かれた。
藤虎も思わずと言ったように剣を止める。
ローは、確かにそう考えればドフラミンゴのすべての行動に辻褄が合う、と感じていた。
新聞に嘘を書かせ、世界政府を手玉にとるようなことも可能だろう。
しかし、それが本当なら。
ローはの背に目を向ける。
ロシナンテも、も、天竜人だと言うことになる。
「お前にはなぜそれがわからない!?」
血筋を誇れと迫るドフラミンゴだったが、はそれを拒絶した。
「”世界一気高い血族”ですって・・・? 笑わせないで!」
の眦に火が灯ったようだった。
そこに合ったのは嫌悪と怒りだ。
「何が”世界貴族”! 何が”天竜人”!」
ここまで嫌悪感を露わにするを、誰も見たことが無かっただろう。
身にまとうワンピースの裾が炎のように燃えていた。
その声には憎悪が混じる。
「欲望に取り憑かれ肥え太り、同じ貴族であっても女と見れば4歳の幼子に婚約を迫り、
人を虐げることしか能のない醜い愚か者共!
古い血脈にしか縋る事のできない、世界政府の傀儡の何が貴いと言うの!?」
呪詛のように叫ばれた言葉に、その場にいた者たちの動きが止まった。
ドフラミンゴもの言葉に唖然としているように見える。
「あの悍ましい連中と、遠縁とはいえ血の繋がりがあると思うと、
私は我が身を呪わずにいられないのよ、虫唾が走る!!!」
怒りを全て吐き出して、肩で息をしていたは俯いた。
その場は一気に静まりかえっていた。
戦場とはまた違う、異様な緊張感がグリーンビットの森を包んでいる。
はなんとか落ち着きを取り戻したようだが、
その声も表情も、暗澹としていた。
「私が、したかった話というのはこれなの、」
まるで腑を自ら割くように、絞り出すようには告げる。
「私は誰より卑怯だった。誰より間違っていた”罪人”なのよ」
ローは胸騒ぎを覚えていた。
藤虎ですらの声に聞き入っている。
今から明かされるのは美しい”嘘”ではなく、
どうしようもない”真実”であると、皆気づいていた。
「父が、母と私達だけでも天竜人に戻してくれと頼み込んだ時ですら、
あの下衆は・・・私を差し出せと言ったわ」
サングラスの下、ドフラミンゴの目が驚愕に見開かれていた。
「他の連中は見て見ぬ振りをしていた。父が誰に声をかけても無駄だった。
中には私と言葉を交わした人も居たでしょう。
でも・・・、人間に堕ちた女の幼子の命など、
誰がどう扱おうがどうでもよかったんでしょうね」
は自身の前髪を掴んだ。
「父は・・・首を縦には振らなかった。母も・・・、
『それは”人間”のやることではない』と、言って・・・!」
ドフラミンゴは今やその顔色を蒼白にしている。
幼い頃にの受けた仕打ちと、
の天竜人への強すぎる嫌悪感があまりに衝撃的だったのと、もう一つ。
ある可能性に行き当たったのだ。
「・・・なら、親父が地位を投げ打ったのは、お前のためか?」
は頷いた。
「・・・そうよ」
ロシナンテはかつて、がドフラミンゴから
逃げ出そうとしないことを不思議に思っていた。
「他にも色んな理由があったと言っていたわ。
でも決定打になったのは"私"だったんだと思う、」
ローはがドフラミンゴの側から離れない理由を聞いたことがあった。
はそれを、『罪人だから』だと言った。
『兄に全てを押し付けたから』だと。
「だから、私は、望まれる限りあなたの側を離れるべきではないと思った。
たとえ、私に自由がなくても、」
ドフラミンゴはようやく理解した。
13年前まで、がドフラミンゴの束縛を許容した最たる理由。
「だって、31年前、
あなたが真に怒りをぶつけるべきは父ではなく、私だったから!」
未だにドフラミンゴの胸には父親への憎悪が燻っている。
父が”天竜人”の地位を捨てなければ、
ドンキホーテの兄妹も母も、辛酸を嘗めることはなかった。
自らを人間と言って憚らず、
”分不相応”にも一家5人での慎ましい生活を望んだ父親。
誰一人守れずに死に果て、その首ですら何の価値も持たなかったと、
軽蔑していたドンキホーテ・ホーミング。
だが、の話が真実であるとするならば、
ホーミングは死してなお、たった一つだけを守り通したのだろう。
「・・・私だったのよ、兄さん」
自らの傷を抉るように告解したその顔には、涙ひとつも浮かんではいない。
ただひたすらに、無表情だった。
は驚くほど母親に生き写しだったが、今は誰にも似ていないように見える。
「命など惜しくはありません。・・・私はすでに死人のようなもの。
殺したいと言うのならそれもいい。
受け入れましょう。でも、」
の周囲を黒い霧が覆う。
膠着した状況が再び動き出すだろう。
「あなたは全てを憎んでいる。
何もかもに怒っていて、全てを跪かせようとしている。
その怒りを残酷なやり方でドレスローザに、
世界にぶつけ続けると言うのなら、・・・道連れです」
覇気を込めて告げられた言葉は、グリーンビットの森の中で、不思議とよく通った。
虫や動物たちさえも固唾を飲んでいるようだった。
「『私と一緒に死んでください』」
しかし、はその瞬間だけは確かに、演技を止めたように見えた。