蝶の羽ばたきを見た王様、舞台を整える


ドフラミンゴはシュガーを奪われてからすぐに王宮へと移動した。
とるべき選択肢はそう多くはない。
ドフラミンゴは苛立ちも露わに王宮を闊歩する。

スートの間に足を踏み入れたドフラミンゴに、走り寄ってくる影があった。
幹部の一人、ベビー5だ。

「若様!」
「ベビー5か、丁度良い。スートの間に幹部たちを呼び集めてくれ」
 
息を切らせ、ドフラミンゴの前に立ったベビー5は、手に何かを持っていた。
少し迷うそぶりを見せたが、ベビー5はドフラミンゴにそれを差し出して見せる。

「若様、これを読んで」
「・・・何だベビー5、今の状況がわかっているのか?」
「いいから!」

ドフラミンゴに押し付けられたのは一冊の本だった。
怪訝そうに眉を顰めるドフラミンゴだったが、ベビー5の顔を見て、それがただ事でないと知る。
ベビー5の目には大粒の涙が浮かんでいた。

ベビー5は目尻からこぼれた涙をぬぐい、小さく息を吐いてから、ドフラミンゴに告げる。

「ヴェルゴ様から渡された荷物から出てきたの。
 私なんかより、・・・若様が読むべきよ。最後の5ページだけでもいい、
 きっとこれは、”お姫様”の本心だから」

静かな、しかし懇願するような声に、ドフラミンゴは押し付けられた本を受け取った。
それを見て、ホッとしたようにベビー5は胸を撫で下ろすと、ようやく我に返ったらしい。

「スートの間に皆を集めれば良いのね!? 私今必要とされてる!」

キャーキャーとはしゃぎながらでんでん虫のいる部屋まで意気揚々と移動するベビー5の背を見送り、
ドフラミンゴは渡された本を眺める。

どうやらそれは日記帳のようだった。
ずいぶん分厚く、ところどころに付箋や写真が差し込まれている。
よく書き込まれているのか、半分以上の紙がインクの重さを含んでいた。

ドフラミンゴは表紙に貼られたラベルを撫でる。

「”Fable”・・・?」

”寓話”というタイトルをつけられた日記帳の最後に、ドフラミンゴは目を通し始める。

それは鳥カゴが展開する、数分前の出来事だった。



とローはパニックに陥る市街地を通り、王宮へと向かいながら、
ドフラミンゴの放送に耳を傾けていた。

ドフラミンゴは懇切丁寧に、自ら作り上げた”ゲーム”のルールの説明を始める。

『突然のことだ。状況を飲み込めない人間も多いだろう。
 お前たちの置かれている事態を簡単に説明してやろう。
 じゃなかったら”フェア”なゲームとは言えないからなァ』

『お前たちの頭上にあるのは”鳥カゴ”。おれの作り出した糸の檻だ。
 たかが糸と侮るなよ? その切れ味は折り紙つきだ。
 これがある限り誰もドレスローザに出入りできない。
 助けは来ねェし、逃げられもしないというわけだ。
 ・・・フフフッ、例えば、幽霊でもない限りはな』

ローとはぐ、と眉を顰める。
を牽制するような物言いだった。

ドフラミンゴは気を取り直したようにルールの説明を続ける。

『外への通信も不可能だ。
 外部の人間はこれから起きるゲームの”結果”だけを知ることになる』

そして、一際残忍な声色で、可笑しそうにドレスローザで起きている惨劇を語る。

『さて、これが一番気になっていただろう?
 暴れ出した隣人たちについてだ。
 彼らは無作為に人を傷つけ続ける。血縁、親友、あるいは守るべき市民ですら・・・。
 もうわかっているだろうが、別に彼らは好きで暴れてるわけじゃない。
 だが・・・それでも人を傷つけているという事実は変わるまい。
 時間が経てば経つほど、死傷者は増えるだろう』

『逃げても隠れても構いやしない。
 ”安全な場所”とやらがあるのならそこに行けばいいが、
 フッフッフッ! 果たしてそんな場所が今のこの国にあったか?』

の目の前で、銃を持った男が泣き叫びながら引き金を引いた。
無差別に放たれた弾はを通り抜け、逃げ惑う人の肩に当たる。
つんざくような悲鳴に、の足が止まりかけた。

「・・・!」
、今は王宮へ急ぐことを優先しろ。
 ・・・止めたいのは山々だが、いくらなんでもこれを全部さばいてちゃキリがねェ」

自身も苦虫を噛み潰したような顔をするローの忠告に重々しく頷いて、
は血を流す国民たちを痛ましく思いながらも振り返らず、通り過ぎる。

『このゲームの勝ち方は2つ。
 1つ。おれを殺してゲームを終わらせること。
 2つ。受刑者たち全員を捕まえ、おれの元へ届けること。
 このゲームにタイムリミットは存在しない。
 ゲームオーバーがあるとするなら、国民全員が死に絶えた時だろう、
 どう動くかはお前たちが選ぶといい。おれはなにも強要はしない。
 さァ、お待ちかねの受刑者たちを紹介しよう。見返りは多額の賞金だ・・・』

糸に投影された映像に、顔写真と賞金額が並んだ。
ドフラミンゴに受刑者と呼ばれ賞金をかけられた人間は13名。

レベッカ、ロビン、錦えもん、ヴィオラ、フランキーに1億。
キュロス、ゾロに2億。
ルフィ、ロー、前国王リク・ドルド3世、革命軍の参謀総長サボに3億。
そして、ウソップとロシナンテが5億だ。

ローはそれを横目で確認し、目を眇める。
シュガーを奪われたのはやはりドフラミンゴにとっては相当の痛手だったらしい。
賞金の掛け方にそれが現れている。

そして何よりも、

「・・・お前の名前は出なかったな」

ローの言葉にはシニカルな笑みを浮かべた。

「私が逃げないってわかっているからよ。
 賞金首の中には私のよく知らない人もいるけど、
 そのほかの賞金をかけられた仲間たちを、
 私が見捨てて逃げるはずないって思ってるんでしょう」

は明るく頷く。

「ウフフ、さすが腐っても兄さん、よく分かっていらっしゃる。
 ・・・ズバリ、図星だわ!」
「胸張って言うところじゃないだろ」

ローはため息交じりにに突っ込む。

どちらかと言えば、の言う理由よりも、
大勢にの顔を晒すことを避けたかったとか、
危害を加えられることを避けるためだとかの理由の方がローにはしっくりくるのだが、
にそれを伝えることはなかった。

「それにしても、”ROOM”を使った方が早いぞ。本当に走って行く気か?」

「まぁ! ダメよロー先生! 能力はここぞという時に使わないと!
 それに、ロー先生にはまだ協力してもらいたくて、」
「・・・全く、次はどんなワガママに振り回されるんだか、」

の言葉にローは呆れを交えて笑う。
は眉を上げてローを伺った。

「あら? ウフフ! そんな風に言う割にはちょっと楽しそうよ」
「突拍子のない計画に付き合うのは嫌いじゃない。海賊だからな、おれも」

口角をうっすらと上げたローに、は目を瞬いた。
そう言う顔をすると確かに、海賊の船長らしい悪い男に見える。
その成長を頼もしく思うと同時に、自分のことを棚に上げてはこんな風に思ったのだ。

「ロシー兄さん、どう言う育て方をしたのかしら・・・?」と。
 


ドフラミンゴは放送を終えて、スートの間に集まった幹部たちを見回した。
各々の顔に浮かぶ表情は明るくない。

モネは肉親であるシュガーが敵の手の内にあると知って蒼白な顔色のまま俯いていたし、
シュガーをみすみす誘拐されたトレーボルもこめかみに汗を浮かべている。
ディアマンテもメラメラの実をルフィに変装したサボに奪われてしまい、その顔には焦りが滲む。

ドフラミンゴの置かれる状況は今や最悪と言って良かった。

ドフラミンゴの沈黙に耐えられなかったのか、トレーボルとディアマンテが口々に弁解する。

「シュガーについては本当に悪かった!!
 両手両足不自由になった男がまさかシュガーを気絶させるとは・・・、
 その上、ロシナンテが一目散にシュガーを誘拐するなんて、想像できるか?! んねー?!」

「”メラメラの実”もそうだ。まさか大会に、革命軍のNo.2が出場してるとは想像できねェ!!」

ドフラミンゴはトレーボルとディアマンテを責めることはなく、ただ首を横に振った。

「・・・過ぎたことだ。お前らを責めても時間が戻るわけじゃあるまい」

寛大な態度に、トレーボルとディアマンテはホッと胸をなでおろした。
幹部への処分が決まり、空気が緩みかけた時、
ピーカがどうも腑に落ちないと、ドフラミンゴへと顔を向け重い口を開く。

「ドフィ、なぜ”ゲーム”を? 暴れてもいいのなら海軍も海賊も、おれ一人で十分だ」

響くピーカの甲高い声に、幹部たちを囲む部下の何人かはたじろぐが、
ドフラミンゴも幹部の面々も特に気にするそぶりはない。

「フフフ、そう急ぐこともない。
 おれたちは来るものを叩き潰し、消し合う者たちを傍観すればいい」

ドフラミンゴの結論に納得がいかないのか、ピーカはなおも言葉を続ける。

「回りくどい・・・ドフィ、おれは、」
「ピーカ」

念を押すように名前を呼ばれ、ピーカは口を噤んだ。
ドフラミンゴはいつものように貼り付けたような笑みを浮かべたまま、
丁寧に説明する。

「今回おれが重視するのは結果じゃない。過程だ。
 確かにお前の力なら、どんな連中も排除できるだろう。
 それを言うなら、おれが鳥カゴを収縮させりゃあ全部終いだ。
 ・・・だがそれじゃあ、意味がねェ」

「”意味”・・・?」

首を傾げたのはピーカだけではなかった。 
ドフラミンゴは口角を上げ、窓の外、混乱に陥るドレスローザを見下ろした。

「そうだ。そして支配者たるおれが耳を傾けるべきは、
 王宮に辿り着いた人間の言い分だけだろう。
 なぜなら、」

火傷を負った手のひらを握りしめ、ドフラミンゴは笑う。

「勝者だけが、自由にものを言えるのがこの世界だったからな」

ヴェルゴはその横顔を眺め、ドフラミンゴの視線の先のドレスローザへと目を向ける。
ドフラミンゴはおそらく賞金をかけた人間たちと、そして他ならぬを試すつもりなのだ。



放送で宣言した通り、ドフラミンゴは王宮の最上階で勝ち上がった人間を待つつもりらしい。
王宮の最上階に移動すると、ドフラミンゴは用意させたソファに腰掛ける。

護衛のつもりでついてきたディアマンテ、トレーボル、ヴェルゴに、ドフラミンゴは口を開いた。

「すまないがしばらく席を外してくれないか?」
「何・・・?」

訝しむように目を眇めたディアマンテに、ドフラミンゴは常のように笑ってみせる。

「少し考えたいことがある」
「わかった。・・・何か必要なものはあるか?」

頷き、問いかけたヴェルゴに
ドフラミンゴは少々考えるそぶりを見せると奇妙な注文をつけた。

「テーブルと塩水を入れたコップを1つ。椅子を1つ、いや・・・2つ用意してくれ」

ヴェルゴは使用用途などは特に聞かず、ドフラミンゴの注文を聞き入れることにしたらしい。
真っ先にそばを離れたのを見て、ディアマンテとトレーボルは顔を見合わせる。

「ならおれは花畑で見張ろうか。ここで固まってちゃァ、挑戦者があまりに哀れだ」
「ベヘヘ! 確かにな・・・。じゃあおれは階段の下へ。
 呼ばれたならすぐに駆けつけるからねードフィ。それくらいはいいだろう?」
「ああ」

ディアマンテとトレーボルの背を見送り、ドフラミンゴは王宮最上階に一人きりになった。
眺望は良好だが、鳥カゴに覆われたドレスローザには暗雲が立ち込め、
悲鳴と銃声が音楽のように響き渡っている。

ドフラミンゴはソファの背もたれに身を沈め、懐に持っていた日記帳を捲る。
今度は最初から読むことにしたらしい。

日記の始めはミミズの這ったような、ひどい筆跡とも言い難い線が続くようなページが続いた。
インクをよく溢したのか、ところどころがシミになっている。

『は きのれん し ゅうに か いて はみ てるけど ひどい  。
 い つになっ たら じょ うたつ する の? 
 き ょうは ミ ホークに きん しゅ を い   いわた されて ゾ ロが おちこんでた』

『思い だした こ とも 早く かけ るように。
 1もじ に何 分 も かかるのは バ カげ てる。
 ペロ ーナ ちゃん がふ か ざけして モリ ア にあい たいって ずっと ないてた。
 ミ ホー クが ゾロ へのあて つ けにの ませ たのが げん因』

『だいぶマシに なってきたと思 う けど、まだまだ。
 私は 記 憶力がいい から 日記 を書く 意味は ないかも し れないけど、
 誰かに 自 分の言葉で 見た  ものや 聞いたものを 伝えられ るように なりたい。
 失った 記 憶にいた は ずの 大 切な 誰かへ、 私の冒 険を教えて あげ られるように。
 で きるだけ、 楽しく、面白い 話になれば いい。
 今日は ミホークに サロメを歌え と言われた。あ の方は 物騒な 演目ばかりを 聞きたがる。
 首 を切るような曲ばかり 上 手になった らどう しましょう』


「フフフフッ、記憶喪失ってのは本当だったか・・・それにしても、
 どういう経緯で鷹の目と知り合った?」

ドフラミンゴは思わず一人呟いていた。

そして、先ほど相対したの構えが誰と似ていたかに気づいて、腑に落ちるところもあった。
どうやら鷹の目のミホークとは知り合いだったらしい。

知り合った経緯もこの日記を読み進めればわかるだろう。
ドフラミンゴはページを捲る。

記憶を失くした幽霊が、ドンキホーテ・になるまでの物語を。



 そろそろきちんと文章が綴れるようになってきたわ!
 やっと手首までなら実体化が安定してきたの。
 だから私が思い出した記憶と、冒険についてを書くことにします。

 まずは、私が”最初”に居たところから。

 ”霧の海について”

 記憶を失った私が物心をついた時に居た場所が、
 ”フロリアン・トライアングル”と呼ばれる霧の海だった。
 その名前を知ったのも、生きる骸骨ブルックと偶然に出会ったからで、
 私は自分が死んだものと疑っていなかった。何しろ体が透けているんですもの。

 霧の海は天国にしては何もないし、地獄にしては退屈だと思ったものだわ。

 もしかすると、私は中途半端に罪を犯して、
 退屈な霧の中を歩き続けるという罰を追ったのかもしれないとも思った。

 運が悪く、移動し続ける”霧の海”が私の進行方向と被ったせいで、
 私は何年もの間、霧の海を歩いていた。
 幽霊だから、歩く、と言うのは適当ではないかもしれないけれど。

 たまに、永遠に続く霧の中から幽霊船が顔を出し、私の前に現れたのでその時は中を見て回った。
 とても良い暇つぶしだったわ。今は、できれば生きた人間のいる、生きた船を見て回りたいけど。
 大体朽ち果てた船の中身というのは似たり寄ったりでも、それぞれに特色のようなものはあった。

 海賊船はそれが顕著だった。船長室には”コレクション”があることが多くて、
 例えばある船の、王冠のように飾った海賊帽子が5点並んだコレクションは、
 ガラスがホコリで汚れていなければとても見事な代物だった。
 でも、そばに朽ち果てていたその船の船長と思しき男の帽子はさほど派手なものでもなかったの。

 運よくそういうものに出くわしたら、私はいろんなことを考えた。

 コレクションの主人は日常的に着飾るのは好きじゃなかった?
 どういう理由でそのコレクションを集めたのだろう?
 特別な日には被ったのかしら?とかね。

 不謹慎かもしれなかったけれど、その時は、そんな時間しか楽しみがなくて。

 できるなら生きているその人から話を聞きたかった。
 きっと問いかけたなら、帽子の由来も聞けただろうに!
 それとも邪険にされたかしら?

 霧の海にいる時は、生きている誰か、いえ、生きていなくとも、誰かと話したくてたまらなかった。

 写真立ての中の人、船と共に命を落とした人骨と会うことはあったし、
 割れた鏡に映る、自分の姿に悲鳴をあげたこともある。
 私は自分と同じ幽霊が居ないことを不思議にも残念にも思っていたの。
 ブルックと出会うまで、私は意思疎通のできる人間と出会うことはなかったから。

 だからあの時、動いて喋る骸骨と出会った時の衝撃と感動といったら!
 お互いを見た第一声は悲鳴だったし、ブルックには塩をぶつけられたけれど。
 当時の私は、自分の名前もわからなくて、ブルックに『ここは死後の世界なの?』と尋ねて驚かれたわ。

 名前も、生い立ちも、家族や友人がいるのかどうか、それどころかこの世界の常識が全然わからない私は、
 ”その場に留まってはいけない”という強い気持ちと、”思い出したい”という願いだけしか持っていなかった。

 その私に、ブルックは歌を思い出させてくれた。音楽によって紡がれる、物語の記憶を。
 それからの時間は、それまでの時間と比べ物にならないほど楽しく、素敵な時間だった。
 何時間だって歌えたのよ。幽霊船で、”さまよえる幽霊船”を歌う機会なんてなかなかないと思うわ!

 霧の海についてはこの辺りで。次、まとまった時間が取れた時には
 麦わらの一味に出会った時のことと、スリラーバークのことを書くことにするわ。

 曇り空の続くクライガナ島 月が見えない夜に。