『燃えて死ね』


ローは短く舌打ちした。

ここにきて藤虎が出てきてしまっては、ローとに勝ち目は無い。

しかし、はドフラミンゴだけを見ていた。
その心臓を、ローに抜き取らせるまでは血反吐を吐こうが止まれないと言う。
おまけに緋色の瞳は煌々と燃えている。

矢つぎ早に飛んでくる攻撃の合間、ローはを抱えて走る。

! 体勢を立て直さねェとダメだ! 一旦ここは引くべきだろ?!」
「それをおれが許すと思うか!? 逃げるな、!!!」

の手が、”逃げるな”と言う言葉に小さく震えた。
ローは目を眇め浜辺へと向かいながら、言葉を発しないに叫ぶ。

「いつまで自分を一人だと思ってんだ?!
 お前には帰る場所も待ってる人間も居るだろうが!!!」

は瞬き、そして硬く目を瞑った。

『ここで出会ったのも何かのご縁。ちょっとお話ししませんか?』
『そんなことよりお前ら、おれの仲間になれ!』

「・・・ロー先生、シーザー・クラウンを」

囁いたの声にもう迷いはない。
ローは少し考えるそぶりを見せた後、その唇に笑みを浮かべた。

「了解」

人質の3人は海軍が確保しているはずだ。
ローはそのまま、グリーンビットの浜辺へと進路を定めた。
そして、はローに再び声をかける。

「それから・・・後少しだけ、歌わせて?」



「”ROOM”!」

戦いの舞台は再び南東のビーチへと移り変わった。
森から飛び出してくるや否や、ローは消耗した海兵たちの中から拘束された人質を確認すると、
近くの石ころとシーザーの位置を交換する。

「げぇ!? ロー、幽霊!? てめェら、何する気だ!?」

シーザーはローに抗議するが、とローは冷たい一瞥をくれただけで、
特に言葉はかけてやらなかった。

程なくしてドフラミンゴと藤虎がらに追いついてくる。

それを確認すると、ローから離れたは血のついた唇をぬぐい、
軽く腰を折ってお辞儀して見せた。
背筋は伸び、その立ち姿はまるで舞台に立った役者のようだった。

瞬間、空気がピンと張り詰める。

異様な光景だった。

その場に居た皆の視線がへと集中しながら、
海軍も、ドフラミンゴですら誰も攻撃をしない。

今、この場の空気を支配しているのは、紛れもなくだった。
そして、は口を開く。指先が空を掴んだ。

「『お前が投げた この花を
 地獄の果てでも放さなかった』」

の手に花束が見える。
それを見て、ドフラミンゴはサングラスの下、瞬いた。

 その花は確かに、13年前、海に投げ捨てたーー。

「『萎み 干からび 果てたとしても
 甘い香りは変わらなかった』」

の手の内で花束は枯れ果て、黒い霧へ、
そして、黒い霧はやがて火の粉へと姿を変えた。

ドフラミンゴと藤虎の周囲に火の玉が浮かぶ。
藤虎がぐっとその表情を険しいものに変えた。

の”声”のもたらす幻が、盲目の藤虎にはっきりと映る。

炎を纏った女が踊っていた。
地面を踏み鳴らし、拍子を取り、微笑み、汗を流しながら。

最初に幻から正気に戻ったのは 藤虎だった。
に刀の切っ先を向ける。

とローはシーザーを抱え逃げながら、歌い続けた。
それを追いかける藤虎の額にはいつしか玉のような汗が浮かんでいた。

「こりゃあ・・・!」

すでにの攻撃は始まっている。
ドフラミンゴも我に返り、ローとを捉えようと糸を張り巡らせる。
ローがシーザーを掴んだまま、へと向けられる糸を払い落とした。

「『時を忘れ 瞼を閉じ
 残り香を辿り 追いかけ続け』」

攻撃を受けているとは思えないほど優雅な所作で、の手がスカートの裾を払う。
ちょうどドレスローザの踊り子達のように。

「『闇に思うはお前の影』」

それでもドフラミンゴはを追った。
ローがすんでのところでを庇いながらも、その距離は徐々に縮まっていく。

藤虎が見るほどはっきりとした像を結んではいないものの、
ドフラミンゴにも炎を纏う女の幻がと重なるように見えている。

「『呪わしく 憎らしく
 なぜ出会わせたのかと神さえ恨み』」

は喉に手を這わせた。
全身に冷や汗をかいていたが、まだここで途切れさせるわけにはいかないと声を張り上げる。

「『葛藤の 果てに残るは ただ一つ』」

ローがドフラミンゴの糸を弾く。
藤虎の重力が襲いかかるも、なんとか耐える。
への攻撃を、ローが受け流し続けていた。

演技が一瞬、歪んでブレた。

「・・・『残された望みは お前に会うこと』」

の声に、ドフラミンゴと藤虎、双方の手が一瞬止まった。
周囲を燃やしながら踊り続ける女の幻は今や無視できないものになっている。

は最後の口上に渾身の覇気を込めた。

「『花を歌え 恋に生き 燃えて死ね 私が演じるは炎の女』」

そしてはその一撃を放ったのだ。

「『”カルメン”!』」

その瞬間だった。

ドフラミンゴと藤虎を中心に、巨大な炎の柱が立ち上った。
熱も光も本物のようだった。

煙を吹きあげ、炎は渦巻き、全てを飲み尽くそうと迫りくる火の海に、
その中心にいるだろうドフラミンゴを案じ、
の演技に見入っていたモネは我に返り悲鳴をあげた。

「若様!!!」

そして、瞬きをするや否や、炎の幻は消え失せる。
とロー、シーザーと共に。



グリーンビットの森には何の変化もない。
かなり広範囲を焼き尽くしたように見えたはずが、
炎は何の痕跡も残していないようだった。

「さっきのも、幻だったと言うの・・・? 」

モネが呆然と呟く。
しかし、その横に居たヴェルゴが驚愕に息を飲んだ。

ドフラミンゴは膝を付き、咳き込んでいる。
こめかみには汗が浮かび、手には遠目から確認できるほどの火傷を負っていた。

「ドフィ、お前・・・!」

ヴェルゴが思わずと言ったように声を上げる。

ドフラミンゴはゆっくりと立ち上がり、海兵へと目を向けた。
海兵達は藤虎へと一目散に駆け寄っている。

刀を支えに立っているものの、藤虎も傷を負っていた。
その火傷はドフラミンゴよりも重いものだろう。

それを見て、ドフラミンゴは口の端に笑みを浮かべ、
藤虎に声をかけた。

「・・・お前ら、人質をよこせば今は殺さないでやってもいい」

海兵たちは警戒にドフラミンゴへと銃を向けた。
藤虎は眉を顰め、ドフラミンゴの言葉の続きを待っている。

ドフラミンゴは藤虎を嘲り笑った。

「海軍大将がそのザマで、おれに敵うと思っているのか?」

「――どうやら、幻で人を殺せるというのはハッタリじゃあなかったらしい。
 天夜叉の旦那、随分とじゃじゃ馬の妹御をお持ちで・・・」

藤虎のどこか飄々とした言葉に、ドフラミンゴはますます笑みを深めて見せた。

「フフフフッ! さすがに大将。
 その怪我で軽口を叩くだけの余裕はあるか、・・・で? どうする?
 なァ! ヴェルゴ!!!」

その声が合図だった。
ヴェルゴを拘束していた縄がいとも容易く、外れたのだ。

「なっ!?」

驚嘆する海兵を覇気の篭った拳で薙ぎ倒した。

「おれの心臓を持っているのはローとだ。
 ・・・今のお前ら相手に暴れたところで、全く痛くも痒くもない」

そして、ヴェルゴは周囲の海兵たちをあっという間に蹴散らし、
モネの海楼石の錠を覇気を纏った拳で砕き壊して見せた。
モネは拘束されていた足首を撫で、その目を冷徹に光らせる。

「乱暴ね、ヴェルゴ。でも気持ちはわかるわ。私も今・・・暴れたい気分だから」

不敵な笑みを浮かべたモネの周囲に凍てついた空気が漂い始める。

海兵達はたじろいでいた。明らかに海軍の形勢が不利な状況だ。
藤虎の顔に、わずかに陰りが見えた。

ドフラミンゴは笑みを浮かべ、藤虎に迫る。

「さァ、どうする?
 おれとヴェルゴとモネ、3人同時に相手にする用意は出来ているか?
 フフフッ、お前一人ならまだしも・・・足手纏いがこうもいるんじゃ、
 ろくに身動きも取れねェなァ?」

「なにを!?」

ドフラミンゴの挑発に乗りかけた若い海兵の肩を藤虎が掴んで止めた。

「な、」

藤虎は静かにドフラミンゴへと顔を向け、淡々と応じる。

「・・・いいでしょう」
「イッショウさん!?」

海兵達が騒めく。
ドフラミンゴは藤虎の返事に満足したようで、愉快そうに笑って見せた。

「フフフフフフッ、利口だな。失せろ、海軍」



一時撤退を余儀なくされた海兵の中では動揺が広がっていた。

「イッショウさん、これは、あまりに弱腰がすぎませんか・・・!?」
「良かったんですか、見逃して!?
 やはり総力戦になろうとも、ここで捕まえるべきだったのでは?!」

声を上げる海兵達に、藤虎は重い口を開いた。

「良かァないですよ、ですが、」

藤虎は横にいた海兵の方へ顔を向けた。

「あの幽霊を逃がしちまった時点でこっちの負けだ。
 ・・・あんた、あの技を見てどう思いました?」

問いかけられた海兵は面食らった様子だったが、
しばし考えるそぶりを見せると答えた。

「最初の歌では、本当に死にはしないですが、かなり消耗させられました。
 それに最後の歌で、イッショウさんもドフラミンゴも、実際に火傷を負った・・・。
 あれは・・・あまりに危険です」

藤虎は海兵の答えに頷く。

「そうでしょう?
 最初の歌もね、”あれ”に耐性があるのは戦場に慣れてる人間や、
 それこそ、”いっぺん死んだ人間”くらいなもんだ。
 それに最後の歌を無防備な一般人に向けられたら、・・・どうなると思いやす?
 火傷で済みますか?」

「・・・!」

藤虎の答えに、海兵達は口を噤んだ。
藤虎は尚も言葉を続ける。

「あれを国民の方に向けられたら厄介だ。
 此処で戦っていざという時に動けないのは困りもの・・・これが最善の選択でしょう」

がドレスローザの国民に攻撃の矛先を向ける可能性は全くのゼロではない。
しかし、海兵の一人が、迷いながらも藤虎に問いかけた。

「・・・今が”いざという時”ではないとでも?」

そもそも、ドフラミンゴの七武海の称号を剥奪すると藤虎が判断したのだ。
ドフラミンゴを拿捕することを優先し、その後ローや麦わらの一味を捉えることで、
結果的に国民の安全は得られるのでは、と藤虎に迫ると、
藤虎はその声に鋭いものを滲ませた。

「ドフラミンゴを捕らえることを優先すれば、
 あの男は国民を盾にすることを厭わない。
 海賊である幽霊や麦わらの一味、ローさんらに目を向けてもらった方が、
 返って国民への被害は少なく済むんじゃないかと思うんですよ」

藤虎の指摘に、海兵達の間にピリリとした緊張感が漂う。

「それに・・・海軍の本懐は海賊の拿捕ではなく、民間人を守ることじゃないですかねェ」

藤虎の声に、もはやその場に異を唱える者はいなくなった。
藤虎は火傷を負った拳を握り、静かに呟く。

「正義なんてもんを背負っちまったんだ、それを忘れちゃあ意味がねェ」



「追いかけますか?」

グリーンビットの森の奥へと向かうドフラミンゴへ、モネは尋ねた。
ドフラミンゴは首を横に振る。

の目的はおれだ。黙ってても向こうから接触してくるだろう」

ドフラミンゴはが置いて行ったトランクを見つけると拾い上げ、ヴェルゴに押し付ける。
ヴェルゴは慣れたそぶりで受け取った。

「中身はベビー5に改めさせよう」
「頼む」

ドフラミンゴの淡々としたそぶりに、モネは納得がいかないのか、なおも言い募る。

「しかし、」
「何よりお前たちが”まだ”生きている」

ドフラミンゴの言葉に、モネはそれ以上の追求を止めた。
確かに未だ、ヴェルゴとモネの心臓はらの手の内にある。
殺されていないということは、に人質を生かす理由がまだあるのだ。

「・・・」
「交渉に”使える”と踏んだんだろうなァ。フフフフフッ!」
「シーザーも殺されはしない、か」

愉快そうに笑うドフラミンゴの推測に、ヴェルゴが億劫そうに縄痕の残る手首を鳴らした。

「だが、のことだから一筋縄でいかないことくらい分かっているだろう。
 何しろドフィ、お前の妹だ」

ドフラミンゴはヴェルゴの言葉に考えるそぶりを見せる。
そして、何に思い至ったのか、ドレスローザ本島の方へと顔を向けた。

「・・・、シュガーを城へ戻そう」

ヴェルゴはドフラミンゴの結論に頷く。

「なるほど、妥当な判断だと思う」
「ではおれが迎えに行こう。お前たち、先に城へ戻れ」

短く指示を飛ばし、ドフラミンゴは雲に糸をかけ、ドレスローザへと飛び去って行った。
それを見送り、モネはヴェルゴへと目を向ける。

「本当に、追いかけなくても良かったの?」
 
モネの疑問に、ヴェルゴは腕を組んで答えた。

「・・・麦わらの一味がドレスローザに着いたのが8時ごろ。
 それから15時までのわずか7時間で、
 はドンキホーテ・ファミリーの政策方針を把握したばかりか、
 闇の根幹にまで辿り着いている」

返された言葉に、モネもその表情を険しいものに変える。

「ええ、シュガーの存在まで机上の空論から導きだした。
 だからこそ、先に叩いておくべきだと思ったのだけど、」

「彼女のことは、もう一人のドフラミンゴだと思え」
「・・・!」

モネは息を飲んだ。
ヴェルゴに冗談を言っている様子はない。
それは最大限の警戒を持って相対しろ、ということと同義だった。

「油断してた。おれも、そしておそらくはドフラミンゴも・・・、
 まさか彼女があれほど容赦なく、
 ドフラミンゴに対して振る舞えるとは思っていなかった」

何しろ、はドフラミンゴに対して”炎”を使ったのだ。
ヴェルゴはサングラスの下で目を眇める。

「最後の大技は連発できるようなものではないだろう。
 だが、通常の能力も決定打には欠けるが、
 敵を無力化、あるいは消耗させ、味方を鼓舞することができる。
 ・・・おまけにドフラミンゴに対してはその精神的な揺さぶりが大いに効く」

確かにモネの目にも、ドフラミンゴのへの挙動はどこか特別なものに見えた。
ドフラミンゴが敵の能力に見入るようなことはあり得なかったはずだ。
相手がでなければ、”カルメン”も最後まで歌いきれなかったかもしれない。

ヴェルゴはさらに言葉を続ける。

「決定力不足を補うようにローと行動しているのも厄介だ。
 そう簡単には捕らえることはできないだろう。
 その上、」

「最高幹部が自分を殺そうとしたことを、おそらく彼女は若様に打ち明けていない」

ヴェルゴが言い淀んだ言葉を、モネが引き受けた。
ヴェルゴは小さく頷いて見せた。

「・・・にとっての切り札だ。”交渉”の最終段階で明かすつもりだろう」

の考えを、理解しているような言葉だった。
モネは訝しむように眉を顰める。

「あなた、止めるつもりはないのかしら?」
「まさか」

ヴェルゴは淡々と首を横に振る。
そこには感傷も、何もないように見えた。

「おれはを3度殺した。4度目ができないはずがない」

モネはヴェルゴから視線を外すと、静かに呟く。

「・・・若様があんな風に誰かに執着するだなんて、思ってもみなかった」

ドフラミンゴは再びが自らの目の前に現れるのを待つと言ったのだ。
 
の殺意は本物だったわ。
 それなのに若様はあの幻を向けられてもまだ生かすつもりでいる。
 ・・・彼女を殺せば命が無いわよ」

「だろうな」

モネの言葉に、ヴェルゴは頷く。
その口には、小さく笑みが浮かんでいた。

モネはその顔を見て目を瞬くと、呆れたように息を吐く。

「・・・私に言われたくは無いだろうけど、馬鹿な人ね、あなたも」

ヴェルゴはそれに是とも非とも答えず、ただ黙って前を向いた。